真・恋姫無双 矛盾の真実 最強の矛と無敵の盾
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拠点フェイズ 2
劉備・孔明・鳳統・馬正
前書き
今後も幕間として拠点フェイズを挟んでいく予定です。
―― 馬正 side 宛 ――
我が名は馬正。
大恩ある我が主、北郷盾二殿の臣である。
元々は洛陽で武官として働いていたのだが、悪逆非道な宦官の姦計にあい、謀反人として処断されるところであった。
そもそも賄賂を断わっただけで死罪とはどういうことなのか。
いまだにその事については、臓腑が煮えくり返る思いだ。
だが、その後洛陽を脱出して黄巾に参加し、二万の兵を預かったが……あのときの私は憎しみで眼が曇っていたのだろう。
守るべき民を殺すのに、なんの躊躇いもなかった。
武人として恥ずべき限りだ。
あの時、主が我が眼を覚ましてくれなければ……今頃は野辺に屍を晒していただろう。
賊の一人として。
全てはあの……私にとっては生涯の思い出となる主との一騎討ちによって、私の世界は逆転した。
あの時、主が一騎討ちを受けていただかねば……私はきっと、こんな晴々とした心持ちではなかったかもしれない。
それほどまでに圧倒的に負けた。
あれほど負ければ、ぐうの音もでない。
武、智、信。
それぞれの分野で秀でた人物は多数いるかもしれない。
だがその全てにおいて、一人の人間に備わっている人物など……我が生涯で主以外には会ったことがない。
なにより、その指示を出すときの圧倒的な覇気。
彼の者こそ我らの主である、と全身に痺れが奔るほどだ。
だからこそ、私は……親子ほどに歳の離れる我が主を主として。
今日もこうして扉の前で警備しているのである。
「あの……」
む?
おお、いかん!
つい物思いに耽っていた。
気がつけば、私の目の前には竹簡を多数抱えた幼女が立っている。
「ああ、すみませぬ。孔明殿、どうぞお通りを」
私は扉の前から横にずれ、目の前で困った顔をしている孔明殿に陳謝した。
「いえ。いつもご苦労様です」
「なに、今は我が主の身辺こそ大事。主のためならば何の苦労もありませぬ」
「あはは……でも、無理しちゃダメですよ? 前みたいに一日中ここで警備して警備兵に泣きつかれたら、私も困りますから」
「心得ております。しっかり兵の調練などは済ませておりますゆえ。ですが……その」
私はぽり、と頬を掻く。
「なんというか……ここで立っているのが落ち着くのですよ。私の趣味みたいなものでして」
「はあ……」
我ながら警備兵の仕事が趣味というのもどうかとは思うが。
しかしながら一番落ち着くのだからしょうがない。
「今しばらくしたら交代の兵も来ます。その後は私も鍛錬の時間ですので」
「……休むの仕事ですよー?」
人のことは言えませんぞ、孔明殿。
目にクマができておりますが……まあそれは主にお任せしておきますか。
「はっはっは。ささ、それよりも盾二殿がお待ちではないのですかな?」
「あ、そうでした……失礼します」
私に頭を下げつつ、扉を開けて中へと入る孔明殿。
部屋の中では、盾二殿がいつものように竹簡と書を相手に格闘しておられる。
その様子を横目で見つつ、扉を閉める。
さて……盾二殿が旅立たれるまであまり間もない。
今は休んでもいられませんな。
―― 孔明 side ――
「失礼します……漢中周辺についての新しい情報です」
「ありがと。悪いけどそこに置いといてくれ」
ご主じ……こほん。
盾二様は視線を上げずにそう言いました。
どうやらご執筆に専念されているようです。
(……今は邪魔しないほうがよさそうです)
私は山のように溢れている竹簡に混ざらないように、竹簡を横に置きました。
山のようになっている竹簡の束。
少しでも手間がないように整理したつもりでしたが……ここにあるだけで、その数はすでに百を超えています。
「盾二様、必要のないものは倉庫に移しますが……」
「ああ、すまない。寝台の傍に置いてある分が必要ない分だ」
そう言って筆を持つ手がそれを指しますが……
そこにあったのは、寝台が見えなくなるほどの大量の竹簡です。
「…………」
「……あ」
唐突に気付いたように顔をあげる盾二様。
どこか慌てている様子です。
「すまん。片付けは誰か呼ぶからいいよ。朱里に力仕事させるつもりで言ったんじゃないんだ」
「い、いえ。私がやりますよ。これぐらい……」
「いやいやいや。そういう力仕事は人を呼ぼう。それで朱里が疲れてしまったら……」
そこまで言って押し黙る盾二様。
疲れてしまったら……?
