銀河英雄伝説~悪夢編
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第二十二話 俺にも矜持という物が有る
帝国暦 487年 7月 4日 オーディン 新無憂宮 エーレンベルク軍務尚書
「ではもう鎮圧したと?」
「はい」
「信じられぬ」
国務尚書リヒテンラーデ侯が首を振って呻くように呟いた。気持は分かる、報告している私自身信じられぬ思いが有る。同席しているシュタインホフ元帥も同様だろう。
「オーディンを発ったのは今月の一日だったはず。僅か四日ではないか、四日でアルテミスの首飾り(あれ)を攻略したと言うのか」
「いえ、攻略それ自体は半日もかかっていないようです。残りは移動時間ですな」
「……」
シュタインホフ元帥の答えに国務尚書が沈黙した。国務尚書リヒテンラーデ侯の執務室に重苦しい沈黙が落ちた。
「マクシミリアン・フォン・カストロプは領民達に殺されたそうです。余程に恨みを買っていたと見えます。父親が父親なら息子も息子ですな……」
私の言葉に国務尚書が面白くなさそうな表情をした。
「領民達が領主を殺したと言うのか……、自業自得とはいえ面白くないの、喜べることではない」
まあ確かにそうだ。貴族にとっては面白い話では無い。だがもっと面白くない話をしなくてはならない。
「討伐軍が戻ってくるのは大体十日頃になるでしょう、如何します?」
「どういう意味かな、軍務尚書」
「彼らの昇進は当然ですが作戦案を考えたのはヴァレンシュタインです。どう酬いるかとお尋ねしています」
私の言葉にリヒテンラーデ侯が顔を顰めた。
「損害はどの程度なのかな? それ次第だが……」
「損害は有りません」
「有りません? 無いのか! 統帥本部総長」
「はい」
「あれは反乱軍が難攻不落と称しているのだぞ、それを無傷で……」
国務尚書が目を見開いて絶句した。それを見てシュタインホフ元帥が溜息を吐いた。
「信じられぬ事ですが事実です。統帥本部では当代無双の名将と言う声が上がっております」
「軍務省も同様だ」
「おそらくは宮中でも同じような声が上がるであろうな」
皆が顔を見合わせた。いささか厄介な状況になりつつある。その事が反乱鎮圧を素直に喜べなくしている。イゼルローン要塞が陥落した以上国内の騒乱の鎮圧は何よりも喜ばしい事の筈だが……。
「本来なら昇進ですがそうなれば初の平民からの元帥という事になりますな」
私の言葉にリヒテンラーデ侯が顔を顰めた。
「それは認められぬ。それを認めればブラウンシュバイク公をはじめとする貴族達の反発が酷かろう。混乱が激化しかねん」
「では勲章ですかな、或いは思い切って貴族にするか……」
「勲章だ、貴族にするのも反発が有る」
「帝国騎士でも反発が生じますか」
「あの馬鹿共と同じになるのだぞ、軍務尚書。反発が無い筈が無かろう!」
眉を顰め吐き捨てる様な口調だった。なるほど帝国騎士ではフレーゲル、シャイドと同列になるか……、騒ぎ立てるのは必定だな。
「それより宇宙艦隊は大丈夫なのか? イゼルローン要塞が無くなった今、帝国領内での戦いは必至じゃが艦隊の半分以上は司令官が決まっていないと聞いているが」
国務尚書が心配そうな表情で私達を交互に見た。シュタインホフ元帥と顔を見合わせた。彼が頷くと国務尚書に視線を戻し問いに答えた。
「まあ今回の昇進で最低でも二人は艦隊司令官にするでしょう。そうなれば九個艦隊は動員可能です」
「ふむ、九個艦隊か……、大丈夫か、平民と下級貴族ばかりだが……」
「実力本位で選んだと言っておりますな」
シュタインホフ元帥の答えに国務尚書がまた顔を顰めた。
「貴族には使える者はおらんのか」
「まあ、そう判断されても仕方のない所は有ります」
“役に立たぬの”と国務尚書が吐き捨てた。実際、役に立たぬのが多い。筆頭はグリンメルスハウゼンだ。
「あの若者、妙な事は考えておるまいな?」
「と言いますと?」
「軍の力を使って帝国の実権を握ろうとか……」
またシュタインホフ元帥と顔を見合わせた。今度は私が頷く。
「大丈夫だと思います。確かに貴族嫌いではありますがあれはどちらかと言えば生真面目な男でしょう、政治的な事には関わろうとしません。と言うより政治や貴族が軍に介入する事を酷く嫌っております。グリンメルスハウゼンの件では随分と苦労しておりますからな。その所為で少々危険視されるのでしょう」
