IS<インフィニット・ストラトス> ―偽りの空―
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Introduction
第十二話 来襲
「さて、いよいよ学年別トーナメントの時期が近づいている訳だが……」
一日を締めくくるSHRで、千冬さんがもうじき開催されるトーナメントの概要を説明している。でもいつもの凛とした立ち振る舞いとは程遠く、その表情はやや引き攣っている上になにやら心労が垣間見える。
学年別トーナメントは、前回僕が参加したクラス対抗戦とは違い全員参加だ。そのため、一週間という長期に渡り開催される。一年は入学から僅かな期間の訓練における先天的能力評価、二年は継続的訓練による成長能力評価、そして三年はより具体的な実戦能力を評価する。特に三年の場合、卒業後を見越して各国や企業の重鎮やスカウトが顔を出すこともありかなり大がかりなものになるとか。
そういった背景もある、IS学園でも最大級の行事だから千冬さんがそんな様子なのも不思議ではないのだけど、僕にはそれ以外の理由がわかっている。というより、現在進行形で僕も頭を悩ましているものだからだ。
「あー、なんと今回のトーナメント期間中にIS開発者である篠ノ之博士が視察にくることが決まった」
『ええぇぇーー!』
そう、先日の予告通り束さんが来るらしい。しかもどういう訳かこっそりではなく公式ルートを使って。当然、千冬さんの口が出たその意外すぎる名前にクラス中が騒然としている。公式発表されるみたいだから、すぐにでもクラスどころか世界中が騒然とするだろうけど。
というかですよ、あなた国際的に指名手配されてますよね!? いや、まぁ犯罪者としてではなく名目上は保護目的のような感じにはなってるけど。
学園に何らかの見返りを渡して、ということだろうか。IS学園は一応はどの国家に帰属していないことになっているから引き渡し要求なども拒否できることはできる。とはいえそれはあくまで建前で、拒否すればそれなりに国際的によろしくない立場になるだろうし、当日の警備の手間などを考えたら……。う~ん、束さんいったい何をしたんだろう……いや、彼女なら弱みを握っていたりして脅しててもおかしくない……か? うん、余計なことは考えないようにしよう。知らない方がいいことってあるよね。
「しかも、日程としては一年の試合期間中の可能性が高い。あまりお前たちを脅かすつもりはないが、必然的に例年以上に注目されることになる。つまりなんだ……頑張れ」
ち、千冬さんらしくない……というより言葉の端々に諦めや達観のようなものが見えるんですが。いや確かに気持ちはわかるけどね。もし彼女が束さんと親交があることを知られているとしたら、束さん来訪関連の雑務を押し付けられているだろうことは簡単に想像できる。いや、下手をすれば束さんが半分嫌がらせで千冬さんを指名している可能性もある。
……時折、殺意すら感じる鋭い視線をこちらに向けてくるのは気のせいではないはず。ということは先日の通信で言ってたように僕が関係しているのだろうか、そしてそれを千冬さんも感づいているか束さんから聞いているのかもしれない。
というか、自重してください千冬さん。その視線が自分に向けられたと勘違いしたのか後ろのフォルテさんが机をガタガタさせるくらい震えてますよ。チラッと後ろを見たら、彼女は小動物のようにプルプルしていた。そしてそれを見てる楯無さんも口に手をあてて悶えている。ただし、こちらは笑いを堪えているだけだ。うん、ごめんフォルテさん。そして楯無さんも自重してください。
「もう、フォルテちゃん可愛いんだから。後ろから見てて思わず笑いが堪えられなくなるところだったわ」
「いやぁ……何故かわからないけど命の危険を感じたッス……。というかなんで織斑先生はあんなに気が立ってたんスか?」
「さぁねぇ……どうも理由はそこの紫音ちゃんにあるようだけど?」
SHRも終わり周りでは部活に行ったり部屋に戻ったりする生徒がいる中、僕らはそのまま席で先ほどの一幕について話している。
「えっと……私にも身に覚えがなくて……。でもあの視線は確実に私に向けられてましたね」
さすがに束さんとの繋がりを大っぴらにはできないので話しようがない。楯無さんにもまだこのことは話していない。束さんの立場もあるし、楯無さんは信用できたとしても更識という暗部組織まで信用できるわけではない。でもまぁ、いずれバレる気はするけど束さんも黙っていてほしいと言っていたからこちらから話すのは避けるつもりだ。
