銀河英雄伝説~悪夢編
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第四十二話 オーベルシュタイン、俺が可愛がってやるぞ
帝国暦 488年 9月 15日 オーディン ヴァレンシュタイン元帥府 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
“如何でしょうか”とでも言ってくれれば良いのにオーベルシュタインは無言、無表情で俺の前に立っている。彼は例のリストを持って来たのだがこいつが結構分厚いのだ。リヒテンラーデ侯の一族、或いはそれに準ずる者、積極的に味方した者、已むを得ず味方したが力の有る者、已むを得ず味方したが無力な者……。それとは別に中立を保った者も居たらしい、それのリストも有る。それともう一つ、良く分からんリスト……。
それぞれ一覧表と明細票に分かれている。俺の執務机はこの一覧表と明細票で占領されてしまった。一覧表には官姓名、生年月日、年齢、性別が載っている。明細票には家族や血縁者、交友関係、財産状況……、何時の間に調べたんだ? 大変だっただろう。思わず溜息が出そうになって慌てて堪えた。一生懸命作ったんだろう、失礼な事はするべきじゃない。
ヴァレリーが俺とオーベルシュタインを見ている。一体何をしているのかと思っているのだろう。本当は席を外して貰おうかとも思ったが執務室で二人で何を密談しているのかと勘繰られるのも面白く無い。いずれは分かるのだ、隠す必要も無いと思い同席させている。
「如何でしょうか?」
なるほど、こいつタイミングが悪いのかな? それとも空気が読めないのか。だから周囲と上手く行かないのかもしれない。有能なだけに余計にそれが酷く感じるのだろう、端的に言えば人付き合いが下手なのだ、新たな発見だな。
「オーベルシュタイン准将、確認したい事が有ります、これは?」
俺が一つの資料を指し示した。俺が頼んだ分類とは別の物、良く分からんリストだ。しかも他は表紙に題名が付いているのにこいつには題名が付いていない。一覧に記載されている名前から見れば或る程度の想像は付くが……。
「閣下に確認して頂きたい者達です。一度閣下に御味方しようとしたようですが……」
やはりそうか、マリーンドルフ、キュンメル、ヴェストパーレ、シャフハウゼン、リストには他にも幾つか聞き覚えのない名前が有った。マリーンドルフは分かる、しかしヴェストパーレ、シャフハウゼンはどうやって調べた? 彼らはアンネローゼに粉をかけてきた程度なんだが……。それに聞き覚えのない名前も有る……。
「ヴェストパーレ、シャフハウゼン、キュンメルは問題無いと思います。しかしマリーンドルフは……」
「あそこのフロイラインが幾つかの貴族と連携を取ろうとした……」
「はい、その通りです。連携を取ろうとした貴族達もそのリストに載せています」
オーベルシュタインが答えるとヴァレリーがちょっと驚いたような表情をした。この聞き覚えのない名前は連携を取ろうとした貴族か……。
満足できなかったんだな、今の立場に……。リヒテンラーデ侯は歯牙にもかけなかったんだろうが……。
「如何しますか?」
気が重いがやらねばならん。俺が選んだ道なんだ。
「リヒテンラーデ侯の一族、或いはそれに準ずる者については二十歳以上の男子は死罪、それ以外は財産の九割を没収の上国外追放。積極的に味方した者、已むを得ず味方したが力の有る者は財産の九割を没収の上国外追放。已むを得ず味方したが無力な者については財産の半分を没収の上国外追放とします。中立を保った者は現状のままとしましょう」
財産の九割を没収しても手元には相当の財産が残るはずだ。フェザーンで交易でも始めるか、或いは質素に暮らせば十分にやっていける。甘いよな、俺も。
「このリストについてはマリーンドルフ、ヴェストパーレ、シャフハウゼン、キュンメルは現状のまま。但しマリーンドルフ伯爵父娘は此処に呼んでください、釘をさす必要が有ります。それ以外は財産の半分を没収、国外へ追放とします」
