星の輝き
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第10局
ヒカルが気が付いた時にはすでに対局が始まっていた。序盤はすでに終わり、中盤に差し掛かっていた。互先でヒカルが黒。
―人間って、無意識でも碁が打てるんだ…。
いまだに現実が直視できないヒカルだった。
以前、院生仲間だった奈瀬。かといって、そこまで仲が良かったわけでもない。院生1部のメンバーで、それなりに会話はするかなという程度。当然、院生以前に会ったことなどなかった。それなのにこのタイミングでの遭遇。まさに不意打ちだった。
―あ、思わず打ち始めちゃったけど、佐為、何か変な感じとかしないか?
―私は全く問題ありませんよ、ヒカル。ほら、ちゃんと集中して打ってあげないと。なんでしたら交代しましょうか?
―…調子にのるなってのっ!
奈瀬は、何時しか本気になっていた。たまたま連れてこられた、通夜の会場で偶然出会った子供。ほんの暇つぶしで声をかけただけだった。そうして始まった、何気ない対局。子供と遊んであげようと思っていた最初の意識など、すでにどこにもなかった。
―なにこの強さ。嘘でしょ。院生の上位メンバーでもここまでじゃない…。まさか、プロ?いや、こんなプロ見たことない。若いプロなら若獅子戦に出るはずだけど、こんな子はいなかったはず。アマチュアでここまで強い子がいるなんて…。
―…この子の打つ手は、最善の一手でも最強の一手でもない。これじゃ、まるで指導碁ね。…でも、なんだろう、楽しい。この子の石に応えて、私の石まで引っ張られてるような感じ…。こんな碁もあるんだ…。
「ありません。」
終盤に入る直前で、奈瀬は投了した。これ以上打っても差は縮まらない。いや、相手が手加減してくれなかったら、もっととっくに勝負はついていたのだ。不思議と、手加減された悔しさは感じなかった。ここまで力に差があっては仕方がない。むしろ、こんなに強い子供がいることに、奈瀬は感動していた。
「ね、君、すっごい強いね。プロじゃないよね?名前聞いていい?」
「あ、うん。進藤だよ。進藤ヒカル。プロじゃないよ。」
このころにはヒカルもとか落ち着きを取り戻していた。予想外の出会いで、思わず対局してしまったが、してしまったものは仕方がないと、すでに開き直っていた。そして、これも佐為の言う流れの影響なのかなと考えていた。
「進藤ヒカル君か。ね、ヒカル君、君手加減してたでしょ。」
そう言われてヒカルは戸惑った。さすがに本気はまずいと思い、途中から指導碁に切り替えていたのは確かだ。だが、仮にも相手は院生。当然、ばれるとは思っていた。だから、ばれたこと自体は予想の範囲なのだが…。
「ヒカル君?」
「あれ?名前で呼ばれるの嫌だった?どう見ても年下だと思って、つい名前で呼んじゃったんだけど。」
以前は、下の名前で呼ばれたことはなかったはずだ。院生は基本名字で呼び合っていたからだ。まあ、自分が年下なのは確かだし、違和感を感じただけで、別に文句があるわけではなかったのだが。
「あ、いや、オレ小六だよ。たぶん年下かな。ちょっとびっくりしただけ。好きに呼んでくれて構わないよ。まあ、手加減っていうか、ちょこっとね。」
「やっぱり年下だよね。私は中二。私のことも好きに呼んでくれていーよ。明日美ちゃんでもいーんだよ?」
ちょっといたずらっぽく笑いながらそう告げる奈瀬。
「いやー、でもホントに強くてびっくりした。プロに弟子入りとかしてるの?」
「そんなんじゃないよ。奈瀬さんも強かったよ。奈瀬さんこそプロ目指したりしてるの?」
「うん。これでも院生なんだよ。あ、院生ってわかるかな。プロ予備軍みたいなところで勉強してるんだ。」
「知ってるよ、そっか、院生なんだ。」
―そっか、奈瀬はもうこのころから院生だったのか。
―ヒカル、知り合いだったのですか?
