| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

ラ=トスカ

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第一幕その八


第一幕その八

「へえ、そうだったんだ」
 堂守の言葉をあっさりと聞き流す事にした。向こうもそれで気が削がれた。
 アンジェロッティが正門を出た。カヴァラドゥッシはそれを見送り心の中で笑みを浮かべた。
「人が多くなってきたな。もうこれで帰らせてもらうよ」
 そう言うとすっと帰っていった。扉の入口ですれ違ったゼッナリーノに絵の片付けを再度頼むと自分で馬車を駆りそのまま去っていった。二人が絵の片付けに取り掛かろうとする中聖歌が流れてきた。
 その時だった。ドヤドヤと音がして教会へ黒い制服姿の警官達が押し入って来た。教会内が騒然とする中数人の警官を従えた一人の男が辺りを見回しながら入って来た。
 濃く黒い後ろに撫で付けた髪に重くそれでいて不気味な、陰惨な光を放つ漆黒の眼、無表情で何処か鉄仮面を思わせるやや細長い筋肉質の顔、黒と赤で色彩られた服、山の様な背丈、古代ローマの剣闘士を思わせる身体、彼こそローマを恐怖のどん底に落とし込んでいる男、秘密警察の首領ヴィットーリオ=スカルピア男爵である。
 シチリアに生まれた。父は男爵、母はある大地主の娘だった。男爵といっても元は山賊の頭でありナポリ王家に帰順した時に男爵の称号を授けられた。要するにそれまで裏から仕切っていたのが公に治めるゆになったのである。農民達の面倒を見てやる代わりに袖の下や上前を要求する、言うならばヤクザの親分である。それもお上から許されている。元々その大地主の家とは関係があった。その娘と結婚して繋がりを更に深めたのである。
 二人の長子として彼は生まれた。幼い頃より柄の悪い者達に囲まれこの地独特の掟を叩き込まれた。若くして父の代わりとして一帯を取り仕切るようになりその手腕は宮中においても注目されるようになった。
 だがその手腕以上に宮中において彼が彼が有名になった事がある。それは彼自身の悪評であった。
 山賊上がりの一族の者なぞ宮中の毛並みの良い門閥貴族達にとって吐き気ももよおすものであった。その上裏社会に育った彼は行いも悪かった。
 毎夜如何わしい館に入り浸り手下の者達と謀議を重ねる。逆らう者は片っ端から罪をでっち上げ嬲り殺しその財産を残らず懐に入れた。賄賂を受け取り上前をはねる。その周りを素性の知れぬ人相の悪い者達で固めている。彼を嫌悪するある有力貴族は彼を除くよう王妃に進言したが彼女は取り合わなかった。彼の悪評より彼の能力を評価していたからであった。
 やがて王妃に取り立てられナポリ王国の共和主義者に対する取締りの責任者に任じられた。
 この時ナポリはフランスと結んだ共和主義者達の為全くの無政府状態に陥っていた。彼は着任するなり国王の勅命を以ってナポリ全土に戒厳令を敷いた。そして市民達に共和主義者を連れて来た者には多額の褒賞を与える事を約束した。同時にナポリを混乱に陥れているのは外から来た共和主義者であり彼等こそが全ての元凶であると喧伝した。
 スカルピアに煽られた市民達は次々に共和主義者と思しき外国人や不審な者達を捕らえスカルピアの下に連れて来た。その数は数千に及びスカルピアは彼等のほとんどを死刑にし全財産を没収した。これには彼の配下であるシチリア出身のならず者達の力が大きかった。
 戒厳令を敷くと同時に彼はナポリ全土へ手の者達を放ったのである。そして共和主義者達のブラックリストを瞬く間に作り上げたのである。そして市民達を煽り共和主義者達を連れて来させたのである。
 無論ブラックリストの中には共和主義とは全く関係の無い者達もいた。それはスカルピアも承知していたしそうなる事も解かっていた。それが誰かさえ。
 では何故そうしたか。袖の下を要求する為だ。賄賂をせしめた後放免する。そしてそれをネタに彼等を脅し自分達の協力者に仕立て上げるのだ。こうしてナポリの対共和主義者秘密警察は作り上げられていった。
 秘密警察やスパイを街に放ち市民に密告を奨励する。こうしてナポリ全土の共和主義者達を血祭りにあげていったのである。
 それが王妃に認められ不穏な状況となっていたローマに送り込まれた。そしてローマでもナポリと全く同じ事をした。
 元ローマ共和国領事アンジェロッティ候を捕らえた時王妃にすぐに獄中で暗殺する様指示された。密かに行うつもりであったがその話が何処からか漏れた。否その考えはアンジェロッティの実家に容易に読まれていた。脱獄された。このまま逃げられれば自分の首が危ない、そう直感した。
 ナポリでのやり方が余りにも狡猾で残忍であった為彼を嫌う者はこの上なく多かった。流石に王妃も庇いきれないようになっていた。まして共和主義者の中でも大物中の大物であるアンジェロッティを逃したとあれば・・・・・・・・・。王妃と親しいエマ=ハミルトンの事もあり粛清される、そう確信していた。今彼は将にダモクレスの剣の下にいたのだ。
 「出口は全て押さえろ。猫の子一匹見逃すな、獲物は悪賢いぞ」
 低く野太い声で指示が出される。警官達が一斉に散る。それを見て教会の中の市民達は恐れおののいている。
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