銀河英雄伝説~悪夢編
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第二十一話 さっさと片付けてこい!
帝国暦 487年 5月 28日 オーディン ゼーアドラー(海鷲) オスカー・フォン・ロイエンタール
「順調に回復しているそうだ」
「そうでなければ困る。これで閣下に何か有ったら宇宙艦隊はぼろぼろだ」
「全くだ。それにしてもキナ臭くなってきたな」
「そうだな」
俺とミッターマイヤーは互いに顔を見合わせて頷いた。
ゼーアドラー(海鷲)には大勢の客が居た。だが賑わっているという雰囲気ではない。皆が周囲を憚るようにしている。顔を寄せ合い小声で話し合う姿が目立つのだ。そうなったのは総参謀長が負傷してからだ。既に二週間が経ったが周囲を憚るような雰囲気は日に日に強くなっている。
「あの噂は本当かな? 如何思う、ロイエンタール」
「さあ、何とも言えん。有り得ない話ではないと思うが……」
「このまま有耶無耶という事かな」
「有耶無耶じゃないさ、一応侯爵夫人の暴走という事で片付いている」
「まあ、そうだが」
ミッターマイヤーが不満そうな表情で一口グラスを呷った。
総参謀長襲撃事件はベーネミュンデ侯爵夫人の暴走という事で決着が着いた。侯爵夫人は自殺、襲撃犯はその殆どが警察に捕まり犯行を自供している。それによれば彼らは金で雇われたらしい。彼らには協力者が居た事も分かっている。それらの人間は捕まっていない……。
襲撃のターゲットは当初はグリューネワルト伯爵夫人だった。だが急遽、総参謀長に切り替えられたという。その命令は協力者から侯爵夫人の命令だと伝えられたらしい。襲撃の手順はその協力者の手で整えられた。実行者達はその手順通りに行ったと供述しているようだ。
侯爵夫人は自分を排斥しようとしているのがグリューネワルト伯爵夫人だと思い殺そうとした。しかし警備の厳しい伯爵夫人を殺すのは容易ではないと思い急遽彼女の協力者である総参謀長に標的を変えた、そう警察は考えているようだがオーディンでは侯爵夫人は利用されたのではないか、そういう疑惑が流れている。
グリューネワルト伯爵夫人と総参謀長が協力関係にあるなどと荒唐無稽としか言いようがない(この点については警察も侯爵夫人の思い込みだろうと判断している)し、標的が急遽変わったと言うのもいかにも怪しい。寵姫同士の争いを何者かが利用したのではないか、そういう噂が流れているのだ。
フレーゲル、シャイド達爵位を失った貴族達、或いはそれにブラウンシュバイク公も関与したのではないか? 或いは他に総参謀長を邪魔だと思う貴族が居たのか? 平民である総参謀長が軍の実力者になっていくのを面白く無いと感じている人間は貴族だけではない、軍内部にも真犯人が居る可能性は有る。そして侯爵夫人を自殺に見せかけて殺す事で罪を擦り付けた……。
「イゼルローン要塞が落ちた。本来なら帝国軍三長官が辞任してもおかしくは無かった。まして総参謀長があんな目に合わなければ要塞は落ちなかった可能性が有る。軍上層部の失態は明らかだろう。だが辞任したのはミュッケンベルガー元帥だけだ。あれで責任を取ったと言えるのか?」
「そうだな」
ミッターマイヤーの言う通りだ。ミュッケンベルガー元帥が責任を取って辞任したとはいえ内実は心臓に疾患が見つかったため辞任した事が分かっている。本来なら貴族達が他の二人の辞任を求めて騒いでもおかしくはない。だがそれが無い、或いは政府上層部、貴族達の間で密かな取引が有ったのではないか、そう思わせる曖昧さが有る。
「皆、不満を持っている。平民だけが何故酷い目に合うのかと。実際にこの国を守っているのは俺達の筈だと」
「下級貴族も変わらんさ。お偉いさんからはまるで相手にされていない」
「卿が言うと実感がこもっているな」
「からかうな、ミッターマイヤー」
一口ワインを飲んだ。どうにも苦みを感じる。心の底から美味いと感じられない。
「いずれ反乱軍が攻め寄せてくるぞ、それなのにこの状態で戦えるのか?」
「全くだ、宇宙艦隊もまだ編成途上だ。今のままでは到底戦えん」
「総参謀長閣下はどう考えているのかな?」
「さて、俺にも分からんな」
分かっている事は貴族達が宇宙艦隊の司令官職に自分達の息のかかった人物を就けようとしたこと、そしてそれを総参謀長が防いだことだ。グリンメルスハウゼン老人なら容易く操れると思ったらしい、姑息な事を。そしてもう一つはメルカッツ大将がグリンメルスハウゼン元帥府に加わる事になった事だ。ミュッケンベルガー元帥が退役した事で遠慮がいらなくなったという事だろう。