「承知しました」
これでマリーンドルフと組むという貴族は現れないだろう。オーベルシュタインが甘いと言うかなと思ったがそれだけだった。もっともヴァレリーは懸命に驚きを隠している。こっちは多分俺の事を酷い奴と思ったのだろうな。
「オーベルシュタイン准将、良くやってくれました。おかげで非常に助かりました」
「恐れ入ります」
「今回の一件で准将は少将に昇進します、次は私の艦隊で分艦隊司令官を務めてもらいたい」
あ、ちょっと目が大きくなった、吃驚しているのかな。
「小官は出来れば……」
何か言おうとしたが右手を上げて遮った。
「准将の得意とするところが軍政、組織管理、運営に有る事は分かっています。しかし軍人というのはどうしても実戦経験の有無を重視する。軍官僚だけの経歴では軽んじられてしまう。一度分艦隊を率いて武勲を上げる事です。その後で軍政に進んだ方が良いと思います」
「小官は他者の評価を気にしませんが……」
こいつらしいよな。思わず苦笑してしまった。オーベルシュタインとラインハルトは似ているのだろうな。ラインハルトは周囲を馬鹿だと思っているから周囲に配慮しない。オーベルシュタインは周囲が自分を忌諱するから自分も周囲に配慮しない。基本的に他者を必要としないわけだ、おかしなくらい似ている。
「それでは今後の仕事が遣り辛くなります、それに他者の評価を気にしないと言うのは立派ではありますが一つ間違うと独りよがりな仕事になりかねません。違いますか?」
「……」
あれ、オーベルシュタインが目をパチパチしている。困惑してるのか。
「元帥府の事務局長はそのまま務めてもらいます。しかし長期に亘ってオーディンを留守にする事が多くなりますから代理を任命しましょう。誰が適任だと思いますか?」
「……グスマン大佐では如何でしょうか」
「良いでしょう、大佐には准将から伝えてください」
「はっ」
期待している、と言うとオーベルシュタインが“はっ”と答えたんだけど顔面をちょっと紅潮させてた。もしかして感激してるのか? 俺はこいつがどういう人間か分かっているけど他の人間は分からない、気味が悪い、陰気とか思って親しく声をかける事は無かったはずだ。冷徹非情じゃなくて周囲から気味悪がられて冷徹非情に徹しようとしていたのかな。だとすると新たな発見だな。顔を紅潮させるオーベルシュタインなんて想像も出来なかった、これからは俺が可愛がってやろう。有能で可愛い感激屋のオーベルシュタインにしてやる。
オーベルシュタインを分艦隊司令官にすると副官が要るが……、キルヒアイスにするか、いや止めておこう。オーベルシュタインを親身に補佐してくれるとは思えん。誰が良いかな、物怖じしない奴で明るい奴が良いだろう、それに性格の素直そうな奴……。
うん、リュッケが居たな、あいつをオーベルシュタインの副官にしてやろう。あいつは副官向きだからな、なかなか良い組み合わせになりそうな感じがする。リュッケにとってもオーベルシュタインの政略家、戦略家としての見識には得るものが有る筈だ。
オーベルシュタインが執務室を出て行くのを見送ってからヴァレリーに席を外してくれと言った。彼女が訝しげな表情をするからアンネローゼに電話するのだと言うと益々妙な顔をした。俺だって女房に電話くらいするぞ、オーディンに戻って来たのに未だ帰ってもいないし連絡も入れていないんだ。夫婦の会話を聞くのは止めてくれ。
アンネローゼに連絡を入れると待つ事無くTV電話のスクリーンにアンネローゼが現れた。
「元気か?」
『はい、貴方は?』
「元気だ、心配はいらない」
俺が答えるとアンネローゼが頷いた。
「ヴェストパーレ男爵夫人、シャフハウゼン子爵夫人から連絡が有ったか?」
『……』
アンネローゼは困った様な表情をしている。連絡が有ったか。
「安心していい、両家には何もしない」
『有難うございます』
アンネローゼがホッとした様な表情を見せた。
「勘違いするな、お前の友人だからじゃない。処分する必要が無いからだ」
