皇太子殿下はご機嫌ななめ
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第7話 「逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ」
前書き
あってて、良かった原作知識。
第7話 「ばか、ばっか」
――やばい。
その声を聞いた瞬間、本能が“それ”を悟った。
硬い声だった。
隣にいるラインハルトとジークの両名も、本能で理解したのか、身を硬くしている。
二人を連れて、各省庁へ出向いた帰りだ。
宰相府の扉を開けた途端、エリザベートとマルガレータの冷たい視線が、まるでレーザーのように俺を射抜いた。
この時点で嫌な予感はしていた。
ただ、アンネローゼの姿が見えず、
「アンネローゼは?」
と聞いた。
女二人は、無言のまま、奥の部屋を視線で示す。
怯えた表情のジークと、どことなく腰の引けているラインハルトを従え、奥の部屋へと向かった。
ノックをする。
「どうぞ」
短い言葉。
ラインハルトが俺にしがみついてくる。
ええい、いずれ獅子帝と呼ばれるだろう男子が、そんなことでどうする。
うるうると潤んだ瞳が俺を見つめていた。
扉を開け、中に入る。
な~んだ。何もないじゃないか……。アンネローゼも笑顔だし。でもちょっと表情が硬いかな?
ほら、もっと。スマイルスマイル。
脳が認識を拒否している。
「きゃっきゃ」
いてはならないものが、そこにいる。
だが、俺の目には見えない。
「皇太子殿下」
アンネローゼはむっくりと立ち上がる。
お前、いつのまにそんな威圧感を身につけたのだ。
その手に持っている“もの”はなんだ!!
鋭く光っているぞ。
とても鋭利そうだ。
そしてよく切れそうだった。
「あねうえ~」
「アンネローゼさまぁ~」
ラインハルトとジークの絶叫の中、アンネローゼが俺に凭れかかる様に、倒れこんだ。
熱い感触が腹に突き刺さった。
生暖かい感触が広がる。
「……裏切ったんですね」
アンネローゼが囁く。
違う。と言おうとして、口元から溢れた血が、それを遮る。
遠ざかる意識の中、ああ、赤ん坊の泣き声が聞こえる。
■ノイエ・サンスーシ 宰相府 ラインハルト・フォン・ミューゼル■
「……殿下。皇太子殿下ってば、起きてください」
まったく。この皇太子は、執務中に居眠りをするとは。いいかげんな奴だ。
どうしてこの俺が、こんな格好でいなければならないんだ。
自分の格好を見下ろして、再び怒りが湧き起こってくる。
すべてこいつの所為だ。
ここのところ、さんざんこいつに、振り回されている。
なにが、ラインハルトちゃん、だ。
むかつくやつだ。
「早く起きろ」
「う~んう~ん」
なんだ。魘されているのか?
いい気味だ。
「は~や~く~。起きろと言うのにっ」
「お疲れなのでしょう」
キルヒアイス。お前は優しいな。
しかしこの男に、そんなものは不要だ。
ゆさゆさと揺さぶる。
ほんとは殴ってやりたい。
ハッと身を硬くして、皇太子が起き上がった。
周囲をきょろきょろ見回して、
「アンネローゼは」
と聞いてくる。
第一声がそれかっ!!
腹が立ったので、無言のまま、視線だけで奥の部屋を示す。
「そうか」
皇太子はそれだけ言うと、奥の部屋へと向かった。
どことなく顔が引き攣っていたように思うが、いったいどうしたというのだ。
まったく。忙しいのは分かるが、夜、ちゃんと寝ないから、居眠りするんだ。困った奴なんだから。
ふんっだ。
■ノイエ・サンスーシ 宰相府 ジークフリード・キルヒアイス■
奥の部屋へと向かう皇太子殿下を、ラインハルト様が心配そうに見送った。
宰相府へと出入りするようになってからというもの、ラインハルト様は、しんぱいするような表情をお見せになる。今も怒っているように見えて、実は心配しているのだ。
帝国宰相になられてからの皇太子殿下は、私の目から見ても忙しそうだ。
膨大な問題が皇太子殿下の両肩に、圧し掛かっている。
どこから手をつけて良いのかすら、分からない。
アンネローゼ様をむりやり奪った男。
そう思っていた。
しかしその男は苦しんでいる。帝国の重圧に、問題に、だ。
一つの問題に手をつければ、それ以上の問題に直面する。
「俺は宇宙を手に入れたいと思った。だが、宇宙を手に入れるという事は、あの男が直面している問題に、俺も直面するという事なのだな」
ラインハルト様はそう呟かれていた。
サイオキシン麻薬。
現在、皇太子殿下が直面している問題だ。当初は、とある貴族がらみの問題だった。収入よりも明らかに派手な生活をしていた。
内情は借金で苦しんでいると思われていたが、どうもおかしい。
高利貸しと呼ばれる商人達が、噂しあっていたそうだ。
それをオーベルシュタイン大佐が聞きつけ、調べさせた。
この方は宰相府の事務局長をされていて、皇太子殿下に信頼されている。有能な人物だと思うが、少し近寄りがたい雰囲気がある。見た目ほど嫌な人物ではないと、分かってはいるのだが、少し苦手だ。
調べた結果、でてきたのが、麻薬密売だった。
しかも軍も絡んでいる。
軍内部の検査さえ、ごまかす事ができれば、どこへでも行ける。
途中で調べられる事もない。
麻薬を運ぶのに都合が良かったのだろう。
それでも一隻だけの犯行なら良かったのだ。しかし一個艦隊が絡んでいるとなると、大問題だ。貴族が率いる艦隊。それが麻薬の密売をしていた。
ブラウンシュヴァイク公爵様の怒号は、今でも耳に残っている。
「あいつらみんな、火あぶりにしてやる」
