ソードアート・オンライン ―亜流の剣士―
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Episode2 社会的な抹殺
目の前のイガグリ頭には見覚えがあった。それもそのはず、こいつの名前はキバオウ。率先して攻略を行っているギルド《アインクラッド解放隊》の中枢を担うメンバーだったはずだ。
そして、事ここに至って俺はようやくキリトの「隠れろ」の意味を悟った。
「なんや、自分が誰かとおるのってあのフェンサー以外とやと珍しいやないか」
キリトから真横にスライドしたキバオウの視線に俺は引き攣った笑顔を返した。
「や、やぁ…」
「って、自分オレンジやないかい!」
こちらの耳が痛くなるような大声で叫んだキバオウは、さすが攻略組というべきスピードで装備していた片手剣を抜き放った。それに倣い後ろに控えたメンバーも各々に武器を構えた。これは中々に迫力がある。
「キリト!お前ついに犯罪に手ぇ染めよったんか!」
「…え?いや、ちょっと待ってくれ!」
迫力に圧されてどう行動したものか惑っていた俺ではあったが、キバオウの発言には反応した。おかしい。この場で真っ先にキリトが糾弾されるのは絶対おかしい。ほとんど反射で言い返していた。
「キリトは関係ない!っていうか俺もオレンジプレイヤーじゃない!」
「あぁ?何いうとんねん!自分のカーソル、間違いなくオレンジやないか!」
ガチャッと音を鳴らしてこちらに一歩キバオウは踏み出した。身長が低い彼の動作からやけに圧力を感じてしまうのは彼と俺の実力の差か、それとも俺が弱っているのだろうか。
それでも懸命に踏み止まった俺は再び言い返した。
「違う!これは嵌められて」
「はぁ!なんやねん、その下手な言い訳は!」
俺の言葉が火に油であったかの如く更に興奮した様子のキバオウの剣が俺に接近する。
普段であればプレイヤーへの攻撃は行動に移されることが滅多にないためになんとも思わない。だが、今俺は犯罪者たる証のオレンジのカーソルを持った《オレンジプレイヤー》だ。PoHが行ったようにオレンジプレイヤーには例外的に無条件で攻撃が可能である。
俺の背中を嫌な汗が流れる。
「なにしたんや自分は。それ聞いてから《黒鉄宮》に送ったるわ!」
「うっ…」
ついに首元にまで来た剣に呻きを漏らしてしまった。耐え切れず一歩下がった体が不意の加速力を与えられ、そのまま2、3歩フラフラと下がった。その俺とキバオウの間に小さな影が飛び込んだ。小柄なキバオウを見上げるようにして俺の前に立ったアカリが叫ぶ。
「カイトさんにイジワルしないでくださいっ!」
勇ましく言い放ったアカリに呆気に取られた様子だったキバオウだったが立ち直るのも早かった。
腰を折るようにして上体だけを前に突き出してアカリに叫び返す。
「なんやねん自分!引っ込んどれや!」
「はうっ…」
よたよた、と後ずさってきたアカリの背中を支えながらキバオウを見返した。少々、いやかなり睨んでやりたいような気分だったが表情には出ないように極力努力する。
「本当に何もやってないんだ。説明するといろいろややこしいんだけどさ。とにかく、俺は犯罪者じゃない」
「…そうは言うけどやな、何もしてへんなんて証拠あるんかい」
「証拠って…」
俺の平静を装った表情が効いたのか、もしくは今にも泣き出しそうに歪んだアカリの顔に罪悪感を感じたのかキバオウの口調が緩んだ。しかし、キバオウに俺から返す言葉がない。
俺がオレンジである証拠なら頭の上に浮かんでいるのがまさにそうなのだが。そうじゃない証拠となると何も思い付かない。
「あ、あたしがっ!あたしがカイトさんは悪くないって知ってますっ!」
若干言葉足らずな気がするが懸命なアカリの訴えかけにようやくキバオウが沈黙した。むすっとした表情のキバオウが剣をゆっくりと鞘に納め始めた。それを見た俺はこっそり詰めていた息を吐き出した。
