ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~
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GGO編
episode2 音無き決戦
夢の安らぎはわずか数秒に過ぎなかったが、しかし再び俺の意識を研ぎ澄ますには充分だった。
風が四肢を包み込み、疾走する体が加速する。
それに同調するかのように、世界は一気に減速していく。
(……見える)
この距離ではほんの一瞬しか表示されないはずの血色の弾道予測線が、やけにはっきりと見える。かつてあの世界でほんの数回だけ感じた、懐かしい加速感が帰ってくる。久しぶりに感じる意識の昇華が、俺の脳に、細長い四肢に強い熱を注ぎ込んでいく。
その加速感のままに駆ける体が、赤いラインそれ自体を回避していく。
(俺の力を、信じる……)
これが、これこそが、俺の力だ。
銃を持ったときに感じる様な、会ったことも無い親父の遺伝子のおかげな貰い物の力では無い。あの世界で二年の月日を戦い抜いて養った、正真正銘の、俺の力。ソラや冒険合奏団、『黒の剣士』や『閃光』、『神聖剣』と共に戦う中で、磨き抜かれた力。そして何より、ソラが「『勇者』の力」と褒めてくれた力。
最後に頼るのは、この力しかない。
そして、この力こそが、最後に頼るに相応しい力だ。
正確にヘルメットのバイザーの中心を捕えた赤いラインに、咄嗟に首をひねる。
「ッ!!!」
死銃までの距離は、およそ百メートル。拳銃で狙うには遠い、ましてや徒手空拳ではどこぞの腕が伸びる超人でもない限り射程外の距離。だがしかし、同時に狙撃銃では至近と言える距離であり、その弾速によって弾道予測線がほぼ表示されなくなる距離。
「くぅっ!!!」
頭めがけて放たれた弾丸を紙一重で回避。空間を引き摺るような弾道の余韻を感じながら、ここが策無く突っ込める限界と見極めて、駆ける足を接近の直進から狙いを逸らす為の旋回軌道へと変える。他のプレイヤーが集まるのを防ぐためか死銃はすっぽりとマントを被っているが、極限まで高まった集中力を宿した俺の目が、耳が、その姿を捕捉して逃さない。
「おおおッ!!!」
脳神経を焼き切らんばかりに働かせた俺の五感が、奴の見えないはずの姿を砂漠の砂地に浮き上がらせれる。最小限の動作で、僅かな足跡と微かな砂音だけを残して飛び退るその体が、はっきりと俺の脳に映像として映し出される。距離を取って一端位置情報のリセットを図るつもりか、それとも射撃角度を変えて死角から狙撃する気か。
どちらにしても。
「逃がすかよッ!!!」
離された分の距離を一気に詰めるべく、その足を周囲の旋回から接近に切り替える。ブーツの底で凄まじい砂煙を立ち上らせながらの方向転換で一気に加速、下がった分の距離を一気に詰め、
「く、うぉッ!」
その足を狙った弾丸を、転がる様にしてぎりぎりのところで回避する。
砂地に突き刺さって特徴的なスパークを放つその弾丸は、電子スタン弾。これを受ければアバター末端に掠っただけでも僅かとはいえ一定時間の行動不能を課せられ、必殺の大口径銃の一撃でゲームオーバーだ。防ぐことも、指先に掠らせることも、出来ない。
だが。
(上等だ……っ、テメェの狙撃と俺の回避、どっちが上か勝負だ!)
転がった動作を利用して、クモの様に長い四肢をバネ代わりに使っての跳躍。ノータイムでの回避行動で、耐性を立て直す隙を狙った狙撃のラインを躱す。目まぐるしく動く視界の中に、再び見えたそのラインの視点をヘルメットの奥から睨みつけ、俺はまた砂漠を吹く風となって駆け抜けた。
◆
戦いは、いつ果てるともなく続いた。
いつしか俺は叫ぶことを止め、ただただその感覚だけに集中し続けた。
周囲に響くのは、俺の砂漠を駆ける音と、奴の消音器付きの狙撃銃の僅かな音のみ。恐らく今この砂漠にいるのは、洞窟に隠れているのだろうキリト達を除けば二人だけなのだろう、音の無い戦い。その無音の死闘の中、ひたすらに俺は死銃の姿を見続けた。
もういくつの弾丸をかわしたか。
どれだけの時間が経ったか。
その中で、俺は作戦の一つの失敗を悟り、同時に奴の成長を思い知らされてた。
(……あと、何発残してやがる……っ)
かつての夏の日の死闘。
武器破壊を操る俺の《カタストロフ》を相手に、奴は武器を使い捨ての消耗品とみなして自分のストレージの中にある刺突剣を次々と取り出して戦うという戦法で渡り合ってみせた。しかしその最後は、ストレージ内の剣が無くなった瞬間の焦りを俺に見抜かれ、その際に隙を晒してしまってその戦闘を終えたのだった。
今回もそれを応用し、俺は「奴の弾切れを待つ」という戦法を取った。こちらはただただ銃撃を避け続け、死銃の狙撃銃の弾が無くなったところを撃つ、というある意味セオリー通りの戦闘法。しかし今回の奴はまるで残弾が無くなったかの様なブラフを絶妙に張り、俺が突っ込んでくるのを巧妙に誘ってくる。そんな罠に誘い込まれては、いつまでもかわせるとは思えない。
