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至誠一貫

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第一部
第三章 ~洛陽篇~
  二十九 ~会見~

 翌朝。
 開門を待って、様々な人間が洛陽に入って行く。
「では、歳三様」
「うむ」
 疾風がそれらの人々に紛れ、門を潜っていった。
 無論、変装をした上での事だ。
「しかし、化ければ化けるものですねー」
「全くです。言われなければ、あれが疾風だとは誰も気付かないでしょう」
「そうでなくてはならぬ。少なくとも、今の疾風にはどのような咎めがあるか、それを見定めるまでは素性を知られぬ方が良かろう」
 実際、変装を終えた後で、稟も風も、それが誰だか気付かなかった。
 特に、古くからの知り合いの筈の稟が、である。
 その後ろ姿を見送っていると、
「止まれ! 出入りは一時差し止める!」
 門のところで、兵士が人々を押し止め始めた。
「何だよ、急に」
「こちとら急いでるんだ! 入れさせてくれ!」
「駄目だ! 暫し待て!」
 人々と兵士の押し問答が続く。
 どうやら、疾風は混乱に紛れて、城内へ入ったらしい。
「何があったのでしょう?」
「何でしょうねー。あ、城内から兵士さん達が出てきましたよ?」
 私の双眼鏡を覗いていた風が、何かを見つけたらしい。
 出入りを差し止めた中で、出てこられるとすれば……。
「どこかの部隊か?」
「そうみたいですよー」
 完全武装の兵が、次々に姿を見せた。
 その中に、馬に乗った将らしき人物が一人。
 む、此方を一瞥し、兵に何やら指示をしているが。
 その兵が、そのまま此方へと歩み寄ってきた。
「貴軍の指揮官は何処か?」
「私ですが」
「所属と名を、お聞かせ願いたい」
「所属はござらぬ、義勇軍にござる。拙者は姓を土方、名を歳三と申しまする」
「承った。暫し、待たれよ」
 兵士は先ほどの将のところに駆け戻り、何かを伝えた。
 ……と、将が騎乗のまま、此方へと向かってくる。
 見事な口ひげを蓄えた、偉丈夫のようだ。
「貴殿が、土方殿であったか」
「……は。率爾ながら、貴殿は何方にござる?」
「おお、これはご無礼を。自分は皇甫嵩だ」
「高名な皇甫嵩将軍からお声がけいただけるとは、恐縮の至りにござる」
「ははは、黄巾党を震え上がらせた土方殿の方こそ、今をときめく存在ではないのか?」
「いえ、まだまだ未熟者にござれば。世間が過剰に噂しているだけにござろう」
「ふふふ、朱儁の奴が申していた通りの御仁だな、貴殿は」
 朱儁と皇甫嵩は、この時代を代表する将軍だ。
 懇意である方が自然、というものだろう。
「将軍。そろそろ、お戻りを」
 遠慮がちに、先ほどの兵が声をかけてきた。
「おお、そうであった。土方殿、申し訳ないがこれより一仕事でな。また後日、ゆるりと話がしたいものだな」
「はっ。是非にも」
「では、御免」
 颯爽と、皇甫嵩は部隊へと戻っていった。
「風。奴をどう見る?」
「ぐー」
「寝るな!」
 私が何か言う前に、稟がすかさず起こしてしまった。
「おおぅ! 朝日の心地よさに、ついウトウトと」
「それで稟。皇甫嵩の事、どう見る?」
「は、はい。統率力に富み、朝廷の臣としては当代きっての名将、と言えましょう」
「むー。風にお訊ねになったのではなかったのですか?」
 ……寝ていたであろうが。
 膨れる風だが、ここは放置だな。
「人物は私欲なく、清廉潔白、と聞いているが。当然、宦官との折り合いは悪いのであろうな?」
「そのように聞いております。尤も、朱儁殿も同様との事ですが」
「…………」
「何か、気がかりな事でも?」
 稟が、私の顔色を見たのだろう。
「ああ。風、当てて見せよ」
「……風に、御用はなかったのではありませんか?」
「いつまでも膨れているものではない。お前は、私の大切な軍師なのだぞ?」
「やれやれ、お兄さんには敵わないのですよ。お兄さんは、宦官さん達がお兄さんに目を付けないか、それを気にしていますよねー?」
「その通りだ。皇甫嵩と朱儁が何進寄りの上、華琳や孫堅のような地方軍閥も宦官とは距離を置いている。となれば、武力を欲する宦官共が、我らに目を付ける……そう、考えるべきだと思うが」
「その懸念はありますね。ますます、疾風の働きが重要となって来ます」
「うむ……」
 何進から、どのような反応があるかはわからぬが。
 権力闘争に巻き込まれるのだけは、願い下げだ。
 あまりにも、得る物よりも失う物の方が大きいだろうからな。
 自惚れるつもりはないが、我が軍は相応に精強である。
 黄巾党討伐で、思いの外名を知られた今、どのように利用されるか……杞憂であれば良いのだが。
「申し上げます」
 そこに、兵がやって来た。
「如何致した?」
「はっ。趙雲様がお着きです」
「ほう、早いな」
 恐らくは、愛紗が先行して使者を走らせたのだろう。
「主!」
 小走りに、星が駆け寄ってきた。
「主。お久しぶりですな」
「ああ。北平での務め、大儀であった」
「いえ、白蓮殿が努力されておいでですから。私は、その手伝いをしたまでの事」
「星。幽州の情勢はどうでしたか?」
 稟の言葉に、星は表情を引き締める。
「良くはない、な。烏丸は今のところなりを潜めているが、黄巾党の残党が入り込んできていてな。鈴々と共に、だいぶ討伐したつもりではあるが……」
「やはり、本隊が壊滅しても、いたちごっこは続きそうですねー」
「それに、飢饉の影響もまだまだ残っている。当面、白蓮殿も苦労が絶えぬ事であろうな」
 真面目な白蓮の事だ、いろいろと抱え込んでいるに違いない。
 何とか、力になってやりたい……とは、私の思い上がりか。
「主。今宵は、共にお過ごしいただきますぞ?」
「……星。昼間からそういう会話はどうかと思いますが?」
「何を言うのだ、稟。お主らはずっと主と一緒ではないか。私だけ、主の愛を久しくいただいておらぬのだぞ?」
「まぁまぁ。星ちゃんの気持ちもわかりますけどねー。でも、今晩は恐らく無理だと思いますよ」
「むぅ、何故ですか、主?」
 少しばかり、悄気返る星。
「この場に、疾風がおらぬのが、その訳だ。まだ、結果を待つ最中ではあるが」
 何進の許に向かわせた事を、順を追って話した。
 ……が、理解はしても納得はせず、明後日という約定となった。
 本人が切に望むのだ、仕方あるまい。