「なら良いが……」
「反乱軍はいずれ攻め寄せて来る事は間違いありません。これからは帝国領内での戦いになるのです、負ける事は許されません」
「軍務尚書の言う通りです、その時にはヴァレンシュタインの力がどうしても必要です」
「分かっている、あれが勝てる男だということはな」
国務尚書が溜息を吐いた。少し話を変えるか。
「最近は如何ですかな、宮中の様子は」
私が問い掛けるとリヒテンラーデ侯が面白くなさそうにジロリとこちらを見た。
「グリューネワルト伯爵夫人を責める声が大きいわ」
意味深な言葉だ、シュタインホフ元帥に視線を向けた。彼は眉を寄せている。
「伯爵夫人に罪は無い、しかしベーネミュンデ侯爵夫人は死んでいるからの、これ以上は責めようがない。となれば必然的に非難は彼女に向かおう」
「……」
あの馬鹿げた騒動の所為で軍の重鎮が負傷しイゼルローン要塞が陥落した。本来なら侯爵夫人を何時までも放置した皇帝こそが責められるべきだろう。だがそれを言う事は出来ない、国務尚書の言う通り必然的に非難は伯爵夫人に向かう。強力な後ろ盾を持たぬ以上、非難を受けやすいという事も有る。
「宮中にも居辛かろう」
「では?」
「そうじゃの、陛下にも多少は責めを負うて貰わなければ……、これだけの大事になったのだからな。……ふむ、それも有るか」
そう言うと国務尚書は何かを考え始めた。
帝国暦 487年 7月 12日 オーディン 新無憂宮 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
久しぶりに元帥府に出仕した。医者の話ではもう少しリハビリを続けなければならないらしい。リハビリのために週に二回、軍中央病院に来るようにと言われた。だが残りの五日は仕事に出るか休息を取るかは自分で決めて良いそうだ。疲れが出ない程度に仕事をしろと言われた。有難い話だ、リハビリはもう沢山だよ、あれをやると疲れて他の事は何もしたく無くなる。
俺が出仕するとグリンメルスハウゼンは大喜びだった。まあそうしていると憎めない爺さんなんだが……、それ以外は何の役にも立たん。頼むから退役して欲しいよ。何と言っても事務処理は全く出来ないんだ、おかげで決裁文書が病院まで押し掛けてきた。俺は右手を骨折してるんだぞ! 少しは労わってくれ。
今日はこれから新無憂宮で国務尚書に会うことになっている。理由はよく分からないんだが国務尚書の執務室に来てくれと言われた。あんまり嬉しくないんだよな、新無憂宮ってやたらと広いんだ。怪我をしている俺にはちょっときつい。義足にはようやく慣れた、最初は違和感が有ったが慣れればそれほどでもない。問題は折れた部分だ。杖を使っているがそれでも長時間歩く事が出来ない、痛みで動けなくなってしまうんだ。
元帥府から新無憂宮に行くまで、護衛の地上車が前後に十台以上並んで俺の乗る地上車を警備した。なんか大袈裟なような気がするんだけどな、実際に一度襲われているから文句は言えん。まあ俺が嫌がっても周囲がそれを許さない。クレメンツが怖い顔で睨むからな。
表には出さないが随分とクレメンツは参っているみたいだ。彼がリューネブルクに護衛を頼んだ、それがリューネブルクの死に繋がったと考えている。確かにそうだ、だがリューネブルクの死はクレメンツ一人が背負う物じゃない。誰よりも俺が背負うべきものだ。一人で背負うな、そう言ったんだけどな……。
多分俺とクレメンツはずっとリューネブルクの死を背負って行く事になるんだろう……。馬鹿げているよな、戦場ではもっと多くの将兵を死なせている。それなのにたった一人の死に拘るなんて……。でもこればかりはどうにもならない、どうにもならないんだ……。
新無憂宮に着いた。杖を突きながらゆっくりと歩く。何の用件かな、反乱鎮圧の恩賞の件かもしれない。勲章を授与すると言うから要らないと断ったんだが……。怪我してるから授与式なんて迷惑なんだ。ケスラー達を昇進させてくれれば十分だ。
ケスラーとケンプを正規艦隊司令官にした。艦隊の編成が終了次第辺境星域へ訓練に行くことになっている。ケスラー艦隊にはグローテヴォール少将を副司令官、グリューネマン少将、シュラー准将、ディッタースドルフ准将を分艦隊司令官として配属させた。
