至誠一貫
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第一部
第三章 ~洛陽篇~
三十 ~尋問~
翌朝。
密かに何進の屋敷を辞し、宿舎へと向かう。
折角なので、と疾風が洛陽を案内すると言い出した。
「しかし、本当にもう良いのか?」
「はい。何進殿の手配りがありました故」
無断で職を擲った事、当人達が望んだとは言え、三千もの兵を連れ出した事。
罪に問われて然るべきだが、何進の特命により黄巾党討伐に援軍として派遣された……として処理されたらしい。
真偽を問おうにも、派遣先とされたのが月であれば、それを否定する者がいないのだ。
それに、何進は大将軍、軍の最高責任者である。
まさに、黄巾党が各地で暴れている最中の出奔、機会としては上手く合致していた。
「しかし、見事な差配だな。何進殿の手腕、侮れぬ」
「あ、いえ。今回は稟の発案でして」
と、疾風が苦笑する。
「稟が?」
「何進殿の処に赴く前に、稟に相談して策を授かっておいたのです。それをそのまま、何進殿にお願いした、という次第です」
ならば、合点がいく。
恐らく、事細かに策を練った筈だが……それは詮索する事もなかろう。
「ところで……気付いているな?」
「はっ、二名ですね」
何進の屋敷を出てより、我らを尾行する者がいるようだ。
流石に、何進の屋敷そばで騒ぎを起こす訳にはいかぬので、少し離れた場所まで様子を見ていたのだが。
「捕らえるか?」
「賛成です。正体を突き止める必要がありますな」
「だが、市中であまりおおっぴらに騒ぎを起こすのは拙い。人気のない場所に誘い込みたいのだが」
「畏まりました。では、此方へ」
疾風に付き従うと、確かに徐々に人気が少なくなっていく。
それと共に、すえたような臭いが漂い始めた。
そんな私の様子に気付いたのか、
「この辺りは、貧困層が住む地域です」
「貧困層?」
「然様です。如何に都とは申せ、裕福に暮らせる者などほんの一握り。そうした人々が、この地区で身を寄せ合って暮らしているのです」
「……うむ」
格差は、いずこの世でも存在する、という事だ。
「その為、この辺りに近寄る人間は限られています。無論、住居のある辺りでは人の往来もありますが」
「そこまで行かねば、人通りが絶える。そこを狙うのだな?」
「はい。ですが、二人まとめてでは取り逃がしてしまうやも知れませぬ」
「では、次の角で二手に分かれるか。一対一ならば逃す事もあるまい」
行く手に見える十字路が良さそうだな。
「……御意。くれぐれも、ご油断めさるな」
「疾風こそな。……合図と共に、行くぞ」
「はっ」
そして、私達は駆け出す。
そのまま、十字路で分かれた。
背後から、慌てて追いかけてくる気配。
……この程度で馬脚を現すとは、さしたる相手でもなさそうだな。
先に見つけた小路に入り込み、様子を窺う。
と、細身の男が目の前を通り過ぎる。
「クソッ、何処へ行った?」
「私をお捜しかな?」
小路から出て、男の前に立つ。
「な、何の事だ?」
「惚けても無駄だ。貴様が、私の後を尾行していた事はわかっているのだ」
「クッ……」
さて、逃走を図るか、それとも……。
ほう、剣を抜いたか。
「何の真似かな?」
「痛い目に遭いたくなければ、大人しくするんだな」
「脅しか?」
