アイーダ
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第二幕その八
第二幕その八
「これで完全に」
「それでだ。ラダメスよ」
ファラオはあらためてラダメスに顔を向けてきた。ラダメスはそのファラオを見上げる。姿勢はその瞬間に正されていた。
「そなたの望みは適えた」
「有り難うございます」
「しかしじゃ。わしからも褒美をやりたい」
「褒美ですか」
「そなたの功に感謝してな。エジプトのファラオとして」
こう彼に告げる。告げながら自身の娘であるアムネリスを見ていた。
「アムネリス」
そして彼女に声をかけた。
「はい」
「そなたの夫が決まったぞ」
「私の主人が」
アムネリスはそれを聞いて思わず喜びの声をあげた。
「それは一体」
「エジプトの誇りだ」
それを聞いて誰なのかわからない者はいなかった。アムネリスの顔は歓喜に満ちラダメスの顔は強張った。アイーダの顔は今にも割れんばかりになった。三者三様で顔が変わったのであった。
その三人の顔にはやはり誰も気付かない。皆それに気付かずファラオの言葉を待つ。
「ラダメスよ」
ファラオは次にラダメスの名を呼んだ。
「それでよいな」
「ええ」
ファラオの言葉である。拒めはしなかった。だがこの言葉によりアイーダの心までもが割れんとしていた。
「そんな、私は」
「どうすればいいのだ」
ラダメスも思わず一人呟く。
「私が欲しいのはアイーダだけだというのに。玉座には」
「これで勝ったわ」
アムネリスは勝利を喜ぶ顔で恋仇を見据えていた。
「あの女に。私は遂に」
「あの方には栄光と玉座、私には忘却と絶望の涙が」
「これは雷なのか」
アイーダもラダメスもそれぞれ呟く。
「アイーダだけが欲しいというのに」
「さあファラオよ」
三人のことは知らぬランフィスはここでは良識ある男として笑顔でファラオに顔を向けてきた。
「祝おうではありませんか、我がエジプトの勝利を」
「うむ」
ファラオはそれに応えて笑顔になる。そしてここで立ち上がった。
「全てのエジプトの者達よ」
大臣にも将兵にも民衆にも語り掛ける。
「この勝利を心から祝おう。そして」
「神々に捧げ物を」
「我等に恵みを」
「そうだ、恵みは思いのままだ」
ファラオという存在は実は気前のいいものであった。ナイルが荒れ農耕なぞできはしない季節にはピラミッドの建設で職を与えていたのだ。ピラミッドの建設では衣食住は保障され労働者達は楽しい日常を過ごしていたのである。これは王の慈悲の一つとされていたのだ。
「皆の者、祝え」
命令でもあった。
「今日のこの日を。よいな!」
「ファラオ万歳!」
「エジプトに栄光あれ!」
歓呼の声に包まれる。しかしその中でアイーダは浮かない顔をしている。だがそこにアモナスロがやって来て声をかけるのであった。
「娘よ」
「お父様」
「どうしたのだ、一体」
「いえ」
後ろから自分の両肩を優しく抱く父に対しても項垂れたままであった。
「何でもありません」
項垂れたまま述べる。
「そうか。しかしだ」
そんな娘の心の中まではわからないがそれでも言った。
「案ずることはないぞ」
「どうしてですか?」
「わしに考えがあるのだ」
「お父様に?」
「そうだ、エチオピアを救う為にだ」
彼は王として語っていた。それは今のアイーダには届かない言葉だったがそれには気付かない。
「その為に。見ているのだ」
「そうですか」
「だからだ」
優しい声と顔になる。父のものであった。
「案ずることはないぞ、御前は」
「わかりました」
一応はその言葉に頷く。しかし。
(もう私の幸福は)
ラダメスのことしか考えられなかった。だがもう彼を見ることさえできなくなっていた。
(何処にも)
(何故神々は私からアイーダを)
ラダメスもまた同じであった。項垂れて歓呼の声の中にいた。
(奪っていくのか。ただ一つ欲しいものだというのに)
「将軍」
そんな彼にアムネリスがにこやかに声をかけてきた。
「王女様」
「もうすぐ私は王女ではなくなります」
ことさらにこやかに述べる。
「貴方の妻に」
「私の妻に」
「そうです。宜しく御願いしますね」
「はい」
項垂れるのをなおしてこくりと頷く。
「わかりました」
「私は今全ての幸福を手に入れました」
項垂れるアイーダを見て言った。
「この世にある全ての幸福を」
歓呼の声は自分に向けられているのだと感じながら。今そこに彼女は悠然として立っていた。項垂れるしかないアイーダを見据えながら。
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