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私立アインクラッド学園

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第二部 文化祭
  第44話 ユイの正体

 
前書き
気づいてはいると思うけど、一応解説ね。

この小説で場面が変わる時は、主に*を使っています。

*が一個だとキリト目線、*が二個だとアスナ目線の三人称、*が三個だとその他の三人称、という感じで物語を展開させてます。 

 
「しっかし、広いお屋敷だなぁ……」

 俺が呟くと、アスナは不思議そうに首を傾げた。

「そうかな? むしろ小さくない?」

 ──時々、アスナが実は大財閥のお嬢様かなんかなのではないかと思うことがある。
 だってこの屋敷は、誰の眼から見ても大きい。それを«小さい»とは。

「どうしたのキリト君、ボーッとして。……あ、ユイちゃん、先々行っちゃだめだよー」
「待て、アスナ。なんか、ユイの様子がおかしくないか……?」
「え……」

 先ほどまで楽しそうに先を歩いていたユイが、なんだか吸い寄せられるような足どりでどこかへ向かおうとしている。

「ま、待ってユイちゃん!」

 アスナが走ってユイを追いかける。しかしユイは待たない。どんどん、先へと進んでいく。
 やがて、奥の一室に入っていった。

「待ってってば……!」

 追いついた先にあったもの。それは

「なんだ……これ……」
「ユイちゃんの写真……?」

 部屋の壁には、いくつかユイの写真が飾られていた。
 満面の笑みを浮かべるユイ。その隣で、紫色の髪を持つ、幼く知らない少女が、こちらも笑顔でピースサインをして立っている。
 その写真はどれも黄ばんでいて、恐らく数十年は前に撮ったものかと思われる。

「どういうことだ……?」
「ユイちゃん、あなたって、一体……?」

 俺とアスナは少女に向かって数歩歩み寄った。

「ユイちゃん」

 アスナが呼びかけると、少女は音もなく振り向いた。小さな唇は微笑んでいたが、大きな漆黒の瞳にはいっぱいに涙が溜まっていた。
 ユイは、アスナと俺を見上げたまま、静かに言った。

「パパ……ママ……。ぜんぶ、思い出したよ……」

 **

 明日奈と和人は、椅子にちょこんと腰掛けたユイを無言のまま見つめていた。
 記憶が戻った、とひとこと言ってから、ユイは数分間沈黙を続けていた。その表情は何故か悲しそうで、言葉を掛けるのが躊躇われたが、明日奈は意を決して訊ねた。

「ユイちゃん……。思い出したの……? 今までの、こと……」

 ユイはなおもしばらく俯き続けていたが、ついにこくりと頷いた。泣き笑いのような表情のまま、小さく唇を開く。

「はい……。全部、説明します──桐ヶ谷さん、結城さん」

 その丁寧な言葉を聞いた瞬間、明日奈の胸はやるせない予感にぎゅっと締め付けられた。何かが終わってしまったのだという、切ない確信。
 部屋の中に、ユイの言葉がゆっくりと流れ始めた。

「約100年前、«ユイ»はこの屋敷の長女として幸せに暮らしていました。しかし、9歳の若さで病死してしまいました。母親、父親、妹は嘆き悲しみました……。そこで両親が思いついたのです。«ユイ»のクローン──つまり、同じ感情、同じ人格、同じ容姿を持つ人工知能を神聖術によって作り、それを«ユイ»として育てよう、と。そのクローンがわたし──«Yui»です」
「で、でも……神聖術を使ったって、そんなことはできないでしょう?」

 一歩踏み出て、言う。

「そんな神聖術を使える人なんていないもの。そうでしょ、キリト、君……」

 明日奈はわななく唇で、懸命に言葉を紡いだ。
 こんな、同じ人間としか思えない女の子が、クローンなんて。
 あの笑顔は、どう見たって偽物なんかじゃない。作られたものなんかじゃない。この子はちゃんと、«ユイ»として生きてる──。
 しかしユイは、小さく首を振った。

「この世界の管理者、«カーディナル»なら、その限りではありません」
「カーディナル……?」
「はい、桐ヶ谷さん。ご存知かと思われますが、この世界には二人の管理者がいます。1人は世界の秩序を守る、«セントラル・カセドラル»の«アドミニストレータ»。そしてもう1人が、世界のバランスを司る«カーディナル»です。わたしはその«カーディナル»によって形作られた、«ユイ»のクローンです。──わたしは、普通の人間ではないのです」

 明日奈は驚愕のあまり息を呑んだ。言われたことを即座に理解できない。

「じゃあ、ユイちゃんは……」

 掠れた声で言う。ユイは、悲しそうな笑顔のままこくりと頷いた。

「わたしの感情は、すべてオリジナルの«ユイ»のコピーです。──偽物なんです、全部……この涙も……。ごめんなさい、結城さん……」

 ユイの両目から、ぽろぽろと涙がこぼれ、光の粒子となって蒸発した。明日奈はそっと一歩ユイに歩み寄った。手を差し伸べるが、ユイはかすかに首を振る。明日奈の抱擁を受ける資格などないのだ──というように。

「……わたしは、«ユイ»として生きてきました。しかし、ちょうど9歳になった頃──オリジナルの«わたし»が死んだ年齢に達した頃、史上最大の世界大戦が起こりました。──その戦争で、«わたし»の家族はみんな死んでしまった」

