蒼き夢の果てに
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第5章 契約
第77話 風の眷属
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第77話を更新します。
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12月18日、『蒼き夢の果てに』第78話。
タイトルは、 『生きている炎』です。
たわみ揺らめいて居た粘液状の糸が、その最後の瞬間、同一円周上に並ぶ球体の十二体それぞれから……。
最初はまるで両手を繋ぐように。それぞれの両隣に存在する球体に対してのみ繋げられていた粘液状の糸が、その最後の瞬間、時計の文字盤の上に存在する十二の点それぞれに向けて粘液状の糸を繋いだ。
当然、粘液状の糸に見えるそのすべてが、高度な魔術回路。アルファベットとも、それ以外の文字とも付かないその文字ひとつひとつが、何らかの意味を持って居る事は想像に難くない。
そう。その瞬間、十二の球体がそれぞれに繋がる複雑な紋様を描く、巨大な魔術回路が宙空に作り上げられたのだ。
その時、頬に冬の属性を示す風を感じた。
いや、違う。感じたのは頬にだけではない。その風は五感すべてが認識し、俺の本能がこの場からの一時的な撤退。その後、態勢を立て直してからの対応を促している。
そんな、不安感のみを煽る冷たい魔界の風。
その瞬間!
世界が激しく歪み、そして低く鳴動を続ける冬属性の大気。
危機感と瞬発力。己の第六感に従い、自らの傍らに立つタバサを抱え上げ、遙か上空へと退避する俺。
正にその瞬間、蒼白い光輝を発した大地が、まるで内側からの圧力に耐えかねたように破裂をした!
但しそれはマグマや溶岩などを伴う火山性の爆発には非ず。朦々たる粉塵。土煙を伴うそれは、正に地下深くに存在した何モノかが地上に現われた証。
強い夜風。但し、それは眼下より吹き付ける風……。おそらくは異世界より吹き寄せる魔風により、朦々たる粉塵が消え去った後、ゴアルスハウゼン村近くの翼人のコミュニティ近辺に顕われて居たのは……。
遙か眼下を埋め尽くす黒き生命体。
全長は五、六メートルと言うぐらい。コウモリに似た大きな翼を持つグロテスクな生物。
その不気味な生物が、眼下を完全に埋め尽くして居たのだ。
刹那!
キーキーと耳障りの悪い甲高い金切り声を上げながら、百メートル以上は有るはずの彼我の距離を一瞬にゼロにして俺たちに肉薄するその黒き生命体。
しかし、そのぐらいの速度に因る攻撃は、あの黒き生命体を上空から見た瞬間に想定済み。
大気の存在する惑星上とは思えない速度……。衝撃波で周囲に破壊の爪痕を残しながら接近する一体を軽く右にスライドするような機動で難なく躱し、次に接近して来た二体は、俺の周囲に発生させた紫電が一掃して仕舞う。
そう。いくら星空を渡ると表現されている生命体で有ろうとも、こちらも現実には考えられない神の領域で動ける存在。一般人を相手にしているのとは訳が違う。
まして、ここはヤツラの活動領域ではない。俺やタバサの住む星。ここでヤツラの勝手を許す訳には行かない。
左右から襲い来る二体の攻撃。しかし、それでも完全に二体が同期した攻撃ではない。
猛烈な勢いで接近して来る……。しかし、タバサを胸に抱いた瞬間に同期した俺に取っては緩慢な動きにしか見えない黒い生命体の動き。
