銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける
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第四十七話 決戦(その六)
宇宙暦 799年 5月 7日 ガンダルヴァ星系 ヒューベリオン ヤン・ウェンリー
「アッテンボロー艦隊が敵に肉薄します!」
オペレータの声が艦橋に響いた。皆が興奮した声を出している。……同盟軍が攻め込み帝国軍が守る、その状況がもう三日以上続いている。一進一退、いや帝国軍は少しづつ後退を続けている。
時刻は五月七日の二十一時を過ぎた。残り時間という制限を考えなければ同盟軍が有利に戦闘を進めていると言って良いだろう。もう少し、もう少しでローエングラム公に届く。スクリーンに白い艦は見えているのだ。あの艦を、ブリュンヒルトを撃破しなくてはならない。
第一艦隊、第十四艦隊、第十五艦隊、第十六艦隊も帝国軍の内懐に飛び込む様な勢いで攻め込んでいる。第十三艦隊がブリュンヒルトを捉えるか、彼らが帝国軍を突破して後背を突くか、そのどちらかで勝負が付くだろう。或いは帝国軍が守りきるか……。
少し前からブリュンヒルトが前に出てきている。おそらくは押され続ける味方を鼓舞するために出てきたのだろう。鋭気、覇気に富むローエングラム公らしい振る舞いだ。だがこちらにとっても千載一遇のチャンスだ。ここで何としてもローエングラム公を討ち取る。そのために危険を承知で艦隊を更に前進させた。
ローエングラム公をこの場にて討ち取る事が正しいのかどうか、正直に言えば私には分からない。ローエングラム公が死ねば自由惑星同盟と民主共和政は生き残るだろうが銀河帝国は有能な指導者を失って間違いなく混乱することになるだろう。
おそらくは後継者の座を巡って内乱が起き多くの血が流れる事になる。そして帝国で行われている改革は中断されるに違いない。銀河帝国に住む二百四十億の人間は天国から地獄に突き落とされる事になるはずだ。混乱が何時収まるかは後継者達の力量次第だ、数年か、数十年か……。
そして自由惑星同盟はそのような銀河帝国に対して何もする事ができない。国内の再建だけで精一杯のはずだ。そして帝国と同盟の戦争はさらに続く……。人類全体に対して言えば私のやっている事は無責任極まりない行為だろう。黒姫の頭領の言う通りだ。何もしなければ宇宙は統一され戦争の無い世の中が来たはずだった、私が邪魔さえしなければ……。
それなのに私はようやく来る戦争の無い平和な時代を自らの手で握り潰そうとしている。戦争を嫌いながら戦争の続く未来を作ろうとしているのだ。私は一体何をしたいのか、何をしようとしているのか、自分のやる事にまるで確信が持てずにいる……。
民主共和政と平和、どちらが尊いのだろう……。専制政治の下での平和と民主共和政の下での戦争……、どちらが望ましいのか。民主共和政を護る、専制政治と戦う、平和を前にしてその事にどれだけの意味が有るのだろう。人命以上に大切なものが有るのか、それとも人命こそがこの世でもっとも大切なものなのか……。分からない、私には答えが出せない。だがそれでも私は戦争を選択した。
反発、だろうか、反発かもしれない……。黒姫の頭領に対する反発。イゼルローン要塞を奪われた、明らかにこちらの隙を突かれた……。屈辱だった、あれほどの屈辱は味わったことが無かった。そして着々と宇宙統一に向けて動く彼に反発した。だからあの防衛計画を考えたのかもしれない。ただ彼に私と同じ屈辱を味あわせたい、それだけの思いで……。何という事だろう、思わず溜息が出た。
この戦いでも何度も邪魔された。フェザーンを利用した妨害工作は不発だった。補給部隊の撃破も邪魔された。もし、ローエングラム公の死を知れば彼はどうするだろう? ローエングラム公の後継者を擁してもう一度宇宙統一に向けて動くのだろうか? その時私はどうするのか、また戦うのか……。もしかすると私は平和の到来を妨げただけの男として歴史に刻まれるのかもしれない……。また溜息が出た。
ユリアン……、あの子は私に憧れている。多分この戦争で私が勝てばその想いはますます強まるだろう。そしてユリアンは軍人への道を歩むに違いない。私の詰まらない反発があの子にも人殺しをさせてしまうのだ。そしていつかあの子も後悔するだろう。何故軍人になったのかと……。
「アッテンボロー艦隊が更に帝国軍総旗艦に近付きます、射程距離に入りました!」
オペレータが叫んだ。だがそれに反応する声は聞こえない、しかし皆が緊張しているのが分かった。もう少し、もう少しだ。もう少しでローエングラム公に届く。しかし、良いのだろうか……。皆が興奮している中、私だけがその興奮を共に出来ずにいる。
ブリュンヒルトの左舷が爆発した、一カ所、二カ所!
