魔法使いへ到る道
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9.子どもが生まれたら犬を飼いなさい
「――はい、それじゃあ今日の授業はここまで。残った時間でこの前のテストを返却します」
教壇に立ち教材をまとめながらの先生の言葉に、クラスのじゃりん子どもが、えー、だの、うー、だの騒ぎ出す。手ごたえがあまり芳しくなかったのだろうか。というかテストを返されるといわれて喜ぶような生徒がこの世にいるのだろうか。甚だ疑問である。
一人ずつ先生に名前を呼ばれて答案用紙を受け取りに行く。喜ぶ子もいれば落ち込む子もいるし、仲のいい子と見せ合って騒いでいるのもいる。
「ケンジ、勝負よ!こんどこそアタシが勝つわ!」
こんな風に。
答案を受け取ったアリサは結果を見ずに裏返したまま俺の席へやってきた。参加者が集まってからいっせーので見せ合うのだ。
「おまたせー」
「今回のテストはちょっと自信あるんだー」
なのはとすずかは呼ばれる間隔が短いので連れ添ってやってくる。
すずかとアリサは基本的にどの教科もそつなくこなせる万能タイプ。成績も常に学年上位に食い込む実力者である。なのはは優劣がはっきりしてるタイプ。今回返ってきたのは数学のテストだから理系のなのはなら十分張り合えるだろう。
姓名がや行で始まるが故にいつだって俺の出番は最後のほうになる。順番が回ってくる頃に席を立ち、用紙をもらって帰ってくる。
三人がワクワクした表情で待ち受けていた。
「それじゃあ、いっせーの!」
アリサの掛け声で机の上に並べたテストをひっくり返す。
高町なのは――95点。
月村すずか――83点。
アリサ・バニングス――91点。
そして、八代健児――100点。
「のわぁあああああああ!またケンジに勝てなかった上になのはにも負けたー!」
「やったー!アリサちゃんとすずかちゃんに勝ったー!」
「うう、私がビリかぁ……」
「はっはっは、精進せいよ、小童ども」
ぺらぺらと満点の答案で情けない風を浴びながら踏ん反り返る俺である。
いやまあ、俺ってほら、有り体に言って人生二週目だから。小学生レベルの問題なら、むしろ満点を取れないほうが問題なのだけれど。
だがしかし、彼女たちも真剣に勝負を挑んできたのだ。ここは勝者として尊大に振舞うのも礼儀の一つだろう。この結果も俺の過去の努力の積み重ねには違いないのだし。
「ぐぬぬ。ケンジ!アンタずるいわよ!どの教科でもあっさり百点とって!なにか秘密があるにちがいないわ!教えなさい!」
「やれやれ、アリサちゃんってば、それが人に物を頼む態度かい?というか秘密なんか無いよ。悔しかったら頑張って勉強して出直してきな」
「むきー!上等よ!明日、国語のテストがあるって先生が言ってたから、次こそ負けないわよ!」
「ね、ケンジくん。今日これからアリサちゃんのおうちで勉強会するんだけど、よかったら――」
「すずか!そんなヤツさそうことないわ!アタシたちの力だけでこいつに勝つのよ!」
「ああ、待ってよアリサちゃん~!」
「ありゃりゃ、ごめんねケンジくん。お勉強会はまた今度ね」
吠え面かかせてやるわー!と鼻息荒く教室を飛び出していく金髪のお嬢様を慌てて追いかけていくなのはとすずか。
ううむ。これはちょっと煽り過ぎたかな?反省反省。
がしがしと髪を掻き、まあいいか、と結論付けて、俺も教室を後にした。
「ただいまー」
小学生の身には少々重めの扉をうんとこしょと開け、とりあえずは挨拶。例え返事が返って来ても来なくても、きちんと言う事にしている。親の教育が良かったからね。
「「おかえりー」」
と、廊下の奥から声が聞こえてくる。家の前に車が止まっていたから分かってはいたが、今日は両親の帰宅は随分と早かったようだ。帰ってきたとき誰もいないことがあるから俺は鍵っ子だったりする。
ばたばたと靴を脱ぎ捨て居間を目指す。仕事の都合上帰宅時間が不定期になりがちな両親が珍しく早く帰ってきたのだ。息子として労いの言葉の一つでもかけるべきだろう。
廊下を進み、遮る扉を開ける。
「わん!」
犬と目があった。
子犬より一回り大きい位の、柴犬。絨毯の上で父と母に挟まれていたその犬はくりくりとした目を闖入者である俺に向けて、何を思ったのかとことこと歩み寄ってくる。
膝を折って姿勢を低くすると丁度俺の顔と犬の顔が同じ位置に来る。近寄ってきた初対面のワンころに如何対応したものかと数瞬考え、
「おすわり」
「わん」
「お手」
「わん」
「おかわり」
「わん」
「伏せ」
「わん」
「かわいい!」
床にぺったりと伏せた犬に飛びつき、きつくない程度に抱きしめる。わんちゃんは嫌がるそぶりを見せることも無くごろごろと擦り寄ってきた。どうもある程度は人に慣れているらしい。
わしわしと犬っころの首筋を撫でていると、ふと両親が微笑ましいモノを見る目を向けていることに気付く。
「あらあら、ケンジったらすっかり夢中になっちゃって」
「すっかり猫可愛がりだな。いや、この場合は犬可愛がりか?」
その単語は猫限定に使われる言葉だっただろうかと考えそうになるが、しかしそれ以上に今の光景を見られたという事実に対する羞恥のほうが大きかった。
俺もうそこそこいい歳なんですよ?見た目は子ども、中身は大人のリアル派ですよ?うわ恥ずかしい。あのバーローみたいに演技じゃなくて素で喜んでたのが死にたいくらいに情けない。