いや――――
「コウモリに似た羽根。昆虫のような頭・胸・腹と明確に分かれた身体をしている生命体」
キーキーと言う金切り声を発しながら左右から接近して来たその黒い生命体を、一瞬早く接近して来た右側のヤツの方を踏み台代わりにして更なる上空へと退避を行い、同時に召喚した紫電に因って、二体同時に無効化して仕舞う。
「カラスでもなく、モグラでもなく、ハゲワシでも。ましてやアリ、腐乱死体でもない。
成るほど。向こう岸。いや、他所の星からやって来たのはビヤーキーと言う事か」
原色の絵の具をぶちまけて、そのままゆっくりと三度かき混ぜただけのような毒々しい色彩の蒼穹。その異界化した世界の蒼穹を埋め尽くす黒い翼。
こいつら星間生物ビヤーキーは、確かに名付けざられしモノに従う奉仕種族でした。
そして、コイツを召喚する際に使用されるのはハスターに捧げる呪文。
それはそう。この翼人のコミュニティに接近する際に唱えられていた呪文で間違い有りません。
但し、普通の生命体と同じ構造で出来ている以上、多少は頑丈でも手も足も出せないような強敵と言う訳では有りません。
一体や二体を相手にするのならば。
そう考えた瞬間、俺の頬に走る一筋の傷と、そこからあふれ出す紅い血潮。
もっとも、この傷は先ほどの戦闘の際に傷付けられたモノでは有りません。
これは、返りの風。ゴアルスハウゼンの村の護衛用に残して来た剪紙鬼兵が、この瞬間に倒されたと言う事。
まして、この場に現れたビヤーキーの一部が、ゴアルスハウゼンの村の方に押し寄せて居たとしても不思議では有りませんから。
キーキーと言う、非常に耳障りの悪い金切り声を上げながら俺とタバサの元に殺到して来るビヤーキー。その様子は正に雲霞の如く、……と表現すべき状態。
その恐怖心のみをもたらせる膨大な体積の暴風を掻い潜り、周辺に雷光を発し数十羽単位で撃墜して行く俺。
しかし、次から次へと大地から湧き出して来るビヤーキーに対して、その程度の数を屠ったトコロで焼石に水。
そう考えた瞬間――
俺の周囲に荒れ狂う風。いや、これは局地的な嵐。風と水の精霊が荒れ狂いながらも、俺とタバサには傷一つ付ける事はない嵐。
これは間違いない。光りが狂い、狂気の音が支配する世界に現れた援軍。
狂った異界の蒼穹を舞う援軍は、漆黒の翼を持っていた。
(無事ですか、ダイ?)
目が覚めた時と同じ言葉使いで、そう話し掛けて来る翼人の少女。しかし、其処にかなりの違和感が存在する。
そもそも、そのダイと言うのは一体……。
(所で、この騒ぎは一体、何事なのですか?)
俺が答えを返す前に、現在の状況の説明を要求して来る翼人の少女。
その最中もビヤーキーの襲撃が止む事はなく、俺とタバサ。そして新たに現われた翼人の少女を襲う。
しかし、その程度の攻撃など俺には無意味。そして、新たに現われた少女も俺とそう違わない空中機動を行える事から考えると、あの黒き羽根は殆んど飾りに等しい存在。おそらく、彼女の周囲の活性化した風の小さき精霊たちの作用によって宙に浮いていると思われる。
「ここに封じられていた魔物……。遙か彼方から神代に飛来した魔物の封印を解いたヤツが居た。これはそれの後始末や」
敢えて翼人のコミュニティの惨状に付いては口にせず、俺はそう答えた。
(判りました。それで、ダイ。アルテミシアは何処に居るのです?)