「それとも、腕の一本も切り落とされたいか?」
あれは、今までに人を斬っている眼だ。
それも、一人や二人ではあるまい。
……だが、我が素性を知っての事ではなさそうだ。
ならば、やはり捕らえねばなるまい。
兼定を抜き、構えた。
「へへっ、そんなひょろひょろの剣で何をする気だ?」
「ふっ、貴様のなまくらよりは斬れる筈だが?」
「ぬかせ! まぁいい、吠え面をかくなよ!」
そう言いながら、男は斬りかかってきた。
……案の定、大した腕ではなさそうだ。
それに、潜ってきた修羅場の数ならば、私は人後に落ちぬ自負がある。
総司や斉藤君ぐらいの打ち込みであればともかく、この程度では毛ほども恐怖はない。
無論、打ち合うような愚は避け、まずは太刀筋を見定める事とする。
態と隙を見せ、打ち込みを誘う。
刃風はそこそこだな。
だが、剣と身体が一体になっておらぬ。
「どうした? それでは私は斬れぬぞ?」
「や、やかましいわ!」
矢鱈に剣を振り回す男。
全て躱してみせるが、男はなかなか疲れを見せる様子がない。
体力はありそうだが、如何せん、動きに無駄が多すぎる。
「ふんっ!」
力任せに振り下ろした剣が、地面に突き刺さった。
その隙に、峰に返した兼定で、男の腕を打ち据える。
「ギャッ!」
苦悶の表情を浮かべ、男は剣から手を離す。
手応えは十分、骨が折れたに相違ない。
「悪いが、少々眠って貰うぞ」
「グッ!」
鳩尾に柄を叩き込むと、男は崩れ落ちた。
「歳三殿。私の方は、片付きました」
「疾風か、流石に早いな」
「いえ、さしたる腕ではありませんでした故」
事もなげに言い放つ疾風、実際に全く息も乱れてはいない。
「それで、相手は如何致した?」
「はっ、気絶させた上、手足を縛りました。あれでは目が覚めたとて逃れる術はありますまい」
「よし。後は、何処へどうやって運ぶか、だな」
如何なる事情と言えども、気を失った男を二人も担いで回れば、人目につく。
それに、尋問するとしても、宿舎では手荒な真似も出来まい。
「む」
背後から殺気を感じ、咄嗟に兼定を払う。
軽い手応えと共に、数本の矢を叩き落とした。
「弓か」
「不覚でした、まだ仲間がいたとは」
何処だ……?
弓の射程は、精々三十間前後。
正確に狙うとなれば、更に近寄らねばなるまい。
達人になれば更に伸びる事もあろうが、そこまでの相手とは考えにくい。
……と。
「うぎゃぁぁぁぁぁっ!」
すぐ先から、不意に絶叫が上がった。
「歳三殿」
「うむ」
疾風と二人、その方角へと駆けた。
「く、来るな、この変態化け物め!」
「誰が見ると三日三晩悪夢に魘される変態かつ不気味な化け物ですってぇ?」
「そ、そこまで言ってねぇだろ!」
全身筋肉で、何故か下履きだけを来た大男が、弓を手にした男に迫っている。
「この私の美しさがわからないだなんて、おしおきよん?」
「や、やめろぉぉぉっ!」
「……歳三殿。あれは一体、何なんでしょうか……?」
「……わからぬ」
その間に、筋肉男が、弓の男を畳んでしまったらしい。
「あ~ら、だらしがないわねぇ。あら、こっちは素敵な美形ねん」
振り向いた大男は、異形の相をしていた。
弁髪、としか例えようのない髪型に、女子のような仕草が何とも不釣り合いだ。
「……何者だ?」
「私? 私はねん、貂蝉。都で評判の踊り子よん」
貂蝉、だと?
