銀河英雄伝説~悪夢編
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第四十八話 感情がモロ見えなんだよね
帝国暦 488年 10月 31日 フェザーン 帝国高等弁務官府 ラインハルト・フォン・ミューゼル
フェザーンの帝国高等弁務官府に着いて最初に行った事は帝国宰相兼帝国軍最高司令官へ着任の報告をする事だった。
「ラインハルト・フォン・ミューゼル少将です。ただ今高等弁務官府に着任しました」
俺の報告にスクリーンに映った最高司令官は黙って頷いた。命令では十月三十一日までに着任せよ、となっている。十一月一日から俺は高等弁務官の首席駐在武官だ。
ぎりぎりの着任だ、やる気が無い、この人事に不満を持っている。向こうはそう思ったかもしれない、実際俺はこの人事に不満を持っている、否定はしない。だがヴァレンシュタイン最高司令官はそれについては何も言わなかった、不満そうな表情も浮かべていない。だがこの男くらい表情と腹の中が違う男はいない、リヒテンラーデ侯もエーレンベルク、シュタインホフ元帥もまんまと騙された。油断は出来ない。
『そちらの状況は? ミューゼル少将には高等弁務官府はどのように見えましたか?』
「着任したばかりですが規律が少し緩んでいるように見えました」
最高司令官が微かに頷いた。前任の高等弁務官レムシャイド伯は最高司令官が帝国の支配者になると職を放り捨てフェザーンで隠遁生活を送っている。トップが逃げ出したのだ、弁務官府の士気が下がり規律が緩むのは止むを得ないだろう。他にも何人か逃げ出した人間がいるようだ。
『基本的に人員の増員は出来ません。帝国は当分国内問題に専念する、分かりますね』
「分かっております」
帝国はフェザーンに関心を持っていない。周囲にそう思わせるためには増員は出来ない、当然だが入れ替えも無理だろう。つまり現有戦力で何とかしろという事だ。結構きつい任務になる、まずは職員の士気の回復から始めなければならない。キルヒアイスが居てくれれば……。
『最近帝国では面白い噂が流れています。ミューゼル少将も知っておいた方が良いでしょう』
「……はい」
教えてくれると言うのか、知りたくもないが相手が上司だと思えば無碍に断ることも出来ない、いやわざわざ教えるという事は任務に関わりが有るという事だろうか……。
『私が離婚した理由は皇族と結婚するためだそうです。シュテルンビルト子爵令嬢、ノルトリヒト子爵令嬢との結婚を考えているとか。ああ、シュテルンビルト子爵家というのは元はブラウンシュバイク公爵家、ノルトリヒト子爵家というのは、まあ説明するまでも無いですね』
「……」
聞いているのが苦痛なほど不愉快な話だった。姉と離婚したのはあの皇族である事しか取り柄の無い小娘と結婚するためだと言うのか……。
『怒りましたか?』
「……いえ、そのような事は」
『怒るのは未だ早いですよ、続きが有ります』
楽しそうな口調だ、俺を挑発して楽しんでいる、嫌な奴だ。
『いずれ私は皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世陛下を廃するそうです。そして自らが皇帝になるとか、……簒奪ですね。皇族との結婚はその為に必要なのだそうですよ。皇妃にして少しでも簒奪色を薄めるのだそうです』
なるほど、吐き気のする様な話ではあるが有りそうな話だ。しかし最高司令官は楽しそうに話している。馬鹿げた噂を面白がっているのか、それとも俺がどう反応するのかを楽しんでいるのか……。どちらも有りそうだ、性格の悪い奴だからな。
『この件にはミューゼル少将の姉君、グリューネワルト伯爵夫人も協力していると噂されています』
「姉が?」
思いがけない言葉だ。思わず俺が問い掛けるとヴァレンシュタイン最高司令官が頷いた。
『私が皇帝になった暁には彼女は私の元に寵姫として戻るのだとか。皇妃は居ますが所詮は形だけのもの、真の皇妃は伯爵夫人になるだろうと言われています。その為に離婚にも同意したのだと……』
「馬鹿な、姉はそんな事は」
俺が反駁しようとすると最高司令官が笑い声を上げた。
『噂ですよ、所詮は。それがどれ程あてにならないかは少将も理解しているでしょう』
「……」
『ですがその噂が事実となればミューゼル少将はまた寵姫の弟と呼ばれる事になりますね』
最高司令官は楽しそうな笑みを浮かべている。思わず拳を握りしめた。嫌な奴だ、目の前に居たらぶん殴ってやりたい。
『これから少将に多くの貴族、フェザーン人が接触してくると思いますが必ずその事を言うでしょう。憤慨するか、それとも自慢するか、どちらを選ぶかは少将が決めれば良いでしょう。ですがあまり感情的にならない事です、冷静にね……』
「分かっております」
分かっているさ、分かっているとも。これを上手く利用すれば貴族達を油断させる事も引き寄せる事も出来るって事はな。噂もあんたが流したんだろう、この根性悪のロクデナシが。姉上は騙せても俺は騙せんぞ。最高司令官がクスッと笑った。まさか、俺の思いに気付いたのか?
