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魔狼の咆哮

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第一章その二


第一章その二

「はい。狼は獲物の首は切りません。しとめる為に喉笛を噛むことはあっても。しかも爪、といいますが虎や豹といった猫科とは違い犬科は爪はほとんど使いません。ここまでくると狼の襲撃ではなく別の生物の凶行としか思えません」
「やはりそう思われますか」
 署長が答えた。
「ええ」
「・・・御二方は日本の方なので御存知ないかも知れませんがこのヨーロッパは森に囲まれた土地柄犬や狼の化け物の話が結構ありましてね。例えばイギリスのヘルハウンド」
「コナン=ドイルの小説にもなっていますね」
「よく御存知で。他にも黒犬や北欧神話のフェンリル。身近にいた分多いのです」
「特にこのジェヴォダンは有名ですね」
「・・・・・・はい。やはり知っておられましたか」
 署長の表情が更に暗くなる。
「ええ。百人以上の人を喰らったという『ジェヴォダンの野獣』。我が国でも知られています」
「そうなのです。皆あの野獣が地獄から這い出てきたと噂しているのです。マスコミにも取り上げられ恐慌寸前の有様です」
「そりゃあかなりやばいな。あれ、署長さんさっき言った狼の化け物の中に一つ抜けてるのがあるぜ」
 本郷が口を挟んだ。
「・・・これですか?」
 アラーニャ巡査長が一枚の絵を取り出した。
「それは・・・」
 モンタージュ絵だった。そこに描かれているもの、それは人ではなかった。
 黒く大きな身体を持っている。その身体は太く短い毛に覆われている。人間によく似た身体つきだが人間ではない。筋肉が異様に発達した手足はある。尻尾も。それは犬のそれに酷似している。
 黒い毛に覆われた顔は口の部分が大きく突き出ている。開かれた口からは禍禍しく曲がった牙が生え平べったく長い舌がある。眼は細く血の色をしている。耳は頭の上にある。それは狼のものだった。
「人狼・・・・・・」
「事件が起こった時目撃したという人がいましてね。我々も最初は馬鹿馬鹿しいと相手にしなかったのですが目撃談が相次ぎましてね」
 再び署長が話し始めた。
「・・・・・・・・・」
「我々も無視出来なくなったのです。そこでお御二人を日本から御呼びしたのです」
 二人へ顔を向けた。
「怪奇事件専門の探偵社『封魔』の誇る二人の探偵、本郷忠と役清明、この事件の解決及び捜査への御協力、重ねて御願します」
「喜んで」
「了解しました」
 二人は署長と手を握り合った。
「人狼か。映画ではよく見たけど相手をする時が来るなんてな」
 旅館を出て本郷と役は調査の為村を歩いていた。
 緑の森に囲まれ小川のせせらぎと水車の回る音が聞こえるのどかな村である。小鳥がさえずり魚がはねる。昔の良き面影をそのまま映し出した様な風景である。無残な事件が起こった以外は。
「確かドイツの化け物じゃなかったっけ?記憶があやふやだけど」
「間違いではないが充分な回答じゃないな」
 役が付け加えた。
「確かにドイツに多いが他の国にもある。例えば吸血鬼だが」
「スラブが元々のルーツでしたよね」
「そうだ。変身能力があるのは知っているね」
「ええ。蝙蝠とか霧とか」
「他にも多くのものに変身出来る。その中には狼もある」
「ふうん、そうなんですか。じゃあ吸血鬼と人狼ってなんか関係有るんですか?」
「元々人狼は吸血鬼の使い魔みたいな存在だったんだ。時代を経るにつれて関係は対等になっていったが」
「それ程格の高い化け物じゃなかったんだ」
「当初はね。しかし段々と力を着けてきた。例えば生命力」
「銀の弾丸じゃないと死なないってあれですね?」
「その通り」
 役は大きく頷いた。
