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鳳苗演義
そこには一人の青年・・・いや、少年にも見える一人の釣り人が座っていた。
教鞭のような鉄の棒先に糸を括りつけただけの竿に魚が掛かった気配はない。
それもそのはず、その糸の先端にぶら下がる針は釣り針ではなく縫い針なのだからかかる訳がない。
だが少年はそれでいい。彼は魚釣りを楽しみたいのではないのだから、最初から魚をかける気はないのだ。
「・・・幾らなんでもこれ以上のんびりはしてられんか」
少年はそうぽつりとつぶやき、懐に入れていた桃を一つ齧った。
少年には多くの名前がある。太公望、王天君、王奕、呂望・・・そのどれもが彼であり、同時に正しい彼ではない。
その中で真に彼を現す名前はたったひとつ・・・「伏羲」のみ。
伏羲は「それ」に気付いた時、もう何千年も前に終わったと思っていた自分にまだ果たす役目が残っているのかもしれないと感じた。”始まりの人”の一人として一度は自分も地球と同化しようかとも考えたが、太公望だった頃の自分が「そんなことをしては桃が食えぬではないか!」と拒否してしまいダラダラし続けてきた。
だが、その怠惰生活も不本意ながらいったん打ち切らねばなるまい。
何故ならば自分に残された役割を再び果たさねばならないやも知れぬのだから。
この魂魄の波動、伏羲には間違えようもない存在と同じ気配だった。
「女禍・・・」
―――私の最後のわがままだ、一緒に消えてくれ―――
彼女は魂魄ごと自爆して死んだ。
だが、もしも。あの恐るべき魂魄分裂能力でほんの一かけらでもこの星に彼女の意思が残っていたとしたら。
そして彼女が未だにあの頃と同じ意志を宿していたとすれば。・・・まぁ個人的には無いと信じたいが。それでも放っておくわけにもいかない。立場的にも、個人的にも。
「やれやれ、仙人界の連中に気付かれぬうちに様子だけでも見ておくか・・・」
最悪彼女が手に負えない時は彼らの手を借りねばなるまい。
そう心の中で呟きながら、伏羲は空間を操り虚空へと消えた。
彼の向かった先は嘗て「周」と呼ばれ、今は中華人民共和国の一部となったその大陸から更に東、その国の名を日出づる国・・・日本と言う。
~ 鳳 苗 演 義 ~
「ふぅむ・・・なかなかどうしてよい街ではないか」
嘗て彼の過ごした古代中国の町とは全く以て似ても似つかない土地を歩く伏羲。現代化の波は彼が普段ダラダラしている中国でも押し寄せているためコンクリートジャングルも見慣れている伏羲であったが、この街――海鳴町の街並みを中々気に入ったようだ。ちなみに現在の伏羲の格好は大極図を描いた道士服代わりのシャツと何所にでも売っているようなズボン。どちらも人間界をうろつく時に良くする服装で、シンプル故に周囲に溶け込みやすい。
「海も近い、山もすぐそこ、町そのものも活気に溢れておる。霊穴もあるようだし、暫く日本でうろうろするのもいいやもしれんな・・・っと、いかんいかん!本懐を忘れるところだったわい・・・」
魂魄の気配はもうすぐ近くまで迫っている。こんな街中を動き回っているという事は既に何らかの形で肉体を得たのだろう。それでもなんら騒ぎが起きていないところを見ると、もう地球を壊す気は完全に失せていると考えて良さそうだ。
そしてとうとう伏羲の視界に”それ”は映った。
「♪~♪~♪~」
「ぅなーお」
清潔感のある白いシャツとハーフパンツに身を包んだ小柄な体躯。
透き通る様に白い肌。艶やかな黒髪は胸の辺りまで伸ばしている。
始まりの人特有のリトルグレイ型の骨格はしていない地球人型の身体。
大きなヤマネコを連れて可愛らしい声で歌いながら歩くその子供に、伏羲は一瞬息が止まった。
(こやつ・・・こやつだ。魂魄が共鳴しておる)
確かに、彼女から女禍と同じ魂魄を感じる。しかし伏羲が固まってしまったのはそれが理由ではない。
彼女の姿に、かつての故郷で過ごした女禍の姿がほんの一瞬被ったのだ。
しかしその考えは直ぐに霧散させた。今はこの少女となった女禍の真意を見極めるとき。
(しかし本当にこの娘は女禍なのかのう・・・?確かに仙人骨はあるし魂魄も全く同質だが、何とゆーかこう・・・変わりすぎとちゃうか?)