『自由惑星同盟のヘンスロー弁務官と接触しなさい』
「ヘンスロー弁務官ですか?」
反乱軍の動向を探れという事か? 何か動きが有るのだろうか、亡命した貴族達の事だろうか、或いは反乱軍は出兵を考えている?
『ヘンスロー弁務官はアドリアン・ルビンスキーの飼い犬です。餌は酒と女。彼を上手く利用すれば彼からルビンスキーに少将の事が伝わるでしょう。ルビンスキーが少将に関心を持てばフェザーン自治領主府の誰かが少将に接触してくるかもしれない』
「……」
最高司令官が含み笑いを漏らした。ぞっとするような笑いだ、この男は根っからの陰謀家なのだ、誰かを操り陥れる事に喜びを見出している。姉上が離婚した事は正解だった。それなのに何でこんな奴を庇うのか、騙されているとしか俺には思えない。
それにしてもヘンスローを使って反乱軍を利用するのは無理だな、精々フェザーンの黒狐を引き付ける道具が良いところか……。
『何と言っても現状に不満を持つ元義弟と言うのは利用しやすい存在ですからね、可能性は十分に有るでしょう』
元義弟と言われるだけで吐き気がする。
『私は年内に捕虜交換を反乱軍に提案するつもりです、交換自体は来年になるでしょうね。交渉はフェザーン経由ではなくイゼルローン要塞経由で行います。既に使者も出してある。つまりミューゼル少将を信用していない、当てにしていないという事です』
「……」
俺を信用していないというのは半分以上本心だろうな、不愉快な奴だ。気に入らない、俺をコケにして喜んでいる、嘲笑っている。
『材料は差し上げました、上手く利用してください』
「はい」
手助けしてくれるというわけだ。これで失敗したら役立たずの阿呆、そういう事だな。失敗は出来ない、しかしどういうスタンスを取ればいいのか……。正直頭が痛くなってきた。
宇宙暦797年11月 25日 ハイネセン ジョアン・レベロ
「イゼルローン要塞に帝国から使者が来たそうだ」
「帝国から使者が来た? どういう事かな? レベロ」
周囲を見たが幸い人は居ない。だが声を低めて話しかけた。
「捕虜を交換したいという事らしい」
チラッとホアンは私を見たが直ぐに鹿肉のローストを一口食べた。咀嚼しながら“フム”と声を出した。
「レベロ、この店の鹿肉料理は絶品だな」
「それについては全く同意する、異議無しだ」
レストラン白鹿亭の鹿肉料理はハイネセンでも有名だ。
「それで、その情報は何処から出たんだ。初めて聞く話だが」
ホアンも声を低めている。お互い財政委員長、人的資源委員長を辞めてから情報を得辛くなっている。彼が訝しむのも無理はない。
「ビュコック司令長官からだ。シトレが退役する時、政治家にも知り合いがいた方が良いと私との間を取り持ってくれたんだ。それ以来色々と話をしている」
「なるほどな、という事はその情報は真実という事か」
「そういう事だ、今も交渉中らしい」
ホアンが驚いた様な表情を見せた。
「……それは、現在進行中と言う事か。……驚いたな、例の出兵で潰れたと思っていたが」
「私もそう思っていたが生きていたようだ。勝ったのは帝国だからな、余裕が有るのだろう」
「なんとも羨ましい話だな、レベロ」
「羨ましい話だ」
ホアンが二度、三度と頷いた。そしてちょっと考えるそぶりをした。
「フェザーンではなくイゼルローン要塞か。交渉の窓口は軍という事だな……」
「それが違うらしい」
「違う?」
「相手は帝国宰相の委任状を持っているそうだ」
ホアンが驚いたような表情を見せた。帝国は同盟を国家として認めていない。それなのに軍では無く政府が前面に出てきた、ホアンにとっても予想外の事だったようだ。
「政府、という事か……」
「人は同じだがな」
「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン……」
「うむ」
帝国宰相兼帝国軍最高司令官、政軍のトップ、つまり帝国そのものと言って良い人物が敢えて帝国宰相として捕虜交換を提案してきた……。
「気に入らんな」
「確かに気に入らない、いや引っかかると言うべきかな」
ホアンが私の言葉に頷いた。
「しかし公表されていない、例の出兵が響いているのかな」
「まあそうだろう、ネグロポンティの首を切ってようやく落ち着いたところだ、政府としては余り触れられたくないところだろうな」
