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ラ=トスカ

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第二幕その四


第二幕その四

「あら長官、お元気そうで」
 入口でオルロニア公爵夫人と会った。おそらく上で話を聞いていたのだろう、何やら皮肉な笑みを口の端に微かに浮かべている。
 忌々しい女だ。心の中で舌打ちしたが顔には出さず会釈する。
「今晩は、マダム。本日もお美しくていらっしゃる」
 スカルピアはこの夫人が嫌いだった。代々伝わる名家の出身である彼女は成り上がり者のスカルピアを嫌い何かと王妃に彼の悪評を耳に入れていたからだ。
「どういたしまして。ところで夕刻大砲が鳴りましたわね。如何いたしましたの?」
 眼に侮蔑の光が宿る。脱獄の件をあからさまに皮肉っている。
「鼠が一匹消えましてね。今猫達に追わせているところです」
「あら、あの小汚い猫達ですの?」
 スカルピアの眼に殺意の光が宿った。だが彼はそれをすぐに消した。
「それは誤解ですな。極めて優秀な猫達ですぞ」
「まあシチリアやナポリでたっぷりと食べて大きくなりましたからね。どなたかとご一緒で。随分と走り回っていたし、足も速いでしょう」
「・・・・・・・・・」
 言い返そうとしなかった。怒りで顔と手が真っ白になっていた。
「まあお気をつけあそばせ。もし鼠がローマから逃げ切ったら猫達も無事ではありませんし」
「・・・・・・はい」
「それでは私はこれで。陛下をお迎えしなくてはなりませんので」
 そう言うと小馬鹿にした顔で去って行った。その後姿をスカルピアは忌々しげに見ていた。
(フン、今に見ておれ)
 大広間に入る。誰もスカルピアには近寄ろうともせず声も掛けない。
 肉を口に入れた。葡萄酒で流し込む。
 暫くしてパイジェッロに連れられトスカが大広間に入って来た。大広間からどよめきの声が聞こえる。
 男達がトスカの周りに集まり次から次に先を争う様に彼女の手の甲に接吻する。その手にあるブレスレットはルビーとサファイア、そしてダイアモンドで飾られている。カヴァラドゥッシからの贈り物である。
 男達がトスカの周りから去ると今度はスカルピアが近付いて来た。他の男達と同じ様にトスカの手に口付けをする。
「男爵、脱獄囚はもう見つかりまして?」
 立ち上がったスカルピアに対しトスカは言った。その言葉に隣のパイジェッロは色を失った。だがトスカはそれには気付いていない。
「それが貴女にどういう関係があるというのです!?」
 不機嫌そのものの顔でトスカに答える。同時に極めて用心深くトスカの顔色を窺う。彼女の反応を探っているのだ。
「ええ。牢獄からようやく逃れる事が出来た気の毒な方ですから」
「ほう、それはお優しい事で。では一つお聞きしましょう、その人が貴女の家の扉を叩いたならば貴女は一体どうします?」
「開けてあげますわ」
「では貴女はその囚人と一緒にサン=タンジェロ城に入る事になりますな」
 スカルピアはトスカに釘を刺した。同時に一貫してトスカの顔を見ていたが結論が出た。白だった。またもや心の中で舌打ちする事となった。
 周りを見回す。誰もスカルピアと顔を合わせようとはしない。情報も集まりそうにはない。渋い顔をした。その時だった。王妃の到着を伝える声がした。
 それまで広間中に散らばり談笑し酒や料理を楽しみ賭け事に興じていた一同が左右に整列した。今までカンタータを鳴らしていた樂者達は国歌を演奏していた。
 大勢の従者達を従え王妃マリア=カロリーネが入って来た。豪奢な絹の白いドレスに身を包み手には王妃を表す杖が、そして頭には冠が被せられている。ブロンドのやや巻いた髪、青く強い光を放つ瞳、整った細い顔立ちに大きな特徴が幾つか見られる。
 鷲の様な鼻、厚い唇、やや出た下顎、それ等の特徴が彼女の出自を表わしていた。
 ハプスブルグ=ロートリンゲン家、神聖ローマ帝国皇帝として欧州全土にその権勢を誇示する欧州きっての名門である。
 かつてはスイスの一地方貴族に過ぎなかった。だがこの家のある者が神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ一世として即位するとその地位は一変した。以後婚姻政策を中心とした積極的な外交政策によりその勢力を拡大していく。
 ウィーンを本拠地としてオーストリア、ドイツはもとよりハンガリー、チェコ、スペイン、ベルギーそしてイタリアへとその勢力は拡がっていった。先に出たカール五世もハプスグルグ家出身である。彼だけでなく『忠誠最後の騎士』と謳われたマクシミリアン一世、スペインの絶対君主として君臨し『日の沈まぬ国の王』と称されたフェリペ二世もこの家の者であった。ハプスブルグ家の力と血は欧州を長きに渡って支配していた。教会が心ならばハプスブルグ家は背骨である、とある歴史家が書いた様に。
 
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