……ん? というか束さん、自分ではああ言ってたけど実際に来たらところ構わず、たとえみんなの前であろうと声をかけてくる……どころか飛びかかってくる気がする。うん、その光景が簡単に目に浮かぶ、というかその光景しか想像できない。
「ど、どんしたんスか、紫音? なんか変な汗が出て顔も真っ青ッスよ……」
「な、なんでもないですよ?」
うぅ……あれから話を聞こうと思っても一度も連絡つかないし、釘を刺しておくこともできない。こうなったらなるようにしかならないか。
「それにしても、あの篠ノ之博士が来るなんてどういう風の吹きまわしかしらね」
そう言いながら僕の方をチラっと見る楯無さん。もしかしたら彼女はある程度、僕と束さんの関係を知っているのかもしれない。もしくは先ほどの千冬さんの様子で感づいたのか。
「今年は例年に比べて専用機持ちが三名と多いですし、現役国家代表までいるんですから元々注目度は高かったのでは?」
「あら、あの博士は身内以外には興味を示さないって話よ? ましてや彼女が他人の作ったISにそれほど興味を持つなんてあるのかしら」
あぁ、あの表情はやっぱ知ってるな、だってニヤニヤしてこちらを見てきている。相変わらずといえば相変わらずだけど、この人に隠し事はやっぱりできないなぁ。
「そんな人が考えることなんて私たちにはわからないですね」
フォルテさんもいる上にクラスメートが少なからず残っているこの場では話すこともできないので、それとなく楯無さんには後で部屋で話す旨を伝えてこの場は一度解散する。
「それで、紫苑君はあのトンデモ博士とどんな関係なのかしら?」
部屋に戻るなり楯無さんはストレートに聞いてくる。こうなってはもう話すしかない。
「……年は離れてるけど幼馴染のようなものだね。彼女がちょうどISを発表する少し前に出会ってそれから交流が続いているんだ。よく開発中に意見を交わしたり、手伝いさせられたこともあるからね。男の僕がこの学園の専門授業にスムーズについていけるのはその時の知識が役に立ってるってわけ。それに家庭の事情とかも知ってるから、僕がここに通うにあたっていろいろと協力してくれたのも彼女なんだ。ほら、この胸とかも束さんが作ってくれたんだよ」
さすがに白騎士事件のことまでは言わない、いや言えない。
「なるほどねぇ、どうりでオーバーテクノロジーだと思ったのよその胸。というか篠ノ之博士ってなんでもアリなのね。それにしても今や世界中がその居場所を探していて、家族すら彼女がどこにいるか知らないっていうのに、意外な手掛かりがこんなとこにいたなんてね」
「ん~、詳細は言えないけど彼女は居場所が常に変わるから僕もどこにいるかは知らないよ。でも専用回線があるから盗聴とか探知ができない状態での通信はできる。といってもここ数日連絡が取れないんだけどね、おそらく楯無さんの予想通り今回の来訪はいろんな意味で間違いなく僕目当て……というか愉快犯だと思うよ」
「あら、なんだか篠ノ之博士とは仲良くできそうな気がしてきたわ」
やめてほしい、心底やめてほしい。楯無さんと束さんてどんな凶悪コンビですか。この二人を当日会わせたら強烈な化学反応でいろいろ厄介なことになりそうな気がする。うん、絶対合わせては、じゃなくて会わせてはいけない。
それから数日後に千冬さんから呼び出しを受けることになった。内容は当然ながら、間もなくやってくる天災についてのものだ。SHRでの衝撃の発表から日に日に千冬さんがやつれていくのがわかる。
「さて、わかっているとは思うが束が来る理由はいろいろある……いやむしろあって無いようなものだろうが一番の目的はお前と、あとは面白半分だろう。こちらに一方的に押し付けたあと連絡が取れなくなってしまった。しかも、厄介なことに学園への申請まで行われており、公に知られることになってしまった……。以来、私は学園側からも本件を押し付けられて調整に奔走している訳だ」
開口一番、ブツブツと愚痴が始まってしまった。というか危ないくらい目が据わっている気がする。間接的にとはいえ世界最強のブリュンヒルデをここまで追い詰めるとは。世界最凶は束さんということなのだろうか。シミュレータで一度も勝てたことがない千冬さんだけど、今なら倒せるんじゃないかと思うくらい疲れ果てている。
「試してみるか?」
「い、いえ、何のことでしょうか」
こ、怖い! その目で殺気を上乗せしないでください!
