蒼き夢の果てに
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第5章 契約
第66話 おまえの名前は?
前書き
第66話を更新します。
次の更新は、
7月17日 『ヴァレンタインより一週間』第24話。
タイトルは、『悲鳴』です。
その次の更新は、
7月21日 『私は何処から来て、何処に向かうのでしょうか?』第8話。
タイトルは、『次は北の森だそうですよ?』です。
巨大な発動機が発する振動。まるでうなりを上げるようなエンジン音が、今まさに飛び立とうとする水上機……飛空艇から聞こえて来た。
そして、沖から吹き付けて来る風を正面から受け、ゆっくりとその巨大な身体を宙空へと浮かび上がらせて行く。
十月 、第一週、ダエグの曜日。
結局、あのガリア両用艦隊の主力艦隊が壊滅した日から三週間。俺と、湖の乙女は未だ、この軍港ブレストに存在しています。
もっとも、今では、軍港と言うよりも水上機の基地と言う雰囲気なのですが。
「あれが操縦出来るようになった今でも、何故、あのような鉄の塊が、風石を使う事なく蒼穹が飛べるのか、私には不思議で成りません」
俺の隣で、同じように練習飛行に飛び立つ巨大な飛空艇……。第二次大戦中の日本製の二式大艇と言う機体を見送りながら、彼に相応しいやや生真面目とも取れる言葉を投げ掛けて来るガリアの若い騎士。
何となくですが、彼から感じる雰囲気と言うのは、矢張り、彼の婚約者の少女から感じる少し生真面過ぎる雰囲気と被る部分が大きいように思いますね。
「一応、あの翼に付いて居る微妙な角度によって、揚力と言う物を発生させて居るのですが……。どうしても聞きたいのなら、大ざっぱで良いのなら説明を行いますが、どうします、聞きたいですか?」
俺は、新しくガリア両用艦隊。いや、今はどう見てもガリア航空隊飛空艇師団と言った方が良い部隊の指令となったジル・ド・モンモランシ=ラヴァル。有名な方の名前で言うと、ジル・ド・レイに対してそう答えた。
それに、彼の現在の所領もこのブルターニュ地方のレイと言う街ですから、ここの指令となる資格は有しているとは思いますが。
それでも、家柄から言えば、彼はガリアの陸軍系に勢力を持つ一族に繋がる人間。そして今までも、それに相応しい西百合騎士団副長と言う役職に就いて居ましたから、其処から考えると、この抜擢人事は、かなり異常な状況と言うべきだとは思いますけどね。
もっとも、ガリア両用艦隊の指令本部は、今まで地中海方面艦隊の司令部が置かれて居たトゥーロンに移され、大西洋方面の艦隊司令部はアルビオンを睨んでいる英仏海峡艦隊司令部の置かれて居るシェルブールに移されましたから、彼……。ジルに掛かる負担は、そう大きな物でもないのですが。
まして、彼は、俺の正体……オルレアン大公子女シャルロット姫の使い魔で有る事や、その上、異世界の魔法使いで有る事を知って居る人間ですから、この異常な状態。水上機などと言う、ハルケギニアの常識から言うと摩訶不思議、訳の判らない存在を受け入れる土壌は有るので……。適任と言えば、適任なのですか。
あのダゴン召喚及び、シアエガ召喚事件が同時に起きた九月のスヴェルの夜の結果、ガリア両用艦隊所属の優秀な船乗りの数が一気に半数以下にまで減らされ、更に、主力艦隊に所属するべき飛行船も存在しなくなり……。
ガリアの防衛力の立て直しが急務となった結果、その事件の解決に当たった俺と湖の乙女が、そのままガリア両用艦隊の再建まで命令された、と言う状況なのですが。
尚、ガリア政府はこの事態の顛末を高札やおふれなどの形で公に発表しています。
曰く、何者かに扇動されたガリア両用艦隊主力が起こした暴動は、一夜の内に完全に鎮圧された、と。
そして、首謀者の名前アラメダ司祭こと、デルブレー子爵弟アンリ・ダラミツの死亡と、そして、彼が禁呪指定とされていた、精神を支配する魔法を使用していた事も同時に発表されました。
更に、彼とオルレアン大公が懇意にしていた事。そして彼が、その大公暗殺の実行犯の可能性が非常に高い事も同時に発表されたのでした。