思わず抱いた犬の毛皮に顔を埋める俺の心情を知らず、両親はさらに嬉しそうにする。
「ところで、この犬はどうしたのさ」
場を進めるために、内心の動揺が表に現れないように頑張りながら問いかけた。
「ああ。今日到着の南アフリカからの船を出迎えに行った港でな、積まれたコンテナの陰に捨てられていたんだ。放っておくのも可哀想だったから、とりあえずウチに連れて来たんだ」
なるほど、捨て犬ということか。それにしては毛並みが綺麗だが、恐らくは俺が帰ってくるまでの間に風呂に入れられたのだろう。微かに石鹸の香りがする。
両親の手元には牛乳が入っていた痕跡のあるペット用の皿がある。家に着くまでの道中で購入したのだろうか。
顔を上げ部屋を見渡すと、テーブルの上に買い物袋が置いてあった。がさがさと中を覗くと、そこには首輪とリードなど諸々のペット用品が。
「ひょっとして、この子、家で飼うの?」
「いや、引き取り手を捜そうと思っていたんだが……ケンジ。お前、飼いたいか?」
顎に手をやった父さんが尋ねる。
問われ、俺の後を追って付いて来た犬っころを眺める。そっと手を差し出すと、鼻を近づけ匂いを嗅ぎ、ぺろりと舐められた。ぞくりと体が震え、犬っころの尻尾が揺れているのが目に入った。
ペットを飼うというのはそう簡単なことじゃない。一つの命を預かるということには、とても大きな責任が伴う。そこそこ大人の俺はそのことをちゃんと理解している。
俺は、俺は。
「飼いたい、です」
「ちゃんと面倒見れるかい?」
「うん、しっかりお世話をする。散歩にもちゃんと連れて行く」
「途中で放り出したりしないかい?」
「大丈夫。責任は俺がとる」
「……生意気言いやがって、このっ」
父さんにがしがしと乱暴に頭を揺さ振られる。助けてと視線で母さんにSOSを発するが、しっかち受け止められた上で笑顔で無視された。ひどい。
ああ、でもなんだか安心する気がする。こうして本当にただのガキみたいに扱われるのはいつ振りだろうか。下手に中身だけが大きくなっているからこういう風にはあまり接していなかった気がする。
俺自身そう思ってしまうってことは、この両親も同じように寂しさなんかを感じていたのかもしれない。これからは、たまにはこんな感じで歳相応に触れ合うべきなのかもしれないな。
「アナタ、それくらいにしてあげて。ケンジの髪がぐしゃぐしゃじゃない」
無骨な親父の手が離れ、代わりに母の柔らかな手が頭に触れる。丁寧な手つきで手櫛で髪を整えて、袋から取り出した首輪とリードを俺に手渡してくれる。
「ケンジが飼い主なのだから、ちゃんとつけてあげてね」
「はーい」
赤い首輪を広げ、犬の首に巻きつける。言われるより先にお座りしてくれるこの子はとても賢いのではなかろうか。
苦しくないようにそこそこの力加減で締め付けて、少し離れたところから視て出来栄えに惚れ惚れする。
「よし!それじゃあこれからなのは達のとこに行って自慢してくる!」
「おう、行って来い」
「車には気をつけるのよ」
「分かった!よし行くぞ、えっと……」
玄関へ向けてもう半分以上進みかけていた体を引き戻して、改めて両親のほうに向き直る。
「コイツ、名前は?」
「分からんな。捨てられていた箱にも何も書いてなかったし」
「もうアナタが飼い主なのだから、ケンジが決めていいのよ」
「よし、じゃあ行くぞ、ポチ!」
「わおん!」
古来より受け継がれてきた定番の名前。すでに手垢がつきすぎてむしろ誰もつけないんじゃないかと考え、以前から常々もし犬を飼うことがあったらこう呼びたいと思っていました。
「わぁー!カワイイー!」
「そうだろうそうだろう」
「本当にケンジくん家で飼うの?」
「うむ。ペットは飼ってみたいと思わなかったわけじゃないからな。棚からぼたもちだ」
「それは、ちょっと違うんじゃないかなぁ……?」
「………………」
「で、アリサはいいのか?触ってもいいんだぞ?」
「……別に。勉強してるし」
「ったく、強がっちゃって。ちらちらこっち見てるのはバレてんだぞ。よしいけ、つぶらな瞳で見つめる、だ」
「わん」
「……なによ、そんなの」
「(キラキラ)」
「……ふ、ふん!そんなの別にどうってことないし!」
「(キラキラ)」
「……だから、その」
「(キラキラ)」
「……えっと、あの」
「(キラキラ)」
「……うう」
「(キラキラ)」
「もー!そんなに見るんじゃないわよー!」
「きゃう!?」
「このこのっ、きれいな目ェしちゃってさ、この!可愛いわねもう!アンタ、ウチの子になっちゃいなさいよ!」
「わー、アリサちゃんすごく楽しそう」
「あいつはワンころが大好きだからな。つかおい、ウチの子を誘惑しないでくれ」
「いいじゃない別に。ほーら、アンタもウチの方がいいでしょー?広いし、ともだちもたっくさんいるわよー?」
「やめろ、お前ん家と俺ん家を比べるな。とにかくその子は渡しません。代わりと言っちゃあなんだが、一緒に遊ぶ時はそいつも連れてくるから。それで我慢しろ」
「むう。しょうがないわねぇ。今日はこのくらいで勘弁してあげるわ」
「明日も明後日も無いからな」
「あ、そうだケンジくん、この子、お名前は?まだ教えてもらってないよ」
「ああ、ポチってんだ。在り来たりだが、逆に新しいと思ってな」
「あれ?でもこの子、女の子だよね?」
「え」
え。
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