ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──
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SAO
~絶望と悲哀の小夜曲~
最後のチュートリアル
『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』
咄嗟には意味が掴めなかった。
....
私の世界?あの赤ローブが運営サイドのゲームマスターならば、確かに世界の操作権限を持つ神のごとき存在だが、今更それを宣言してどうしようと言うのだ。
唖然と顔を見合わせる人々の耳に、赤ローブの何者かが両腕を下ろしながら続けて発した言葉が届いた。
『私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の在だ。』
「………………ッ!!」
人々が息を呑む音が聞こえる。
茅場晶彦。
数年前まで数多ある弱小ゲーム会社のひとつだったアーガスが、最大手と呼ばれるまでに成長した原動力となった、若き天才ゲームデザイナーにして量子物理学者。
彼はこのSAOの開発ディレクターであると同時に、ナーヴギアそのものの基礎設計者でもあるのだ。
だが、彼は今まで常に裏方に徹し、メディアへの露出を極力避け、もちろんゲームマスターの役回りなど一度たりともしたことはないはずだ。
何故こんなことを?
そんな広場にいる人々の心の声を嘲笑うかのような言葉が空疎なフードの下から発させられた。
『プレイヤー諸君は、すでにメインメニューからログアウトボタンが消滅していることに気付いていると思う。しかしゲームの不具合ではない。繰り返す。これは不具合ではなく、《ソードアート・オンライン》本来の仕様である。』
「し………、仕様、だと」
少し離れたところにいる二人組のかたわら、赤みがかった髪を額の悪趣味な柄のバンダナで逆立て、長身痩躯を簡素な皮鎧に包んだ男が割れた声でささやいた。
その語尾に被さるように、滑らかな低音のアナウンスが続く。
『諸君は今後、この城の頂を極めるまで、ゲームから自発的にログアウトすることはできない。また、外部の人間の手による、ナーヴギアの停止あるいは解除も有り得ない。もしそれが試みられた場合──』
わずかな間。
一万人が息を詰めた、途方もなく重苦しい静寂のなか、その言葉はゆっくりと発させられた。
『──ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが、諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる』
………は?
人々の心の声が聞こえた気がした。
脳そのものが、言葉の意味を理解するのを拒否しているかのようだった。
しかし、茅場のあまりにも簡潔な宣言は、凶暴とすら思える硬度と密度でレンの頭の中心からつま先までを貫いた。
脳を破壊する。
それはつまり、殺す、ということだ。
ナーヴギアの電源を切ったり、ロックを解除して頭から外そうとしたら、着装しているユーザーを殺す。茅場はそう宣言したのだ。
ざわ、ざわ、と集団のあちこちがさざめく。しかし叫んだり暴れたりする者はいない。全員が、まだ伝えられた言葉を理解できないか、あるいは理解を拒んでいる。
だが、レンだけは瞬間的に全てを理解していた。
ナーヴギア、その構造は、前世代の据え置き型マシンとは根本的に異なる。
平面のモニタ装置と、手で握るコントローラという二つのマンマシン・インタフェースを必ず要求とした旧ハードに対して、ナーヴギアのインタフェースは一つだけだ。頭から顔までをすっぽりと覆う、流線型のヘッドギア。
その内側には無数の信号素子が埋め込まれ、それらが発生させる多重電界によってナーヴギアはユーザーの脳そのものと直接接続する。ユーザーは、己の目や耳ではなく、脳の視覚野や聴覚野にダイレクトに与えられる情報を見、聞くのだ。それだけではない。触覚や味覚、嗅覚を加えた、いわゆる五感の全てにナーヴギアはアクセスできる。
これだけ聞くと、まさに最先端テクノロジーと言えるが、レンはそれと全く同じ構造を持った物を知っている。
それは────電子レンジ。
充分な出力さえあれば、ナーヴギアは脳細胞中の水分を高速振動させ、摩擦熱によって脳を蒸し焼きにすることが可能だ。
そしてナーヴギアには、その大それたことを成し遂げてしまう大容量のバッテリが内蔵している。
─だが、瞬間でもあったら─
そんなレンの心の声が聞こえたかのように、上空からの茅場のアナウンスが再開された。
『より具体的には、十分間の外部電源切断、二時間のネットワーク回線切断、ナーヴギア本体のロック解除または分解または破壊の試み──以上のいずれかの条件によって脳破壊シークエンスが実行される。この条件は、すでに外部世界では当局およびマスコミを通して告知されている。ちなみに現時点で、プレイヤーの家族友人等が警告を無視してナーヴギアの強制徐装を試みた例が少なからずあり、その結果』
