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ラ=トスカ

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第一幕その三


第一幕その三

 籠はパン籠であった。中には少量のパンとコールド=チキン、無花果数個にナプキン、二つの銀の杯、そしてワインのデキャンタが入っている。
 老人はデキャンタを見て言った。
「ゼッナリーノ君、そのワインはグラグナノではないかい?」
 その言葉にゼッナリーノは苦笑した。
「何言ってんですか堂守さん、これは白ワインでしょ、グラグナノは赤ワインじゃないですか」
「はて、そうだったかの?じゃあマルサラか」
「そうですよ。閣下のお気に入りなんです」
「鶏に白ねえ・・・。閣下も少し変わっておられる。まあ変わっておられるからフランスなんぞ支持なさるんだろう」
「ちょっと」
 堂守を咎める。強い口調だ。
「あ、済まぬ済まぬ」
 両手の平でゼッナリーノを制しながら謝る。
「何も御前さんの御主人に悪気がある訳ではない。優しい方だし礼儀正しい。何より気前が良い。子爵殿には感謝しておるよ」
「なら良いんですけどね。閣下の事を悪く言うと承知しませんよ」
「判った判った」
 そう言い終わると堂守は教会の清掃を始めゼッナリーノは入口の側にある布で覆われた絵の下に置かれている絵具や筆の手入れにかかった。少しして一人の男が入ってきた。
「マリオはいるかい?」
 背の高い黒い髪と瞳を持つギリシア彫刻の如き端正な顔立ちの男である。逞しい身体をオーストリア軍将官の軍服とマントで覆っている。
「あ、伯爵」
 堂守とゼッナリーノは思わず直立不動となった。彼こそローマの有力貴族の一つカヴァラドゥッシ伯爵家の当主でありまたオーストリア軍きっての知将と謳われるアルトゥーロ=カヴァラドゥッシである。
 かってオーストリアのフランス大使を務めた父と哲学者エルヴァシウスの姪孫娘との間に生まれ長じてオーストリア軍士官学校に入り軍人として武勲を挙げてきた。謹厳実直で度量も広く兵士からも人気が高いオーストリア軍の名将カール大公の懐刀でもある。この度のイタリア戦役においてもその知略でもってフランス軍を大いに悩ませた。特にゼノア城に籠城するフランス軍を打ち破り多数の捕虜を得たのは彼の策に拠るところが大きい。この功によりナポリ王妃より勲章を賜る為ローマに来ていた。
「いないのか?確かこの教会で絵を描かせてもらっていると聞いたのだが」
「ユダヤ人街へ画布を買いに行かれたのではないでしょうか?画布が少なくなってきたと言っておられましたので」
「ユダヤ人街か。ならばすぐに戻って来るな」
「はい」
 ゼッナリーノが答えるとすぐに扉が開いた。
「ゼッナリーノ、誰か来てるのかい?」
 前後に短く切った黒い髪を持ち顎鬚を生やした男が入って来た。黒い瞳をしている。その光は強く明るい。細面の美男子である。どうも髭が似合っていない。青い丈の長い上着に白いシャツ、赤のタイを身に着けている。黒の長ズボンにブーツをはいている。背は高い方か。彼こそアルトゥーロ=カヴァラドゥッシの弟、マリオ=カヴァラドゥッシその人である。
 二人の父はフランス大使をしていた折ディドロやダランベールといった百科全書派の学者達と交流があった。エルヴァシウスの姪孫娘と結婚したのもその縁からであった。
 兄は軍人を志したが弟は父の影響か学者を志した。フランスへ留学しパリで哲学を学んでいたが絵に興味を持ち始め当時その絵が大いに話題となっていたダヴィットの元へ弟子入りした。才能があったのかその技量はすぐに師を唸らせるまでになった。独立しすぐに名が売れ始めたがその矢先に両親が急死したとの報が入ってきた。
 遺書が残されていなかった為兄と遺産相続を相談する為ローマに帰ったがある個人的な事情の為相続の件について話が着いてもローマに留まり絵を書き続けている。
 「マリオ」
 声の主を見た。そこには彼が良く知る人がいた。
 「兄さん、どうして此処に!?ファルネーゼ宮にいたんじゃ・・・」
 「少し御前と話がしたくてな。二人で話したいのだが」
 「うん」
 マリオは頷くと堂守とゼッナリーノを呼び二人にチップを渡した。
 「これで何か美味しいお菓子でも食べに行ってくれ」
 二人は喜び一礼した後すぐに教会を後にした。二人が出て行ったのを見届けるとマリオは兄に向き直った。
 「何の話かは解かってるよ。スカルピアの事だろう?」
 弟の問いに兄は黙って頷いた。
 
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