ファルスタッフ
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第二幕その三
第二幕その三
「御機嫌麗しいようで」
「いえいえ。ああ、御前達は」
「わかっております」
「それでは我々はこれで」
「心置きなく飲むがいい」
鷹揚に彼等を送り出す。また二人になって話をする。フォードが話を切り出してきた。
「まずはですね」
「何でしょうか」
「私は財産は恵まれていますが」
「まずは幸福の基本におられるわけですな」
「幸福の基本ですか」
「左様。人にとっての幸福とは」
ファルスタッフはここでわざと勿体ぶって格言めいて言う。早い話が格好をつけている。
「財産があり健康で美女に囲まれていること」
「その三つですか」
「この三つがなければ不幸以外の何者でもありません。不幸にして私が持っているものは健康のみです」
「一つだけですか」
「残念なことです。ですが御相談には乗りますぞ」
そのまま勿体ぶってフォードに言う。
「して。何の御用件でしょうか」
「実は恋焦がれているのです」
フォードはわざと悩ましげに言ってみせる。これは演技だ。
「どなたですか?」
「フォードという男の妻でして」
「ふむ」
ファルスタッフはここでは表情をわざと消して聞いている。
「その方ですか」
「見詰めても見返して下さらずプレゼントにも反応はなし、私は振られてばかりです」
「愛は休むことがなきもの」
ファルスタッフはここでこう言った。
「この命果てるまで影の様に逃げても逃げてもついて来て追いかければ逃げるもの」
「実に厄介です。ですから貴方のお力をお借りしたいのです」
「わしのですか」
「そうです」
懇願する顔を作って言う。
「まずはこれはほんの気持ちです」
「いや、どうも」
彼が差し出した金貨がふんだんに入った袋を受け取る。外見はやはり表情だが内面はほくほくしてにやけている。しかしそれは顔には出さないのだった。
「あの方は御主人に操を尽くすことだけを考えておられて。それでですね」
「それで」
「貴方に私の代わりになって欲しいのです」
「またそれは随分変わった申し出ですな」
「貴方だからこそです」
こっそりとファルスタッフの自尊心をくすぐる言葉を入れて彼をその気にさせる。
「私が駄目ならもう誰かに陥落させて欲しいのです、城を」
「城をですか」
「その将軍は貴方しかいません」
何処か寓話めいてもいた。自分が駄目なら他人にして欲しいという。ファルスタッフはこう思ったが生憎フォードは本心ではそう思ってはいなかった。ここにその差があった。だがフォードはそれを隠して話すのだ。
「ですからどうか」
「わかりました。それでは」
「有り難い。それでは」
ここで財布を一つ渡す。これもファルスタッフを乗せる為の出費である。
「宜しく御願いしますね」
「いや、どうもどうも」
やはり内面でにやけながら財布を受け取り応える。
「実はもう手筈は整っていまして」
「整っていると」
「左様です。まああと半時間であの方はわしのものですじゃ」
「半時間!?どうしてですか」
「あの方はわしを慕っていまして。それで今から行くのです」
「今にですか」
「二時から三時までの間に」
彼は言った。
「旦那がおられぬので。その間に来るように言われているのです」
「誰にですか?」
「そのアリーチェ夫人にです」
フォードはそれを聞いて内心激怒した。それを隠すだけでも四苦八苦だった。
「そうだったのですか」
「あそこの旦那はメネラーオスかはたまたコキュか」
ギリシア神話のセレネーの夫のスパルタ王だ。セレネーをパリスに奪われた。
「そのうちコキュの印の角の上で花火をつけてやりましょう。間抜けな雄牛の角に」
(何ということか)
フォードは今のファルスタッフの有頂天の言葉に内心怒りで震えた。
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