いんいんと響く金属製の声は、そこで一呼吸入れ。
『──残念ながら、すでに二百十三名のプレイヤーが、アインクラッド及び現実世界からも永久退場している』
どこかでひとつだけ細い悲鳴が上がった。
しかし周囲のプレイヤーの大多数は、信じられない、あるいは信じないというかのように、ぽかんと放心したり、薄い笑いを浮かべたままだった。
──二百十三人が死んだ?冗談だろ?──
広場にいる人々のほとんどの人はそう思っているに違いない。
「信じねぇ………信じねぇぞオレは」
不意に嗄れた声が聞こえた。レンが声のした方向を見ると、そこにいたのは石畳に座り込んでいる先ほどの悪趣味バンダナ男だった。
「ただの脅しだろ。できるわけねぇそんなこと。くだらねぇことぐだぐだ言ってねぇで、とっとと出しやがれってんだ。いつまでもこんなイベントに付き合ってられるほどヒマじゃねぇんだ。そうだよ………イベントだろ全部。オープニングの演出なんだろ。そうだろ」
それは、広場にいるプレイヤー達の望みを代弁したような言葉だった。
だが、そんな望みさえ薙ぎ払うかのように、あくまでも実務的な茅場のアナウンスは続く。
『諸君が、向こう側に置いてきた肉体の心配する必要はない。現在、あらゆるテレビ、ラジオ、ネットメディアはこの状況を、多数の死者が出ていることも含め、繰り返し報道している。諸君のナーヴギアが強引に徐装される危険はすでに低くなっていると言ってよかろう。今後、諸君の現実の体は、ナーヴギアを装着したまま二時間の回線切断猶予時間のうちに病院その他の施設へと搬送され、厳重な介護態勢のもとにおかれるはずだ。諸君には、安心して………ゲーム攻略に励んでほしい』
「な………………」
そこで鋭い叫び声が響いた。
例の悪趣味バンダナ男の友人らしい、気恥ずかしいほどにカッコいい、ファンタジーアニメの主人公のような容姿の男だ。
「何を言ってるんだ!ゲームを攻略しろだと!?ログアウト不能の状況で、呑気に遊べってのか!?」
ファンタジー男は上層フロアの底近くに浮かぶ巨大なフーデッドローブを睨みつけ、吼えた。
「こんなの、もうゲームでも何でもないだろうが!!」
その声が聞こえたように茅場晶彦の、抑揚の薄い声が、穏やかに告げた。
『しかし、充分に留意してもらいたい。諸君にとって、《ソードアート・オンライン》は、すでにただのゲームではない。もう一つの現実と言うべき存在だ。…………今後、ゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君のアバターは永久に消滅し、同時に』
続く言葉はレンには容易に想像できた。
『諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される』
その瞬間、広場の時間が止まったような気がした。
その止まった時間の中で茅場のアナウンスだけが響く。
『諸君がこのゲームから解放される条件は、たった一つ。先に述べたとおり、アインクラッド最上部、第百層まで辿り着き、そこに待つ最終ボスを倒してゲームをクリアすればよい。その瞬間、生き残ったプレイヤー全員が安全にログアウトされることを保証しよう』
「クリア…………第百層だとぉ!?」
突然さっきの悪趣味バンダナ男が、がばっと立ち上がり、右拳を空に向かって振り上げた。
「で、できるわきゃねぇだろうが!!ベータじゃろくに上れなかったって聞いたぞ!!」
恐らくこの広場にいる全プレイヤーが思っている答えの出しようのない疑問を叫んだ。
張り詰めた静寂が、やがて低いどよめきに埋められていく。しかしそこに、恐怖や絶望の音はほとんど聞き取れない。
おそらく大多数の者は、この状況が《本物の危機》なのか《オープニングイベントの過剰演出》なのかいまだに判断しかねているのだ。茅場の言葉はその全てがあまりにも恐るべきものであるがゆえに、逆に現実感を遠ざけている。
その時、全プレイヤーの思考を先回りし続ける赤ローブが、右の白手袋をひらりと動かし、一切の感情を削ぎ落とした声で告げた。
『それでは、最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ給え』
それを聞くや、ほとんど反射的にレンは右手の指二本を揃え真下に向けて振っていた。周囲のプレイヤーも同様のアクションを起こし、広場いっぱいに電子的な鈴の音のサウンドエフェクトが響く。
出現したメインメニューから、アイテム欄のタブを叩くと、表示された所持品リストの一番下にそれはあった。
アイテム名は───《手鏡》。
なんだコレ、と思いながらレンはその名前をタップし、浮き上がった小ウィンドウからオブジェクト化のボタンを選択。たちまち、きらきらという効果音とともに、小さな四角い鏡が出現した。
おそるおそる手に取ったが、何も起こらない。覗き込んだ鏡に映るのは、蓮が苦心して造り上げた、高身長、高筋肉のラガーマンだけだ。
───と。
突然、周囲のアバターを白い光が包んだ。と思った瞬間、レンも同じ光に呑み込まれ、視界がホワイトアウトした。