「えっと、いろいろごめんなさい」
とりあえず、遠からず僕が原因なのは間違いないし申し訳ない気持ちもあったので謝罪の意だけは伝えておく。すると、千冬さんの表情もいくらか和らいでくれた。
「いや、お前もどちらかというと被害者だろう。当日はなるべく穏便に済ませたいものだがお前にも苦労をかけるかもしれん」
「うん、ありがとう。本来は束さんとの関係はあんまり大っぴらにできないんだけど、向こうがどういう行動に出るのか……」
「簡単に想像できるが今はしたくはないな」
「うん」
その後は起こりうる問題について軽く話し合った。束さん来襲という共通の災難を持ったからか、少し千冬さんとの信頼関係が強くなった気がする。何だかんだ言っても彼女のことが嫌いじゃないという共通認識もあるんだろう。千冬さんは絶対認めないと思うけど。
さらに数日が経ち、今はもう学年別トーナメント開始を翌日に控えている。しかし未だに束さんと連絡がつかず、どうやら学園側も対応を決めかねている状況だった。
「結局、連絡もつかないの?」
「そうなんだ、学園にも結局その後連絡がないみたいでバタバタしてるようだね。織斑先生が担当だから大変そうなのは分かったと思うけど」
「確かに、ここ数日心配になるほど疲弊している気がするわね」
部屋に戻ってきていた僕と楯無さんは、自然と明日の学年別トーナメントのことと今や学園最大の関心事となっている束さんの来訪について話していた。
「一応、学園内では箝口令が敷かれて学外に漏らさないようにされているけど、もう主だった企業や国は掴んでるわね。更識が持っているいくつかの情報網にも引っかかってるわ」
「だろうねぇ、当日は変な気を起こす連中がいないことを祈りたいけど」
千冬さんの話だと既に複数から身柄引き渡しの要求などがきているらしい。現状は全て突っぱねているとのことだけどその処理などまで押し付けられた千冬さんは堪ったものじゃないと思う。
「それに関しては学園のセキュリティを信じるしかないわね。まぁ、いざとなったら私たちも動くし」
と、その時部屋をノックする音が聞こえてくる。
「どなたでしょうか?」
時間も時間なので不審に思い尋ねてみるが返事がない。仕方ないので扉まで向かい、恐る恐る開けてみると……。
「やっほー、しーちゃん! 約束通り会いに来」
何やら幻覚が見え、幻聴まで聞こえたので僕はそっと扉を閉めた。
「……紫苑君? 何か見てはいけないものが見えたような、聞こえてはいけないものが聞こえたような」
「何も言わないでください」
現実逃避をする間もなく、扉が激しく叩かれる。同時に、扉の向こうから声が漏れ聞こえてくる。
「ひどいよしーちゃん! せっかく会いに来たのに追い出すなんて! ま、まさか同室の女とイチャイチャするから私を捨てるつもりなんだ、そうなんだ! 私とのことは遊びだったんだね、わーん!」
「誤解を招くことを叫び散らさないでください! とにかく入って!」
束さんが部屋の中まで聞こえる声でとんでもないことを言い出したためすぐに部屋に扉を開けて部屋に引っ張り込む。……悪夢だ。これ、周りの人に聞かれてたら変な誤解されたんじゃないだろうか。今は部屋の外がどうなってるのかなんて知りたくない。
「むぅ、せっかく会いに来たのに冷たいんじゃないかな?」
部屋に入った後もまるで悪びれる様子もなく、束さんはただ頬を膨らませていじけている。
「場所とタイミングを考えてよ! 一応は国際手配中なんだよ!? それに何で今まで連絡取れなかったのさ、一方的に用件だけ伝えて切っちゃうし!」
「えへへ~、驚かそうと思って」
「十分に驚いたし、心臓に悪いよ! それに千冬さんにも面倒押し付けて。死にそうになってるよ!」
「し、紫苑君。落ち着いて頂戴……」
思わず束さんの肩を掴んでがくがく揺らしていた僕を後ろから楯無さんが宥めてくる。気が付けば束さんが頭をフラフラさせながら意識が飛んでいた。
しばらくして、ようやく落ち着いた僕と復活した束さんは楯無さんが入れてくれたコーヒーを飲みながら話せるようになった。
「えっと、とりあえずこちらが同室になった更識楯無さん。前にも話した通り僕の事情を知った上で協力してくれているんだ。それで、こちらが篠ノ之束さん。まぁ、見ての通り個性のある人だね」