キリトを説得したのもそうだが、アカリの言葉は初対面の他人にも裏表がないことが伝わる。真っすぐ、それでいてじんわり染み込む。すでに俺は二度救われている。
剣を納め終えたキバオウに慎重に問い掛けた。
「分かって、くれたのか?」
するとキバオウはふんっ、と言いながら顔を背けた。完全に剣を納め終えた腕を胸の前で組み後ろのメンバーに先に行けと指示を出す。
「別に自分を信じたわけとちゃう。ただ自分みたいな小物はワイがわざわざ手出さんでもいいっちゅうだけの話や!」
再びふんっ、と言ったキバオウが背を向ける前にこちらを直視した。
「…自分名前はなんちゅうねん」
「俺か?カイトだ」
「…あ?どっかで聞いたような名前やの…」
キバオウはそう言うがそんなわけあるはずもない。確かに一応俺も攻略組の端くれではあるが、キリトがそうであったように攻略組のメインの面々が覚えているはずもない。そんなわけで不思議に思いつつ微妙な角度で首を傾げていると、先に行ったはずの解放隊のメンバーからあっ、という声が上がった。似たり寄ったりな鎧の中から手に巻いた紙を握った一人が抜け出した。
「キバオウさん!」と叫び駆け寄ったそいつから手渡された紙を見たキバオウの顔が驚愕の色を呈した。
「自分、ホンマに《カイト》っちゅうんやな…」
その紙がこちらに向けて広げられた。それには赤い文字でデカデカと《WANTED》と見出しが書かれており、下に細々とした本文が続く。少し遠目にその文章を追った俺の目が最初の一文も読み切らないうちにキバオウの手によりその手配書が握り潰された。耐久値を失い小さなポリゴン片と散った紙の向こうで歯を噛み締めたキバオウの顔がちらついた。
その表情を明確に俺に向け直したキバオウが叫ぶ、いや怒鳴った。
「お前!《レッド》やないかい!」
モンスターの咆哮にも似たその言葉に俺は目を見開いた。《レッド》という言葉は聞き慣れないが、何故か背筋が寒くなった。
「《レッド》ってなんだ…?」
異様に震えた声が口からこぼれた。その言葉にはさっきまで静観の姿勢を崩さなかったキリトが答えた。
「プレイヤーのヒットポイントを全損させたプレイヤー…殺人を犯したプレイヤーのことを普通のオレンジと区別してそう呼ぶんだ」
「…は?」
《レッド》。それが自分のことを指しているという認識はいつまで待っても出来なかった。なぜならキリトの説明と俺の現状は全く重ならない。俺はプレイヤーを全損どころか不可抗力で傷付けただけなのだから。
それでも俯けた視線が何故か上げられなかった。視界には見上げるアカリの顔があるのだが思考を懸命に巡らしているせいか、ボンヤリとしている。
何故、俺はキバオウに《レッド》呼ばわりされているのか。ただのでっちあげ?なら、さっきの手配書は?イタズラにしては悪質過ぎる。
――ここで死ぬか、それとも社会的に抹殺されるか
「あっ!あぁ…」
こんな時間差で来る遅効性の毒のように。奴が言っていたのはこういうことだったのか。
ザリッ、と剣の抜ける音に目を向けつつ口を開くが動揺しているのか言葉は出ない。「違う!」ともう一度叫べばいいのに。
考えの読めないキリトの表情が、敵意を剥き出したキバオウの顔が、不安そうなアカリの顔が――。
「聞かせてもろたで。その話、ウチも入れてや」
俺が隠れられないと言った木の影から現れた一人の女性プレイヤーによって俺に向けられなくなった。真っ先に食いついたのはキバオウだ。
「今度は誰やねん!」
「ウチ?ウチはシスイや。エセ関西弁のキバオウさん」
「誰がエセやねん!」
シスイだ。襟の付いた白のシャツに黒のコートと黒のパンツとまるでスーツのような恰好のシスイはキバオウの答えに笑った。
「冗談やってば!」
笑い飛ばされたキバオウが表情を二転三転させているうちにシスイが俺に並び、肩に手を置いた。
「で、あんたらにはこいつがそんな悪いこと出来るように見えてんの?」
「見えとるも何もこうやって指名手配されとるんやないか!…って、あ…」