・・・実はかつての故郷にいたころの女禍は悪戯好きの活発な女の子だった。あの頃の女禍をそのまま地球人の姿にすればアレでも全く違和感はないのだが・・・
(もしや、自分が女禍だったことを忘却しておるのか?わしが近づいても無反応な事を見るにその可能性も視野に入れておくか・・・)
実際にはあの少女の深層意識からこちらを見ている可能性もあるが、どちらにしろ夢渡りでも使わなければ真相は確かめられない。しばし考えた末、伏羲は魂魄を分裂させることにした。久々に伏羲の姿から二人の人間の姿に解れる。長く伏羲でいた影響か、かつてもっと不健康そうな見た目をしていた王天君も少しばかり健常人らしい姿に変わっている。とはいってもあくまで少しだけだが。
『”王天君”よ、わしはこのまま女禍の様子を見る。お主はその間に・・・』
『アイツの情報を集めればいいんだろ?』
『話が早いの。では頼んだぞ』
『アブなくなったらとっとと俺を呼べよ?』
短い会話と共に王天君は虚空に浮いた四角い枠の中に消えた。
「さて、”太公望”として動くのは一体何年ぶりだろうか?」
そう呟きながら太公望は―――
「と、追跡前に腹ごしらえじゃー!!」
――一直線に近くのたいやき屋へ飛んで行ったのであった。
・・・実は太公望こと伏羲はこの地に来てからこの「たい焼き」という存在に度肝を抜かれた。綺麗な魚の形を模しているのになまぐさを一切使用していない甘味。まるでどうしても魚を食べたい仙人や道士のために作ったかのような形状とそれが甘味であることに激しく興味を惹かれた太公望は、たい焼きをどうしても一つ食べておきたいと思ったのだ。
スターシップ蓬莱の連中にもいい土産話になるだろう。何せ昨今人間界を自由にふらつけるのは自分と申公豹、後は教主である楊戩が許可を出したスカウトメンバーだけだ。故に伏羲の地上話を娯楽にしている仙人も少なくない。
金あるのかよ、と思うかもしれないが伏羲は占いなどでちゃっかり人間界で金を稼いでおり、日本に来る前にあらかじめまとまった日本円を用意していたのだ。つまるところこの男、最初から観光する気満々である。
「「たい焼きちょーだい!」」
「あいよ!お2人さん兄妹かい?似てるねぇ~」
「「へ?」」
太公望が横を見ると・・・さっき猫の散歩をしていた女禍の姿がそこにあった。
(し、しまったーーーーー!!もう少し離れて様子を見るはずだったのに何という凡ミス!)