これで、ガリア国内に燻って居たオルレアン大公に関する謀反疑惑は一掃される事と成るでしょう。
実際、一人の禁呪の能力がガリア両用艦隊のクーデターや、ブレストの街の暴動を引き起こして見せたのです。この事実を知った人間。主にジョゼフ派の貴族達は、オルレアン公シャルルの精神が操られて居たとしても不思議ではない、と考えるでしょうから。
それに、イザベラはおそらく、そう言う方向に世論を導くと思いますしね。
尚、もうひとつの命令。潜入捜査員00583号の行方に付いては、既に処分された後でした。
確かに、精神を操る事がアンリ・ダラミツには可能だったと言う事なのですが、もしかすると、それは全ての人間に対して効果を発揮する類の魔法と言う訳ではないのかも知れません。
何故ならば、彼が全ての人間を操る事が出来るのならば、もう少し、効率の良い方法や、ジョゼフ王本人を操る事さえ可能なはずですから。
まして、夜魔の王と言う存在は、精神系の魔法を得意とする連中ですから、当然、普通の人間よりは精神支配に対する耐性の方も備えているはずですし……。
そして、その潜入捜査員。俺の前任者としてブレストに潜入して来ていた00583号と言う人間が、生物学的に人間で有った保障は何処にも存在していないのが、このガリア王国と言う国の裏側の部分ですから。
「いえ。一応、ダンダリオン卿に知識を詰め込まれていますから、何故、飛空艇が飛べるのかを知っては居ます」
俺の問いに対して、騎士として礼節を知る者の態度でそう答えてくれるジル。もっとも、どう考えても、彼の方が身分は上ですし、更に年齢も上。
それでも、この対応で接してくれる最大の理由は、彼ら。生き残ったブレスト所属のガリア両用艦隊所属の船乗りたちに飛空艇や水上機の知識を与えたのがダンダリオン。そして、その操縦方法や、整備方法を教えたのがハゲンチ。物資を調達して来たのがハルファスだからなのでしょう。
つまり、ここ、ブレストの新生ガリア両用艦隊に現在、所属している二式大艇四十機と、強風。こちらも、第二次世界大戦中の日本の水上戦闘機と言う奇妙な機体で、これを八十機用意したのも、その運用から、整備方法まですべて教えたのも俺の式神たちですから、彼らの御蔭で、俺に対しても敬意を払った態度で接してくれている、と言う訳なのでしょうね。
それで、艦隊再建の為、急遽、船を調達するのに、風石に因って宙を舞う事が出来る木造船の調達……。これは、流石のハルファスでも出来る訳はなく、
そして、蒼穹が飛べて、水上でも活動が出来る。更に量産された物で、戦闘に使用出来る物。……と言う、面倒な括りの中から俺が選んだのが、二式大艇と、強風の組み合わせだったと言う事です。
対艦の攻撃には魚雷ならぬ、空対空ロケット弾を使用すれば問題はないと思いますし。
確かに、真っ直ぐ飛ぶだけの第二次大戦中に使用されたロケット弾ですが、風任せで飛ぶ帆船に命中させるのは難しく有りませんからね。
現在、この基地に有るロケット弾には全て、『木行を以て土行を剋せ、割れよ』の仙術が封じられていて、このロケット弾の攻撃を受けた場合、固定化や、強化は無効化されて、後に残るのは脆弱な木製の帆船が残るだけですから……。
但し、俺から見ると第二次大戦中の骨董品とは言え、未だ中世ヨーロッパの技術力しか持たないガリアですから、当然のように、この両機を運用出来る基礎的な工業力は存在して居ません。これは所謂、緊急避難的な解決方法。固定化や強化が有るから、経年劣化のような状態には陥らないでしょうけど、戦闘や訓練などで消耗した分は、俺やハルファスが居なければ部品さえ手に入れる事は出来ませんから、補充する事は出来ないはずです。
この一時しのぎで集めた機体で当座をやりくりして、ガリアは次の船乗りの養成や、新たらしい艦を建造して行くように成ると思いますね。
もっとも、王立のアカデミー。日々、魔法を研究している組織の連中に三機の強風と、一機の二式大艇。そして、第二次大戦中のドイツ製のR4Mロケット弾を三十発ほど提供しましたから、ガリアにも何年か後には、ある程度の技術力が出来上がっている可能性が有るとは思いますが。
