魔法使いへ到る道
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8.雪やこんこ、猫やこんこ
雪が舞い落ちる。
分厚く青い空を覆い隠す灰色の天蓋。まるで雲の欠片が千切られては捨てられているかのような、不思議な光景。
「とりゃーっ!」
空は灰色。白い雪が延々と続く。そりゃ時間がたったら空も黒くなるだろう。なんつって。
地面は白く染まって、世界の汚れを浮き彫りにする。
「甘いわ!くらいなさい!」
季節は冬。早いようで短かったようで、けれど本当はとてつもなく長かった一年ももうすぐ終わる。これまでと変わらない一秒一秒を重ねながら。
「二人とも、よこがガラ明きだよ!」
子ども風の子元気の子。そして大人は火の子と続くのだが別に知っても得しない。覚えるだけ無駄なのである。あるよねそういうこと。まさに無駄知識。
「わぷっ。つめたーい!このーっ!」
「そんなへなちょこ玉当たらないわよ――きゃん!?」
「余所見はいけないよ?」
「……ふ、ふふふ。上等じゃない。勝負よ!」
「のぞむ所!」
「もー!無視しないでー!」
「……あー、マジで風の子。むしろ台風の目だな」
今年初めての雪が降り出したのが昨日の夕方ごろ。それから絶え間なく振り続けた雪は、今朝目覚めた時には世界を銀色で満たしていたのだ。
積もった雪を見て無条件でテンションが上がるのが子ども。面倒が多そうだとため息をつくのが大人である。どうも俺は根っからの子どもだったらしい。
「さっむ。早く夏にならないかなー」
子どもの頃から嫌なガキだったようだ。
かまくらの中で膝を抱えて暖を保ちながら元気よく騒ぐ三人をまぶしい目で見つめた。
「ケンジくーん!いっしょに遊ぼうよー!」
「そんなところでじっとしてたら、凍って死んじゃうわよー!」
「うるせー!誰のせいでこんなに疲れてると思ってるんだー!」
着ている服はびちょびちょ。靴の中敷きからマフラーまで湿っている。脱いだら風に当たって冷えるから着たまんまだけど。
学校の窓から振り落ちる雪をわくわくしながら眺め「明日積もったら遊ぼう」と約束したのが昨日。そして思ったとおりになったので勢いよく家から飛び出したのが大体二時間前だ。
とりあえず道路などでは遊ぶのは危ないのでそこ以外の広い場所で遊ぶことになった。けれど近所の空き地や河川敷はすでにたくさんの子ども達で埋め尽くされており、十全に楽しむことが出来なさそうだったのだ。
どうしたものかと首を捻る俺に、すずかが一言、
「じゃあウチにおいでよ。お庭が広いからそこであそぼ?」
ブルジョワ発言が飛び出した。嫉ましい。でも感謝しちゃう。
渡りに舟のその申し出に、ここぞとばかりに飛びついた。
到着した月村家、むしろ月村邸は門から玄関までは既に雪が除けられていたものの、その両サイド、庭一面は誰の足跡もついていない真っ白なキャンバスのようだった。
ジャンプして飛び込み跡をつけて喜ぶなのは。ふわふわの新雪を手のひらで掬いお互いに掛け合うお嬢様方。丸めてオーバースローで放り投げる俺。湧き上がる悲鳴。そして始まる三対一の総力戦。
闘争の本質は数ではなく質であるということを証明するかのように、序盤こそは俺が圧倒的優位に立っていた。走り回りながら敵からの攻撃から逃げ、途中集めた雪を上手く当てる。
敵も馬鹿ではない。運動神経が切れまくっているなのはを後方に回し補給係とし、運動能力の高いすずかとアリサを砲台として活動させ始めた。中々いい手だ。褒めてやろう。
そして発生する不幸な事故。ノリで九十度近いカーブを決めようとした瞬間、スリップ。面白いように転がりながら俺は雪にまみれた。