楯無さんと束さんは初対面になるので、最初に僕からそれぞれを紹介する。楯無さんは先ほどの顛末を見ていたので若干苦笑い……というか引いてる感じがする。これくらいで引いていたらこの人とは付き合えないと思うよ。そして束さんは何故かエラそうにドヤ顔している。僕の皮肉を込めた紹介が褒められているとでも思ったのだろうか。
「初めまして、篠ノ之博士。更識楯無といいます。お会いできて光栄です」
「ふ~ん、君がしーちゃんを誑かしてるんだ~。でも渡さないよ! もし手なんか出したら……」
何やら不穏な空気が。思わず冷や汗が出てしまう。でも何やら黒いオーラが出始めている束さんに対して楯無さんも一歩も引かずに相対している。
「あら、お言葉ですが篠ノ之博士は何か勘違いをされているようですね。確かに私は彼のことは気に入ってますが、それは今のような困った顔を見てるのが楽しいからというのもあります。私としては篠ノ之博士と彼がいっしょにいれば狼狽ぶりが堪能できそうで楽しみなのですが」
ちょっと待って、なにその理由。聞き捨てならないんだけど。いや、別に僕を巡って対立とか期待していたわけでは決してない、決してないんだけどそんな理由で気に入ってると言われてどういう反応をすればいいのか。あれ、ちょっと涙が……。
「へぇ、わかってるね、君! しーちゃんのオロオロしてる姿ってかわいいよね! だからたまに悪戯したくなっちゃうんだよね~」
「そうですね、最近では男としてのアイデンティティが崩壊しかかっているのでそのあたりを突くと反応が面白いですよ」
「ふむふむ、なるほど。生の情報はやっぱり参考になるかな。ありがとう! えっと、たっちゃんでいいかな」
や、やっぱりこの二人は会わせるべきではなかった……。というか束さん、天然だと思っていたのはもしかして実は全部わざとだったの? 楯無さん、そこは今僕が一番デリケートな部分なんでできればそっとしておいてください。このままじゃ人間不信になりそうです。
なんだろう、あの束さんが僕ら以外を認識したのって初めての快挙だというのに素直に喜べない。
「しーちゃん、しーちゃん。しばらく見ない間に綺麗になったよね? これならいいお嫁さんになれるんじゃないかな~」
「……今はそっとしておいて欲しいな。立ち直れなくなりそう」
さっそく得た情報を実戦しないでよ。ほんとに泣くよ? わかってて聞いてもダメージがあるのに、自然な流れで言われたら本当に立ち直れないかもしれない。
「あはは、本当だ。なるほどなるほど。暗部の更識の当主だからちょっと警戒してたけど君となら上手くやれそうな気がするよ?」
「ありがとうございます。私も篠ノ之博士に名前を覚えていただけたのなら光栄です。もちろん、私の目的の障害にならない限り、私から更識を通して情報を漏えいさせることなどもするつもりはありませんのでご安心ください。そしてその間は彼のことも守るつもりですし、場合によっては彼に協力してもらうことになると思います。今はそんなビジネスライクな関係ですね」
「ふ~ん、まぁそこら辺はどうでもいいかな。私やしーちゃんの邪魔しなければ。たっちゃんは確かに面白いけどしーちゃんとは比べられないからね、もし邪魔するようなら全力で潰すからね」
「ふふ、肝に銘じておきます」
二人はなんだか仲良さそう(?)に談笑している。その様子は一見、微笑ましいのだけど話の内容はかなり物騒だ。なんだか束さんだけでなく楯無さんからも黒いオーラみたいのが漏れ出てる気がする。どこまで本気なのかもうわからなくなってきた。彼女からしてみたら今回の対面で束さんに認識されるに至ったのだから、実際に使えるかどうかは別として非常に大きな手札を得たことになるんだろう。どちらにしろ僕にとっては泣きたくなる状況なのは変わらないのだけれど。
「あれ、そういえば僕が連絡したときにいた女の人は?」
以前、連絡したときに出ていた女性の声を思い出す。たしかくーちゃん? 通信を切る間際にその人と一緒に来るようなことを言っていたけど束さんは一人で来ている。
「ん、くーちゃんのこと? 今はお留守番なんだ。明日には来るよ?」
「その人は僕のことは知ってるの?」
「うん、いろいろお手伝いしてもらってるからね。しーちゃんが使ってる端末なんかもくーちゃんがお手伝いしてくれたんだよ!」
