久遠の神話
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第五十九話 三人の戦いその四
「そしてサンフランシスコやロサンゼルスにもね」
「シカゴのものは。私の故郷ですが」
「あるよ」
笑顔で返す。
「何処も一年前にね。巡ったんだ」
「それでなのですか」
「料理の勉強で回ったんだよ」
「アメリカにですか」
「おっと、アメリカが料理がまずい国とは思っていないよ」
王は微笑んで右手の平を前に出して述べた。見ればその皮膚は厚くなっておりところどころに包丁や鍋のタコがある。
その手を出してそして言うのだった。
「特に中華はね」
「そうですか」
「それはもう過去の話だね」
アメリカの食事がまずいのはというのだ。
「豊かな食材に調味料」
「そして器具ですね」
「揃ったレシピ、多くの文化の料理」
「それでだというのですね」
「まずくない筈がないんだよ。そして実際にね」
「アメリカの味はよくなっているというのですね」
「そうだよ」
まさにその通りだというのだ。
「それを自分でも確かめたよ」
「その舌で」
「うん、それとね」
「それでなのですね」
「そのアメリカの中華街だけれど」
シカゴのものも含めてというのだ。
「アメリカ人の味に合わせているね」
「どうしてもそうなりますね」
「そしてこの国の中華街も」
「ここもまた、ですか」
「横浜にしても長崎にしても」
そしてこの神戸にしてもだというのだ。
「日本人の味になっているね」
「そういえば貴方の料理も」
ピータンから八宝菜を食べながら言う。
「アメリカのものより濃い味ではなく」
「無論広東の味でもないよ」
「日本の味ですね」
「それも神戸のね」
その味にしているというのだ。
「合わせているよ」
「完全に中華のものではないですか」
「本場の味は大事だけれどある程度合わせないとね」
そうしなければというのだ。
「お店は繁盛しないよ」
「そうですね、それは」
「中華街は世界中にあるけれど」
最近までは韓国にはなかった、だがようやく出来たのだ。
「それぞれの味があるんだよ」
「アメリカにはアメリカの味になっていて」
「日本には日本のね」
「そうですね。しかしこの味は」
「どうかな、私の料理は」
「見事です」
実際に箸を使って食べながらの言葉だ。
「非常に。では最後は」
「デザートは何かな」
「桃の饅頭を」
それをだというのだ。
「お願いします」
「他にもあるよ。今日のお勧めは」
王は目を細めさせてスペンサーに話す。
「マンゴーを入れた包だけれど」
「マンゴーをですか」
「色がそれになっていてね」
マンゴーのそれだというのだ。
「味もなんだ」
「マンゴーですか」
「そう、それがあるけれど」
「ではそちらもお願いします」
スペンサーは王の言葉を受けてそして言った。
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