「?」
「いや、すまない。えーと……馬正! いるか!?」
『ハッ!』
盾二様の声に、扉を開けて入ってくる馬正さん。
「すまないが力仕事を頼める人間を何人か呼んで来てくれ。倉庫へ竹簡の荷運びと整理だ」
「心得ました」
そう言って、すぐに外へ出て行きました。
……むう。
確かに力仕事は向いていませんけど、それぐらい私だって出来ますよぅ。
「ふう……いかんな。どうにも頭を使い過ぎていると、全てを効率で考えようとしてしまう」
盾二様が自嘲気味に呟いています。
何のことでしょう?
「……お疲れなら、少しお休みください。体を壊します」
「ああ……そうだな」
そう言って首をゴキゴキと鳴らしています。
……ずいぶんと肩が凝っておられる様子です。
「お急ぎなのは理解していますが……今日はもう休まれてはいかがですか?」
「いや……今日中にこれだけは仕上げないとな。桃香や愛紗への書簡もまだ手付かずだし……」
「しかし……」
このままでは、体を壊します。
「わかっている。しかし、今はやめられん。全ては俺の我侭なんだ。だから……」
そう言って頭を振る盾二様。
「心配させてすまない。朱里や雛里にも無理させている。本当にごめん」
「そ、そんなことないです! 私達にとっては逆に盾二様に感謝しているんです!」
慌てて私が答えます。
そう……盾二様が教えてくださることは、私達には到底思いつかないようなものばかり。
突拍子もないような内容ではありますが……最後はいつも納得させられるのです。
「私も雛里ちゃんも、こんないろんなことを教えてくださって、感謝こそすれ謝られることなんてなにもありません! 私達は知識に対しては誰より貪欲なんですから!」
「……だが、二人とも疲れている」
「そんなこと!」
「目。そのクマ、昨日も寝てないだろ」
「は、はわっ!?」
そう言われて思わず顔を背けます。
あうう……目に出ちゃっていますか。
「すまん。本当ならぐっすり休ませたい。だけど、時間がない。それも俺の我侭で、だ。だから謝る。ごめん」
「……本当に、そんなことを気になさらないでください。私達が……馬正さんも含めて三人が納得して決めたことなんですから」
確かにここ二日、まともに寝ていません。
でも、私も雛里ちゃんもこれぐらいは水鏡先生の塾ではいつものことです!
……まあ、新しい知識を覚えるのが楽しくて、本を読んでは何日も貫徹しては水鏡先生に怒られてはいたんですけど。
「それでも……いや、そうだな。無理をさせる。わかっていて、だ。だけど、お前達を信じている。だからついてきてくれ」
「はい!」
当然です!
―― 鳳統 side ――
「………………」
「おーい? 雛里ー?」
「…………くー…………」
「……雛里。おい、雛里!」
んぅ……?
ふにゃ……
あれ?
「……ぁふ……ぁぅ?」
「あ、やっと起きたのだ」
目を覚ますと、すぐ目の前に鈴々ちゃんの顔がありました。
「あ、あわっ!?」
「にゃっ! ふう……危ないのだ。お約束をするところだったのだ」
「なにがお約束なんだ?」
あ、あわわわっ!?
いつの間にか眠っちゃっていましたかっ!?
「す、すすすすすすすすいません! あの、その、いつのまにか眠っちゃっていました。えと、あの……」
「落ち着け、雛里」
あ、愛紗さん。
「ずいぶん疲れているみたいだな……大丈夫か?」
「だ、だだだだだだだだだだだだだだだだだ大丈夫でしゅ! も、ももももももももももも問題ないでしゅ!」
「落ち着け。いいから落ち着け」
「雛里ー? 深呼吸するのだ。はい、息吸ってー!」
深呼吸?