「やれ、やれー」
と当初は、煽っていた皇太子殿下だった。
しかしあくまで、軍の一部だったが、上から下まで少しずつ絡んでいたとなると、そうも言っていられなかった。
帝国三長官が揃って、責任を取って辞任すると、申し出てきたときには、書面を彼らの目の前で破り捨て、床に叩きつけた。
「辞めるって言うならよー。全部終わらせてからにしろやー。ごらぁー」
もの凄く言葉遣いが悪かった。
皇太子殿下とは思えなかったほどだ。
私と共に部屋におられたラインハルト様も、皇太子殿下の言葉に、深く頷いておられた。
人事異動すら、ままならない。
変えても変えても、問題が収まらない。どいつもこいつも少しずつ係わっていたのだ。それどころか違う問題まで浮上してくる始末。
ああ、私も皇太子殿下の言葉遣いが、うつってしまったかもしれない。
「下級士官で、出来の良いのがいたら、そいつらを上に上げてしまえっ!! 構わん、二階級特進させてでも、だ」
無茶言うな、と思ったが、それぐらいしなければ、収まりそうも無かったと思う。
そのせいだろうか、艦隊指揮官から分艦隊指揮官まで、平均年齢がかなり下がったそうだ。総入れ替えしてやる。とまで言っておられた皇太子殿下だったが、ミュッケンベルガー元帥のお顔を立てて、年内に出征する事をお認めになられた。
「これでダメだったら、総入れ替え、な」
本当なら、ごたごたしてる時に、出征なんか、させたくないんだが……。
と、辛そうに仰られていた。
そしてそうこうしているうちに、問題は軍だけではなくなった。
内務省、司法省、典礼省、宮内省、財務省なども絡んでいたのだ。
帝国全土を揺るがす大問題に発展した。
もはや関係してないのは、宰相府のみといった感じだ。
■ノイエ・サンスーシ 宰相府 リヒテンラーデ候クラウス■
宰相府の一角で、オーベルシュタイン大佐が書類に目をやっている。
無表情な印象を受けるが、最近、この男の表情が読めるようになってきた。
少し辛そうだ。
まさかと思っているのだろう。
私としても、同じ気持ちだと思う。
まさか、これほどの大問題に発展するとは、思ってもみなかった。
余計な事をしおってと、愚痴の一つも言いたくなるが、言っても始まらん。
オーベルシュタインと席を並べているのは、オイゲン・リヒター、カール・ブルッケ、マインホフ、ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒ、ウルリッヒ・ケスラーなどだ。
前の連中はともかく、マインホフとシルヴァーベルヒとケスラーは皇太子殿下が直接連れて来い。と仰ったのだ。シルヴァーベルヒは、どうせ辺境辺りで燻っているだろう。ケスラーはあの老人の配下であったが、いいから連れて来いと。有能な男たちではあるが、皇太子殿下は、いったいどこから知ったのであろうか?
そして……あの連中。
階級も低く、まだ若い連中じゃった。
ウォルフガング・ミッターマイヤー。
オスカー・フォン・ロイエンタール。
アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト。
エルネスト・メックリンガー。
アウグスト・ザムエル・ワーレン。
フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト。
この六名を呼び出した皇太子殿下は、私と帝国三長官を前にして、彼らに向かい、
「お前ら、二階級特進。いや全員、准将な。先払いだ」
と仰った。
部屋中に緊張が走り、皆を代表して私が、そのような事をなさっては、軍の統制が、と申したが、
「だったら、これはと思う者を、俺の前に連れて来い。紐付きでない、有能な奴らを選んでやったんだ。ミュッケンベルガー。こいつらを卿に預ける。宇宙艦隊の再建を急げ」
皇太子殿下に怒鳴りつけられてしまった。
しかしながらここで引いては、殿下の為にならないと思い、皇帝陛下にも具申致したところ、皇帝陛下は、「ルードヴィヒの好きにさせよ」と申される。
渋々ながら、ミュッケンベルガー元帥に伝えると、元帥は軽く頷き、
「軍に対する信頼を取り戻すべく。尽力します」
いつもの元帥らしくない気弱な口調で言った。
三長官も身を縮こまらせておったし、皇太子殿下の怒りの大きさが、どれほどのものなのか、かえって思い知らされたわ。
■宰相府 ルードヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム■
奥の部屋から、赤ん坊の泣き声が聞こえる。
エリザベートのこどもだ。二人もいれば、そりゃ~うるさかろう。
乳母が風邪を引いて、寝込んでしまい。仕方ないとばかりに、ここに連れてきたらしいが、普段聞かない赤ん坊の泣き声のせいで、悪夢を見てしまったぜ。
なんであんな夢を見たんだか……。
ガキに責められてるような気がしたんかね?
「皇太子殿下、ようやく眠ってくれました」
アンネローゼが嬉しそうに言う。
こどもが好きなのかもしれない。確かによく眠っている。
「寝てるときの顔は、天使みたいだがな~。かわいいもんだ」
いっぱい泣いとけよー。大人になったら泣きたくても、泣けんからなー。
さてと、ぷにぷにしたほっぺたをつついて、癒された事だし、仕事に戻るとするか……。
あーもー、頭いて。俺も泣きてーよ。
後書き
皇太子殿下がやさぐれだしてる?
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