レンズ越しのセイレーン
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Ready
Ready1 ティタノマキア
前書き
とある男が運命に抗った話
――“できない…! 俺にはできない! 俺には兄さんを殺せないッ!”――
――“俺が最初の頃の、言いなり人形のままだと思うなよ”――
――“みんなが、悪いんだからな”――
………
……
…
「…~♪~♪」
造りモノの花畑に、幼い少女のハミングだけが鳴り渡っている。
その穏やかな声に導かれるように、ユリウス・ウィル・クルスニクは午睡から醒めた。
目の前には変わりばえのない知識。絵具を何種類も溶かして濁った水のような色をした空。いつまでも晴れない雲。
それらの下にありながら極彩色の花々を咲かせる丘の上に、小さなロッジがある。そこに住むのは、今唄っている彼の娘と、父親である自分だけ。
娘は唄いながら、丘の造花の前に寝転んでは、その手に余る大きさのカメラのシャッターを切る。カメラは過日、幼なじみのアルフレドが娘にプレゼントした物だ。
やがて娘――ユースティアは、立ち上がって服についた汚れを落とし、ユリウスの下へ駆けてきた。
「いい写真は撮れたか?」
「うん。今日はバランおじさまが来る日。新しく撮った分、見せてあげるの」
「そうか。じゃあ写真を見せ終わったら、今日もバランに世界中の色んなことを教えてもらえ。お前が大人になって正史世界に行く時に困らないように」
「はい、とーさま」
そこでまるでタイミングを計ったように、花畑と「外」の境界線を一台のバギーがけたたましく登って来た。
バギーからユリウスと近い年頃の中年男が降りる。
「バランおじさまっ」
ユースティアはぱっと顔を輝かせて、バランの下へ駆けて行った。バランは屈んで、抱きついた娘を受け止めた。
「一ヶ月ぶりだね。ちょっと重くなったかな。ま、とにかく、元気にしてたかい? ユースティア」
「元気してた。バランおじさまは、元気?」
「何とかね。まだ非汚染区に住めてるから俺は大丈夫なほう」
「よかった」
バランはバギーからいくつかの道具を抱え、ユースティアと手を繋ぎ、仲睦まじくロッジまでやって来た。
「よ。まだまだくたばりそうにないな」
「憎まれっ子世に憚るというやつだ――と言いたいが、ついに足に来た」
「それで車椅子。てっきり分史エージェントへの目晦ましかと思ったよ」
「もちろんそれも兼ねてるさ。歩こうと思えば歩ける。痛むがな」
「……お前、相変らず性格悪いねえ。――そうだ。アルフレド、元気だった? 俺のほうじゃもう連絡つかなくてさ」
「ああ。精力的にあちこち回ってる。非汚染区に長くいればその分、体の汚染も進むというのに。あいつは、まったく」
「そうか。――じゃあ、辛気臭い話おしまいっ。ユースティア、勉強会始めよっか」
「はい、おじさま」
ロッジは普段、ユリウスとユースティアしかいないが、バランやアルフレドが来た日には木造のリビングが教室に早変わりする。
今日もバランはユースティアに過去の知識を教導する。これがアルフレドだと、銃器をはじめとする武器の扱い方訓練会になる。
無論ユリウスはどちらの「授業」でもユースティアを見守り、彼らが不要なモノをユースティアに教えそうになればストップをかけている。
プロジェクターで投影した映像を、指揮棒で差しては淀みなく関連事項を言い上げるバラン。ユースティアはそれを聴く。ノートは取らせていない。暗記方式だ。幼い脳には飲み込みにくい話もあるが、詰め込ませている。
これくらい覚えていないと歴史を変えるなどという大立ち回りはできない。
こうやって実の娘に負担を強いるのも、ひとえに犠牲になった弟のために。
自分が、娘がどうにかすれば、弟は必ず助かると確信できるだけの材料があるから。
――とある分史で生き延びた弟は、時歪の因子化が進み過ぎて、手足はおろか顔面まで黒く染まっていたとアルフレドが語った。
いつ死んでもおかしくない状態で、娘が過去の自分と出会った年齢になるまでの歳月、他の世界から来る骸殻エージェントを退け続けたというのだから、我が弟ながらさすがというか、無茶というか。
ユリウスの感想は措いて――そんな世界であっても、弟が生き延びる可能性は決して0ではない。
だからこそ無茶ができる。無理を通せる。
いつか遠くない未来、この娘に世界を壊させる時のための準備を、冷静に行えるのだ。
後書き
オリ主とユリウスを取り巻く人々の物語、「番外分史」での出来事を描く「Ready」、はじまりはじまり~。
今回はバランさんとの一幕。黒匣隆盛期になってバギー=車も開発されたものとお考えください。バランさんが主にオリ主にレクチャーするのは正史時間軸の情勢や常識ですね。細かく言うとGHSの使い方とか貨幣価値とか。
実は割と英才教育だったりしますのですが、そんな娘をああいうふうにしか使えない番外ユリウスはもうダメダメな父親ですよね。
【ティタノマキア】
大地の神クロノスからゼウスが王権を奪った後に勃発した、オリンポス山に布陣したゼウスらと、オトリュス山に布陣したティターン(古神族)の戦い。山々が根本から大きく揺らぎ、世界を崩壊させるほどの規模だったと伝えられる。
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