「すううぅぅぅぅぅ……」
「吐いてー」
「はぁぁぁぁぁぁぁ……」
「もう一度なのだ。吸ってー」
「すぅぅぅぅ……げほっ、ゴホッ!」
「はい……あやや。やっぱりお兄ちゃんみたいにはいかないのだ」
ごほ、お兄……盾二様ですか。
「今のはなんだ、鈴々?」
「お兄ちゃんに教えてもらったのだ。深呼吸といって、心を落ち着ける効果があるそうなのだ」
「ほう?」
はあ……でも、ちょっと落ち着きました。
「あ、ありがとうございます……えっと、落ち着きました」
「にゃはは、よかったのだ」
鈴々ちゃんがそう言って笑っています。
あう……どうやら仕事中だというのに完全に寝入ってしまったようです。
「それにしても少し無理しているのではないか? お前も朱里も、目の下のクマが酷いぞ?」
あう。
そ、そんなにありますか?
「まるで熊猫のようなのだ」
「あぅ!? そ、そんなにひどいでしゅ?」
「こらこら……いや、そこまでではないが。まあ、はっきりと見えるぐらいにはな」
あう……最後に寝てから、まだ三日ぐらいしか経っていないのに。
「そういえばご主人様も今朝見かけたら、ものすごいクマをしておられたな……はっ、まさかっ!?」
?
どうしたんですか、愛紗さん。
顔が怖いですよ?
「ひ、ひなり? まさか、マサカゴシュジンサマト……」
「ひぅ!? こ、こわいでしゅ!」
「愛紗、あーいーしゃ! 目が攻撃色になっているのだ。それは危険だからやめるのだ!」
なんか「ギギギ……」みたいな音が聞こえます。
なんでしょう、ものすごく怖いです!
思わず鈴々ちゃんの後ろに隠れました。
「ひっく……」
「愛紗ー! いい加減にするのだ! 雛里怯えさせちゃダメなのだ!」
「……むう。すまん。どうも暴走したようだ」
「ひぅ……」
こ、怖いです……
「ひ、雛里。すまん、冗談だ」
「(ガタガタガタガタ)……」
「あーあ……せっかく起きたのに、これじゃあ仕事にならないのだ」
「むう……」
「……いったい、なにをしておいでなのですかな?」
ふいにした声に、全員が振り向きます。
そこにいたのは馬正さんでした。
「あ、馬正のおっちゃんなのだ」
「どうも、張飛殿。関羽殿、鳳統殿はいかがされたのですかな?」
「えっと……」
ちらっとこっちを見てくる愛紗さん。
「(ガタガタガタガタ)……」
「あー……えーと。い、いろいろありまして」
「は?」
「……愛紗はもうちょっと我慢することを覚えたほうがいいのだ」
「……返す言葉もない」
「あー……よくわかりませんが、わからないほうがよさそうですな」
馬正さんがそう言って苦笑しています。
馬正さん……空気読める人ですね。
「おっちゃんはどうかしたのか?」
「あ、そうでした。実は、盾二殿の部屋の竹簡を倉庫まで運んでもらう人を探しておりまして。もう何人かに声はかけたのですが、もう少し集めようとしていた次第」
「……盾二様の竹簡ですか?」
「あ、復活したのだ」
こほん……鈴々ちゃん、めざとい。
「ええ。さすがに部屋が埋まるほどになってきましたからな。不必要な竹簡を倉庫に移すのと、それを整理しなければなりません。そういうわけで……」
「みなまで言うな。手伝えばいいのだろう?」
「はは、さすがは関羽殿。お願いできますか?」
「ああ。ちょうど一区切りついたしな。鈴々はどうする?」
「うーん……これから鍛錬しようかと思っていたのだ。でも、お兄ちゃんの手伝いなら鈴々は喜んでするのだ」
「忝い。では、いきましょうか」
あ、あれ?