そんな太公望の心を知ってか知らずか、太公望の顔を見上げ数瞬目を瞬かせた少女はニヤリと悪い顔をした後・・・
「そーなんだー!良く言われるの!という訳で代金は全部お兄ちゃんにツケといて!」
「なぬぅ!?」
「あっはっはっは!可愛い妹さんじゃないか!」
――こ、こやつ・・・兄妹と勘違いされてるのを逆手にとってたい焼き代金を儂に押し付けようとしとるだと!?なんというずる賢さ!そしてこの空気で今更他人だと言い張っても兄妹同士でじゃれ合ってるようにしか見えん!ぐぬぬ・・・悔しいが一本取られたわい。
こうして他人を利用することに関して仙人界No,1と謳われた伝説の軍師は10歳にも届かない小娘にたい焼きを奢る羽目になったのだった。
「たい焼きは頭の方が餡子が詰まってておいしいなんて言うけど、しっぽの方が皮が薄くて歯ごたえ良いよね!」
「・・・人の金で食うたい焼きはさぞ美味かろうよ」
「ひょっとして根に持ってるの?お・に・い・ちゃ・ん☆」
「止めい!全くこのわしが何故初対面のおぬしに・・・ブツブツ」
少女に良いように使われてげんなりとする太公望とは対照的に自称妹はくすくす可笑しそうに笑っている。それを横目で見た太公望には、やはり彼女が女禍とは思えなかった。
魂魄は同質。だが、人格が少々昔の彼女に似ているような気がする以外に女禍らしい部分は何一つ見当たらない。記憶喪失は流石にないだろう。魂魄から記憶を奪う方法もないではないが、彼女がわざわざそれを自分にかけたとは考えにくい。そういったことが出来る仙人は限られているから他の誰かがやったとも思えない。しかし・・・それでは彼女は結局何者なのだろうか。
通常魂魄は一人につき一つ。伏羲や女禍のように魂魄を分裂させれば話は別だが、全く同質の魂魄の存在が自然に生まれると言うのは双子でもあり得ない。なにより伏羲が女禍の気配に気付いたのはつい最近の事だ。明らかの彼女は自然に生まれた人間ではないことになる。
「おぬし、名前は何と言う?わしは・・・伏羲という」
「その年で一人称が儂ってどうなのかな・・・まぁいいや!私の名前は鳳苗だよ!」
「ほう、良い名前じゃな」
鳳苗・・・その名前を聞いて太公望は顔には出さず内心で唸った。
史実では伏羲と女禍は鳳という姓の始祖とされている。そして苗は伏羲は女媧を信仰していたとされる苗族を連想させた。偶然と言えば偶然だが、それが二つ重なるだろうか?どうにも分からない。さり気に伏羲という名を出してみたがそれにも全く反応を示さなかった辺り、本当に女禍としての記憶を失っているのだろうか。
それともあるいは本当に天文学的な確率で偶然魂魄が女禍と一致したとでも?確かに仙人骨や魂魄は後天的に強化されることもあるにはあるが・・・
「ありがと!そういうお兄さんは変わった名前だね?」
「わしは中国の生まれだからのう」
「ふーん。ちなみにこっちの・・・名前はぽんずって言うんだけど・・・この子はカナダ出身よ」
「まーお」
子供ほどの大きさがある猫が返事を返すように鳴く。人懐っこいようで太公望が触っても嫌がりはしなかった。しかし・・・ぽんずと言う名前をあえてスルーした太公望は内心首を傾げた。
(妙だのう・・・こやつ妖精化しかけておるぞ?)