「ブリュンヒルト、左舷被弾!」
艦橋に歓声が上がった。おそらく同盟軍のどの艦艇でも上がっているだろう。レーザーか、或いはミサイルが当たったか、ぐらりとブリュンヒルトが傾いている。多分、ローエングラム公は床に投げ出されたに違いない、負傷しているだろう。
ブリュンヒルトは懸命に態勢を立て直そうとしている。見かけによらず頑丈らしい、帝国軍総旗艦に相応しい防御力を持っていると言う事か。だがさらにブリュンヒルトの左舷に火柱が上がった。今度は外部からでは無い、内部からの爆発だ。エンジンか、或いは推進剤、弾薬に火が回ったか……、致命的と言って良いだろう。
のたうつブリュンヒルトにミサイルが、レーザーが集中した。一発、二発……、閃光と爆発、そして煙、さらに内部からの爆発。……もう助からない、断末魔のブリュンヒルトに更に攻撃が集中した。一発、二発、三発……、一際大きな爆発とともにブリュンヒルトが四散した……。おそらく逃げだせた人間は居なかっただろう……。ローエングラム公も死んだはずだ。終わった……、ようやく長い戦いが終わった……。いや何も終わってはいない、戦争はこれからも続くのだ、何も終わっていない……。
「閣下! おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
ムライが、パトリチェフが、シェーンコップが、グリーンヒル大尉が口々に叫んでいる。艦橋にはベレー帽が舞い、あちこちで喜び抱き合う姿が有った。泣いている人間も居る。何が嬉しいのだろう、私は平和の到来を潰したのに……。スクリーンの帝国軍は総司令官を失って後退している。
「まだ終わっていない。もうすぐ補給基地を制圧した帝国軍が戻ってくるはずだ、その前に撤退しなければ……。ビュコック司令長官と話したい、通信の準備を」
「はい」
グリーンヒル大尉がオペレータに通信の準備を要請するとようやく騒ぎが収まった。
『ヤン提督、良くやってくれた』
「いえ、有難うございます、……今後の事ですが」
褒められても素直に喜べない所為だろう、どうも歯切れが悪い。
『うむ、時間も無い。敵はローエングラム公を失い混乱しているだろう。撤退よりも突破の方が良くはないかな』
そうですね、と言おうとした時だった。オペレータが“提督”と声をかけてきた。司令長官と話しているのだ、“後で”と言おうとしたが彼の顔面は強張り声は震えている。何が有った?
「帝国軍が妙な通信をしています」
「……」
ビュコック司令長官を見た、司令長官も訝しげな表情をしている。
「総旗艦ブリュンヒルトは失ったが総司令部は健在である。ラインハルト・フォン・ローエングラム在る限り帝国に敗北無し。全軍反撃せよ」
総司令部は健在? ローエングラム公は生きている? 艦橋が凍りついた。皆顔を見合わせている。
「その通信は何処から出ている」
「それが、発信場所は一カ所ではありません」
「なに!」
「通信は複数の艦から出ています」
ムライ参謀長の問いかけにオペレータが答えた。複数? 逃げる暇など無かったはずだ。だが複数から通信……。戦術コンピュータを見た、コンピュータは帝国軍が陣形を整えつつある姿を映しだしている。あの動きは後退では無かった、再編だったか……。
「やられた……」
思わず唇をかんだ。ローエングラム公にしてやられた。
「ローエングラム公は死んでなどいない、生きている」
「しかし逃げる暇など」
「居なかったんだ! あそこには……」
ムライが私の答えに愕然としている。彼だけでは無い、パトリチェフ、シェーンコップ、バグダッシュ、グリーンヒル、そしてオペレータ達。皆愕然としている。
「どの時点でかは分からないがローエングラム公はブリュンヒルトから降りたんだ……。あの時には無人だっただろう」
「……ではローエングラム公は何処に……」
「分からない、何処か他の艦に移乗したはずだ。そこから全軍の指揮を執っている……」
彼方此方で呻き声が起きた。
「帝国軍、反撃してきます!」
オペレータの声が上がる。皆が私を見た、指示を求めている。
「攻撃を、もう一度敵中央に攻撃だ」
オペレータが私の指示を伝えている。しかし、良いのか? ローエングラム公が中央に居るという確証は何処にもない、しかし……。