さらにこちらがわざと見せた隙に対しては、大口径の弾丸ではなく「予測線それ自体を向ける」という攻撃で対応してくる。確かに高威力の銃は万一を考えて予測線でも必死に回避せざるを得ない。俺もかつて高威力な光線銃の《カノープス》でよく使った手だが、「自分の攻撃手段は相手からもされる可能性がある」ということをすっかり見落としてしまっていた。逆の立場、というのは案外人の意識に上らないものだ。
(……どうする……っ)
危険を覚悟で突っ込むか。
それとも、自分の回避能力を信じて避けに徹するか。
一瞬の逡巡。
その判断基準は、一つ。
(ソラの望む、『勇者』なら、あくまで勝負に向かうはず)
一瞬の判断の後、俺は既に黒煙を上げつつある脳の神経回路の回転をさらに引き上げた。
◆
スナイパーライフルを、ゆっくりと構える。そこに、余計な緊張は無い。
既に完全なスナイパーである彼は、狙撃の際の着弾予測円の心拍連動システムに対応するために、己の鼓動を完全に制御していた。普通の人間であればかなり難しいことなのだが、あいにく彼は普通の人間では無い……言い換えれば、異常者だ。
鼓動は、一定のリズムのまま。
しかし彼の精神は、紛れも無く高ぶっていた。
かつて伝説となったデスゲーム、『ソードアート・オンライン』において、自分に辛酸を舐めさせた二人のプレイヤー。一人は言うまでも無く、『黒の剣士』、キリト。何度となく彼や彼のギルド『笑う棺桶』の邪魔をした、いけ好かない気障な片手剣使い。
(そして、もう、一人……)
情報屋、シド。
あの、忘れもしない忌わしい夏の日に、自分の刺突剣と腕を断ち切った、クモの様に長い手足を持つ《体術》使いの男。もともと気に食わなかった為に奴の女をしっかり殺してやったは良かったのだが、まさかあんなしっぺ返しを食うとは思ってもみなかった。
あの日以来、彼の頭は憎悪と苛立ちとで狂いそうだった。
もっとも、もともとの殺人者の彼を、正常とすれば、の話だが。
(だが、それも、今日まで、だ……)
ゆっくりと、射線で駆け抜ける細い体を追い続ける。
今対峙しているこの男は、間違いなくシドだ。あの特徴的な疾走姿勢、見間違うはずもない。まさかこのGGOでトッププレイヤーとなっているとは予想外だったし、爆弾と銃火器を使うせいで今まで分からなかったが、こうして相対すればその正体は明らかだった。
(クク。……いい、気味だ……)
心の中で、ほくそ笑む。
なんと今日は良い日だろう。
シドと、キリト。かつて自分を地べたに這い蹲らせた二人を、今度は自分の手で地面を舐めさせてやれる。キリトに至っては、目の前で「仲間を殺される」という演出付きだ。確かに二人ともこのBoB大会に出場するくらいには強いが、自分や《死銃》の力を持ってすれば倒すのは容易い。
なにせキリトの主兵装である光剣の《カゲミツG4》は、自分が今身につけている《耐光学兵器反射フィールド展開アーマー》でその威力の大半を消失させられる。あっけにとられた所をこの《沈黙の暗殺者》で吹き飛ばすか、銃身の下に取り付けた『奥の手』で貫いてやればいい。
(さあ、死ね……)
視線の先で逃げ惑うように駆ける影を、スコープに納める。
先にあるサボテンを掩体物に使うような軌道で走っているから、その先で撃ち殺してやろう。なあに、替えの弾はいくらでもある。外してもこうして射線で追い続けていれば、いつか避けきれなくなるのは向こうだ。
ゆっくりとトリガーに指を添え。
スコープの中に、彼を……サボテンを捉え。
その体が、サボテンに隠れて。
次の瞬間、その体が、まるで魔法の様に消滅した。
◆
判断は、一瞬。そして、チャンスも一瞬。
「ッ……!!!」
俺を狙ってその巨大なスナイパーライフルを構えているであろう、死銃。
その視線から逃れようと旋回する俺の前に現れた、巨大なサボテン。
それを使って掩蔽するように、その陰に突っ込み、
「―――ッッッ!!!」
渾身の力で急ブレーキ、進行方向を百八十度変えて跳躍した。
人間の目には、生まれながらにして「動いている物体の先を予想する」という機能が備わっている。それはたとえ自分では無意識だったとしても、生物的本能として咄嗟に反応してしまうものだ。こういった遮蔽物に高速で物体が隠れた場合、人の目は「その向こうから飛び出してくる物体」を脳内で勝手に推測してしまうように、出来てしまっている。
そのことを知らない人間には、その効果はますます高まる。それに、賭けた。
「っぅッ!」
無理な力を加えた体が軋む様に疼痛を発するがそれを精神力で黙殺、ただただ前だけを見つめて、死銃の方へと一直線に駆け抜ける。もう蛇行する意味は無い。この距離なら、最短、最速で接近するしか道は無い。
銃撃は、来ない。
奴が一瞬だけ、俺の体を見失った証拠。
この一瞬で、百メートルの距離を詰める。
常識で考えればまず不可能なことを、出来ると信じて駆け抜ける。
出来る。出来る。たとえ、出来なくても。
(……死ぬ時は、前のめりに倒れて死ぬ!!!)
燃え盛る想いを胸に、限界を超えてその足を加速する。
引き延ばされた視界で捕える、死銃の影との距離は、もう五十メートルもない。
あと少しで、この手が届く。
だが、その手が届く、希望の見えたその瞬間。
ゆらりと蠢いた影から伸びたバレットラインが、俺のヘルメットを捉え。
轟音と衝撃が、頭から全身をを震わせて貫いた。
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