再び、俺の事をダイと呼び掛けながら、そう言う意味不明の内容を問い掛けて来る翼人の少女。
その彼女と俺、そしてタバサに無意味な攻撃を繰り返すビヤーキー。
一瞬の停滞すら行う事もなく、森の上空を通常の翼もつ生命体には不可能な動きでビヤーキーに因る攻撃から回避を続けながら、俺は紫電を。翼人の少女は風の精霊力を用いて無力化して行く。
但し、その動きの最中に、次の彼女の動きが理解出来ている自分が居る事に気付く。
いや、何故か、気付かされた。
俺の紫電が前方より接近して来た一団のビヤーキーを無力化した瞬間、彼女の風招術の中でも上位に分類される、風で出来上がった龍を召喚する風招龍が唱えられ、上空より接近して来ていた一団を無効化。
その安全地帯と成った空間に二人。……正確には、俺の腕の中には俺と同期し、精神を俺の精神と共に存在させて居るタバサと俺、それに翼人の少女の三人が移動した。
このむずむずとした、思い出せそうで思い出せないこの感覚。身体の何処か奥深くから湧き上がって来る焦燥にも似た気持ち。
それは失って仕舞った何かを思い出せそうで、思い出せない焦り。
酷く懐かしい。しかし、思い出す事が出来ない何か。
そう。間違いない。俺は彼女の事も知って居た。何処かの世界、何処かの時代で絆を結んだ相手。
「悪い。今の俺は月の女神を連れていないんや」
何故だか、自然にそう答える俺。その俺の言葉に、驚いて居るのはおそらく俺自身だけ。俺の精神と共に存在しているタバサが驚く事もなければ、翼人の少女が驚く事もなかった。
(そうですか。どうせ、また貴方が逃げて来たのでしょうが)
何時ものように少し呆れた雰囲気でそう答えながら、今度は冷気斬を放つ翼人の少女……。
その瞬間、今、目の前に居る翼を持つ少女の姿形に重なる有り得ない記憶。
その記憶の中に存在する少女の名前は確か――――
「……オルニス族のシャル?」
オルニス族。鳥のような羽根を持つ事からそう呼ばれるように成った一族の少女。ここ、ハルケギニアとは違う異世界に存在して居た翼の有る一族の少女の名前。そしてその名前を口にすると同時に、先ほど彼女の口にしたアルテミシアと言う名前に重なる一人の少女の姿。エルピス族。……確か、希望と言う意味を持つ一族の少女の名前。
しかし、現代社会に暮らして来た俺に……。
(なんですか、ダイ)
当たり前のような雰囲気で、答えを返して来る翼を持つ少女。
但し何故、俺。現代日本に暮らして居た武神忍と言う偽りの名を名乗る少年に、そんな怪しい異世界……明らかにハルケギニア以外のファンタジー世界の記憶が存在して居るのかが判りませんが、これも転生の記憶と言う事なのでしょうか。
そして、彼女。シャルと言う名前のこのハルケギニア世界の翼人に良く似た種族オルニス族の少女の言葉が俺にだけ通じていた理由は、彼女の言葉を聞いた瞬間に何処か記憶の奥深くに沈められていた思い出が呼び覚まされた、と考えた方が判り易いですか。
(しかし……)
次から次へと襲い掛かって来るビヤーキーを相手にしながら、その形の良い眉根を寄せるシャル。
但し、これは危機的状況に立たされていると言う雰囲気ではない。
(アルテミシアが居たのなら。……蒼穹を飛ぶモノに対する特攻と成る大地母神より加護を与えられた紅き弓が有れば、幾万の羽根の有る悪意に襲われたとしても一瞬で葬り去る事も出来るのですが)
現状ではない袖は振れない、そう言う事ですか。
シャルは厳しい瞳で呟いた。
そう。確かに、現状で俺や彼女に危険は少ないでしょう。確かに、ビヤーキーも肉食の危険な魔獣には違い有りません。
しかし、クトゥルフの邪神に繋がる存在の中の危険度で言うならば、もっと危険な存在は居り、この程度の魔獣に分類される連中ならば単体での危険度は低いと言うべきでしょう。
俺やタバサ。そして、オルニス族のシャルを相手とするのなら……。
但し、いくら俺や、記憶の中に存在するシャルで有ったとしても、これほどの数のビヤーキーを一瞬で屠る事など不可能。封じるにしても、それなりの準備と言う物も必要として居ます。
まして、ここまで圧倒的な能力差を示す相手を何時までも襲い続けるとは思えません。
今、現在襲われつつあるゴアルスハウゼンの村のように、他の近隣の村が襲われていないとは限りませんから。
その瞬間――――
遠雷?