多分、この中世レベルの世界ならば、科学と錬金術はほぼ同義語。魔将ハゲンチの職能を使用せずともコルベール先生に零戦が整備出来るのですから、基礎的な技術をハゲンチやダンダリオンに教わった研究者の中から、コルベール先生の代わりが出来る人間が現れない訳は有りません。
それに、製紙工場を建設した時に、最低限の工作機械は調達して有りますし、当然、発電施設は工場に隣接して造って有りますから。
ガリアの防衛力を大きく下げると、この冬に飢饉などが発生する可能性の有るこの世界の状況は、周辺各国がガリアに侵攻し易くなる状態を作り上げる事と成り、世界の混迷をより深める行為と成りますから仕方がないとは思います。
ただ、それでも尚、超未来の兵器を徒にこの世界に持ち込むようなマネをするのが、果たして仙人としての俺に取って正しい事なのか、と尋ねられると……。
俺には、答える言葉がないのが現状です。
出来る事ならば、今回、異世界から調達した水上機は、他国からの侵略に対する一時的な抑止力。この程度の目的だけに使用してくれたら良いのですが。
「そうしたら、ラヴァル卿。ひとつ、聞いて置きたい事が有るのですが……。問題はないでしょうか?」
何か、少し奥歯に物の挟まったような俺の問い掛け。視線は相変わらず、上空に舞い上がりつつ有る水上機たちの方向に向けながら。
そんな、俺に対して、
「何でしょうか、シノブ殿」
……と、あっさり首肯してくれるジル。
それならば、
「このガリアの王子。先ごろ発表されたルイ王子に関して、聞いて置きたいのですが……」
……と、矢張り躊躇いながら問い掛ける俺。
その瞬間、上空を訓練飛行中の強風が、見事な旋回を披露して見せたのでした。
今回のガリア両用艦隊主力のクーデター騒ぎの顛末と同時に、ジョゼフ一世。巷間では聖賢王ジョゼフ一世と呼ばれている王に王子が存在する、と言う発表が公式に為されたのでした。
名前はルイ。現在十五歳。イザベラの異母弟に当たる人物。所謂、妾腹に因る男子で有った事と、ジョゼフとオルレアン大公の間に王位の継承の際に争いが有った為に、サリカ法が存在するガリアでは男系男子の血を継ぐその王子の身に危険が迫る可能性が高かったが故に、カルロマン・ロレーヌ=マジャール侯爵の元で、彼の侯爵の実子として育てられていたらしいのですが……。
確かに、ジョゼフの元に男子が居たのなら、サリカ法の正式な定めに従い、王位はジョゼフから、その王太子ルイに継がれて行くのは正しい流れなのですが。
まして、その身に危険が迫る可能性が有ると言うのも正しいでしょう。実際、オルレアン大公はその流れに逆らおうとして生命を落とし、タバサの母親も精神を崩壊させられましたから。
オルレアン派から考えると、シャルルのトコロに女の子しかいない状態で、ジョゼフのトコロに男の子が誕生すると、間違いなくジョゼフの方に次の王位が行く事が決定して仕舞う為に、オルレアン公シャルルが王に即位した後に自らに約束されている地位などが、夢幻と成って仕舞います。
殺人祭鬼の方からして見ると、折角行った策謀が、王家の長男とオルレアン家の長女が結婚する事に因って、より強固な結びつきを作り上げる土台とされ兼ねない。
このガリアは二極に分裂しているけど、今のトコロ第三の勢力と言う大きな物は存在していません。そして、そのトップ同士の家が婚姻と言う形で結ばれたのなら、シャルル個人の思惑は兎も角、オルレアン家の側の問題は無くなる。
平安時代の藤原氏のように、権力者の外戚となって権力を手にした一族と言う例はどの国の歴史でも度々現われていますから。
故に、邪魔な王子を幼い内に排除する。そう言う短絡的な行動に出る連中が現れる可能性が、ゼロでは有りませんから。
それ故に、信用出来る人物。西の独立を企てて居るようなガスコーニュ以西の地方からは遠いマジャールの地。それも、強力な竜騎兵を率いるマジャール侯爵の元に預けると言うのは首肯けはするのですが……。