そこからはもうただの一方的な蹂躙。雨霰と降り注ぐ雪球たち。いくらなのはの投げ方がへっぴり腰とはいえ、十分に近づいて投げれば当たるもの。
三人が息を荒くし肩を上下させる頃には、俺の姿は白い山の中に消えていたという。
そして俺はその時埋もれていた雪を使い一人用のかまくらを作り上げ、以来ずっとそこに引き篭もっているのだ。冷たい風が吹いてこないだけで十分暖かいと知った。
「……ケンジくん、大丈夫?ふるえてるよ?」
ああ、すずかよ。心配そうに俺に声をかけてくれるのはお前だけだよ。だけど俺は忘れない。俺が転んだ時一番力強くスローイングをしていたのはお前だということを。
「アリサちゃーん、なのはちゃーん、ケンジくんもさむそうだし、そろそろお家入ろー」
「そうしようぜー。お前らも服濡れてるだろうし、そのままにしてたらカゼひくかもよー」
二人がかりでの真摯な説得により、いつまでも遊びを続けようとしていたなのはとアリサも渋々ながら動きを休めた。
徐々にだが勢いを増してきた降雪の中を進み、屋敷の扉を開ける。木製だよ木製。きっと高いよ。
「ふぃー」
「ふにゃー」
暖房が効いた室内はまるで楽園のようだった。思わずなのはと一緒に気の抜けた声を漏らしながら玄関口に敷かれた絨毯の上に寝転がる。
って、虎じゃん。
「ちょっとー、汚いわよ、二人とも」
「ちゃんと体についた雪をおとさないとだめだよ」
「「はーい」」
ばほばほと厚着していたジャンパーの前を開いてはためくかせ、ぴょんぴょんとその場で跳ねて粗方落とす。
「お帰りなさいませ、すずか様。それにみなさまも」
「外は寒かったでしょう。温かいお茶の用意ができてありますので、良かったらどうぞ」
月村家に仕えるメイドの姉妹、ノエルさんとファリンさんがいつの間にか傍にいた。着ていたジャンパーやマフラーを渡して外套掛けに掛けてもらう。それが彼女達の仕事なのだし、なにより今の俺では背が届かない。
いやー、なんか俺も馴染んでるけど、普通家にメイドとかいないよねー。どこにいけば雇えるんだよ。コスプレじゃないやつ。
ううむ、しかしメイドさんをローアングルから見上げる機会というのも中々ないものだ。子ども時代にメイドさんがいる家の子と友達にならなきゃ出来ないことだね。きっと流れ星を見るより難しい。
ヘッドドレスがちらちらと見え隠れする感じ。意味も無くときめいてしまう不思議な感情。
「あー、ケンジくん、ノエルさんに見蕩れてる!」
「え、ああ、うん。ノエルさんって綺麗だなー、と」
「ふふ、ありがとうございます」
優しく微笑み返ってくるお礼の言葉。あしらい方にずいぶんと慣れているようだった。まあ俺も本音を言っただけだから大してダメージは負っていない。
ただし納得できていないお子様が一人。
「むー、キレイだって、なのはには言ってくれたことないのに」
「何処でそんな言葉覚えてきた」
「お姉ちゃんがケンジくんに言ってみて、って」
美由紀ェ……。小学生に何言わせてんだ。妹に何言わせてんだ。
「ね、ね、なのはは?なのははキレイ?」
「うんうん、なのはちゃんは可愛いよ」
「えへへ~」
適当に言っておざなりに頭を撫でてやったら物凄く喜ばれた。これが純粋さ。見るもの全てを幸福にする幸せスパイラル理論の原点。思いついた言葉を並べ立ててみただけです。
にこやかに笑いながら先導してくれるメイドさんたちの後を、なのはの手を牽きながら追いかけた。
「あ、もちろんすずかもアリサも可愛いよ?」
「あら、嬉しいわ」
「ありがとねー」
ちょっと格好つけてみたら全然相手にされなかった。これはこれでショック。
すずかの家には薪を燃やして火を熾すような暖炉もあるらしいが、最近じゃ環境に気を使って使用を控えているらしい。この家だけ中世か。