まるで遠くの山々から響くような、凍てついた寂しい夜に響く雷鳴のような音が聞こえる。
遠き雷に対して、条件反射のように反応。
タバサを胸に抱いたまま、オルニス族のシャルを生来の能力。重力を操る能力で包み込み、瞬間移動に等しい速度で三十メートルほど離れた位置に移動する俺。
その瞬間、遙か上空から何かが俺たちが居た場所を過ぎ去った。
そして、その場所からも刹那の判断で今度はシルフを起動。一瞬の内に有視界内に跳ぶ。
その一瞬前まで俺が存在した場所を、再び何かが過ぎ去った。
暴風にも似たその何かが過ぎ去る毎に、身体全体に走る悪寒。
いや、その巨大な何か自体が、冷気と狂気を纏って居るのは間違いない。
一瞬の静寂。その瞬間に、ようやく遙か上空に目を遣る余裕を得た。
其処には……。
「あたかも怨霊のように現れ、髪や身体の一部は強風の中に居るかのようにうねって居る」
色々な種類の原色の絵の具を、ぐるぐると大ざっぱにかき混ぜたような蒼穹に浮かぶモヤモヤとした巨大な何か。かなり上空に存在する黒い雲のその最上部。有り得ない事に、今の俺にはその部分が輪郭のはっきりとしない、しかし、巨人の頭頂部に見えていた。
そして、その頭部の目が有るべき場所に強く輝く星がふたつ。
そう。灼眼と呼ぶに相応しい強い輝きを放つふたつの瞳。
邪悪で禍々しい。しかし、思わずその場にひれ伏して仕舞いそうになる神気も同時に存在しているモノ。
成るほど、確かにアレも一種の神で有るのは間違いない。
凍えるような輪郭……。
輝く、燃えるような光を放つ双星……。
「風に乗りて歩むもの!」
俺の叫び声に重なる遠雷の響き。
そして吹き付ける凍てつく北の彼方よりの風。
完全に異界化した世界を完全に覆い尽くす程の冷気。そう、それは精霊の護りを通しても感じられる程の強い冷気。
腕の中の少女の温もりだけが現実。
そう。その温かさだけが、この絶望的な事態の中で尚、世界が終っていない事を表現していたのだ。
例え星が消え、月が隠れようとも、それでも尚、朝が来る。
夜は明け、やがて朝が訪れると言う事を教えてくれているかのようで有った。
左右からほぼ同時に接近して来るビヤーキー。その連携攻撃の僅かなタイムラグに上下動を繰り返した後に三度目の転移。
その瞬間に、上空から絶対零度に等しい拳が繰り出され、一瞬前まで俺たちが居た空間が、すべて氷へと変化させられた。
この拳は、おそらく現実の物質と同じ物ではない。かなり強い呪力の塊。それが、物質と同じ密度で再現されたモノ。
故に、科学的には有り得ない絶対零度に近い温度の移動を再現出来る!
そう。あの雲に見える存在の正体は、風に乗りて歩むものイタカ。こいつも確か、名状し難きもの……。もしくは、名付けざられしものハスターの眷属神。ビヤーキーよりは高位に上げられるとは思いますが、そんな事は現状ではあまり関係のない事ですか。
現在、俺の手元に存在して居る式神はシルフとアガレス。この二体を、運命の槍を使用出来るようになるまでの間の護衛役に現界させて仕舞うと、転移魔法や時間を操る能力を失う事と成り……。
そうかと言って、このままビヤーキーの攻撃を捌きながら、イタカの相手が出来るかと言うと、それは素直に無理、と言わざるを得ないのですが。
再び転移。その移動した先にシャルが召喚した風龍が放つ衝撃波が殺到しつつ有ったビヤーキーを一網打尽にした。
この辺りの呼吸も昔……。いや、記憶のまま。
(私が囮に成りますよ、ダイ。貴方には何度か生命を助けられた覚えが有りますから)
上空の灼眼に一度視線を送った後に、黒い翼を持つ少女がそう言う。その瞬間に、接近しつつ有ったビヤーキーが、彼女の放った氷の刃に四散させられた。
その彼女の瞳にはある程度の覚悟の色が浮かぶ。
正直に言うと手詰まりの状況なだけに、このシャルの申し出は正直に言うと有り難い。
しかし――
「確かに、ビヤーキーだけならばシャルだけでもどうにかなる。せやけど、イタカはヤバい」
俺の本来なら有り得ない記憶と、更にここに現れてから、今までに彼女が示して来た能力から考えるならば、これが妥当。まして、小神とは言えイタカは神。神に葬られた存在に対して、蘇生魔法が使用可能かどうかは微妙。
今までの経験から導き出せる答えでは無理。神が直接関係した戦いで死亡した人間の蘇生が成功した例は有りません。