ただ、その発表のタイミングが少し出来過ぎのような気もするのですが……。
上空で訓練飛行中の水上機から視線を外し、俺の方向に向き直ってから、少し怪訝な表情で俺を見つめるジル。
そして、
「私は未だ若輩、及び軽輩の身ですから、ルイ殿下に御目通りが叶った事は有りません。ただ、マジャール侯爵や、南百合騎士団の長ランスヴァル卿の話から愚考するには、かなり優秀な御方らしいですから、これでこのガリアも安泰と言うべきでしょうな」
騎士に相応しい誠実さでそう答えるジル。王に対する絶対の忠誠。これは、騎士に取って必要な美徳なのですが。
ただ、そのカルロマンや、ランスヴァルと言う人物たちにかなり問題が有ると思うのですよね、俺としては。
カルロマン。現地、マジャールの地での名称で言うとマジャール侯カルマーン。
言わずと知れた龍の姫。シモーヌ・アリア・ロレーヌの父親。
そして、南百合騎士団の長。エディナール・ランスヴァル。この人物は、ジョゼフの股肱とも言うべき人物。国内の貴族からは嫌われた王太子時代から彼に付き従い、ジョゼフの第一の腹心と言えば、この人物を上げると言われる人物。
もっとも、その嫌われた理由が、オルレアン公シャルルを王に即位させたい連中のネガティブ・キャンペーンの結果で有った可能性が高いので……。
更に、ジョゼフ自身が当時はそのウワサを否定する事もなく、王に即位して、シャルル暗殺の後に、国内を二分しようとした売国奴に等しい貴族連中に容赦ない鉄槌を下して居るので……。
ここに、彼らの何らかの意図を見つけられるような気もするのですが。
例えば、領地持ちの貴族の数を減らして、官吏としての、一代限りの貴族。つまり、騎士階級の数を増やそうと言うような……。
もっとも、その部分に関しては、今は重要では有りませんか。
それで、この俄かに降って涌いたようなガリア王の隠し子の話は、どうも、この二人や、ジョゼフ王。その他ジョゼフ派の主だった貴族連中が結託をして、居もしない王子が、さも居るかのように装っているような気もするのですが。
何故ならば、俺は農作業に明け暮れた夏休みの間、アリアから、弟の話など一度も聞かされた事は有りませんから。
確かに、情報の漏えいを防ぐ意味から、箝口令が敷かれていた可能性も有るのですが……。
しかし、ジルが言う所の優秀だと言われる王子が為した事と言うのが、
ワラキア侯のベレイトの岩塩採掘奴隷の暴動を未然に防ぎ、
東薔薇騎士団のクーデターを、カウンター・クーデターで阻止。
ラグドリアン湖の精霊と新たな盟約を結び、ガリアにのみ、水の秘薬の独占販売の権利を約束させ、
今回のガリア両用艦隊主力の王都リュティスを灰塵にする計画を阻止する作戦でも、主導的な立場でその手腕を発揮した、……と言う事に成って居るのですが。
それって、イザベラの事じゃないのですか?
確かに、本当に、そのルイ王子が存在するのなら、イザベラが為した事を、その王子の手柄として発表するのは問題がないと思いますが……。
それに、王家の血を引いて居ない人間にも一人、その王子様の行った成果だ、……と言われている事を、不満ばかり口にしながらも熟した人間が割と近くに居るのですが……。
もしかして、悪人どもはそいつに王子の役を演じさせる心算なのでは、などと勘繰ったりしているのですが……。
何故ならば、ジョゼフが覚醒した夜魔の王ではない、と確実に言えない以上、彼の寿命が普通の人間の数倍に相当する可能性も少なくは有りません。
その間、ずっとジョゼフ一世が在位し続けるよりは、居もしない王子をでっち上げて置いて、頃合いが見計らって、そのジョゼフ一世が退位。そして、息子のルイ何世が即位する、と言う事を繰り返せば、不自然な部分はあまり発生しませんから。
このハルケギニアにはマスコミは存在しませんから、王と王子の醜聞を調べて、面白おかしく書き立てる新聞など存在しては居ませんからね。
この場合は醜聞と言うよりも、むしろ怪談話に近い内容と成るとは思いますが……。
「そうですか。それでは仕方が有りませんか」
そう、答えてから、続けて感謝の言葉を告げて置く俺。
但し……。