「あ、あの……」
「ああ、雛里殿は結構ですぞ。まだお仕事が残っておいでのようですし。では……」
そう言って馬正さんは部屋を出て行きました。
「では行ってくる」
「行ってくるのだー」
その後を二人が追って部屋を出ます。
私は一人、ぽつんとその場に残されました。
(……なんか寂しいと思うのは贅沢なんでしょうか?)
益体もないことを考えつつ、その場に座って溜息を吐く。
と――
「あ、忘れていたのだ」
「あう!?」
鈴々ちゃんが戻ってきました。
「雛里」
「な、なんでしょう……?」
「涎拭くのだ」
―― 劉備 side ――
カキカキ。
えっと……この数とこの数がこうなると。
「ふう……終わりっと」
書き終えた竹簡を机の上に広げて墨を乾かす。
今日の分の竹簡は、今ので最後だった。
すでに乾いた竹簡を巻き、処理済の盆へと重ねる。
「いー、ある、さん、すー……うん、数え間違いなし」
最後の竹簡も、墨が乾いたことを確認して盆へと乗せた。
「霞さーん? こっち終わりましたよ?」
「おお、わかったわ……こっちも、もう終わるで」
残りの竹簡はあと一つか二つ。
なら……
「じゃあ、これもやりますね」
そう言って未処理の竹簡をひょいっと取って机に向かう。
「と……すまんなあ。陳情まで処理させて」
「いえいえ……これもお仕事ですから」
そう言って竹簡を広げる。
陳情は、宛の復旧のことだった。
まだ北区の補修が完全に済んでいない事への不満らしい。
「霞さん……洛陽からの資材って、あとどれぐらいありました?」
「んー? 詳しいことは朱里に聞かんとわからへんけど……うちが戻ってきたときに追加の資材を持ってきたから、そこそこはあると思うで?」
「じゃあ、家屋の復旧用にそれを使ってもいいですか?」
私が言うと、霞さんが顔をあげる。
「あー……一応あれ、館と兵舎用の資材やねんけど」
「でも、まだ北区の家屋の修理が終わってませんよ?」
「あー……それ言われると、きっついなあ。確かに前の戦いから二月以上経つのに、未だに北の復旧が進んでないんやったな」
「北の……特に門付近は混戦で火矢も使われましたし」
「そやなぁ……しゃあないな。ええやろ、資材 使うてんか」
「はい。詳しいことは朱里ちゃんと……あ」
そういえば朱里ちゃんは最近、忙しいんだっけ。
「うん?」
「あ、いえ。私が現場に出ますね」
「は? 朱里に任せたらええやん」
「うん……でも、朱里ちゃんにばかり甘えられないから」
「……けど、大丈夫かいな」
霞さんが不安げにこちらを見やる。
あはは……まあ、自信はないけど。
「うーん……たぶん。私は無理でも、町の長老さんとか木匠さん(=大工)に相談してみるから大丈夫、かな。資金は復興の予算を使っていいんですよね?」
「ああ……確かまだ余裕あったはずや。義勇軍の金回りの良さが幸いしたわ。賃金はそっから出しといてぇな」
「わかりました……と、この案件の責任者は劉備っと」
うん。
早くみんなの家を建ててあげないとね。
「…………」
?