妖精化とは人ならざる者が千年以上月の光を浴びた結果魔性を帯び、人のように知恵を持った存在になる事である。しかし、普通の生物が千年も生きる事は出来ない。だから妖精化するのは長い時を生きられる妖怪や特定の形をした道具などが基本である。唯の大山猫であるぽんずが妖精になるのは逆立ちしたってできっこない。
・・・まぁ、金剛島や妲己の生物改造技術ならば不可能ではない。そしてその技術の多くは妲己が女禍から授かった技術が多くを占めている。苗を名乗る少女が女禍ならばそれ位は出来ないでもない。
が、だとしたら彼女は女禍としての力と知識を持っていることになる。彼女が何故ぽんずを妖精化させようとしているのか、何故女禍という存在自体を知らないような言動を取るのかが分からなくなる。或いは思い出としての記憶を無くし技術だけを持っている可能性もあるが・・・
(結局どう考えても「彼女は結局何者か」という疑問に撒き戻ってしまうのう・・・致し方ない、今は王天君に期待するしかなさそうだ・・・)
「それでお兄ちゃんはこの町に住んでるの?」
「いや、海外留学だ。なかなか良い街のようで安心だわい」
覗き込む苗に太公望は嘘半分本音半分で答える。今まで伏羲は世界のあちこちに旅行しては住みよい場所で数年過ごして、と行った事を繰り返してきた。だから女禍の一件が無事落着したら今度は此処に暫く住もうと考えていた。
その返事に苗は一瞬ほっとしたような顔を見せ、直ぐに屈託のない笑みを浮かべた。
「それじゃ町の地理を知っておかないとね!実は私もこの町に来てあんまり経ってないんだよねー。だから一緒に回らない?」
「かまわんぞ。ついでに美味しい桃を売っている店に目星をつけたいしのう!日本の桃はどんな味かのう?楽しみだわい!じゅるり・・・」
こうして苗と太公望、そしてぽんずの町めぐりが始まった。
その二人の姿を見た住民たちは口をそろえてこう言ったという。「仲睦まじげな兄妹だ」と。
「むぐむぐ・・・流石は美食の国と謳われるだけの事はあるのう・・・この杏仁豆腐は気に入ったぞ!」
「中国の杏仁豆腐は違うの?」
「あちらでは杏仁豆腐は薬膳料理・・・つまりデザートではないのだ。わしはこっちの方が甘くて好きだのう」
「お兄ちゃん本当に甘党だねぇ~」
「ぅにゃーお」
楽しい。伏羲と一緒に歩きまわって素直にそう感じた。
この世界に来てから右も左も自分の事さえおぼろげで、ただただ一人が怖くてぽんずを抱きしめた。いつからこの子といたのかは分からない。微かにだがこの子に餌を与えていた記憶はあるのできっと飼い猫だろうと思う。とにかく、苗にあったのは自分の名前とぽんず、そして身体年齢に似合わない知識のみだった。
そして居場所もなく街をウロウロしていた時に偶然八神はやてと言う少女に会い、今は彼女の家に居候している。同類相憐れむではないが、彼女も小学生ほどの歳で独り身だったからシンパシーを感じたのだろう。一度仮面をかぶった変態さんに捕まりそうになったが一発ぶん殴ったら現れなくなった。あれは結局誰だったんだろうか。アリスコンプレックスの変態さんはとっとと捕まって欲しいものである。
閑話休題。戸籍がないから学校にも行けない。知り合いもはやてちゃんしかいない。手元には何故か持っていたいくばくかのお金とぽんずのみ。たとえ寝食を共にする人がいても、苗の孤独は埋められなかった。――今まではもっとたくさんの人といた気がする。その感覚とのギャップが一層心細さを際立たせた。だから今日耐えられなくなって街に飛び出したのだ。寂しさを誤魔化すように歌いながら。
そんな中、偶然食欲につられてやってきたたいやき屋で、伏羲と出会ったのだ。
見た目の年齢は中学生くらい。パッと見には分からないが中国の出身らしい。ホームステイか何かだろうか?