女子ばかりの世だという事には違和感を抱かなくなったが、絶世の美女、と謳われた貂蝉は男。
……しかも、このような異形の相とは。
「い、偽りを申すな! そなたのような者など、聞いた事がないわ!」
うむ、疾風が珍しく狼狽えているな。
「あらん? 私を知らないだなんて、モグリよん? そういう貴女は何方?」
「私か? 私は徐公明、少し前まで都で官職にあった者だ」
「徐晃ちゃん?……という事は、こっちのハンサムな御方は?」
「私は、土方と申す」
名乗りを上げると、貂蝉は何故か感激したような顔をした。
「やっぱり、あの土方さんだったのねん。噂には聞いていたけど、本当に素敵なのねん」
そう言いながら抱き付いてこようとしたので、咄嗟に飛び退く。
「何をする? 私は、衆道の嗜みはないぞ?」
「いけずなのねん。でも、そんな貴方もス・テ・キ♪」
「お前の趣味などどうでも良い。それよりもこの男だが」
気を失ったまま、目が覚める様子もない。
「人気のない場所でこそこそと弓を使っていたから、声をかけただけなのねん。それなのに、変態とか化け物とか、酷いわ酷いわ!」
……なるほど。
しかし、このような出で立ちの者が声をかければ、慌てふためいても仕方なかろうが。
「この者は、私を狙っていたらしいのだ。どうやら、お前に助けられたらしいな。礼を申す」
「あらん、別にいいのねん。でも、お礼貰えるのなら、熱いチューを」
そう言いながら、唇を突き出してくる。
「……何度も言うが、私にその趣味はない。それ以上強いるなら」
鞘に収めた兼定の鯉口を切った。
「いけずねん、こんな漢女相手に」
身をくねらせる貂蝉は、敢えて無視で良かろう。
「疾風、荷車と人足を手配してくれぬか?」
「この者達を運ぶのですな?」
「ああ。それから、近くに空き屋がないかどうかも」
「では、直ちに手筈を整えます」
「ちょっと待って欲しいのねん」
そこに、貂蝉が割り込んできた。
「何だ?」
「運ぶのはこの一人だけかしらん?」
「いや、他に二人。理由はどうあれ、我らを襲ったのだ。それを問い質さねばならぬのでな」
「なら、いい場所があるわよん。それと、三人ぐらいなら私が運んであげるわよん」
「運ぶだと?」
「そうよん。任せて貰えるかしらん?」
ふむ。
見た目は面妖だが、どうやら悪人ではなさそうだな。
少なくとも、眼にはやましいところは感じられぬ。
「良かろう。だが、目を覚まされると厄介だ。それに、人に見つかっても拙い」
「任せて欲しいのねん」
そう言うと、貂蝉は軽々と男を持ち上げた。
「な、何と言う力だ……」
疾風が呆れるのも、無理はないな。
貂蝉の異形の相が幸いしたのか、男を三人まとめて担いだその姿も、誰にも咎め立てされなかった。
「まさか、三人まとめてとは」
呆れ果てる疾風。
「あれは規格外だ。星や愛紗は無論だが、恋でも相手となるとかなり手を焼くだろう」
「……敵に回したくない相手です。いろんな意味で」
「……同意だ」
「さ、着いたのねん」
我々の思考などお構いなしに、貂蝉は一軒の家にずんずんと入っていく。
やや古びてはいるが、庶人の家ではなさそうだ。
「疾風。見覚えはあるか?」
「さて……。少なくとも、私が務めていた自分の官吏や商人にはとんと心当たりがありませぬ」
想像を巡らせていると、中から人が出てきた。
「む? 貂蝉、客人か?」
「あら。そうよん、なかなかいい男だと思わない?」
「ほほぉ。これはこれは……。おっと、失礼。儂は卑弥呼と申す」
卑弥呼……だと?
邪馬台国を率いていたという、伝説の女王の事か?
……しかも、貂蝉と同じ、下履きだけの出で立ち。
類は友を呼ぶ、と言う訳か。
「……拙者は土方。此方は徐晃だ」
「む、土方殿に徐晃殿。……なるほど、貴殿らがのう」
意味深に、一人頷く卑弥呼。
「貂蝉、先にその者どもを尋問したいのだが」
「わかってるわん。卑弥呼、中を借りるわねん」
「むむ、良かろう。だぁりんも出ておるでな」
そして、卑弥呼は屋敷の一室に、男達を下ろした。
「じゃ、ごゆっくりねん」
そのまま、部屋を出て行った。
「歳三殿。……本当に、宜しいのでしょうか?」
「……わからぬ。ただ、今は刻が惜しい。奴を信用するよりあるまい」
「……は」
部屋の中にあった、水桶を手にする。