『ヤン提督』
「はい」
『どうやらもう一戦しなければならんようだ』
司令長官の声は疲れていた。無理も無い、全てが振り出しに戻った。いや、ローエングラム公の位置が分からない以上状況はむしろ厳しくなった。それでも司令長官の立場では戦えと言わざるを得ない。
してやられた……。鋭気、覇気に富むローエングラム公だから前線に出てきたと思った。だがそうでは無かった、あれは囮だった。こちらの焦りを読んだ厭らしい程に効果的なトリックだ。同盟軍の攻撃をブリュンヒルトに集中させ、撃沈させる事で油断させた。その隙に帝国軍は陣を再編した。そしてローエングラム公が何処に居るのか誰も分からない……。
「全力を尽くします」
『頼む』
通信が切れた。撤退を進言すべきだったのだろうか、もう一度、ゲリラ戦の展開に戻るべきだと……。現状では勝算は極めて少ない、ローエングラム公を探す困難さも有るが一度得たと思った勝利を失った徒労感、これが大きい。味方は疲労困憊している、天国から地獄に突き落とされた……。
しかし、撤退できただろうか? 味方はいずれも帝国軍の奥深くに入り込んでいる。この時点での撤退は帝国軍が混乱しているのでもなければ難しいだろう。となれば残り少ない時間で帝国軍を突破するしかない。つまり攻撃をし続けるしかないという事だ。してやられた、また思った……。
帝国暦 490年 5月 8日 ガンダルヴァ星系 バルバロッサ ナイトハルト・ミュラー
「閣下、反乱軍は相変わらず攻勢を取っていますが以前ほどの勢いは有りませんな」
「そうだな」
オルラウの言う通りだ。スクリーンに映る反乱軍第一艦隊の攻撃は五時間前に比べれば執拗さと粘りに欠けると言って良い。いや欠けているのは必死さか。おかげで指揮を執るのもかなり楽になっている。
「やはりブリュンヒルトの件が効いているのでしょうか?」
「そうだろうな」
勝ったと思ったはずだ。だが勝利では無かった。そしてローエングラム公の居場所も分からない。勝算は皆無に等しくなったのだ、反乱軍の士気はどん底だろう。
「それにしても総旗艦を囮に使うとは……」
オルラウが首を振っている。確かに意表を突かれた、だがいかにもエーリッヒらしい作戦だ。まあ後でローエングラム公に対する言い訳には苦労するだろうが……。
「戦争に勝つのと戦闘に勝つのは別だと言う事だ」
「……」
オルラウが幾分困惑気味に俺を見ている。ブリュンヒルトを囮に使う事と俺の言った事がどう繋がるか分からないらしい。
「どれほど戦闘を優位に進めようとローエングラム公を斃さぬ限り反乱軍に勝利は無い。エーリッヒはその事をブリュンヒルトを囮に使う事で反乱軍に示したのだ」
「……」
「反乱軍はローエングラム公の居場所が分からずにいる。つまり極端な事を言えばこの戦場に有る帝国軍艦艇を全て撃破しなければ彼らはローエングラム公の死を確認できないと言う事になる」
「……」
オルラウの表情が変わった。顔を強張らせている。
「どれほど戦闘を優勢に進めても最後の一艦が残っていれば反乱軍はこの戦争に勝ったとは言えないのだ。帝国軍全艦を殲滅する、そんな事が可能だと思うか?」
「……いえ、到底無理です」
オルラウが顔を強張らせたまま答えた。その通り、到底無理だ。
エーリッヒはその現実を反乱軍に突き付けた。彼らにもそれは分かったはずだ。勝つ可能性は皆無に等しいと思っているだろう。今では自分を騙し惰性で戦っているようなものに違いない。彼らの勢いが落ちるはずだ。
エーリッヒらしい、辛辣で冷徹、そして容赦がない。今でさえ反乱軍にとっては地獄だろう。だがローエングラム公がここに最初から居なかった、ハイネセンに向かっていると知ったらどう思うか……。
ここに来た時点で反乱軍は敗れていた。勝つ可能性は一パーセントも無かった。それも分からずにただ意味も無く戦っていた……。
「早く味方に来て欲しいものだ」
「そうですな、いい加減守るのは飽きました」
そうではない、オルラウ。これ以上の戦いは反乱軍にとって苦痛以外の何物でもあるまい、それを終わらせたいのだ。……例えそれがどれほど酷い現実を見せる事になろうとも……。
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