銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
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雪原の死闘
「隊長。何か変です」
「そうだな。……は分隊を伴って、下がってくれ。旗艦の防護といえば、分艦隊司令官殿も否定はしないだろう」
「隊長はどうされるのです」
「命令無視は重罪だからな。命令のとおりに索敵艦に同乗するさ」
「その命令が変だと言っているのです」
「そう思っても従わなきゃならんのが、中間管理職の辛いところだな」
そう笑われながら、叩かれた肩は力強かった。
訓練中は誰よりも厳しく、そして誰よりも優しい。
その手が離れれば、見上げた表情に何も言えなくなる。
これ以上我儘を言っても困らせるだけだろう。
そんな子供のような姿を隊長に見せたくはなかった。
「気を付けてください」
「大丈夫さ。それに俺も長生きをしてみたくなった」
「何ですか、それは」
「ああ。先日、士官学校で面白い奴に会った」
「誰ですか、それは」
「今はただの学生さ。だが、きっとすぐに出世するだろうな。その時には俺も力になりたいものだ」
不満げな様子に、隊長は笑った。
「結局、俺も士官学校出などといわれたが、本当の意味で、上に立つ人間ではないのだろう」
「何を。隊長は、隊長以外に考えられませんよ」
「そう。俺の限界はきっとそこまでだ。戦場での指揮はできても、戦場を選択することなど、俺には荷が重すぎる。暴れているだけでは、上にはいけないし、いってはだめなのだろう」
「だから、まだ学生の力になりたいと思うのですか。そんな現場を知らない上など必要ありません。戦場は……」
「バセット。よく上は戦場を知らないと言うが、俺達はどれほどに上を知っている?」
再び不満げに唇を尖らせた様子に、隊長は子供のようだと笑った。
慌てて表情をかえる様子に笑い声をあげながら、隊長はゆっくりとフェイスガードを被る。
「もしかえたいと望むならば、お前がかえればいい。お前は若い――決して遅くはないはずだ」
「俺は馬鹿ですから」
「才能など理由にならない。その学生は俺に気づかせてくれたぞ」
小さな笑い声を残して、隊長は装備を付けていく。
足に、腕に装甲をまとい、そして胸当てをつけようとした。
そこで、手を止める。
両手を首に持ち、金属が外れる小さな音がした。
「バセット。これを預けておく」
「認識票ですか」
「ああ……それは、もし俺が――」
そう呟きかけて、隊長はゆっくりと頭を振る。
「何でもない。終わった後に返してくれ」
呟けば胸当てを付けて、隊長は索敵艦へと向かった。
それに仲間が続いていく。
訓練を、戦場を共にした、仲間たちだ。
それが楽しげに冗談を交わしながら、索敵艦に乗り込む風景はいつものもので。
そして、最後の姿となった。
+ + +
「サハロフ隊長……」
呟いて聞こえた言葉に、バセットは目を覚ました。
上半身はじっとりと汗をかいている。
気だるさの残る身体を起こして、バセットは胸を撫でた。
自分のものと、そしてもう一つ――首元にかかる認識票に、バセットは息を吐く。
五年の時を経ても、いまだに悪夢に襲われる。
それは後悔なのだろう。
あの時に止めておけば良かった。
上の命令など無視すれば良かったのだ。
隊長以下索敵艦に撃墜されたバセットの隊は結局解散となり、仲間たちは散り散りに散っていった。バセットも最前線を転々とし、今では惑星カプチェランカの特務小隊にいる。
なぜ、いまだに自分が軍に残っているのか。
もはや同盟のために戦う気持ちなど失せている。
こちらの命を数としか考えていない者に対する忠誠心など皆無だ。
バセットが忠誠を誓った者は――そして、バセットと苦楽を共にした仲間達は全員死んでいる。