「癒えかかった傷口に塩を擦り付けられるようなものか、痛みで飛び上がりかねんな」
国防委員長ネグロポンティの辞任で例の出兵失敗の幕引きを図ったが政府の支持率は間違いなく低下した。トリューニヒト最高評議会議長の手腕にも疑問を投げかける声が上がっている。それでもようやく落ち着いてきた。そんなところに捕虜交換だ。ホアンの言う通り、癒えかかった傷口に塩を擦り付けられるようなものだ。
「公表しないのには他にも理由が有る」
「……というと?」
「出兵の件、帝国は同盟政府に謝罪しろと要求しているらしい」
「それは……」
ホアンが絶句した。そして鹿肉のローストを一切れ口に入れた。ゆっくりと咀嚼しながら何か考えている。
「他に条件は?」
ホアンが更に声を低めて訊いて来たが私が首を横に振ると“無いのか?”と言って顔を顰めた。
「使者はイゼルローン要塞で同盟政府の回答を待っている。もう二日になるそうだ」
ホアンが唸り声を上げた。
「政府は回答を出せずにいる、そういう事だな」
「一度は金で解決しようとしたらしい」
「金で? 金で謝罪するという事か」
「こちらの方が返還してもらう捕虜が多い。帝国に対しては謝罪金だが国内に向けては多く返して貰う分の代償だと説明するつもりだったようだ」
ホアンが“姑息な”と呟いた。
「帝国側は受け入れなかったんだな?」
「一顧だにしなかったそうだ」
「あくまで謝罪を要求してきたか……」
「うむ」
ホアンが難しい顔をして“うーん”と唸った。二人ともナイフとフォークを持ったまま動かそうとしない。
「こちらに非が有ると認めさせようとしているわけだな……」
「政府としては受け入れがたいところだ。受け入れればまた政治的混乱が発生するだろう」
「確かにそうだな。……それが狙いかな?」
ホアンが首を傾げている。
「可能性は有るだろう。油断出来ない相手だ、これまで何度も煮え湯を飲まされてきた」
ホアンが私を見た。私が頷くとホアンも頷いた。
「どうするつもりだ?」
「帝国側の使者は交渉時間は四十八時間だけだと言っている」
「四十八時間? まさかとは思うが時間切れを狙っているのか?」
「かもしれない。交渉は纏まらなかった、時間が足りなかった、そういう事にしたいのかもしれん……」
「しかしそうなれば捕虜交換は……」
ホアンが口籠った。じっとこちらを見ている。
「帝国の使者が妙な事を言ったらしい」
「妙な事?」
「ヴァレンシュタイン元帥が帝国の実権を握って以来、帝国では捕虜の待遇を改善しているようだ。その経費が馬鹿にならないらしいな」
ホアンが眉間に皺を寄せた。
「では帝国が交換を提案してきたのは……」
「経費削減、それも有るのかもしれない」
「考えられなくは無いな……」
ホアンの言う通り有り得る話ではある。同盟側も捕虜の扱いには困っているのが現状だ。しかも抱える捕虜の数は帝国側の方が圧倒的に多い。
「政府はここで交渉を蹴っても再度帝国は交渉をしてくるだろうと踏んでいるようだ」
「なるほど……」
「引き延ばせば謝罪では無く金銭、或いは何のペナルティも払う事無く捕虜交換が成立するかもしれないと考えている」
私が言い終わるとホアンが首を横に振った。
「そう上手く行くかな。君はどう思うんだ?」
「ビュコック司令長官には謝罪して一日も早く捕虜交換を実施した方が良いと言ったよ。君の言う通り、そう上手く行くとは思えない。傷を負うなら出来るだけ浅手にすべきだ」
「……」
「しかし政府は傷口に塩を擦り付けられるんじゃないかと恐れているようだ。残念だが大胆な行動が出来る様な状況じゃない、まず受け入れられる事は無いだろうな」
ホアンが溜息を吐いた……。ホアン、溜息を吐かないでくれ、気が重くなる。
政治家は支持率に気を取られ上手に負ける事が出来なくなっている……。昨年の帝国領遠征があそこまで酷い結果になったのも負け方が下手だからだ。シトレはあの遠征が失敗に終わると分かっていた。だから自ら指揮を執る事で最小限の傷で終わらせようと考えていた。上手に負けようと考えていた、それなのに……。
嫌な予感がする、今回の政府の判断も気付かないうちに下手な負け方を選んでいるんじゃないだろうか……。ホアンだけじゃない、私も溜息を吐いていた……。
ページ上へ戻る