 「神聖な属性を持つ銀でなければ倒れない、これは使い魔の能力ではない。高位に属する魔物の能力だ。そして知性。人間の時の知力がそのまま残っている。変身している間人間としての記憶を失っている場合もあるけどね。ただこの場合は悪しき属性の人狼ではない」
「問題は人としての記憶をそのまま維持している奴ですね」
「そう、この種は自らの意思で変身出来る。だから人を貪り食う。記憶を失う者は満月の影響で狼になるに過ぎない。身も心も完全に狼となる。狼はほとんど人は襲わない。精々家畜を狙う位だ」
「それに朝になったら人間に戻りますからね。こっちは無害ですね」
「結局狼に過ぎないからね。我が国の狐憑きや犬憑きと似たようなものだ」
「呪いとか遺伝とかそういったやつですか」
「これは問題無い。お払いをすれば済む。だが人としての記憶を維持している者は違う。厳密に言うと人ではない。闇の世界に巣食う正真正銘の魔物だ。人間の社会に潜り込み陰から付け狙い人を喰らう。魔物であるが故に神聖な物でしか倒せないのだ」
「俺達がこれから相手にするかも知れないのは」
「人狼だとしたら間違いなく魔物のほうだ。油断出来ないぞ」
 そうこう話をしているうちにこの村の事件の現場に到着した。十五歳の少女が殺された場所である。
「・・・ここか」
 村から少し離れた場所にある物置小屋の側であった。遺体は既に片付けられているが鮮血が残っていた。完全には拭き取る事が出来なかったらしい。そのことが事件の惨たらしさをよく現わしている。
「見たところ村からそんなに離れていませんね。子供達の絶好の遊び場ですよ。昼にしろ夜にしろ本当にこんなところで誰にも見つからず犯して食ってって出来たんですかね」
「それだね。どう思う?」
「うーーーん・・・・・・」
 本郷は腕を組んで考え込んだ。
「そうですね・・・」
 暫く考えた後口を開いた。
「まず一人になるのを見計らい後ろから襲い掛かる。そして猿轡か手かで口を塞ぎ喉笛を噛み千切って喋れなくした後で犯しつつ喰った。そんなとこですかね」
「御名答、その通りです」
「?」
 後ろから声がした。デッセイ警部である。アラーニャ巡査長も一緒だ。
「皆と遊んでいて一人になったところを襲われたのです。そして喉を噛み切られ援けを呼ぶ事も出来ずここで誰にも知られることなく陵辱され貪り食われたのです」
「昼間にですよ、それも二時間かけて。まるでここには彼女以外は誰も来ないことを知っているかの様に」
 アラーニャ巡査長が言葉を荒わげる。おそらくかなり正義感の強い人物なのだろう。この事件への憤りを隠そうともしない。
「顔見知りの犯行ですかね」
「それは我々も真っ先に考えました」
 警部が役の説を打ち消した。
「ところがこんな小さな村では皆親戚みたいなものです。皆顔見知りですよ。その誰もが完全なアリバイがあるのです」
「一種の密室犯罪ですね」
 本郷が呟いた。
「それに他の犯罪も同じ様に行われているのです。この地方全域に渡って。その全てが被害者ごとに全く異なる知人による犯行であるとはかえって非常識です」
「ですね。こういった連続猟奇殺人事件はいつも同一犯によるものです。人を惨たらしく殺した者は己のその醜い悪行を芸術か何かとうぬぼれるのです。そして更に芸術的に人を殺したいと思うものです。あの倫敦の切り裂きジャックの様に」
 役が言った。
「そう。しかも遺体に残された精液や体毛から全ての事件の犯人が同一犯によるものであると判明しました」
「やはり」
「正直今の段階では人と狼が犯人か、それとも人のみかというと断定出来ません。モンタージュのあの化け物ではないと思いたいのです。あの野獣ではなかって欲しいのです」
 そう言って警部はある山の方へ顔を向けた。巡査長もである。
 その山は緑の森に囲まれた山だった。かってあの野獣が潜んでいたと言われる山である。山からは何も聞こえない。だが風に乗って獣の咆哮が聴こえた様に思えた。
 
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