正直驚いた。たい焼き屋のおじさんにも言われたのだが、どことなく自分と彼の顔が似ているのだ髪の色や質もそっくり。まるで本当に兄妹であるような錯覚さえ覚えた。だから、ちょっとイタズラしてしまった。
正直やって後悔した。その時はノリで言ってしまったが、普通年下の子供にそんな悪戯をされていい気のする人はそういない。たかだかちょっと自分に似てるだけの赤の他人に金をたかる。初対面の印象は最悪だろう。痛烈な自己嫌悪に襲われた。しかし同時にこの人なら許してくれるんじゃないかと言う淡い期待も抱いていた。
伏羲はぶつくさ文句を言いながらも許してくれた。もともと心根の優しい人なんだろうな、と思った。彼の隣は不思議と心地よい。まるで魂が惹かれているような錯覚を覚えるほどに。近くにいるとどんどん素の自分が姿を現し、いつの間にか彼に接する態度は完全に砕けたものになっていた。
同時に、少し不安に思うこともある。――伏羲はこちらを見るとき、私に”誰か”を重ねている。家族だろうか?親戚だろうか?友達かご近所か、それとももっと違う誰かか。それが嫌だった。
私を見てほしい。私に重なる誰かではなく私を、訳も分からない状況で怯えているこの私を。でも、その誰かが私と重ならなかったら彼は私から興味を失うのだろうか。そうなれば彼との繋がりは立たれてしまうかもしれない。そう思うと本心をさらけ出す気分にはなれなかった。相反する二つの感情を、私は心の奥深くに無理やり押し込んだ。
少しでも一緒に居たい。この見知らぬ少年と歩き回って、孤独な自分の心から目を背け続けたい。街探索などと苦しい理由をつけてまで歩き回ってあちこちで買い食いをするその時間はまるで彼が本当に兄であるかのような錯覚をもたらした。
ああ、伏羲とずっと一緒に居られたら。居られたら・・・虚栄が本当になるのに。
「のう、苗や」
「・・・ふえっ!?あ、あの・・・何?」
「何をどもっているのだ?まあ良い、少し訊きたいことがある」
「あ、うん。いいよ?」
いけない、考え事をしていたせいで反応が遅れてしまった。こんなことでは伏羲を呆れさせてしまう。しっかり会話しなければ・・・
~
「お主に聞きたいことなのだが・・・まずはお主、その服装は他人からの借り物であろう」
「・・・・・・うん、正解。どうしてそう思ったの?」
「ふむ」
やや間を置いて、苗は少し驚いた顔を見せた。太公望は苗の目の奥で不安や孤独の感情が揺れているのを何となく感じ取っていた。だからこそ、いい加減自分も彼女の事情を探ることにする。無論彼女の機嫌と照らし合わせて慎重にだが。
「その服。身体のサイズより少しばかり小さいであろう?デザインも活発なお主が選ぶにしては少々質素すぎる。ついでに靴は借り物であろう?先ほどから靴擦れを避けるような重心の掛け方をしているにもかかわらずその靴は随分使い込んだ物に見える。普通サイズの合わない靴を好んで使い込む物などおるまいよ。つまりその服も靴も自分のものではない」
「なんか探偵みたいだね?ホームズとか依頼者の身なりでいろいろ予測してたし」
うむむ、と唸る苗。ホームズと言うのは確か有名な探偵小説の主人公だったと記憶しているが生憎伏羲はまだ読んだことが無かった。何にせよ質問を続けることにしよう。
「さて、次の質問だが・・・何故お主が借り物の服で町をうろついているのか?この町に来て間もないと言っておったが、引っ越しなどならば着る服に困ることは考えにくい。また着る服が無いというのも一般家庭では可能性が低い。服など幾らでも売っておるしのう」
そこで言葉を切った太公望はちらりとぽんずの方を見る。
「・・・貧乏で買えないからもらい物で我慢しているのかとも考えたが、ぽんずのような大きな猫を飼っていてお主自身も食い物に困っている気配はない事を考えるとその可能性は狭まる。よってわしはこう考えた。・・・お主、何らかの理由で自分の家に住んでおらんのではないか?しかも両親とも離れておる・・・どうだ?」
「・・・何でそこまで分かるの?」
「年の功という奴だ。ニョホホホ・・・」
「歳って・・・そこまで変わんないでしょ?」
「さぁどうかのう?ひょっとしたらわしはすんごく年を喰ってるかもしれんぞぉ~?」
釈然としないのかぷくっと頬を膨らませる苗に太公望は意地の悪い笑みを浮かべる。