俺とシャルの深刻な会話の最中も繰り出される絶対零度の拳。息を吐くように容易く放たれる蒼い雷撃。そして、その間隙を縫うかのように接近を繰り返すビヤーキーの群れ。
その二種類の攻撃……。イタカの危険な攻撃は転移魔法を行使して回避し、ビヤーキーの攻撃は通常の回避。そして、シャルの風招術により攻撃を行う。
このパターンで何処まで持たせる事が出来るのか。何度目かの跳躍の後、突っ込んで来たビヤーキーの一団を細かな空中機動で回避しながら、そう考える俺。
まして、ゴアルスハウゼンの村は未だしも、その他の周辺の村に、ビヤーキーやイタカが向かっていないとは限りません。
このまま時が過ぎると、不必要な人的な被害が大きくなる可能性が大きく成るばかり。
確かに、俺に直接関係のない人間ばかりだと切り捨てる事は可能ですし、良心が痛むのは俺ではなく、ビヤーキーやイタカを召喚したナナシの権兵衛の方だと思い込む事も出来ます。
しかし、それは……。
世界の歪みを助長するだけの行為で有り、其処から更に悪い流れを作り出される結果と成り、更に危険な。もっと高位の邪神が直接現実世界に顕現するような事件が発生する可能性が高く成るだけです。
振り下ろされる絶対零度の拳。この攻撃を真面に受けると間違いなく生命活動を停止させられる。更に、身体に掠らせる訳にも行かない。
何故ならば、それは人間を攫い、そのまま宇宙の彼方。紅く煌めく星の傍に有ると言われる暗黒の液体に満たされた湖に眠る自らの主の前にまで連れ去って仕舞うと言うカギ爪。
そのカギ爪の持つ神話的な力にどの程度の能力が存在しているのかが判りません。
まして、風に乗りて歩むものに攫われた人間は、生き延びたとしても、それは人間として生き残った訳ではなく、風の邪神。名状し難きモノの眷属としての生を新たに得たと言う事に成る、と記された書物も存在しますから。
振り下ろされる拳が巻き起こす暴風。普通の人間ならばそれだけでも簡単に凍りつかせられる冷気。しかし、その冷気を纏った暴風でも俺の前髪とタバサの魔術師の証……、漆黒のマントを僅かにはためかせるだけで有った。
その瞬間――――
狂気の画家が、己の美的センスが赴くままにキャンバスに絵の具を塗りたくったような蒼穹に走るひび割れ。
そして、蜘蛛の巣状に走るひび割れから漏れ出す微かな光。
これは、もしかすると――
崩壊は一瞬。蜘蛛の巣状に入った亀裂から漏れ出して来ていた向こう側の光は朝日。例え絶望の淵に有ったとしても必ず上り来る希望の象徴。
闇と狂気の色に染まった世界が、その亀裂の向こう側から差し込んで来る暁光に溶けて行く。
そして、
そして、その完全に砕け散った向こう側から、暁光と共になだれ込んで来る何か。
それは――
「飛竜の群れ?」
円錐形の陣形で一点突破の形で異界化していた空間に侵入して来た飛竜の一団が、俺とシャルを包囲していたビヤーキーを蹴散らして行く。
いや、あれは只の飛竜の群れなどではない。彼らの先頭を行く飛竜が掲げる蒼い盾に龍をあしらった紋章。
いや、あの紋章は何処かで見た事が有るような……。
【マジャール侯爵麾下の飛竜騎士団】
俺のおぼろげな記憶が何かの形に成り掛けた瞬間、俺と共に在るタバサが、そう【話】し掛けて来る。精神体と成って居ても尚、普段通りの彼女の落ち着いた口調。
飛竜を駆る騎士たちの手の中には長槍らしき武器が携えられている。
但し、空中を飛ぶ竜騎兵が槍を振り回して戦う、などと言うナンセンスな戦いを繰り広げていた訳ではない。
一列に揃えられた竜騎兵の構える槍の穂先に集まる霊気。いや、この気は俺に取っては普段から慣れ親しんだ物。
それは、龍気。おそらくあの竜騎兵の槍は、この世界の龍種の気を操って魔法として使用出来る魔法の杖の代わり。
龍気としてはごく一般的な発露の方法。眩いまでの蒼光。そして耳を劈く轟音。雷がビヤーキーを襲い次々と撃ち落として行く。
その刹那。新たに現われた飛竜の一団に振り下ろされるイタカの拳。何処までも容赦がなく、無慈悲で残酷な終わりをもたらせる邪神の拳。
徐々に通常の空間が支配する領域を広げられながらも、未だ狂った世界を維持し続ける天上より腕が伸び来る。今までは狙われる一方だったのでつぶさに観察する余裕など存在して居なかっただけに、その拳の持つ圧倒的なスピードと、すべてを氷つかせるだけの霊気の総量に慄然とさせられた。
しかし!