但し、そのガリアの王子様と言う存在に直接会うまでは、この中途半端な状態からは脱する事は出来ないのですが。
タバサの使い魔として召喚されてから、ずっと巻き込まれ続けて居るこの厄介事が、新たな局面を迎えたような、そんな不安感から抜け出す事が……。
そう考えた瞬間、上空では、模擬空中戦を行っていた強風が、流石は自動空戦フラップを装備した機体だと言う見事な運動性能を見せ、相手の後ろを取ったのでした。
☆★☆★☆
周囲には魔眼の邪神のもたらした惨状が広がっていた。
古の時代より陽光と風と雨に守られ、育てられた木々は、有る者は薙ぎ払われ、また有る者は全ての精気を失い、無残に枯死した姿を晒す。
しかし、それだけ。破壊の爪痕は残り、大地からしみ出した邪神の気が、世界の精気を喫い尽くしていたとしても……。
上空に顔を出す蒼き女神が放つ光の矢のみが支配する、秋の夜に相応しい静寂を世界は取り戻して居た。
そう。もう既に、魔眼の邪神は、この闇の丘の地下には封じられている訳では有りませんから。
上空には完全に合一した二人の女神の姿が。そして、風は濃い秋の気配を運び……。
先ほどまで、確かに其処に存在して居た異世界の存在。紅き魔眼の邪神は、俺と湖の乙女。そして、炎の女神ブリギッドに因って、陰陽の気へと変換されて仕舞い、ヤツが其処に存在していた痕跡を探す事さえ不可能な状況へと変わっていた。
一瞬、何かを残して少女が、自らの元に還って行った。
その去り際に残した彼女の心が、これから起こり得る炎の精霊との契約について、彼女がどう感じているのかを如実に物語って居るかのようで……。
但し、その事に付いて、彼女は一言も言葉を残して行く事は有りませんでしたが。
ただ、告げて行かなかった事が余計に……。
いや、これは感傷に過ぎない行為。
そう考え、在らぬ方向に向けたまま、意識的に見つめる事の無かった炎の少女の方向へと、視線を転ずる俺。
蒼き光の雫を受けるその姿は……、幼い少女の姿ながらも正に女神。神聖にして冒すべからざる存在。
その彼女が、少し険しい瞳で俺を見つめ、そして、其処から何かを感じ取ったのか、その表情から険しい部分がフッと和らいだ。
炎の精霊と水の精霊の仲が悪い、などと言う伝承を俺は聞いた事がないのですが、これまでの二人の間に漂っている雰囲気から推測すると、どうやらこの二人に関しては、イマイチ相性が悪い相手のようでは有りますね。
俺は、そう考えながら少女神。崇拝される者、女神ブリギッドに対して右手を差し出す。
それはまるで、月下に踊るパートナーを求めるが如き、自然な雰囲気で。
そして、
「そうしたら、火竜山脈まで送って行くから、手を取って貰えるか?」
……と、短く問い掛けた。
精霊の生命に関しては、はっきりとした事は知りませんが、ほぼ無限で有ると言っても過言ではないと思います。故に、彼女が見極めると言ったのですから、それはかなり長いスパンで俺の事を、自らのパートナーに相応しいかどうかを見極めると言う事なのでしょう。
つまり、こんな短い間で保留にして有る契約に関しての見極めが終わって居るとは思えなかったからの、今回はこの問い掛けだったのですが……。
しかし……。
しかし、炎の少女はその右手を黙って見つめたまま、反応を示そうとはしない。
差し出された右手の間を、ゆっくりと流れて行く時間。しかし、それは拒絶されている雰囲気ではない。
ただ、僅かばかりの逡巡と、それを上回る興味。
俺の右手を見つめていた瞳をゆっくりと閉じて、そして、もう一度開いた時に、彼女の視線は俺の差し出された右手などではなく、霊障により変わって仕舞った色の瞳を見つめていた。
そうして、
「おま――。あなたの名前を、もう一度教えて欲しい」
何かの決意の元に、名前を問い掛けて来るブリギッド。その瞳は探る者の瞳。
いや、何かを思い出そうとするかのような、そんな瞳に感じられる。
これは、彼女の記憶に有る、誰か。自らのかつての契約者と俺を重ね合わせる行為なのか、それとも、もしかすると以前の俺……前世の俺が、彼女とも某かの関係を築いていたのか。