・・・ちなみに彼の太公望としての年齢はおよそ3000歳、伏羲としての年齢は下手をすれば億に届く可能性がある。正確な年齢は不明だが少なくとも苗が彼の正確な年齢を当てることは不可能に近いだろう。何せ本人も自分の年齢など覚えていないのだから。
「更に続けるぞ。家を離れておる理由は家出ではない。今時着の身着のまま家を飛び出すほど無計画な家出少女は余りおらんだろうし、お主の機転がきいてちゃっかりしておる性格から推測してもそれは考えにくい。物理的な災害や火事・・・は、そもそもこの近辺では起こっておらぬ。日曜日とはいえ子供が友達も連れず一人町探索というのも考えてみればおかしな話よな。もしお主、若しくはお主の家族が着るものにも困るほどの状況で知り合いなどの家に泊めてもらったなら、呑気に娘を散歩に見送るとは思えん」
「・・・全体的に推測だらけで物証がないね」
「だがお主に言質を取ることは出来るよ。気付いておるか?お主、さっきから少し息が乱れておるぞ」
そう言いながらも太公望はこの辺で追及を打ち切るべきだと思った。苗は先ほどから動揺を隠すようにワンピースの生地を強く握りしめ、軽く冷や汗を垂らしている。指摘した通り息も少し乱れており、激しく動揺しているのは明白だった。その表情はこれ以上事情を知られるのを恐れての事か。
はっきり言って先ほどの追及はその殆どにあまり意味がない。このやり取りで太公望は「彼女が平均的な家庭にいるか否か」というのを確かめたかったのだ。例えば天涯孤独、若しくは記憶喪失の類ならば女禍との関連性を探るのは難しい。一般家庭で育ったのなら何らかの形で現世に残った女禍の魂魄が少女に乗り移った可能性が高くなる。どちらにしろ得られる情報はある。太公望の見立てでは彼女は恐らく前者であろう。
「とまぁ、探偵ごっこはこの辺で区切っておくか。少々いじわるが過ぎたようじゃ。ぽんずも主人を虐められたと思って怒り心頭のようだ」
「え?」
その言葉にはっと太公望の方を見た。そこには・・・太公望の頭をガジガジとかじるぽんずの姿。しっぽは真っ直ぐぴんと突っ立って毛も逆立っているのを見るに怒っているのは明白だ。あの大人しいぽんずが自分の動揺を感じ取って伏羲に・・・?と苗は驚きを隠せなかった。それと同時に少しだけ涙が出る。
――この世界でたった一匹の私の飼い猫は、こんな情けない主人のために身体を張っているのか。ぽんずから感じられた自分への確かな思いを実感した苗はぽんずに手を伸ばした。
「ぽんず」
「ぅうぅぅー・・・」
「ぽんず。離してあげて?私、もう大丈夫だから」
「・・・なーお」
渋々と言った態度で太公望を離したぽんずは二人の間に割って入る様にズン、と座った。これ以上主人を虐めたら承知しないと言わんばかりの態度に苗も太公望も笑った。
(愛されておるのう)
動物や妖怪は本能的に守るべき生物と避けるべき生物を判断する。少なくとも今目の前にいる彼女は危険な存在ではなさそうだ、と太公望は結論付けた。
自分でも何故あれほど動揺したのか分からない。ただ、伏羲に何もかも見透かされているような気分になって、顔に出すまいとしていた動揺が息から出てしまった。
きっとその瞳が私の隠し事も虚栄も全てを見透かしたら、私には何も残らない。私と言う人間には驚くほどに――何もないから。あるのは名前と、命と、体と、ほんの小さな繋がりと、あとはぽんずだけだ。他には本当に何もないのだ。「お前には何もない」と口に出されれば、この小さく脆い心は本当に何もなくなってしまう。そう考えたからなのかもしれない。
伏羲が怖い。自分を空っぽにされそうで怖い。なのに、彼は何処までも気さくで明るかった。話せば話すほど、彼がずっと自分の隣にいたかのような錯覚を覚えそうになる。
一緒にいるのが怖いのに、離れようとすると体が嫌がる。まるで夏の虫が炎の光に引き寄せられるように私は伏羲と共に歩いた。どうせ伏羲は余所者、時間が来れば嫌でも別れることになる。そう自分に言い聞かせた。
本当は一緒にいてほしいんだろう、と心の声が囁く。
本当は「兄妹みたいだ」って言葉が嬉しかったんだろう。
本当は全てさらけ出して伏羲に甘えたいんだろう。
本当は、本当に、本当の兄妹だったら・・・