もはや仲間も、新しい隊長も不要だと思い続けてきた。
だが、カッセルに指摘されて思いだしてしまったのだろう。
あの時の仲間達を……そして、結末を。
だからこそ、悪夢を見た。
不愉快だと呟いて、バセットは身体を起こして、シャツを着る。
「俺には必要ないことだ」
仲間も。
隊長も。
呟いた声は、狭い部屋に小さく響いた。
+ + +
防寒用のコートに身を包みながら、アレスは繰り返される雪合戦を見ていた。
所詮は第一分隊――カッセル軍曹率いる隊が圧勝であった。
単純な攻略戦を仕掛けるバセット伍長の第二分隊と違い、カッセルはそこらかしこに罠を仕掛けている。それは落とし穴であったり、あるいはロープを切れば雪玉が降ってくるような古典的なものだ。
だが、その古典的な技術を上手く活用して、第二分隊は大きな打撃を受ける。
しかし、一カ月も同じ訓練を続ければ、人間だれしも進歩はするものだ。
第二分隊は罠に対する対処を覚えてくる。
もっとも、落とし穴を迂回したら、そこに別の罠が仕掛けられているのだが。
相変わらず悪辣な爺さんだ。
それに比べてと、アレスは第二分隊で指揮を執るグレン・バセットに視線をやる。
経歴を見れば、幼年のころから戦い始めて、最前線を次々に転任している。
戦果もあるし、優秀といえば優秀なのであろう。
だが、部隊指揮官としての資質には欠けている。
おそらくは仲間を信用していない。
だからこそ、多くの事を自分でなそうとするし、それが伝わるために周囲との連携がぎこちなくなっている。
そこを悪辣な爺さんが見逃すはずもない。
結果として第二分隊の連敗記録は、今日も更新しそうであった。
どうしたものか。
素直にカッセルに教えを請う事ができれば、バセットは成長する。
それが出来ないのならば。
第二分隊の旗が落ちるのを見て、アレスは立ち上がった。
勝利に沸く第一分隊とは違い、第二分隊は落ち込んだ様子だった。
連敗が続けば、士気も落ちる。
雪を払って近づいたアレスに気づいて、敬礼で出迎えられる。
「また第一分隊の勝ちだな」
「ええ。でも遊びで負けたからといって何なんです」
「戦場ならそんな言葉も言えないだろう。第二分隊は全員棺に入って帰る事になる」
「戦場と遊びは違いますが」
「雪玉が弾丸にな。バセット伍長、本日をもって君を第二分隊長の任務から解任する」
「な。何を……」
「第一分隊の隊長は私が兼任。カッセル軍曹――君に第二分隊を預ける」
アレスの言葉に、カッセルは目を開いて、小さく笑った。
「了解いたしました」
「勝手な事をいうなっ!」
叫んだのはバセットだ。
暴言に対して、アレスに見られれば、さすがに声を落とす。
しかし、その瞳はアレスの言葉に納得していない。
挑戦的な視線に、アレスは身体から雪を落としながら、周囲にもそれを伝えた。
第二分隊員のメンバーは驚いたようだったが、総じて納得したようだった。
遠くから見てわかったように、多少なりとも確執はあったのだろう。
「一人で勝手に決めないでください。あんたに指揮が取れるのですか」
「初めてだが、それでも君よりは上手く出来ると思うよ」
「ふざけるなっ!」
叫んだ言葉に、アレスは振り返った。
「どちらがふざけている。遊びだろうと、訓練中だぞ。負けたから何だという人間に分隊を任せられると思うか。君は指揮官失格だよ」
「っ――上がどれだけ偉いっていうんだよ!」
バセットがしまったと思った時には、手が出ていた。
握り締めた拳をそのままにアレスに振るえば、誰もが驚きの表情を浮かべる。
上官への暴行で、軍法会議か。
あまりにもしまらない話だが、自分の最後と思えば、それで良いような気もした。
そんな拳を、アレスは紙一重で避けて、拳がバセットに向かった。
+ + +