そして、縛り上げたままの男達に浴びせかけた。
「……はっ?」
「こ、此処は?」
「く、くそっ、縄が解けん!」
身動きが取れないとわかったのか、男達は私を睨み付ける。
「このような真似をして、ただで済むと思うか?」
「はて。先に剣を抜いたのは貴様らであろう? 己の身を守るため、当然の処置を執ったまで」
「黙れ! おい、今すぐ我々を解放しろ! さもなくば、後悔する事になるぞ!」
「意味がわからぬな。貴様ら、誰に頼まれたのだ?」
その問いには、答える素振りは見せぬ。
あれだけ啖呵を切っておきながら、肝心な事は言わぬつもりらしい。
私は、男達に聞こえぬよう、疾風に耳打ちする。
「稟と風、星を此処に連れて参れ。急ぎでだ」
「ですが、尋問は如何なさいます?」
「それは、私一人で十分だ。それに、尋問には手慣れている」
「……そうですか。では、あの貂蝉とか申す者に、途中までの道案内を頼むしかありますまい。私も、此所の正確な位置が把握できていませぬ」
「わかった。では、頼むとしよう」
疾風は顔を引き攣らせながらも、貂蝉と共に宿舎へと向かった。
それを見送ると、私は再び男らに向き合う。
「さて。まだ話す気にはならぬか?」
「…………」
「後悔する、と言ったがどういう意味だ? 貴様らの黒幕は、それだけの実力者、という事だな?」
「…………」
黙り、か。
だが、私を甘く見たな。
手荒な真似ならば、新撰組では日常茶飯事。
不穏な動きを見せる尊攘の者共は、捕らえても生半可な拷問には耐え抜く者も少なくない。
奉行所や所司代では、捕縛する人数の割には成果が上がらぬ、そんな話はよく伝え聞いていた。
その点、新撰組は容赦というものがなかった。
手ぬるい尋問、という事を想像しているのだろうが、あの頃の事を思えばその必要もあるまい。
……ただ、あまり疾風には見せたくない、それ故に体よく去らせたのもある。
卑弥呼に頼み、古釘と竹串、それに蝋燭を借りた。
蝋燭が、何故か赤いのが気になるが……まぁ、良かろう。
それを見た男達の顔に、恐怖が走る。
「な、何をする気だ?」
「話す気がないのであれば、話したくなるようにするまでの事。その為の準備だ」
「よ、止せ! そんな事をしても無駄だぜ? ど、どうせ脅しに決まっている!」
「そ、そうだよな。こんな優男に、そんな真似出来る筈……ギャァァァッ!」
腕を折った男が、叫び声を上げる。
折れた箇所を、思い切り踏み付けたからだ。
「どうした? 所詮脅ししか出来ぬ奴、そう申したではないか」
「て、てめぇ! それでも人間か!」
「ほう? 人様に剣を向けた事は棚に上げて、か? 貴様らのような外道に、かける情けなどない」
残った二人の片割れに、釘を持って近づく。
「や、止めろ!」
「ならば、問いに答えよ。貴様らの背後にいるのは、誰か?」
「……し、知らねぇ!」
「そうか。ならば、答えるまで止める訳にはいかぬな」
男の足の甲に、古釘を打ち付けた。
「うぎゃぁぁぁぁぁっ!」
「痛いか?」
「い、い、いてぇよぉ……」
「だろうな。だが、これで終わりではないぞ?」
火を付けた蝋燭を手に取り、男に近づける。
そのまま熱した蝋を、傷口に垂らした。
「ひぎゃぁぁぁぁぁぁ、ひ、ひぃぃぃっ!」
のたうち回る男。
「さて、残るはお前だが……」
竹串を手に取る。
「な、何をする!」
「これを、貴様の爪の間に突き刺してやろうと思ってな」
「ややや、止めろ! この鬼!」
「鬼、か……。確かに、私は鬼かも知れぬ。だが、降りかかる火の粉は払い除ける主義でな」
男の足を押さえ、竹串を近づけていく。
「た、た、助けてくれ! 言う、言うからっ!」
部屋に、異臭が漂い始めた。
どうやら、目の前の男が、失禁したようだ。
「……よし、聞こう。だが、偽りを申したらどうなるか……覚悟するのだな」
「わわわ、わかってます! で、ですからどうか、どうか……」
「おい、裏切る気か……てめぇ」
腕を折った男が、呻きながらも睨み付けてきた。
「こ、こんな死に方は嫌だ! 俺には、妻子がいるんだ……」
こ奴らの結束も、崩れたようだ。
……さて、この者共からの口から何が飛び出すのか。
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