なんだろ。
さっきから霞さんが、じーっと私を見ている気がする。
「えっと……なに?」
「桃香……あんさん、やっぱ変わったなぁ」
「……そお、かな?」
うーん……
最近みんなにそう言われるんだけど。
私的にはそんなに変わった気がしないんだけどなぁ。
「前は……とにかく他人任せで天然で、いっつも空回りしとった印象やったけど」
「あう」
うう……
私、そんな風に見られてたんだ。
でも……そうかもしれない。
私……いつも誰かに頼っていた気がする。
戦いは愛紗ちゃんと鈴々ちゃんに。
政務や軍のまとめ役は、盾二……ご主人様と朱里ちゃん、雛里ちゃんに。
結局私は……なにもしていなかった。
「けど今は落ち着いたっていうか……なんや貫禄まで出てきた気がするで」
「貫禄って……私そんな歳じゃないよぅ」
ぶう、と膨れてみる。
「ああ、すまへんな。いや、貫禄ちゃうか……なんつったらええんやろ?」
貫禄……ねぇ。
そんなこと、ない。
そんな歳でもないし、そんなしっかりした考えも持ったわけでもない。
ただ……そう。
ほんちょっと……ほんのちょっとだけ。
「(ぼそ)自分の気持ちに気付いただけだよ」
「は? なんや?」
「ううん。なんでもない」
私は頭を振って、日差しの入ってくる窓を見る。
雲ひとつない青空。
その青さが眩しくて。
思わず空を見て微笑む。
「今日もいい天気……だね」
―― 馬正 side ――
人を集め、盾二殿の部屋の竹簡を倉庫へと移送し、その整理が終わる頃には、日がとっぷりと暮れていた。
部屋に戻りつつ、私は溜息を吐く。
(今日の鍛錬は出来ず仕舞いだったが……致し方あるまい)
運び出した竹簡の量は膨大なものだった。
なにしろ盾二殿の部屋の約半分近くを占めていたのだ。
倉庫に運んだものの、その整理に関羽殿や張飛殿が目を回したほどだった。
あれを全てお一人で処理した我が主は、驚嘆に値する。
(整理した竹簡の内容は、ほぼ漢の南の事ばかりだった……それほど重要だということか)
あの日。
我が主に今後の方針と、その計画を明かされた時。
思わず私は、驚愕のあまり腰が砕けそうになった。
信じられるだろうか。
無位無官の何の後ろ盾もなく、義勇軍を率いていただけの男。
それが、あれだけの壮大で綿密な計画を、たった一人で立てていたなどと。
私だけではない。
孔明殿も鳳統殿も驚き、ずっと必死に考え込んだ後。
『貴方を選んだ私達は、間違いではありませんでした。本当に……』
そう言い切ったのだ。
(私は主と出会えたことを……天に感謝する)
荒唐無稽な話と、人は言うのかもしれない。
だが……私は主を信じる。
主の武を信じる。
主の智を信じる。
主の……覇気を信じる。
(我が命は主のために……)
私が顔をあげると、中庭から月の光が燦々と差し込んでいるのが見える。
そこには――
(……? 孔明殿に鳳統、殿?)
二人が中庭で、互いに並んで空を見上げていた。
思わず柱の壁に隠れる。
(……なんで隠れたのだ、私は?)
自分の行動によくわからない疑念を抱きつつ、そっと柱の影から二人を見る。
二人は、相変わらず空を見上げていた。
今宵は満月。
月明かりが燦々と照り注ぎ、灯りがなくとも昼のように視界が開けている。
その月明かりに照らされた二人の幼女が、静かに月を見上げている姿は幻想的ですらあった。
「……もうすぐだね」
ふいに鳳統殿が口を開く。
孔明殿は、ただ黙ってコクン、と頷いた。
「……もうすぐ盾二様、いっちゃうんだね」
「…………」
孔明殿は何も答えない。
「……寂しいよ」
鳳統殿が、呟く。
孔明殿は何も言わない。
「…………ぐしゅ」
鳳統殿が俯く。
……泣いているのだろうか?
「だめだよ、泣いちゃ」
孔明殿は視線を下げない。
空を見続けている。
「私達は……約束したはずだよ。笑って見送るって」
……孔明殿。
後ろ姿で見えないが……もしかして、彼女も泣いているのだろうか。
彼女の頬に、きらっと光が流れる。
「うん……ぐじゅっ、そうだ、ね……」
ぐしぐし、と腕で自身の目を擦る鳳統殿。
そして再び、空を見上げた。
私は……静かにその場を後にする。
二人の邪魔を……してはいけない。
(……主よ。貴方が行かれるというならば、我ら臣は……貴方のお帰りを、いつまでも待ちましょう)
私は空に浮かぶ月を見ながら、心の中で呟く。
(ですから……必ず帰ってきてくだされ)
月は何も言わず……ただ、そこに輝いていた。
後書き
次回はようやく新しい章です。
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