 夕刻。
 開かれていた門が閉じる間際になり、人の往来が激しさを増していた。
「只今、戻りました」
 人混みに紛れて、疾風が帰還した。
「ご苦労だったな」
「はっ。星、久しいな」
「ああ、疾風こそ。……ふむ」
 星は、疾風の顔を覗き込む。
「何だ?」
「……いや、女の色気が出てきた、そう思ってな」
「な、何を申すのだ」
 真っ赤になる疾風。
「良いではないか。主のお情けを戴いたのであろう?」
「そ、そうだ! だが、後悔はしていないぞ!」
「ふむ。主、疾風にまで手を出されましたか。この星は、如何すれば宜しいのでしょう?」
「……止さぬか。以前にも申した通りだ、私は言葉を違えるつもりはない」
「はっはっは、それを聞いて安堵しましたぞ。疾風、お主とは、ますます競い合う仲、という訳だ」
「…………」
 疾風は、黙ってしまった。
「その話は後に致せ。それよりも、首尾は如何であった?」
「は、はっ。何進殿にお目にかかれ、歳三殿の事を申し上げました。何進殿も、歳三殿の噂を耳にしておいでで、一度話をしたい、との仰せでした」
「そうか。良くやったぞ、疾風」
「いえ。然したる事ではありませぬが」
 そう言いながらも、疾風は微笑んだ。
「して、日取りは何と?」
「本来であれば、すぐにでも、とのご意向でしたが。何分、何進殿は身分が身分。宦官の眼もあります故、思うようには参りますまい」
「やむを得ぬだろうな。とは申せ」
 私は、天幕の外に眼を遣る。
「兵も、ただ待つのみでは士気に関わろう。城中にて、英気を養わせたい」
「その為には、入城の許可を取り付けなければなりませんが。大将軍では、その権限はありませんね」
「官位さえあれば、何の問題もないのですけどねー。その為には、陛下に拝謁する必要がありますし」
「ままならぬものだな。疾風、何とかならぬのか?」
「星、無理を申すな。この中で、官職を持つのは誰もおらんのだ。私も、官職を捨ててしまっているしな」
「何か、口実があれば良いだが……。ふむ」
 これと言って、良き思案は浮かばぬ。