―ああ、前の時に、院生仲間だったんだ。まさかこんなところで会うと思ってなくってさ、びっくりしちまった。
―なるほど、この子もヒカルと縁のある子でしたか。
「でも、ほんとびっくり。ヒカル君みたいに強い子がいるなんて。プロの先生に指導碁打ってもらってるみたいだった。それになんていうか、すっごく気持ちいい碁が打てた。負けちゃったのが気にならないくらい。なんでだろ、なんかすごかった。」
「あー、いや、その、どうも。」
奈瀬は、本気で感動していた。こんなところで退屈しのぎに始めた碁でここまで感動するなんて、自分でも驚きだった。
「なんか最近碁を打ってて行き詰まりを感じるっていうか壁にぶつかってるような感じだったんだけどさ、なんかヒカル君との碁で、その壁を乗り越えられそうな気がしてきた。」
奈瀬は目を輝かせてヒカルに詰め寄ってきた。
「いや、それって、おおげさじゃないかなぁ?たまたまのまぐれなんじゃないかなぁ。」
「とーんでもない、まぐれなんかでこんな碁が打てるもんですか。ヒカル君の碁はね、なんていうか、私の石を引っ張ってくれるっていうか、導いてくれるような感じだった。」
「…オレの碁が、導く?」
「そう!プロの先生に打ってもらった時もこんな感動しなかったもん!間違いないよ、君には碁の才能がある!それもすっごい才能が!」
「いや、ははは、ありがと。」
―オレの碁が、導くか…、考えたこともなかったな。
―いい碁でしたよ。彼女がそう思うのも不思議ではないです。今の一局、間違いなくヒカルが彼女を引っ張ってましたよ。
―そっか…。
思ってもいなかった言葉をかけてもらい、思わず考え込むヒカル。
「ね、プロ目指しなよ、君ならなれるって!」
「いや、今はまだまずいんだ。」
「今はまだまずい?」
屈託のない奈瀬の言葉に、思わず口を滑らせてしまったヒカル。
慌てて口を閉ざすが奈瀬にはしっかり聞かれてしまった。
何かを探るようにヒカルをじっと見る奈瀬。
「…ヒカル君、何か隠し事してるでしょ。」
「うっ!」
―おー、なかなか鋭いお嬢さんですねえ。
奈瀬の追及に焦るヒカルと、感心する佐為。
「んー…、まぁ、気になるけど、とりあえずはいっか。」
「と、とりあえず…?」
「ん。ねえ、ホントに誰かに碁を教えてもらったりしてないの?」
「あ、ああ。」
―まー、犬っころみたいな奴はいるけどさあ…。
―犬っころ!何ですかヒカル、その言い方!
「じゃあ、普段碁の勉強はどうやってるの?」
「家で、あかりと打ったり、棋譜を並べたりかな。」
「あかり?」
「ああ、俺の同級生の友達。オレの碁の弟子。」
―…ヒカル、それは言わないほうがよかったのでは?
―え、なんかまずかった?
「ふーん、あかりちゃんかぁ…。」
顎に手を当てて軽く考え込む奈瀬。視線はじっとヒカルを見つめていた。
「…なんだよ?」
「ね、時間がある時でいいからさ、私と打ってくれないかな。ヒカル君にもっと打ってほしいんだ。」
「えっ!いや、そんなの無理だって。」
「なんでさ。あかりちゃんには教えてるんでしょ?」
「いや、あかりは幼馴染だからさ、昔っからずっと一緒だったから、あいつは特別っていうか。」
「ふーん…。」
そういいつつ、ジトッとヒカルを見続ける奈瀬。そして、何か思いついたようで、ニコッとヒカルに笑いかけた。
「そうだ、今日は誰と来たの?一人じゃないよね?」
「え、ああ、母さんと。受付の手伝いをしてるよ。」
「そっか、お母さんとか…。」
「な、なんだよ。」
「ま、今日はここまでにしとこっか。そろそろ式も始まるみたいだし。ほら、あっちみたいだよ。」
「あ、うん。」
「それじゃ私、親の所に行くから、またね、ヒカル君!」
「さ、さよなら。」
何とか無事にしのぎ切ったと、胸をなでおろすヒカル。
―ふー、びっくりした。前はあんなこと一回も言われなかったのにな。ま、無事に済んでよかった。
―…無事に済みましたかねぇ。
―なんだよ佐為、怖いこと言うなよ!
―まぁ、なるようになるでしょ。これも縁ですよ、ヒカル。
―でも…、オレの碁が誰かを導くか…。
先ほどの奈瀬の言葉をじっと考え込むヒカル。そんなヒカルを佐為は優しく見守っていた。
そのころ奈瀬は、ニマニマと笑いながら受付に向かっていた。もちろん、ヒカルの母親を探すためだ。だが幸か不幸か、ヒカルは全く気が付いていなかった。
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