だが現時点では宇宙艦隊は六個艦隊しか編成されていない、グリンメルスハウゼン元帥の直率艦隊を入れても七個艦隊だ。ミッターマイヤーの言う通り不安は有る。果たして総参謀長は如何するつもりなのか……
「良いニュースと言えばカストロプ公が死んだことくらいだな。あの男が死んで少しは政治も良くなるだろう」
「そうだな」
汚職政治家の宇宙船での事故死か……。さて本当に事故なのか、疑えばきりがないが怪しくは有るな……。
帝国暦 487年 5月 30日 オーディン 帝国軍中央病院 ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ
「それでカストロプ公爵家はどうなりました」
「マクシミリアンのカストロプ公爵家相続が延期になったそうです。帝国政府は財務省の調査が終了した時点で先代カストロプ公が不当に取得した分を除いて相続を認めるとか」
ベッドに横になっているヴァレンシュタイン総参謀長がクレメンツ提督の言葉に頷いた。
財務尚書オイゲン・フォン・カストロプ公爵が宇宙船の事故で死んだ。十五年近く財務尚書を務めたらしいけど酷い汚職政治家らしい。他の同僚からも嫌われていたらしいから相当なものよ。不当に蓄財した分を返して貰おうという事らしいけどそんな上手く行くのかしら。
「平民達の間で不満が高まっています。国務尚書もその不満を解消しようと大変のようです。事故死というのも怪しいものですな」
クレメンツ提督が冷たく笑った。ちょっと怖い。
「資産調査など貴族にとっては屈辱でしかありません。マクシミリアンが素直に従うかどうか、見物ですね。もっとも従わなければ反逆という事になるでしょうが」
拙い、こっちのが怖かった。そんなしらっとした表情で怖いこと言わないでください。
「国務尚書はそのあたりも考慮済みでしょう。評判の悪いカストロプ公爵家が潰れれば平民達の不満もかなり解消される、そう考えているのかもしれませんな」
「財政的にも大きいでしょう、大分貯め込んでいますからね。接収できればちょっとした臨時収入です。多少の減税が出来るかもしれない。平民達は喜ぶでしょう」
あらあら、この人、軍事だけじゃないの? そっちも分かるわけ? とんでもないわね、溜息が出そうよ。
「なるほど、となると国務尚書の狙いは資産の返還よりもカストロプ公爵家の取り潰し、閣下はそうお考えですか」
総参謀長が頷いた。という事は事故死と言うのは……、怖い話だわ、私は帝国の暗黒部を見ている……。
「その方が他の貴族に対する見せしめにもなります。カストロプ公爵家を存続させるメリットなど何処にも有りません」
平静な表情と口調だ。冷徹、若いけどこの人には冷徹と言う言葉が似合うと思う。でも非情ではない、そう思いたい……。
「では反乱が起きますな」
「これを機に二個艦隊程新たに編成します。そうなれば取りあえず九個艦隊が動員可能になる。反乱軍が攻め寄せて来ても対処できるでしょう」
クレメンツ提督が頷いた。
「動員計画は私とフィッツシモンズ中佐で作ります。クレメンツ提督はカストロプの軍事力について調べて下さい」
「分かりました」
二人の話はそれで終わり元帥府に戻るクレメンツ提督を病院の出口まで見送る事にした。
「どうかな、閣下の様子は。大分良さそうに見えたが」
「表面上は良さそうに見えます。リハビリも熱心にしていますし……」
「……気になる事でも?」
「時々じっと何かを考えています。そして笑みを浮かべるのですが……、怖いと思います」
「そうか……」
クレメンツ提督が溜息を吐いた。
「帝国は今、内憂と外患に揺れている。どちらも軍の動きが大きな意味を持つだろう。司令長官がグリンメルスハウゼン元帥である以上、総参謀長である閣下が何を考えるかが重要になって来るはずだ。周囲がそれをどう思うか……」
「不安に思うと?」
私が問い掛けるとクレメンツ提督が頷いた。
「宮中はもちろんだが政府も軍も上層部は貴族だ。平民出身の閣下を快くは思っていない。これまではミュッケンベルガー元帥が居たから閣下の事をそれほど恐れなかった。だが今は違う、宇宙艦隊は閣下の掌握下にある。本来なら総参謀長職から解任したいだろうが……」
「出来ないのですね」
クレメンツ提督が“そうだ”と言ってまた溜息を吐いた。
「イゼルローン要塞が陥落した。閣下がその危険性を指摘したにもかかわらず宮中の混乱により対応が遅れた所為だ。この状態で閣下を解任するなど到底できない。一つ間違えば軍に暴動が起きるだろう」