どうやら知らないところでお世話になっていたらしい。なら明日来たときにお礼も兼ねて挨拶をしておこう。とはいっても、どんな人かも名前もわからないし束さんに聞いても満足な答えが返ってくるとは思えないから一緒にいるタイミングじゃないと難しいけど。
「そっか、なら明日会ったときにお礼がしたいから紹介してね」
「うん、わかった! それじゃ今日は一度帰るね~、ばはは~い」
そう言うや否や急に煙のようなものが束さんの服から湧き出して一瞬であたりが見えなくなってしまう。気付いた時には束さんの気配が部屋から消えている。相変わらずデタラメな人だ。
「ごほっごほっ、言いたいこと言って帰っちゃったね、ごめん」
「こほっ、ふふ。面白い人ね、友人として付き合えるかはちょっと考えちゃうけど」
「あはは、そうだね。近すぎると大変さが勝るからあまりオススメはできないよ」
束さんは最初から最後まで僕らをかき乱したけれど、何故か後に残ったのは温かいものだった。彼女の在り方は決して万人受けするものではないけど、やはり僕は彼女のことが人間として好きなんだと思う。
でも、彼女が出した煙が原因で火災報知機が鳴り、寮が大惨事になったことを許せるかどうかは別の話だと思う。
翌日、学園は一年間でも最大級のイベントということで大賑わいとなった。例年では、各国・各企業の人間がやってくるのは最終日付近、三年の試合からなのだけど、今年ばかりは束さんの来訪が知れ渡り、あわよくば接触しようという人間で初日から大盛況だ。そのせいで会場の雰囲気は試合内容というよりも、束さんを探すことに重点が置かれてしまい、試合をする人間からしてみたらなんともやりにくい。
「私たちは午後からだから、しばらくゆっくり観戦できるわね。篠ノ之博士に会うなら今日がチャンスじゃない?」
喧噪から外れた場所で、僕と楯無さんは今日のことを話していた。開会式は終わり、もうじき一年の試合が始まるが、僕ら専用機持ちはシード扱いで午後からとなった。そのため、しばらくは自由時間……なんだけど千冬さんから束さんの監視という名のお守役を仰せつかってしまった。
「なんだけどねぇ。困ったことにまだ姿が見えないんだよね。相変わらず連絡は取れないし」
そう、もうすぐ試合が始まるにも関わらずまだ束さんが来ていない。彼女のことだから僕ら専用機持ちの試合が始まるギリギリまで来ない可能性は高い。
「そう、でも注意した方がいいわ。篠ノ之博士の名前に釣られて招かれざる客もきているみたいよ。……ちょっときな臭いわ。亡国機業が動いているかもしれない。その場合、篠ノ之博士だけでなく私たちも標的になりえるから」
「うん、わかってる。楯無さんも気をつけて。ところで、こういう場に来そうなメンバーの情報とかってないの?」
「う~ん、ほとんど尻尾を掴ませないのがやっかいなのよね。ただ、メンバーの一人が『巻紙礼子』と名乗っていたという情報があるわ。まぁ、同じ偽名を使いまわすようなおマヌケさんがいたらすぐに見つかるんだけどね」
どうやら更識の力でも亡国機業の情報を得るのは難しいようだ。実際、亡国機業の仕業とされている事件は公にされていないことがほとんどで、それを知ろうと思ったら裏の世界で調べるしかない。
今日の雰囲気は一般的な国や企業の研究者やスカウトというより、もっと異質な何かが紛れ込んでいる気がする。それはもしかしたら暗部組織かもしれない、他国の諜報かもしれない、そして亡国機業の可能性もある。思い過ごしならいいけど、束さんも来る以上警戒し過ぎるということはない。
僕と楯無さんが話しながら緊張感を高めているとき、ふと近寄ってくる人の気配を感じて話を中断する。そちらに意識を向けるとスーツ姿の女性が笑顔でこちらに近づいてきた。
その女性は僕らの前まで来ると名刺を差し出しながら声をかけてくる。
「いきなりで申し訳ありませんが少しお話をさせていただけないでしょうか。私はIS装備開発企業『みつるぎ』渉外担当、巻紙礼子といいます」
「……」
「……」
「……あの?」
どうやら悪い予感は当たったようだけど、なぜ亡国機業が今まで見つからなかったのかという疑問が増えてしまった。
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