 明日奈の隣で、和人がギリッと歯を食い縛る音が聞こえた。強く握られた和人の拳は、小刻みに震えている。

「家族がみんないなくなってしまった。ならもう、わたしの存在意義はありません。──クローンは、存在意義がなくなった時、本当ならこの世界のどこからも消え去るはずだったのですが……わたしは消えなかった。何年過ぎても、わたしが消えることはなかった。なのに、本来存在しないはずのものであるわたしは、外見的成長をすることもない。だから、この命が尽きることもなくなった……。無為に流れ行く時間の中で、わたしの精神は崩壊していきました……」

 しんとした部屋の中に、銀糸を震わせるようなユイのか細い声が流れる。明日奈と和人は、言葉もなく聞き入ることしかできない。

「わたしはただ、この屋敷の中に閉じ籠っていました」

 その時ユイが、ふと顔を上げた。

「ある日、どこからかある二人の声が聞こえてきました。その声は、それまで聞いたことのない声でした。とても楽しそうで、幸せそうで……。わたしはその二人の声をしばらく聞いていました。会話や行動に触れるたび、わたしの中に不思議な欲求が生まれました。あの二人のそばに行きたい……直接、わたしと話をしてほしい……。すこしでも近くにいたくて、わたしは毎日、二人の通う学園に行こうと、森の中を彷徨いました。その頃にはもうわたしはかなり壊れてしまっていたのだと思います……」
「それが、この森なの……?」

 ユイはゆっくりと頷いた。

「はい。桐ヶ谷さん、結城さん……わたし、ずっと、お二人に……会いたかった……。森の中で、お二人の姿を見た時……すごく、嬉しかった……。おかしいですよね、そんなこと、思えるはずないのに……。わたし、ただの、コピーなのに……」

 涙をいっぱいに溢れさせ、ユイは口をつぐんだ。明日奈は言葉にできない感情に打たれ、両手を胸の前でぎゅっと握った。

「ユイちゃん……あなたは、本物の知性を持っているんだね……」

 囁くように言うと、ユイはわずかに首を傾げて答えた。

「わたしには……解りません……。わたしが、どうなってしまったのか……」

 その時、今まで沈黙していた和人が一歩進み出た。

「ユイはもう、ただのコピーじゃない。だから、自分の望みを言葉でにきるはずだよ」

 柔らかい口調で話し掛ける。

「ユイの望みはなんだい?」
「わたし……わたしは……」

 ユイは、細い腕をいっぱいに二人に向けて伸ばした。

「ずっと、一緒にいたいです……パパ……ママ……!」

 明日奈は溢れる涙を拭いもせず、ユイに駆け寄るとその小さな体をぎゅっと抱きしめた。

「ずっと、一緒だよ、ユイちゃん」

 少し遅れて、和人の腕もユイと明日奈を包み込む。

「ああ……。ユイは俺たちの子供だ。家に帰ろう。みんなで暮らそう……いつまでも……」

 だが──ユイは、明日奈の胸の中で、そっと首を振った。

「え……」
「もう……遅いんです……」

 和人が、途惑ったような声で訊ねる。

「なんでだよ……遅いって……」
「さっき言ったように、わたしは本来ここにいるべき存在ではないんです。すぐにわたしは消去されてしまうでしょう。だから……もう……。もう……あまり時間がありません……」
「そんな……そんなの……」
「なんとかならないのかよ! この場所から離れれば……」

 二人の言葉にも、ユイは黙って微笑するだけだった。再びユイの白い頬を涙が伝った。

「パパ、ママ、ありがとう。これでお別れです」
「嫌! そんなのいやよ!!」

 明日奈は必死に叫んだ。

「これからじゃない!! これから、みんなで楽しく……仲良く暮らそうって……」
「暗闇の中……いつ果てるとも知れない長い苦しみの中で、パパとママの存在だけがわたしを繋ぎとめてくれた……」

 ユイはまっすぐに明日奈を見つめた。その体を、かすかな光が包み始めた。

「ユイ、行くな!!」

 和人がユイの手を握る。ユイの小さい指が、そっと和人の指を掴む。

「パパとママのそばにいると、みんなが笑顔になれた……。わたし、それがとっても嬉しかった。お願いです、これからも……みんなを助けて……喜びを分けてください……」

 ユイの黒髪やワンピースが、その先端から朝露のように儚い光の粒子を撒き散らして消滅を始めた。ユイの笑顔がゆっくりと透き通っていく。重さが薄れていく。

「やだ! やだよ!! ユイちゃんがいないと、わたし笑えないよ!!」

 溢れる光に包まれながら、ユイはにこりと笑った。消える寸前の手がそっと明日奈の頬を撫でた。
 ──ママ、わらって……。
 明日奈の頭の中にかすかな声が響くと同時に、ひときわ眩く光が飛び散り、それが消えた時にはもう、明日奈の腕の中はからっぽだった。

「うわあああああ!!」

 抑えようもなく声を上げながら、明日奈は膝を突いた。うずくまって、子供のように大声で泣いた。次々と地面にこぼれ、弾ける涙の粒が、ユイの残した光の欠片と混じり合い、消えていった。 
 

 
後書き
ちなみに「家」っていうのは、アルヴヘイムでの家のことね。 
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