キバオウが突き出した手はまず間違いなく手配書を見せたかったのだろうが、それは彼自身が握り潰してしまっている。それにぷふっ、と吹き出したシスイがコートの内ポケットから先程の紙を取り出した。
「これのことやろ?ご丁寧に道具屋やったり武器屋やったりにフリーペーパーで置いてあったから一枚貰ってきたわ」
ヒラヒラとその紙をさせた後一瞬だけ目を通す仕種を見せたシスイはこの場で何故?と思ってしまうくらい楽しそうに笑った。当然キバオウが噛み付く。
「なに笑っとんねん!」
「いやな、なんや探偵みたいで楽しぃてな」
グルッと回りを見回した後、俺の肩に置いていた手を真っすぐに挙げた。
「昨日の夜、こいつと一緒にいたって奴はおるかな?」
その言葉に怖ず怖ずとアカリが挙手する。位置関係的に気付かなかったのか、アカリの《隠蔽》が今なお高いのか、驚いたように少し目を見開いたシスイがしゃがみ込む。
「初めまして。で、いつくらいからどのくらいの時間まで一緒におったか言えるかな?」
「ず、ずっとです!」
言い切ったアカリに「ありがとう」と言ったシスイが立ち上がった。キバオウに向き直る。
「らしいけど?」
「らしいけど、じゃないわ!それがどないしたっちゅうねん!」
「キバオウさん。アンタこれホンマに読んだん?」
キバオウに呆れたように紙を振ってみせたシスイが続ける。
「これ、確かにそれっぽくは書いてるけどいろいろおかしいで。まずカイトがプレイヤーを全損させたって、わざわざ時間まで書いてるけどさっきこの子が言ったように二人でおったんなら犯行時刻の深夜1時っつうのは変やろ。そんでからもう一個、これは同じ物書きとして許せへんねんけど、これ書いたもんの名前がない!以上であんたは間違ってるわキバオウさん」
「なんやて!」
ズバッと指差したシスイの向こうでキバオウの顔が歪む。しかし反論が帰ってくる。
「せやけどそのチビっ子が言うとうことがホンマや言う証拠もないやろうが!…仮にホンマやとしてもや!その頃にはもう寝てもとうやろ!」
痛いところを突いてくる。確かにそれには反論のしようもない。知らぬ間に夢遊病にでもなっていなければ間違いなく俺は寝ていたが、隣にいたアカリも同じく寝ていたので証明のしようもない。
しかし、アカリが勢いよくシスイの方を向いた。なにを言い出すんだ?と思っている俺の前でアカリが口を開く。
「あたし、カイトさんと一緒に同じベッドで寝ました!」
なっ、と声に鳴らない声で驚愕する俺の前でシスイが意味ありげにこちらを見る。俺としては、違うぞ!と反論したかったのだがその前にキバオウの声がする。
「か、仮にそうやとしても、自分が寝た後に抜け出したんかもしれんやろが!」
「あたし、カイトさんが先に寝ちゃった後カイトさんの腕をギュッとしてたんでカイトさんがどっかに行っちゃうわけありませんっ!」
「せやけど自分の気付かんうちに…」
「気づくもんっ!分かるもんっ!」
「はいはい!」
キバオウとアカリの言い合いにさっきまでと違う意味で変な汗を俺がかき始めた頃、シスイの言葉がようやくアカリとキバオウを止めた。
「もうええんと違う?そもそもこんな人畜無害そうな奴に殺人なんて出来るかいな」
「むっ。…ふんっ、もうええわ。勝手にせい。行くでお前ら」
えっ、でも的な雰囲気を残すお揃い鎧の軍団が先にズンズン歩いて行ってしまったキバオウを追い掛けて去っていく。その姿が消え、ガチャガチャいう鎧の音も聞こえなくなった頃、再び詰めていた息を吐いた俺にシスイが向き直った。
「んじゃ、今から詳しくもう一回聞かせてもらうで。そこのキリトはんも気になっとるやろしな。で、全部終わって納得出来たら、オレンジになってしもた君にお姉さんがいいもんあげよ」
そういって少し大人っぽい顔でイタズラっぽく笑った。
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