但し、俺の方には、彼女から強烈な何かを感じる事は――――――。
いや。強烈な何かを感じないのは事実ですが、まったく何も感じないのか、と言われると、それは否と答える相手でも有ります。
彼女もまた……。
「俺の名前は武神忍。武神が姓で、忍が名前」
そんな、何か非常にもどかしい、上手く言葉に表せられないようなもやもやとした物を感じながらも、それでも平静な振りを装い、炎の女神に対して、そう答える俺。
湖の乙女を前にした時に感じた、ただ見つめているだけで、涙が出て来るような強い感情でも無ければ、蒼い光に包まれた夢の世界で、たった一度だけ繋がった少女に対する懐かしい想い。……思慕にも似た感情とも違う。何か、別の感情を……。
「武神……忍――――」
何かを思い出すかのように、蒼い光の世界で、形の良い眉根を寄せて思考の海に沈む彼女。その表情は、かなり不機嫌な様子。
おそらく、彼女の方も、俺と同じような、何処か奥の方に棘のような物が刺さった感覚が有るのでしょう。直ぐそこまで出かかっているのに、中々出て来ようとしないもやもやとした感情に支配されて居る。そう言う類の気を発して居ますから。
しかし、
「あぁ、もう、イライラする! おまえも、そして、あの水の精霊も!」
矢張り、と言うか、終に、と言うべきか。取り敢えず、悩むのに飽きた崇拝される者ブリギッドがキレて、俺と、ついでに湖の乙女ヴィヴィアンに対して悪態を吐いた。
そんな幼い少女そのものの彼女の本質を知って居るのは、この世界では俺と、あの水の邪神が顕現した時のラグドリアン湖に存在した連中だけ。
思わず漏れて仕舞う笑み。蒼き静寂に包まれた世界には相応しくない、少し、我が儘な少女の高い声。
そんな俺の仕草も彼女の気に障ったのかも知れない。
「何よ!」
どう聞いても、あによ、としか聞こえない発音で、そう問い掛けて来るブリギッド。
キッと言う擬音が相応しい視線と共に……。
しかし、
「別に」
ワザとそのかなり厳しい視線にも、そして、非常に不機嫌な雰囲気にも気付かない振りをして、そう答える俺。
その俺の態度が彼女を苛つかせるのか、更に不機嫌度が上がって行く。
そして、
「本当に、おまえは昔から――――」
勢いに任せて何か言い掛ける女神ブリギッド。そして、その瞬間に自らの発した言葉に、少し驚いた表情を浮かべる。
そう。確かに、先ほどの彼女の言葉は少し不思議な雰囲気を伴っていました。
まるで、昔の俺の事を知って居るようなその言葉の内容。
ただ……。
ただ、この台詞に因り、もしかすると彼女、崇拝される者ブリギッドも湖の乙女と同じように、俺の前世で某かの関係が有った存在の可能性も出て来たとは思いますが。
人と人の出会いに偶然は殆んど存在して居ません。其処にはある程度の縁と言う物が存在し、そして、魂魄と言う物は無限の時間の中を……。無限の世界の中を永遠の旅を続ける物。
その旅の最中に出会い、そして、強い絆で結ばれる相手と言うのは、それ以前の生に於いても、某かの縁に結ばれた相手と出会う可能性の方が高い物ですから。
そんな、やや思考の海に沈み掛かった俺を、先ほどまでよりは多少、マシになったとは言え、普通の少女ならば明らかに不機嫌だろうと言う瞳で俺を見つめた後に、右手を差し出して来るブリギッド。
その唐突な行動に、少し面食らったように一瞬の空白を作って仕舞う俺。
そんな俺に対して、
「どうしたのよ。送ってくれるんでしょう?」
やや不機嫌な雰囲気ながらも、そう問い掛けて来るブリギッド。
差し出して来た右手を、更に強く俺に意識させるようにしながら。
その一言で、ようやく失調状態から回復した俺が、彼女の繊細な、……と表現すべきその右手をやや下方から優しく取る。
ダンスの相手から差し出された手を取るかのような雰囲気で。
そして、
その少女に相応しい華奢で、柔らかな手の感触に少しドキリとしながら。
そして……。
そして、次の瞬間、二人の姿はこの場から消え去って居たのでした。
☆★☆★☆
十月、第二週、ラーグの曜日。