風をきる拳に、バセットは咄嗟に身体を後ろに倒して、避ける。
それは士官学校出のお坊ちゃんの攻撃ではない。
敵の倒し方を知っている人間の拳だ。
その鋭さにバセットは驚きを見せるが、もはや謝罪するタイミングはない。
どうせ首なら、最後に殴って首になる方がいい。
そう思い、バセットは拳を握りしめた。
その動作に止めようとする隊員達。
それをアレスが止めた。
「身体も冷え切っているところだ。俺も少し運動をしよう」
言葉とともに防寒着を脱いだ。
「後悔するぞ」
「させて見せてくれ」
「はっ!」
小さく息を吐いて、バセットは踏み込んだ。
拳は握られていない。
手を軽く開いた動きだ。
相手に打撃を与える事を目的にしていない。
目的は――目か。
人間の目は弱い。
強い打撃すらいらず、相手の指がかする程度でも視力を奪われる。
容赦のない攻撃に対して、アレスは苦笑した。
それでも、フェーガンよりは遅い。
そう思い身体を沈ませて、相手の攻撃をかわした。
即座に腕をとりに行こうとして、バセットの手が横振るわれた。
耳を衝撃が駆け抜ける。
寒い中で露出していた耳を、弾かれる事で思わぬ痛みを感じた。
ちぎり取られたのではとまで一瞬誤解する痛みに、アレスが眉をしかめる。
その隙をバセットは逃さない。
「本当に容赦がないっ」
振り上げられたのはバセットの左足だ。
狙いは急所――金的。
両腕をクロスさせて、何とか防いだ。
攻撃は終わらない。
防いだと同時に首筋に伸びるバセットの手。
「舐めるな」
それに対して、アレスは防いだ両手で相手の左足を掴んで、力任せに持ちあげた。
バセットの態勢が崩れる。
倒れると同時に、繰り出されるの右足。
顔面に伸びる蹴りに、アレスは左肩を持ちあげる事で対処する。
アレスの左肩によって、若干の衝撃を緩和されながらも、側頭部に右足が叩きつけられた。
脳が揺れて意識が一瞬消える。
それでもアレスは掴んでいた両腕を離さない。
足首へと両腕を巻きつけると、力を込めてひねる。
バセットが苦痛に呻いた。
それも一瞬。バセットによって投げられたのは、雪だ。
狙い違わず顔にぶつけられて、視界を奪われる。
緩んだ手からするりと抜け出して、バセットは立ち上がって、距離をとった。
「少しはやるようだな、少尉殿」
「雪玉もたまには役に立つだろう」
「はっ、違いない。どこでそんな技を学んだ?」
「五年も学校で訓練をすれば、何とかなるもんだ」
「勉強か、ご苦労なことだ」
「ああ。随分と苦労したよ。ところで、君はこの五年で何をしてきた?」
「貴様に俺の何がわかるっ!」
叫び、雪原を走る。
疾走。
雪を巻き散らせながら走りだしたバセットに対して、アレスは小さく笑う。
「わかるわけがない。俺は君ではないから――けれど」
呟いて、拳を握りしめた。
「結果を見ればわかるぞ――君は分隊長にすら、ふさわしくない」
アレスは避けない。
バセットの拳がアレスに届くと同時、アレスの拳もまたバセットに叩きつけられた。
激突音。
一瞬の硬直の後に、吹き飛ぶのも同時。
カウンターのように直撃したバセットは後方に吹き飛べば、アレスはかろうじて倒れる事を免れた。
「何をしている!」
雪にまみれたバセットが立ち上がると同時に、厳しい叱責が飛んだ。
+ + +
言葉の方に顔を向ければ、そこにはクラナフがいる。
厳しい視線を向けられれば、バセットは握ってた拳をほどいた。
終わりかと。
「訓練です。大佐」
そう息を吐いたバセットの耳に入る言葉は、アレスの声だった。
切った唇を手の甲で拭いながら、アレスは何事もなかったように告げる。
クラナフの眼光がますます厳しくなった。
「誰がそんな許可を出した、マクワイルド少尉」
「雪原での戦闘訓練については、大佐の許可をもらいましたが」
「そこに殴り合いなどの記載はあったかね」