「……」
「それだけに閣下の動向は皆が注目している。自重して頂きたいのだが……」
今度は私が溜息を吐いた、到底可能だとは思えない。あの日、閣下が目覚めた日の夜、閣下は静かに泣いていた。ほんの微かだけど嗚咽が聞こえた。そして“あのクズ共を絶対許さない”そう呟く声が聞こえたのだから……。
帝国暦 487年 6月 28日 オーディン グリンメルスハウゼン元帥府 アルベルト・クレメンツ
元帥府の会議室に何人かの男達が集まった。メルカッツ大将、レンネンカンプ中将、ミッターマイヤー中将、ケンプ少将、ケスラー少将、そして俺。命令伝達者はメルカッツ提督と俺、命令受領者がレンネンカンプ、ミッターマイヤー、ケンプ、ケスラーになる。
「既に知っていると思うがカストロプの反乱を鎮圧せよとグリンメルスハウゼン元帥府に勅令が下った」
メルカッツ大将の言葉に命令受領者四人が頷いた。
「この勅令にヴァレンシュタイン総参謀長閣下はケスラー少将を司令官、ケンプ少将を副司令官とする討伐軍を編成すると決定した」
四人が驚いたように顔を見合わせた。ややあってレンネンカンプ中将が口を開いた。
「宜しいでしょうか?」
「何かな?」
「マクシミリアン・フォン・カストロプは難攻不落と言われるアルテミスの首飾りをもって自領を固めています。二人の能力を危ぶむわけではありませんが混成軍では危険ではありますまいか。正規艦隊をもって討伐に当たらせるべきかと愚考します。再度の御検討を総参謀長閣下にお願いするべきかと」
レンネンカンプ中将の言葉に他の三人が頷いている。それを見てメルカッツ大将が手に持っていた書類をレンネンカンプ中将に差し出した。
「作戦計画書だ、見たまえ」
一瞬戸惑ったが“失礼します”と言って中将は作戦計画書を受け取った。
作戦計画書をめくるにつれレンネンカンプ中将の顔に驚愕が浮かんだ。そして読み終わると大きく息を吐いた。中将の顔には畏怖の色が有る。訝しげにしているミッターマイヤー中将に気付くと無言で計画書を差し出した。受け取ったミッターマイヤー中将は読み始めると“これは!”と驚きを声に出した。そして私達を、次にレンネンカンプ中将を見ると何も言わずにケスラー少将に作戦計画書を渡した。
ケスラー少将、ケンプ少将も似た様な反応を示した。無理もない、俺もメルカッツ大将も同じような反応をした……。
「質問は有るかね」
メルカッツ大将の問い掛けに皆無言だった。
「ではケスラー少将、ケンプ少将、準備にかかってくれ。卿らが武勲を上げる事を祈っている」
「はっ」
「待て」
敬礼して出て行こうとする四人を呼び止めた。
「ケスラー少将、ケンプ少将、十日で片付けろとのことだ」
「……」
誰がとは言わなかった。言わなくても分かる事だ。
「手間取ることは許されない。反乱鎮圧後、卿らは正規艦隊司令官になる。イゼルローン要塞が陥落した以上、反乱軍が帝国領に攻め入るのは時間の問題だ。我々は早急に宇宙艦隊を整備する必要が有る、分かるな?」
四人が頷いた。
「卿らが正規艦隊司令官になれば宇宙艦隊は九個艦隊の動員が可能だ。本来の半数だが反乱軍の撃退は十分可能だろう。卿らの凱旋を待っている」
「はっ」
改めて敬礼すると会議室を出て行った。
「驚いていたな」
「まあそうでしょう、私達も驚きました」
「そうだな、……それにしてもあの時のヴァレンシュタイン少佐が宇宙艦隊総参謀長か……。あっという間だな、クレメンツ提督」
「まことに」
メルカッツ大将が感慨深げな表情をしている。確かにそうだ、アルレスハイムから僅か三年半しか経っていない。
「いささか心配だな」
「メルカッツ提督もそう思われますか」
「うむ、実力が有るのは良い。だが有り過ぎる平民など帝国では疎まれるだけだ。それにあの作戦案、皆が不安に思うだろうな」
メルカッツ大将が厳しい表情をしている。
「イゼルローン要塞が奪われ反乱軍が何時押し寄せるか分からない状況です。カストロプはオーディンに近い、早期鎮圧が必要な以上あの作戦は已むを得ません。それに帝国は総参謀長を必要としていると思いますが」
「そうだな、それが救いだ。皮肉だが反乱軍の存在が総参謀長の安全を保障していると言えるだろう」
その通りだ、皮肉だが反乱軍の存在が彼の安全を保障している。危うい均衡と言って良いだろう。問題はその均衡が崩れた時だ、その時は……。溜息が出た。
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