ケンプ艦隊にはアルトリンゲン少将を副司令官、ヴァーゲンザイル少将、マイフォーハー准将、ゾンネンフェルス准将が分艦隊司令官だ。そしてケスラー、ケンプを引き抜いたレンネンカンプ、ミッターマイヤー艦隊にはカルナップ准将、ザウケン准将、バイエルライン准将、ドロイゼン准将を補充した。まあまあだろう。
視線が鬱陶しいな。新無憂宮の廊下を歩く俺を皆が見ている。こうもじろじろ見られると休息を取り辛い。うんざりしていると正面から大柄な男が近づいてきた。背後には何人かの御供をつれている。
「おお、ヴァレンシュタイン上級大将。久しぶりだな、もう体の具合は良いのかな」
「見ての通り、杖を突きながらであれば歩く事が出来るようになりました。もっとも長い距離を歩くのは少々堪えます。ここへの呼び出しは出来れば遠慮したいものです」
俺の答えに大柄な男、ブラウンシュバイク公は痛ましそうな表情を見せた。周囲の視線が益々強まったな。皆興味津々か、好い気なもんだ。
「それにしてもカストロプの反乱の鎮圧は見事なものだ。まさに当代無双の名将だな、頼もしい事だ」
「有難うございます」
「卿なら反乱軍に奪われたイゼルローン要塞の奪回も容易いのではないかな」
「……」
唆す様な口調だ、思わず苦笑が漏れた。
「何が可笑しいのかな、ヴァレンシュタイン総参謀長」
「いえ、貴族の方々は人を唆す、失礼、人をその気にさせるのが上手だと思ったのです。これまで何人がその気にさせられたか……、そして失敗したか……」
「……」
ブラウンシュバイク公の表情が強張った。後ろの御供達もだ。思い当たるフシは幾らでもあるだろう。
「国務尚書閣下を待たせておりますのでこれにて失礼いたします」
「おお、そうか。気を付けて行くがよい」
「お気遣い有難うございます、公爵閣下」
「うむ」
ブラウンシュバイク公を置いて先を急いだ。背中に視線を感じる、何時かまとめて皆片付けてやるさ。何時かな……。
国務尚書の執務室に行くとリヒテンラーデ侯の他にも人がいた。ノイケルン宮内尚書だ、俺が執務室に入っても迷惑がるそぶりも帰る様子も無い。先客というわけではないらしい、俺を待っていたようだが一体何だ?
「済まぬの、ヴァレンシュタイン総参謀長。どうしても卿に来てもらわなければならぬ事が有った」
「……」
俺が無言で一礼すると国務尚書がノイケルン宮内尚書に視線を向けた。
「ヴァレンシュタイン総参謀長、今回の反乱鎮圧、まことに見事ですな、陛下も御喜びであられます」
「恐れ入ります」
ニコニコしながら言われても全然嬉しくない。こいつらの笑顔くらい信用できないものは無いのだ。
「近年、総参謀長の御働きにより帝国は内に外にその武威を輝かせております」
何の冗談だ、外はともかく内に武威を輝かす? 内乱鎮圧で忙しいなんて国家としては末期だろう。もう少し考えて喋れよ。リヒテンラーデ侯も顔を顰めているぞ。
「そこで陛下は総参謀長の御働きを嘉み、グリューネワルト伯爵夫人を総参謀長に遣わすと仰せられました」
「……遣わすとは一体……」
良く意味が分からん。不自由してるだろうから看護させるとでも言うのか? 問い掛けると宮内尚書はちょっともったいぶるそぶりを見せた。
「総参謀長に伯爵夫人を御下賜されるとの事です」
「……陛下の御寵愛の方を拝領する等怖れ多い事です、御辞退申し上げます」
何考えてるんだ、この馬鹿! ラインハルトと義理の兄弟になれってか? 元帥に出来ないからってそんなわけの分からん物を押付けるな!
「そう申されますな、お二人に御子が出来ればその子はグリューネワルト伯爵、貴族になるのです、喜ばしい事ではありませぬかな。それに伯爵夫人は豊かな所領をお持ちです」
ノイケルンが卑しい笑みを浮かべた。反吐が出そうな笑みだ。
「誤解なさらないで頂きたい、小官は平民に生まれた事を愧じてもいなければ悲しんでもいません。貴族に生まれたいと望んだことも無い。伯爵夫人がどれほど豊かな所領をお持ちなのかは知りませんが何の興味も有りません。御辞退申し上げると陛下にお伝えください」
言い終わってすっきりした。ノイケルンと国務尚書が鼻白んでいる、ざまあみろ。このクズ共が!