「雪原での戦闘訓練で、なぜ徒手による格闘戦がないと思ったのです」
「小隊長が、分隊長相手に徒手格闘訓練を行ったと?」
「それ以外に何をしているように見えたのですか」
クラナフは元々は現場の一兵卒から、この地位まであがった男だった。
その殺気すらも見せる眼光に対して、しかし、アレスは飄々と答える。
むしろ、バセットの方が息を飲まれてしまっていた。
そんな自分の姿に気づき、バセットは雪原から身体を起こした。
こんな事で借りを作るわけにもいかない。
「これ……」
「いやいや、すみませんな。まだ小隊長も伍長も若く、熱が入り過ぎたようで」
呟きかけた言葉を制止したのは、カッセルであった。
相変わらず飄々とした表情で、穏やかに語る姿に、クラナフは鼻を鳴らした。
「随分と元気が余っているようだな、少尉。だが、怪我をされては困るな」
「これから気をつけます」
「マクワイルド少尉は後で司令官室に来るように」
そう言ってクラナフ大佐は踵を返して、歩きだした。
アレスは空を仰ぐ。
またお説教部屋だと――それは、学生時代で慣れたものではあるが。
血が混じった唾を吐いて、周囲に視線を向ける。
「大佐の言う通り、今日は解散だ。明日からは予定通り、俺が第一分隊の指揮を行う。カッセル軍曹は――」
「マクワイルド少尉」
「ん?」
「貸しのつもりか。だとすれば……」
「バセット伍長!」
カッセルの怒声が、バセットの言葉をかき消した。
振り返って、初めて見る鬼軍曹の表情に、バセットが不愉快気に唇を曲げる。
呟きかけた言葉を飲み込んで、恨めしげにアレスを見れば、自らの装備を手にする。
周囲に視線を向ければ、バセットに対する視線は冷たい。
「勝手にしろ」
言葉とともに立ち去る様子を、面々は黙って見ていた。
その様子に誰も言葉を口にできないでいる。
ただ見送ったアレスが疲れたとばかりに雪の防護壁に腰をおろせば、解散とばかりに手を振る。
しばらく迷っていたようであったが、一人、また一人と歩き去る。
ただ一人、カッセル軍曹だけが近づいてきた。
先ほどまでの鬼の形相は成りを潜め、困ったような表情を浮かべる好々爺のようであった。
「お優しいですな、少尉殿は」
「新しい分隊長を別に貰えるなら、厳しくもなりますよ」
唇を手で拭いながら言葉にすれば、カッセルは穏やかにアレスを見下ろした。
そうですかな。
呟かれた言葉に、アレスは答える事はなかった。
静かに見るアレスの視線に、カッセルはバセットの去った後を見る。
「彼は第七艦隊で上官と仲間を失った。もう五年も前の事です」
「サハロフ中佐の隊ですか」
「御存知なのですか」
「少し縁がありましてね」
息を吐いたアレスを待つように、カッセルは言葉を続けた。
「上からの命令で犠牲になるのは現場の人間。どこにでもあることです。けれど、彼は若い。我々ならば酒を飲んで、忘れられる妥協が彼には出来ない」
「妥協が良い事ではないと思いますがね」
向けられた厳しい視線に、カッセルは肩をすくめて、朗らかに笑った。
「少尉殿は私には厳しいですな」
「ええ。退役までしっかり働いてもらわなければなりませんからね」
手を伸ばして、助けを貰いながら立ち上がる。
朗らかな表情が、一瞬変わった。
「なら、この件は私に任せてもらえますかな」
「最初からそのつもりです。彼を分隊長からおろしたのは、あなたに教えてもらうようにすることが目的でしたからね」
「はは。ならば、退役前に給料分は働きますかな」
アレスの言葉に、カッセルはからからと笑った。
「ところで軍曹」
「ん?」
「髭を剃ったのは何か、事情があってのことですか?」
アレスの問いに、カッセルは渋い顔を浮かべた。
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