ぬくぬくと電気ストーブの前で暖をとる。四人で肩を寄せ合っているから保温性もばっちりです。
にゃー。
にゃー。
にゃー。
……やっぱりちょっと暑いです。
月村家で飼っている大量の猫が俺達の体に纏わりついている。最初こそ可愛さに癒されたりしたがもうダメだ。暑くてたまらん。
「俺から離れろー」
にゃー。にゃー。にゃー。にゃー。
肩や膝、頭にまで上っていた猫を掴み放り投げる。滞空した猫はくるくると身を捻って着地し、何事も無かったかのようにまた俺の体に上る。
「てーい」
にゃー。
「おらー」
にゃー。
「こなくそー」
にゃー。
「ばたんきゅー」
にゃーにゃー。
永遠に続くかと思われた俺と猫との不毛な争いは俺が根負けしたことで幕を閉じた。寝転がった俺の体に上に次々と猫が飛び乗ってくる。ちょっと重い。流石にうざい。
「誰か窓を開けてくれないか?俺の手は塞がってるんだ」
「いやよ。寒いもの」
そんなこと言わないでよアリサちゃん。犬派と公言しているから今膝の上にいる猫に構うことを躊躇っているアリサちゃん。でもちらちらと横目で伺っては恐る恐る手を伸ばしてすぐに戻し手を繰り返しているアリサちゃん。
「うう、いいなぁ、ケンジくん。ウチの子たちと仲良しで」
「いいな、って。お前ん家の猫だろう。懐いてないのか?」
「ん~、きらわれてはいないと思うんだけど、今のケンジくんくらいべったりしてくれないっていうか……ほーら、おいでおいで~」
やって見せたほうが早いとばかりにすずかは手のひらを差し出し猫なで声で呼びかける。その声に反応したのは俺の胸の上でふてぶてしく丸まっていた黒猫で、しなやかな動きでひょいひょいとすずかの許へ行き、
にゃー。
ぽん、と差し出された手に前足を軽く乗せ、義理は果たしたとばかりに踵を返し元いた場所に帰ってきた。
「…………ね?」
「さみしそうな顔をするな。俺が悪いことしたみたいじゃないか」
よしよし、とすずかの頭を撫でてやる。小猫が一匹が二の腕の辺りにぶら下がっていて重かったけど、すずかが嬉しそうだったんで頑張った。
「にゃー」
にゃにゃ?
「にゃーにゃー」
にー、にゃおーん。
「にゃにゃにゃ、にゃんにゃん」
人間の言語を使うことを放棄したペアがいる。なのはと、なのはに両手で持ち上げられてぶらぶらしている三毛猫だ。もうなのはが可愛くて濡れそうなくらいだけど、あれは会話が成り立っているのだろうか。
え、なになに、『おい』『なんだよ』『ボタン取れてますよ』『うわマジで、新しく買ったばかりなのに』『そこは「俺たちゃボタンなんか元から無ぇだろ」ってツッコむところだろーがよ』だって?ありがとう黒猫。
とりあえず一人で妄想しているのが悲しくなったんで、黒猫の首根っこを掴んでなのは目掛けてぶん投げる。
「ふにゃっ!?」
びたーん、と顔面にべったりと猫が張り付いた。いきなり視界が塞がれた事に混乱して立ち上がりふらふらと辺りに手を伸ばすなのは。その手がストーブに向かった時はすずかとアリサが慌てて止めに入った。
はっはっは、これこそ助け合いの精神、美しい友情だね。
「なに黙って見てるのよ!アンタがやったんだから責任取りなさいよ!」
「あれあれ?なんでこの子離れようとしないの?剥がすの手伝ってよ、アリサちゃん、ケンジくん!」
「ほにょもむむろ~!?」
ばたばたと手を振るなのはの動きを抑えるのは一人では荷が重いらしい。やれやれ、仕方が無い。手伝ってやらなきゃならないからちょっとどいてくれよ猫さんや。
にゃー。
ありがとう。
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