その拳の前に存在する一騎の飛竜。その飛竜に騎乗する一人の竜騎士が自らの腰に差す宝刀を高く掲げた。
その宝刀……いや、七星の宝刀が彼女の霊気の高まりに呼応するかのように強く輝く。
そして!
振り抜かれる一閃。その瞬間に放たれる光の奔流。
対するは遙か天上から振り下ろされる絶対零度の拳。
光と冷気の接触!
そして、一瞬の拮抗。
しかし、それでも届かない。神に己の思いを届かせるには、蒼き竜の戦姫アリアでも足りなかったと言う事なのか。
最初の勢いを殺されながらも、更に下降を開始する絶対零度の拳。
このままでは――
但し、その一瞬の拮抗が産み出した時間は無駄ではない。
アリアの放った蒼き龍気を退け、しかし、その事に因り勢いの削がれた絶対零度の拳の前……何もない宙空に浮かび上がる魔術回路。
おそらく西洋風の術式。しかし、系統魔法と称されるこの世界の魔法では見た事がない防御結界用の魔法陣が展開され――――
魔法陣と神の拳の激突!
その瞬間に、俺の全面に対冷気用の結界を展開。同時に俺の右横に立つシャルが、彼女の風招術の風防陣を展開させた事が感じられる。
俺の視線の高さよりも下方で発生した衝撃波が、凝縮された冷気と邪気により造り出された邪神の右腕を粉砕!
そして、そのすべてを氷つかせるだけの冷気を伴った破壊の風が、俺とシャルが構築した防御陣を叩いた。
此の世ならざる咆哮が鳴り響いた。それはまるで、魂を冒す絶叫。並みの人間ならば間違いなくその響きの中に畏怖を覚え、その場にひれ伏し、神の怒りが鎮まるまでただ耐え忍ぶしか方法を持たなくさせる響き。
しかし、ヤツよりも神格の高い存在と既に何度も対峙して来ている俺とタバサには意味はない咆哮。
「無事ですか、二人とも」
百メートル以上の距離をほぼ一瞬で詰め、飛竜を操るリュティス魔法学院の制服と闇色のマントに身を包んだ少女がそう話し掛けて来る。
今では俺と同じ色に成った髪の毛を、戦闘の邪魔に成らないように後頭部で綺麗に結い上げた少女。この飛竜騎士団を率いるマジャール侯カルマーンの長女のシモーヌ・アリア・ロレーヌ。
そして、彼女の操る飛竜にはもう一人の同乗者……。貴族に相応しい優雅なドレス姿で戦場に現われた蒼髪、蒼い瞳の女性の姿が存在して居た。
「良く持ちこたえましたね、三人とも」
見た目は二十代後半から三十代前半。蒼い髪の毛を短く……。貴族の女性にしては非常に珍しい事に、まるでタバサのようなショート・ボブに切り揃える。
いや、似ているのは髪の長さだけでは有りません。その髪の毛の質もタバサに良く似た柔らかな髪の毛の質。湖の乙女のように多少、癖のある髪の毛の質ではなく、かなり素直な髪質のように感じます。
おそらく、蒼い髪の毛、蒼い瞳から考えるとタバサや、アリアと同じガリア王家に繋がる血筋。まして、その女性から感じて居るのは人ならざる気配。より具体的に言うのなら、それはタバサと同じ濃い夜の気配。
外見的な年齢から言うと多少の違和感を覚えますが、夜魔の女王ならば外見的な年齢は無視しても良いはずです。何故ならば、彼女らは血の覚醒を迎えた時から外見的な意味での歳を重ねる、と言う状況は人間よりも緩やかなモノと成りますから。
……だとすると、この蒼い髪の毛、蒼い瞳の女性はアリアの母親。マジャール侯爵夫人アデライード。マジャール近辺の言葉で言うのなら、アーデルハイドその人だと言う事ですか。