簡易のベッドに寝かされた十歳ぐらいの少女の顔全体から首、そして、粗末な洋服に隠されていない全ての部分に広がる膿疱。
そう。本来ならば、少女特有のはつらつとした肌に浮かぶのは醜い膿疱。普通の場合ならば、ここまで事態が進行した場合、例え、彼女が死の淵から生還出来たとしても、この少女には、一生、この病の痕跡が残り続ける事となる。
そう言う、末期的な症状を示す少女が……。
その瞬間、少女がうわ言を発するように口を動かした。しかし、その声は形を得る事はなく、空しく虚空へと消え去って仕舞った。
もしかすると、内蔵にまで及んだ膿疱に因る肺の損傷を併発している可能性も有る状態。
体温はおそらく四十度以上。正直に言うと、この状態の相手を如何にかする方法は、地球世界の現代医学にも存在していません。
何故ならば、この病気は、基本的にはワクチンを接種して予防する方法が主流で有り、そして俺自身は、このウィルスが完全に撲滅されたと言われていた世界からやって来た人間。故に、俺の体内には、このウィルスに対する抗体は持ってはいないはずです。
但し、この程度の病などで俺を害する事が出来る訳は有りません。
いや、正直に言うと、そう思い込む事でしか、こんな疫病が爆発的な流行を迎えている野戦病院などで治療に当たる事など出来る訳はないのですが。
「アガレス。彼女の命運は尽きてはいないな」
俺は、自らの傍らに立つ金髪碧眼、女性騎士姿の魔将にそう問い掛ける。そんな俺の問いを、少女の母親と思しき女性が心配げに聞いていた。
その俺の問い掛けに対して、軽く首肯いた後、
「大丈夫。私の見る所、その少女の命運は尽きてはいない。
故に、この病から助けたとしても、世界に歪みをもたらせる事はない」
……と、女性と言うよりは、騎士の口調でそう答えるアガレス。
しかし、命運が尽きて居ないはずの少女から俺が感じて居るのは死の穢れ。今にも消え失せて仕舞いそうな生命の炎の残り香と言う儚い気配。
これは、どう考えても異常な事態が進行中と言う事なのでしょう。
今日、何度目に成るのか判らないそう言う推測を思い浮かべた後に俺は、如意宝珠を起動させ、七星の宝刀を現出させる。
刹那、臨時の野戦病院と化した元ガリア両用艦隊司令本部の一室に、俺の霊気を受け、蒼白い輝きを放つ霊刀が顕われた。
そう。鎮護国家、破邪顕正の力を持つ霊刀。その能力には当然、禍祓いの能力を持つ。
俺の霊気を受け、眩いばかりの光輝を放つ霊刀に、少女の傍らに立つ母親が、思わず、その瞳を閉じた。
但し、現在の七星の宝刀が放つ光輝は、この地に満ちる陰気を受けて少し曇った刀身と、そして何より現状では俺自身が全能力を行使出来ない為に、全開の時に比べるとかなり足りない光輝を放つ事しか出来ないのですが……。
そして、
「我、世の理を知り妖を見る」
全身を膿疱。末期の天然痘の症状に覆われた少女に対して、見鬼を行う俺。
その刹那。
少女に纏わり付くように存在する、彼女と同じような膿疱に覆われた亡者の姿が浮かび上がった。
その数、五体。
「疱瘡神。いや、そのレベルには達していない、何れも疫鬼と言う程度の存在か」
そう呟いた後、口訣を唱え、導引を結ぶ。
そして、右腕を一閃。
その瞬間、少女に纏わり付いていた、疫鬼が全て祓われる。
いや、これは祓ったのではなく、返す仙術。疫病を起こす鬼で有ろうとも、簡単に陰陽の気に返して良い訳では有りませんから。
特に、この少女に纏わり付いていた疫鬼は、薄らとでは有りますが、この少女との間に因果の糸が繋がっているように見えました。
これは、先ほどの鬼が、彼女に取って某かの関係が有る人物の成れの果てだと言う事。
但し、故に一時的に祓っただけなので、因果の糸を辿って疫鬼が再びこの少女に纏わり付く可能性が高いのですが。
現在のブレストの街を襲っているこの異常事態の場合は……。
一時的とは言え、疫鬼を祓った事が良かったのか、途切れがちで有った少女の息が苦しげでは有りますが、それでも死を予感させる物ではなく成りました。
まさか疫鬼が祓われた事が判った訳ではないはずですから、我が子の様子を敏感に感じ取ったと思われる彼女の母親が、俺に対して何度も、何度も頭を下げる。