『はい』
「二人に私の所に連絡するように伝えてくれ、二人一緒にだ。二度手間は御免だからな」
『分かりました』
「それから、今日も帰れそうにない。こちらの状況はミューゼル少将に聞くと良いだろう」
『はい、そうします。貴方も御無理はなさらないでください』
「分かった、気を付ける」
アンネローゼは変わってなかったな、まあ大丈夫だろうとは思ったがホッとした。権力者の妻になったからといって変わるようなら離婚しなければならん。後はあの二人に釘を刺しておかないと……。電話が終わってヴァレリーを呼び戻すと彼女が“宜しいでしょうか”と声をかけてきた。
「処分が少し厳しいのではないでしょうか、本人だけでなく家族にまで処分が及ぶのは……」
「甘いくらいですよ。本当に厳しければ後腐れなく全部処断しています」
「……」
納得していないな。俺だって好きでやっているんじゃないんだが……。そうか、俺が恨みで処分を厳しくしているのではないか、そう思っているのか……。
「貴族という特権階級を無力化しなければならないんです。酷いと言われてもやらざるを得ません。あの馬鹿げた連中の復活を許してはならない、大佐だってあの連中の酷さは分かっているでしょう」
「それは……」
渋々といった感じで頷いた。
「酷い目にあったからといって恨みでやっているわけじゃありません。自由惑星同盟に生まれた大佐には少し受け入れ辛いかもしれない。しかし同盟には身分制度が無く特権階級が無かった、その弊害も。だから今一つ理解できないのだと思います。これに関しては口出しは無用です。大佐も口外しない方が良いでしょう」
「それはどういう意味でしょうか」
訝しげな表情だ、やっぱり分かっていないんだな。
「多くの平民達は貴族達に泣かされてきたんです。その期間は五百年ですよ、五百年。平民達は連中の没落をいい気味だと思っています。それを弁護するような事を口にするのは大佐のためにならない、そう言っているのです」
俺の言葉にヴァレリーは少し表情を強張らせて“分かりました、以後は気を付けます”と言った。
やれやれだな、そう思っているとTV電話から受信音が流れてきた。番号は二つ、どうやら連中か。受信するとヴェストパーレ男爵夫人、シャフハウゼン子爵夫人がスクリーンに映った。二人が口々に俺に礼を言う、どうやらアンネローゼから処分は無いと聞き出したのだろう。
「貴女方に処分が無いのはアンネローゼとは無関係です。私は私情で処分を下す様な事はしない。私は貴女方のアンネローゼへの友誼が偽りの友誼だとは思いたくない。だから貴女方にお願いしたい、アンネローゼを政治的に利用する事はしないで欲しい。そしてこれからもアンネローゼの良き友人でいて欲しい」
俺の言葉に二人は必ずそうすると答えた、決して彼女を利用する事はしないと……。
通信が切れると思わず溜息が出た。ヴァレリーが俺を変な目で見ている。
「何です、大佐」
「いえ、権力者になるのも大変だと思ったのです」
本当は冷やかしたいんだろう、俺がアンネローゼを心配していると。拝領妻だけど仲がいいじゃないかと。
「決して楽では無いし楽しくも無い。それを理解できない人間は権力など求めるべきではないと思いますね」
女房の交友関係にまで気を配らないといけないなんて馬鹿げているだろう。でもその馬鹿げた事が権力者には必要なんだ。権力者が公平である事、私情で動く事は無いと知らしめる事が。特に女性関係は気を付けなければならない、男にとって一番弱いところだからな。
俺はアンネローゼに極めて満足している。浪費家じゃないし権力欲も無い。料理もそこそこ上手だし美人で素直だ。年上なのも悪くない。唯一の欠点は小舅が居る事だな。しかも強力で二人もいる。小姑一人は鬼千匹にむかうと言うがアンネローゼの場合は鬼二千匹、三千匹だな。あとで鬼退治をしないといかん。