国務尚書がきまり悪そうに咳払いした。
「誤解してもらっては困る。宮内尚書は卿の出自を卑しんだわけではない。そうであろう?」
「も、もちろんです。そのようなつもりは有りません」
その割には品の無い笑顔だったがな。
「伯爵夫人を卿に下賜するというのは夫人を卿に託したいという陛下の願いなのだ。伯爵夫人本人も了承している」
なんだ、また妙な事を言いだしたな。
「例の一件で卿は重傷を負いイゼルローン要塞が奪われた。あの一件さえ無ければイゼルローン要塞の陥落は防げた事だ、違うかな?」
「否定はしません、その可能性は有ったと思います」
俺が肯定すると国務尚書が頷いた。
「あの一件、グリューネワルト伯爵夫人に罪はない、責められるべきはベーネミュンデ侯爵夫人であろう」
「……」
俺にはあの馬鹿女を放置した皇帝と刺激したあんたも責められるべきだと思えるけどね。
「しかしベーネミュンデ侯爵夫人が死んだ今、責められるべき者はおらん。だがイゼルローン要塞が失われた事で皆が不安を募らせている。誰かを悪者にして責めたい、その事で不安を紛らわせようとしているのだ」
「なるほど、生贄を欲しているという事ですか?」
「うむ」
沈痛な表情をしている、まあ真実かもしれんがその表情は芝居だろうな。
「本人が望んだわけではないがグリューネワルト伯爵夫人があの一件で利益を得た事は間違いない、あの小煩いベーネミュンデ侯爵夫人を自らの手を汚す事無く始末出来たのだからの。だがそれだけに周囲からは非難を一身に受ける事になった。悪い事に伯爵夫人には後ろ盾が無い、その事も非難に拍車をかけた……」
ノイケルンも頷いている。嘘では無いようだ、実際責め易い立場ではある。それにしても小煩いか……、本音が出たな、御老人。
国務尚書が口を噤むとノイケルンが後を続けた。
「このままいけばいずれは宮中において伯爵夫人を追放しろという声が上がるでしょうな。そうなっては陛下も夫人を庇いきれませぬ。言い辛い事ではありますが元はと言えば陛下の寵を争っての事、それを突かれれば陛下と言えども口を噤まざるを得ないのです。おそらく伯爵夫人は流罪に近い様な扱いを受ける事になりましょう。そのような事になれば陛下は面目を失する事になります」
元々面目なんて有るのかね、あの老人に。
「それ故陛下は卿に伯爵夫人を託すというのじゃ」
「……」
「卿はあの事件の被害者、皆は陛下からの卿に対する贖罪とみるであろう。そして卿は軍の実力者でもある、いずれ反乱軍が攻め寄せた時には卿がそれを打ち払う、そうなれば誰も伯爵夫人を責める事は出来ぬ筈じゃ」
なるほどな、このままではフリードリヒ四世にまで非難が及ぶ。国務尚書はアンネローゼが邪魔になったか。フリードリヒ四世が俺に託したと言うのは嘘だな、真実は国務尚書が皇帝を説得した、皇帝はそれを拒否できなかった、そんなところだろう。だとするとこの話を拒否するのは無理だろうな、だいたい皇帝から寵姫の下賜というのは名誉なのだ。ここまで言われては拒否は出来ない……。だがな、俺にも矜持という物が有るのだよ、平民の矜持がな。お前達がそれを踏み躙る事は許さない。
「分かりました、有難くお受けいたします」
「おお、そうか」
「ですが、条件が有ります」
「……」
喜んだのも束の間、国務尚書の顔が疑い深い表情になった。
「グリューネワルト伯爵夫人が爵位、所領など陛下から頂いたものを全て返上する事、その上でならお受けいたします」
「……」
「夫人への周囲の非難も止みましょうし、何より夫よりも妻の方が財力が有るなど御免です。不和の原因以外の何物でも無い。そうでは有りませんか?」
俺の言葉に国務尚書とノイケルン宮内尚書が顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
「なるほどの、確かにその通りじゃ。宮内尚書、伯爵夫人を説得してくれんか」
「私がですか? これはまた厄介な……」
ノイケルン宮内尚書が顔を顰めた。
「幸い伯爵夫人は物欲は強くない、何とかなるであろう。何よりこのままでは惨めな未来が待つだけじゃ、その事は夫人も分かっておるはず」
「まあ、それはそうですが……」
「ではヴァレンシュタイン総参謀長、陛下には卿がお受けしたと御伝えするが良いかな」
「はっ、先程の条件が守られるのであれば」
「うむ」
やれやれだな、これでラインハルトと兄弟か……。それにしてもアンネローゼは俺の事を如何思っているのか……。心の内ではキルヒアイスの事を想っているのだろうしな。仮面の夫婦になりそうな予感がする。よくもまあ厄介事ばかり俺の所に集まるものだ、美しい妻を貰ったというのに少しも喜べない……。
後書き
主人公に癒しをと思って凄い美人と結婚させました。
ページ上へ戻る