ほんの二、三秒で光は消え、元のままの風景が現れ…………。
いや。
何かが違う。一瞬それが分からなかったレンはもう一度注意深く周囲を見て、気付いた。
──顔ぶれがさっきと違う──
周囲に存在しているのは、ほんの数秒前までいた、いかにもファンタジーゲームのキャラクターめいた美男美女の群れではなかった。例えば現実のゲームショウの会場から、ひしめく客を掻き集めてきて鎧兜を着せればこういうものができるであろう、というリアルな若者たちの集団がそこにあった。恐ろしいことに、男女比すら大きく変化している。
嫌な予感がした。
咄嗟に持ち上げ、食い入るように覗き込んだ鏡の中から、こちらを見返していたのは。
しっとりとした黒髪。少し長めの前髪からこちらを見つめる青みがかったくりくりとした大きな眼。生まれてこのかた可愛いとしか言われたことしかない線の細い顔。
数秒前までの《レンホウ》が備えていた、マッチョな逞しさなどもうどこにもなかった。鏡に映っていたのは───
忌避してやまない、小学三年生の小日向 蓮の顔だった。
──なるほど。ナーヴギアで顔の表面をスキャンしたのか、キャリブレーションで体格も再現したのか──
冷静にそんなことを思ったのは、単に現実逃避したかったのかもしれない。
そんなことを考えていると、血の色に染まった空から、厳かとすら言える声が降り注いだ。
『諸君は今、なぜ、と思っているだろう。なぜ私は──SAO及びナーヴギア開発者の茅場晶彦はこんなことをしたのか?これは大規模なテロなのか?あるいは身代金目的の誘拐事件なのか?と』
そこで初めて、これまで一切の感情をうかがわせなかった茅場の声が、ある種の色合いを帯びた。レンはふと、場違いにも《憧憬》というような言葉を思い浮かべてしまった。そんなはずはないのに。
『私の目的は、そのどちらでもない。それどころか、今の私は、すでに一切の目的も、理由も持たない。なぜなら………この状況こそが、私にとっての最終的な目的だからだ。この世界を創り出し、観賞するためにのみ私はナーヴギアを、SAOを造った。そして今、全ては達成せしめられた』
短い間に続いて、無機質さを取り戻した茅場の声が響いた。
『………以上で、《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の──健闘を祈る』
最後の一言が、わずかな残響を引き、消えた。
深紅の巨大な赤ローブ姿が音もなく上昇し、フードの先端から空を埋めるシステムメッセージに溶け込むように同化していく。
肩が、胸が、そして両手と足が血の色の水面に沈み、最後にひとつだけ波紋が広がった。直後、天空一面に並ぶメッセージもまた、現れた時と同じように唐突に消滅した。
広場の上空を吹き過ぎる風鳴り、NPC(ノンプレイヤーキャラクター)の楽団が演奏する市街地のBGMが遠くから近づいてきて、穏やかに聴覚を揺らした。
ゲームは再び本来の姿を取り戻していた。幾つかのルールだけが、以前とはどうしようもなく異なっていたが。
そして──この時点に至って、ようやく。
一万のプレイヤー集団が、然るべき反応を見せた。
「嘘だろ…………なんだよこれ、嘘だろ!」
「ふざけるなよ!出せ!ここから出せよ!」
「こんなの困る!このあと約束があるのよ!」
「嫌ああ!帰して!帰してよおおお!」
悲鳴、怒号、絶叫、罵声、懇願、そして咆哮。
たった数十分でゲームプレイヤーから囚人へと変えられてしまった人間たちは、頭を抱えてうずくまり、両手を突き上げ、抱き合い、あるいは罵り合った。
自分より明らかに年上の人々の叫び声を聞いているうちに、レンは不思議と落ち着いていることを感じていた。
そして心の底から、ある一つの言葉が浮かんできた。
──面白い──
唇の端が、こらえようもなく歪む。
それが形作ったのは───笑み。
だが、そんな笑みも背後からかけられた声によって凍りつく。
「──蓮?蓮なの?」
かなり、というか、もう当たり前のように慣れ親しんだ、明るさと無邪気さを漂わせた声を聞き、レンはゆっくりと振り向いた。
「……………木綿季……ねーちゃん……………」
そこに立ち尽くしていたのは、従姉の紺野 木綿季だった。
後書き
なべさん「さぁー、始まりました!そーどあーとがき☆おんらいん!」
レン「……………………………………それ、これから毎回しなきゃいけないの?」
なべさん「(無視)さて、今回については、とくに何も言うことはありません」
レン「ないのかよ」
なべさん「しいて言うなら、茅場さんの話は長い、ということだけだす」
レン「………他には?」
なべさん「だからとくにないって」
レン「ユウキのこととかは?」
なべさん「それはまた次回」
レン「…………………………………」
なべさん「自作のキャラや感想、どしどし送ってきておくれやすー」
レン「…………………………………」
─To be continued─
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