そんな過程は無意味だって知ってるくせに。伏羲はいい人だけど、それだけだ。赤の他人が私の都合で家族になることなど―――ない。
楽しい時間も寂しい時間も平等に終わりは訪れる。
苗はその夕陽を見てはたと気付く。そろそろ家に帰らなければはやてを気落ちさせてしまう。
彼女は一人でいることに慣れ過ぎているから、私の帰るのが遅くなったら彼女は「苗の帰りが遅いのは自分といるより外にいる方が楽しいからだ」と考え、やはり自分と関わりたい人間はいないのだと考える。他人を攻めることを知らないから、自分に辛い事は自分へ帰結させてしまうのだ。
「いけない・・・帰らないと!」
「ふむ?確かに子供はそろそろ家へ帰る時間だな。どれ、わしがお主の家まで送っていこう」
「いいの?」
「どうせ今日はホテル泊りだ。それに・・・お主とはそのうちまた会いそうな気がするからのう?」
そう語る伏羲はどこか自信あり気だ。その顔に私は少しドキッとした。
――まさか、読まれてる?
内心で一緒に居たいと思い続けているのが態度に出てしまっただろうか。だとしたら恥ずかしい。ああ恥ずかしい。伏羲と一緒に居たがってるなんて、子どもの浅知恵を見抜かれたような気分だ。その我儘に敢えて彼は乗ってあげているという事になる。そう考えると恥ずかしい反面嬉しく思っている自分もいた。そしてその子供のように喜んでいると言う事実が、伏羲にいいように弄ばれた気分にさせる。
「そ・・・そう?」
「うむ、そうだよ」
しどろもどろになり掛けながら、勤めて不自然ではないように聞き返す。伏羲の顔はさっきと同じ笑顔だった。自分の顔は今赤くなっていないだろうか?もしも赤くなっているのなら、どうか夕日がその紅潮を上手く誤魔化してくれますように。
・・・実際には太公望はそんな苗の心の機微を読んで発言したわけではなく、単に苗の素性を確かめるためにまた会うだろうという考えでそれを言っていたのだが。太公望、彼女いない歴=年齢。伏羲だったころも近しい女性は女禍のみだったため世界でも最高クラスに女心と縁のない男だ。(どこぞの3姉妹長女は除く)
何はともあれ二人は歩いて現在の苗の住居、八神家へと足を向けた・・・そのさなか。太公望の下に、王天君が戻ってきた。2人は音もなく、外見も仙術によって最初に苗に出会った時と変わらぬようにしながら融合を行った。
苗の足が止まる。
「伏羲・・・?」
聡い子だ。融合で起きた魂魄のブレを機敏に感じ取ったのだろう。伏羲の姿となればほんの少しだが放つ雰囲気矢気配も変わる。その辺りも一応仙術で誤魔化しているのだが、苗=女禍と伏羲、始まりの人同士の魂魄とあらば気付かれることもあるだろう。
「苗よ。お主は居候のみであることを前提に話すのだが・・・お主の家の家主は突然の来客を迎え入れてくれる器量はあるかの?」
「え・・・?え、と・・・人との会話に飢えてる子だから、多分喜ぶんじゃないかな?」
「そうか!それは良い事を聞いた!実はのう、ホテルは予約やチェックインをまだしておらんのよ。あわよくばお主の家に泊まれるかもしれん!これはいいことを聞いたぞ?ニョホホホ・・・」
一瞬脳がフリーズした苗は、ゆっくりと伏羲の発言を咀嚼し、ようやく理解したところで・・・苗は結局混乱を抑えきれなかった。
「え・・・泊まるって・・・ええーーーー!?」
住宅街に少女の声が木霊する。後に判明したことだが、その声は住宅街ほぼ全域に達しており、伏羲もその声・・・というより至近距離では音波に近いそれに危うく吹き飛ぶかと思ったという。
久しぶりに自分の弟分とでも言うべき存在・・・武吉を思い出した伏羲であった。
予想外の発言。まさか出会った初日に人の家に・・・しかも女の子の家に泊まろうとするとは。いや、伏羲がロリコンでない事も悪い人じゃない事も何となく分かってはいたが、いきなり気になっていた人が家に泊まるといいだしたら取り乱すものだ。
(伏羲が同じ家で・・・ね、寝床はどうしようか?一緒にお風呂入ろうとか言われたら断る自信が・・・いやそんな事よりこんなこと考えてるのがもし伏羲やはやてにバレたらもう私は恥ずかしくてお嫁に行けなくなっちゃうかもって何を考えてんの私!?駄目だ、何かもう駄目だぁ!!今日初めて会った男の人をここまで意識するとか自意識過剰もいいところだし、ああもう私おかしくなっちゃってる!?)
