八条学園怪異譚
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第三十一話 マウンドのピッチャーその十四
「特攻隊で死んだ投手もいた」
「石丸進一さんですね」
聖花は特攻隊で戦死したプロ野球投手と聞いてこの名前を出した。
「そうですね」
「そうだ、知っているか」
「はい、鹿屋から出撃してですよね」
鹿屋にはこの石丸投手の資料もある、特攻隊の記念館に。
「それで、でしたね」
「他にも多くの野球人達が散華した」
そうなったというのだ。
「私の同期もそうだった」
「日下部さんの同期の人も野球人がいたんですか?」
「職業野球の選手はいなかったがな」
「野球をしていた方はおられたんですね」
「そうだ、いた」
つまり海軍経理学校の同期でいたというのだ。
「そして軍艦に乗り込んでいたが」
「その船が沈められてですか」
「そのうえで」
「靖国に行った」
日下部は遠い目で話した。
「それを思えばだ」
「あの人達はまだ幸せですか」
「ここで野球が出来て」
「そう思う、彼等もそれがわかっている筈だ」
甲子園には行けなかった、しかし野球は出来た。そのことはというのだ。
「まだな」
「それで今もですか」
「残念だったけれど楽しかった思い出に浸ってですね」
「ああして野球をしているんですね」
「今も」
「その通りだ」
まさにそうだというのだ。
「彼等はな」
「今からはじまりますね」
愛実は両チームが整列したのを見た、彼等はお互いに深々と頭を下げた。
そのうえでそれぞれのポジションについた、試合がいよいよはじまろうとしていた。
茉莉也はその試合を観ながら二人に言った。
「昔の野球は今と全然違うわよ」
「グローブとかが違うのはわかりますけれど」
「そんなにですか」
「そう、まず変化球が少ないの」
最初にこのことがあった。
「カーブとシュート位しかないのよ」
「あれっ、スライダーとかはないんですか」
「フォークも」
「チェンジアップ位はあったみたいだけれど」
それでもだというのだ。
「そうした変化球は戦争が終わってから出て来たものなのよ」
「スライダーとかフォークは」
「他もですか」
「シンカーはあったかしら、けれどね」
だがそれでもだというのだ。
「カーブとシュート位ね、カーブは色々あったけれど」
「スローカーブとかですね」
愛実もこのことはわかった。
「スラーブとかドロップも」
「そう、ドロップとかドロップカーブはあったわ」
そうしたものはというのだ。
「けれど殆どカーブ系とシュートだけだったのよ」
「変化球の数少なかったんですね、本当に」
「その二つだけっていうのは」
「それでクイックとかスライディングもないから」
今では常識となっているこうした野球技術もだというのだ。
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