ただ、アリアとタバサ。そして、件の女性の三人が並ぶと、十人中八人までは血の繋がりを理解するとは思いますが、より血が濃い繋がりを持つと思うのは間違いなくタバサと件の女性の方。
外見的な特徴や、顔の造作もそっくり。まして、双方の纏う雰囲気が……。
そして、俺はこの女性の事を知って居ます。
いや、実際に出会うのは初めてです。しかし、夢の世界。あの紅い光に包まれたタバサの夢の世界で、無声映画の中に登場した二人の子供たちの母親そっくりの姿形。
更に、今思い出した事実。あの時。あの夢の世界のタバサが眠って居た屋敷に掲げられた紋章が、今、この飛竜騎士団の掲げる紋章。
その瞬間。
【お義母さん】
俺の意識の中に存在して居る少女が小さく呟く。
お母さんではなく、お義母さん?
ただ、今はそんな細かな言葉を気にしている暇は有りませんか。
再び絶対零度の拳を振り下ろして来るイタカ。しかし、今回は今までとは状況が違う。
マジャール侯爵夫人の唱える呪文と、俺の唱える口訣が奇妙な韻を作り出し、其処に新しい術式が構築される。
それは、まるで同じ洞に学んだ仙人同士が共に唱和を行った時のような自然な重なり。
普通は、西洋系の魔法と東洋系の魔法を初見で滑らかに融合させるのは難しいはず。
もっとも、俺はタバサとも、そして湖の乙女や崇拝される者ともあっさりと術を重ねて来ましたから、これは俺自身の術の特性かも知れませんが。
まさか、マジャール侯爵夫人の彼女も、俺の前世に何らかの関係が……。
いや、今回の場合は、俺の術を制御しているのがタバサで有る以上、タバサとこのマジャール侯夫人との間の血縁的な繋がりが、異なる系統の魔法を重ねる事を可能としているのでしょう。
遙か上空から振り下ろされる拳が、俺とマジャール侯爵夫人の構築した不可視の壁により完全に阻まれて仕舞う。
少し首肯く俺。これならば問題はない。
俺は右隣に立つ……俺と同じように滞空するシャルに、この世界で得た大切な家族の身体を差し出す。
シャルに取ってはおそらく意味不明の行為。彼女は、タバサが何故、意識を失って居るのか判っていないはずですし、そもそも、タバサの事は知らないはずですから。
しかし、何も言わずに、そして、俺がそうして居たように、優しくタバサの身体を受け取ってくれた。
これで、タバサの身体に関しては問題なし。後は……。
「マダム。このまま、結界の維持をお願いしても宜しいでしょうか?」
今は俺と彼女が維持している結界を、彼女一人に支えて貰う。
タバサやアリアと良く似た容貌に、柔らかい母の笑みを持って首肯くマジャール侯爵夫人アデライード。
そして、その間に――――
魔法陣の効果範囲から、更に上空へと抜け出す俺……そして、アリア。
俺が覚醒した龍種なら、彼女もまた同じ。
飛竜から降りたとしても、呪文も使用せずに飛ぶ事が可能。
配置は彼女が前。俺はその後ろ。
高く掲げた俺の右手の先に現れる蒼白き光輝。
そして、右足を前。左足を後ろ。やや腰を落とし抜き打ちの形を取る龍の戦姫。
すべての存在から動きを奪い去る拳が遙か上空から振り下ろされる。それは大気を引き裂き、過ぎ去った後に真空状態を作り上げながら俺と、龍の戦姫を捉えようとする。
俺の龍気の高まりは間に合わない。確かに最初の時……。カジノ事件の時から比べると、明らかに素早く気を練る事は可能と成りましたが、それでも、一瞬で為せる程の練度を持って居る訳では有りません。
以前にも言ったように、術を構築するのに長々と呪文を詠唱しなければならないような魔法使いでは戦場に立ったその日が命日と成る可能性が高いのですから。