皇帝になっても寵姫なんて持つ気にはなれん、アンネローゼ一人でも苦労しているんだ、好んでトラブルを背負う必要は無いさ。男が浮気をするかどうかは女を面倒だと思うかどうかによる。俺は良心的で模範的な夫だと言われなければならん、面倒臭がり屋だったと非難される事が無いようにしないと、小舅が煩いからな……。
帝国暦 488年 9月 15日 オーディン アンネローゼ・ヴァレンシュタイン
「帝国軍最高司令官?」
「ええ、帝国軍三長官の上位者になります。メックリンガー総参謀長が統帥本部総長を兼任し、メルカッツ提督が軍務尚書に就任しました。宇宙艦隊司令長官はそのまま自分が務める様です」
「……」
「それと司令長官、いえ最高司令官は政治改革を行うようです」
「政治改革?」
「ええ、改革派、開明派と呼ばれる人間達を呼び協力を求めました。自らは帝国宰相に就任し彼ら開明派を閣僚に任命して実行する様です」
「そう……」
最高司令官と宰相を兼任、夫が帝国の第一人者になった。皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世が幼少であるからには夫の持つ権力は皇帝に等しいと言って良いのかもしれない……。
「ずっと以前から考えていたようですね、昨日今日考えた事じゃないようです」
「……」
ラインハルトは面白くなさそうな表情をしている、ジークも同様だ。この二人は夫のやる事に反対なのだろうか……。
「貴方達は反対なの?」
「……そうじゃありませんが、……姉上は最高司令官からそういう事を聞いた事がおありですか?」
「いいえ、あの人は家では仕事の話はしないから……」
「そうですか……」
夫は家では仕事の話をしなかった。政治に関しても関心の有るそぶりを見せた事は無い。権力に関しても無関心だった。私に見せていたのは純粋なまでに軍人としての姿だけだ。多分、政治に関心を示す事は危険だと思ったのだろう。少しでも話せばそれが漏れる、そうなれば命が危ういと怖れていた……。リヒテンラーデ侯は夫を殺そうとしたのだ、杞憂とは言えない。
その一方で夫は自分が帝国の第一人者になった時の事を考えていた。いずれは自分がリヒテンラーデ侯を排除して政権を取る、そう思っていたのだろう。リヒテンラーデ侯達に従順に振る舞う姿は擬態だった。油断させ一撃で打ち倒す機会を得るための擬態……。
夫はヴェストパーレ男爵家、シャフハウゼン子爵家に対して処分をしなかった。その事で礼を言っても“お前には関係ない”と言った。あれは私が頼んでも処罰する時は処罰する、情を絡めることは無い、口出しは無意味だという事なのだと思う。夫は私に政治に関わるなと言っている。冷徹で非情、そして用心深い、それが夫の本当の姿なのだ。
ラインハルトは夫が貴族達に良い様に使われている、阿っていると言った、そして歯痒いと。夫がそれを知ったらどう思ったか……。叱責しただろうか? 私は何らかの処罰をしたのではないかと思う。そして心の中で、思慮分別の無い愚か者、そう思ったのではないだろうか。
ラインハルトに視線を向けた。面白くなさそうな表情は変わらない。もしかするとラインハルトは自らが帝国の第一人者になって改革を行いたかったのかもしれない。ラインハルトには夫が競争相手に映っているのだろうか……。考え込んでいるとラインハルトが“姉上”と声をかけてきた。
「どうしたの?」
「今度の論功行賞で自分は昇進出来ないそうです」
口惜しそうな表情をしている。
「どういう事? 勝ったのに昇進できないって」
「……」
問い掛けても無言のまま唇を噛み締めている。ジークに視線を向けても目を伏せて私を見ようとしない。
「それとキルヒアイスと離れる事になりました」
「ジークと?」
「ええ、キルヒアイスは中佐に昇進して巡察部隊の司令になる事が内定しています」
「……一体何が有ったの?」
二人の事を決めたのは夫だろう、一体何が有ったのか……。二人は何も答えない。多分、この二人は夫を怒らせた、失望させたのは間違いない。一体何が有ったのか……。
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