そんな母親に対して、
「お嬢さんは未だ予断を許さない状態ですから、家には連れて帰らずに、この臨時の病人収用施設に留まって居て下さい。経過を見なくちゃいけませんからね」
そう話した後、扉の直ぐ傍に居た男性。実は魔将ハゲンチの人化した姿の男性に連れられて、別室の方に案内されて行く母親と少女。
そこで、少女は点滴などの処置。少なくとも、このハルケギニア世界には未だ存在していない、地球世界の医療に因る治療を受ける事と成ります。
もっとも、こんな物は気休め。先ほど、ハゲンチに連れられて部屋を出て行った少女は明らかに末期の天然痘の症状を示していましたが、それが今朝から急に体調を崩したとすると、それは別の意味も持って来ると思いますから。
何故ならば、普通の天然痘の場合、某かの初期症状の後、顔などを中心に発疹が生じ、そして、ソレが全身に広がって行くもの。
それがいきなり、発疹を通り越えて膿疱。つまり、発疹が化膿した状態に成って居ると言う事ですから……。
その上で、彼女に取り憑いていた疫鬼は、明らかにあの少女と因果の糸が絡んだ存在。
普通の疫病などの場合、こんな事は滅多な事では起こり得ないでしょう。
因果の糸を結んだ存在が少女の死を願う。これは明らかに呪詛。疫病の形を取ってはいますが、可能性としては呪詛の可能性が高いと言う事だと思いますから。
但し、因果の糸を辿って疫鬼が訪れる為に、例え彼女を結界の内側にて守ったとしても、確実に守る事は出来ません。
その理由は、因果の糸とは、例え次元を超えた存在との間でさえも繋がり続けて居る物。これを断ち斬る方法が俺にはない以上、それを辿ってやって来る疫鬼を完全に防ぐ方法は俺には有りませんから。
一応、時間稼ぎのような方法を施した後にこの事件の……。この異界化現象の核を早急にどうにかしなければ、死亡者が増える一方に成りますから。
そして、この異常事態の一番問題が有る点は……。
「ノーム。土地神たち……。街道を護る道祖神や、橋と境界線を護る橋姫。この土地を護る産土神たちに、疫鬼がこのブレストの街に侵入する事を防ぐように依頼したんやろう?」
少しの間、思考の海に沈み込んでいた俺が、誰も居ないはずの場所に向かってそう問い掛けた。
その瞬間、突如、盛り上がる床。
いや、床自体が盛り上がって来た、……と言う訳では無く、床から何モノかが顕われて、実体化したと言い直すべきですか。
そう。次の瞬間の俺の目の前には、小さな、しかし、がっしりとした体格を持つ大地の精霊ノームが顕われていたのだ。
「はい。全ての土地神たちには、ブレストの産土神から異質なモノ……。疫鬼などの住民に害を為す存在が簡単に入り込めないように監視の目を強化する事が伝えられて居り、その指示通りに自らの職務を遂行していると思われます」
手先が器用で、愛想が良く、人間の友達となる。……と伝承で語られている通りの律儀さで答えを返して来るノーム。
但し、この答えは異常。
何故ならば、
「だとすると、この一瞬一瞬の間にも患者が増えて行って居る状況は一体……」
後書き
ようやく、聖賢王ジョゼフ一世の名前を出せる所まで話が進んだ。
それに、疫病の話もゼロ魔二次には珍しいでしょうから、この『蒼き夢の果てに』はかなり毛色の違う二次小説と言う事に成るのでしょうね。
どう考えたって、魔法が実在する世界では、疫病って、そう恐ろしい物ではないはずですからね。
尚、この物語は、科学で魔法を圧倒して無双を行う物語では有りませんから、例え出て来るのが強風だろうと、F22ラプターで有ろうとも、意味は有りません。
そもそも、ダゴンを瞬殺出来るヤツが主人公なのですから、その能力は核兵器並み。
それに、相手も『邪神』ですから、それぐらいの能力がなければ瞬殺されるのは間違い有りませんから。
ダゴンを相手に、核以外の兵器で挑んだとしても、通用しないと思いますからね。
もっとも、その前に、SANチェックをクリアーする必要が有りますけど……。
それでは、次回タイトルは『疫鬼』です。
ページ上へ戻る