理想と妄想と現実が頭の中で入り混じった苗はその昂った精神を抑えきれずに一人悶々と悶えてしまうのであった。・・・それでも伏羲が自分の兄になる想像を諦めきれないのは、果たして如何なる感情が導き出したことなのやら。
・・・実際の所。王天君の調べで伏羲は次の事を把握した。
1、苗の出生は完全に不明。家族らしき人間もこの近辺には見つからなかった。
2、彼女には戸籍が存在しない。
3、彼女の存在を知るものはこの町にしかおらず、しかもここ数日に見知っている。
4、彼女は独り身の少女の家に居候している。
そして八神はやての性格も把握した伏羲はすぐさまこう考えた。
――夢渡りで彼女の心を覗くならば、彼女と寝床が近い方が都合がいい。八神はやてならばその性格や生い立ちから判断して説得は大いに可能であろうから、これを機に苗と同じ家に居候しよう。と。
正直な所、伏羲はもし苗が本当に女禍と関係なかったら彼女を仙人界にスカウトしようと考えている。それはかつて女禍に対して何もしてやれなかったことに対する償いのつもりなのかもしれない。もし女禍そのものだったならば――その時は、今度こそ話し合おう。
今ならばきっと、自分の言葉も彼女に届くから。
しかしその前に・・・。
「苗?お主は何をさっきから頭を抱えたり顔を赤くしたり百面相しておるのだ?」
「にゃんでもない!な、何でもないのっ!ほら、さっさと行くわよお兄ちゃん!!」
「う、うむ・・・」
怒ったようにこちらの手をぐいぐい引っ張る苗に戸惑いながらも付いてゆく。現金な事を言って怒らせてしまったか、と伏羲はため息をつく。
そういえば”故郷”にいたころの女禍も時々こんな感じになっておったが、結局あれは何だったんじゃろうか・・・と考えながらも、二人は手を取り合い日の沈みかけた町を歩いていった。
その姿は・・・やはりというか、本物の兄妹にしか見えない。
この後、伏羲・苗・ぽんず・そしてはやては、この出会いを切っ掛けに世にも奇妙な道筋を歩むこととなる。決して忘れることの出来ない、長い長い道を・・・
後書き
くぅぅ・・・苗っちをヒロインっぽく書くのがこんなに大変だったとは・・・!
騙された!苗のくせに難しいじゃないか!!
伏羲と女禍って夫婦若しくは兄妹だったらしい(古代中国神話では)。俺の勝手なイメージだけど女禍ってちょっと憎めない所があるし実は兄妹だったんじゃないかと勝手に思ってこんな事をした。
なお古代中国神話では伏羲と女禍は中華民族の始祖、アダムとイブ的な存在だったとされているので2人が夫婦ではなく兄妹だった場合近親相かゲフンゲフン!!・・・らしい。
・・・続き?何なら君が書いてくれてもええんやで?(チラッチラッ
無いとは思うけどもしも書きたいお方がいたら連絡ください。いいよって二つ返事しますから。
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