宝刀の柄に右手を掛ける龍の戦姫。その身体の周囲を活性化した精霊たちが舞い踊り、淡いキルリアン光に似た光が包み込む。
やがて――――
彼女から発生する光輝がそれまで以上の。俺が発生させつつある光輝と同等の光を発生させた。
その瞬間、抜き放たれる七星の宝刀。
詳しい由来は判らない。しかし、その宝刀が纏う霊力は本物。おそらく、名の有る仙人の手に因る宝貝で有るのは間違いない。
振り下ろされる拳が神速ならば、振り抜かれた光輝……こちらは光速。
一度目に。異界化した空間を破壊して侵入して来た直後の斬撃では完全に威力を殺す事の出来なかった龍の戦姫の一閃。
しかし!
今回は一閃のみにて終了する攻撃には非ず。完全に振り切られた宝刀が優美な弧を描いた後、右脇構えから再びの一閃!
僅かな。一秒を千分の一、万分の一にも分割した刹那の間に放たれたふたつの光輝。
そう。複雑に絡み合う精霊と彼女の霊気がその一撃に加速を与え、邪神の一撃に抗し得る必滅の破壊力を持ち、慣性、大気に因る抵抗すらも無効化する攻撃。
これが神との戦い。
そのスピードは明らかに龍の姫の斬撃の方が上。更に、威力不足は二の太刀で補われている。
一太刀目の斬撃が霊気と光輝に昇華され、しかし、その事に因り威力の弱まった絶対零度の拳に、今度は二の太刀が正面から立ち向かう。
そして!
目を開けて居られないような閃光が周囲を包み込み、遙か上空より、遠雷とも、絶叫とも付かない神の言葉が世界に轟いた。
高く掲げた右手の先に浮かぶ聖なる槍が、大気圏内に太陽の如き光輝を発生させた。
身体中の血液が一気に沸騰し、周囲が俺の霊気の高まりにより歪みが発生する。
絶対に俺一人では制御し切れない。……これ以上、高めて行けば、間違いなく暴走を始めた俺の能力が次元に穴を開け、すべての存在を呑み込む災厄と化す、正にそのギリギリの段階。
「神を屠れ」
自然と口から発せられる禍言。その最中も高められた俺の霊気は聖槍へと集められ、
「運命の槍!」
後書き
う~む。ようやく、マジャール侯爵夫人アデライードの登場です。
但し、登場自体は夢の話。第68話で既に登場しているのですが。
もう一人の方。オルニス族の少女シャルに関しては……。
彼女の友人のアルテミシアを登場させると、問題児たちが三次第13・14話と同じ結末と成りますから(笑)。
更に、登場人物も同じになるので。
まして美月(?)は自己主張が激しいキャラですので、タバサや湖の乙女が確実に喰われて仕舞いますから。
それでは次回タイトルは『生きている炎』です。
……益々、ヤバい方向に向かうな。
それに……。長い戦闘シーンだ。
蛇足。火竜山脈について。
第78話以降の80話までの内容によって、私の世界の火竜山脈が何故、異常に高温なのか、の理由の説明に成ると思います。
私の物語ですから、ある程度の根拠が有って、このような火焔山状態の山が存在している事にして有ります。
当然、それは原作小説がそうだから、それにただ追従して居るだけ、でもなければ、
崇拝される者ブリギッド。この偽ハルケギニア世界の精霊王が住まう山脈だから、などと言う理由でも有りません。
しかし、ようやく色々な伏線の回収が出来る段階に成りましたね。
もっとも、エンディングはもう少し先、なんですけどね。
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