 日が沈み、夜の帳が下り始めた頃。
 馬蹄の音が、響き始めた。
 城外に出ていた皇甫嵩の軍が、戻ってきたようだ。
「存外、早かったようだな」
「装備の割に糧秣をほとんど持って出てませんからねー。調練だったのでは?」
「確かに、切迫した様子がありませんでしたしね」
 ほう、そう見ていたか。
 だが、二人の言う通りかも知れぬな。
 それだけ、官軍にも余裕が出てきた、そう見るべきか。
「主。誰ぞ、此方に向かってくるようですぞ?」
「確かに。……将のようですが」
 ふむ、皇甫嵩が既に誰何した後なのだが。
「土方はいるか?」
 この声……聞き覚えがある。
「貴殿は……朱儁将軍でござるな?」
「如何にも。久しいな」
「何故、此処に? 未だ黄巾党征伐の最中、と聞いておりましたが」
「その話は後ほど。私と一緒に、来て貰いたい」
 朱儁は、声を潜めて言う。
「拙者、でござるか?」
「他にはおらんだろう。時間がないのだ、徐晃も共に来い」
「わかりました。歳三殿、参りましょう」
 急な話だが、疾風が一緒ならば心配無用だろう。
「……では、お供致しましょう。稟、風、星。留守を頼む」
「はい」
「了解ですー」
「はっ」


 朱儁に連れられ、洛陽に入る。
 旗や装備を見る限り、同行しているのは皇甫嵩の軍で間違いないようだが……。
 朱儁は私を軍に紛れ込ませた後、すぐに何処かに姿を消した。
「疾風。これも、手筈通りなのか?」
「……いえ。ですが、今は進むより他にないかと」
「そうだな」
 思い直して、辺りを眺めてみる。
 明かりも殆どなく、人の往来もない。
 今少し、夜とは言え活気があるかと思っていたのだが……。
「思いの外、静かだな」
 晋陽や北平のような地方都市とは違い、此処は仮にも都の筈。
 よく見ると、何かが蠢いているようだが。
「行く宛のない流民ですよ」
「流民?」
「そうです。干魃や蝗の被害で税が払えなくなり、職を求めて洛陽に出てきた民達です。洛陽に行けばどうにかなる、と」
「だが、期待していた都の姿ではなく。食いつめてしまった……そういう訳か」
「そうです。洛陽に元より住む民でさえ、日々の暮らしに困る有り様。流民を受け入れる余裕などある筈もございませぬ」
 あの荘厳な宮城の中には、美食美酒で過ごす輩がいる事を、彼らは知っているのだろうか。
 尤も、宮中で自らを高貴と考えている連中に庶人を顧みる甲斐性があったなら、この国はここまで荒廃しておらぬであろうが。
「曹操殿が見ておくといいと言った事の一つは、まさにこれかと。無論、これは氷山の一角に過ぎませぬが」
「国の無為無策に苦しむのは、何時でも民……か」
「願わくば、このような光景……見る機会が稀であると良いのですが」
 銅臭政治の結果がこうであると、今上帝はご承知ではあるまい。
 陛下が世俗に疎ければ疎いほど、宦官とそれに従う官吏は好き放題に振る舞える。
 裏を返せば、次代の皇帝陛下もまた、それを知らぬままでいる事が望ましいであろう。
 ……どうも、考えずとも良い筈の事まで脳裏から離れぬというのは、あまり好ましくない傾向だ。
 所詮は天上世界の話、私が気を揉んでも仕方あるまい。

 気がつくと、軍は何かの施設に到着していた。
 将らしき人物が、号令をかける。
「全軍、これにて解散とする。しっかりと休養を取れ、良いな?」
「応っ!」
 散って行く兵士達。
 ……さて、我々だが。
「おい、そこの二人。将軍の警護をする、参れ」
 先程の将が、声をかけてきた。
 周囲には誰もおらぬ以上、我らを指名しているのであろう。。
「……某ら、でございますな?」
「そうだ。早く参れ」
 警護と言うが、ここは既に洛陽の城内。
 それが口実だと言う事は、すぐに気付いた。
 だが、それを口にする事なく、私と疾風は後に続く。
 先導する将もまた、無言であった。
 ……恐らく、行く先は何進の屋敷か。
 十常侍の眼を気にしての事であろうが。
 だが、連中は傍若無人であると同時に、狡猾という印象でもある。
 件の将は何故か、一軒の民家に入っていく。
 まさか、大将軍ともあろう者が、このような何の変哲もない民家に住む筈がない。
「もう宜しいのでは? 何進殿」
 不意に、疾風が言った。
「何進殿……? まさか?」
「ふふ、やはり見抜かれていたか」
 何の明かりもないので、表情の程はわからぬが……。
「土方とは、貴公の事だな。俺が何進だ」
 紛れもなく、件の将であった。
「これは、ご無礼仕った。拙者が土方にござる」
「このような場所で済まぬが、今は十常侍どもの眼があちこちに光っていてな。貴公の事は、奴らの方でも眼を付けていると聞く」
「……然様で」
「それで、皇甫嵩からこのような策を授けられたのだ。驚いたか?」
「は、些か。しかし、何時の間にこのような策を?」
「俺は大将軍だ。演習中の将に、伝令の兵を送っても何の不思議もないだろう?」
 確かに、その通りだろう。
 何進、思いの外機転が利く人物なのやも知れぬな。

 そして、手短ではあったが、黄巾党との戦いのあらまし、月や白蓮との経緯を語った。
 ひとしきり聞き終わると、
「わかった。俺も、貴公の事は明日にでも奏上しておく。宦官を通せばどのような横槍が入るかわからんのでな」
「ははっ」
「それから、軍は洛陽に入城させられるよう、すぐに手配する」
「忝うござります」
 これで、懸念事項は片付きそうだ。
 疾風の申す通り、何進は少なくとも、敵に回る事はないだろう。

 そのまま、何進の屋敷まで同行し、用意された部屋で一夜を過ごした。
「歳三殿。不安はないのですか?」
「この程度で臆するようでは、お前にも皆にも見限られてしまう。私はそこまで小心ではない」
「ふふ、愚問でしたね。……無論何があっても、歳三殿は守り通しますが」
「うむ。だがその言葉、そのまま返すとしよう」
 政治の駆け引きなど願い下げだが、喧嘩ならば買わぬ手はない。
 宦官共め、来るなら来い。 
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