短編集的な
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
☆師匠と英雄
前書き
原作だと扱いが(設定の割に)あんまりな某ソードマスターを弄ってみたり(何
---------------------------------------------------------------------------
私がその山へ立ち入ったのは、齢十になったその日のことだった。急に悪化した母の病を癒す為の仙草を取りに。度重なる魔獣の襲来に私の一族は皆出ている。だから家には母と私だけで。私が行く他に方法は無かった。
幼子だった私に魔物犇めく山の探索など出来る筈が無い。当時の私もそれはわかっていた。それでも、行くしかなかった。このまま座して母の死を待つことなど真っ平ごめんだ。意識の無い母に一言告げ、練習用の木刀を腰に下げ、私は山へと走り出した。
●●●
私は元来身体が弱く、気の量も並かそれ以下といったところだ。門下の中では下位で、だから襲撃の迎撃には出れなかった。つまるところ、神鳴流を扱う才は、私には無かったのである。本家の人間でありながら、私は戦いに向いていなかった、ということなのだろう。山を懸命に走る私は「魔獣と出会いませんように」と、それをひたすら念仏のように唱えていたことを覚えている。
事態が急変したのは山の中腹まで来た頃だっただろうか。従姉――彼女は青山家史上でも類をみないほどの傑物だった――と来た時の朧気な記憶を頼りに登ってきた私はよく迷わなかったものだ。滑ったり転んだりしたので軽傷こそは山のようにあったが、魔獣とは全く会わずに来たのだ。まさしく神仏の加護というやつだろう。
――その加護が尽きたのだろう。
ぐるる…、というようなうなり声が聞こえ、同時に周りから多くの足音が聞こえたのだ。慌てて視線を右へ左へ走らせるも、何もわからない。恐怖に駆られた私は情けない話だが、悲鳴を上げて走り出した。
一面が闇で目視出来ぬ中、音だけが鮮明に何者かの存在を伝えてくる恐しさ。最初は頂上へ走っていた足も、いつしか目的地を見失い。皆目検討もつかぬ場所を、死の気配から逃れる為に必死に逃げる。蹴躓いても、枝が皮膚を引き裂こうとも、お構いなしにひたすら走った。
彼らは、そうやって恐れ震える私を見て笑っていたのだろう。彼らの脚力が幼い私に劣るとは考えられない。私が疲れ果て、弱るのを待たずとも彼らの顎は私を紙屑のように引き裂くだろう。私がこの時生きていたのは彼らに弄ばれていたから、というのは純然たる事実だった。彼らがこの行為に飽いた時、私の人生も終わるのだ。
――走馬灯、と呼ばれるものを私は初めて経験した。
厳しくも優しい父と母。いつも笑みを絶やさない祖母。飄々としていた従姉。次いで、自分が八つ裂きにされる光景。全てが一瞬のうちに過ぎていく。死の間際だからだろうか。全てがゆっくりと見えた。相手の動きも、私の動きも。
―死にたくない、と思った。
私は無我夢中で、魔獣の顔面に木刀を叩きつけた。火事場の馬鹿力だろうか。ぐちょつ、という気色悪い音と感触と一緒に、一匹が吹き飛んだ。
「わああああ!!」
生きたい。死にたくない。それしか頭に無かった私は、無謀にも魔獣の群に特攻した。奴らが、怯むのがわかった。少し前まで容易に狩れる筈だった獲物が、自分達を襲ってきているのだから。
「わああああ!!」
私は声を張り上げた。そうしないと恐怖に負けてしまいそうだから。敵を追い払おうと必死だった。だが遮二無二に木刀を奮うわけでは無い。
死の危機に直面し、私の感覚は研ぎ澄まされていたのだろうか。相手の攻撃してくる気配がなんとなく、わかった。勿論なんとなくなので完全では無い。だが、わからないのとは雲泥の差だ。
必死に身体を動かして相手達の攻撃から身をかわし、返しの一撃を脳天に叩き込む。360゜全てに気を配り、足音一つ逃さぬように。暗闇の中必死に目を凝らし。
――だが、火事場の馬鹿力など長く続くものではない。
魔獣を十も打ち倒す頃には木刀も折れ果て撲殺に代わり、更に十打ち倒す頃には拳が使い物にならなくなった。身体も疲れ果て、呼吸すらもままならない。そのまま崩れるように、私は大地に倒れ込んだ。
もう動かないかを確認するかのように魔獣が私の周囲に近づいてくる。私の間合いに入らないようにしばらく警戒。その間に顔を前に向ければ、ひときわ大きな個体。群のリーダーだろうか。「手間をかけさせやがって」と言うかのような、そんな気配を醸し出しながらこちらに近づいてくる。
――ここで本当に終わりか
向かってくる個体には勝てないことがわかった。あれは、私の一族が今夜戦っている筈の魔獣。群からはぐれた個体が、小規模な群をつくってこの山に潜伏していたのだ。絶望的な事実に満身創痍となった私が諦めようとした時。
「いいぜ坊主。よく耐えた」
男の声が聞こえた。刹那、群の主が真っ二つに分かれる。一流の神鳴流剣士ですら手間取る魔獣を、一撃。事態を理解できていない私の眼前に、いつの間にか白い外套と緋色の服を来た偉丈夫が音も無く居た。
「だが最後はいかんな。生きようとする意志は何よりも強い。最後まで諦めるな」
男の声と一緒に、私は意識を失った。
●●●●●
「懐かしいことを思い出しましたね」
山への獣道を歩きながら、私は一人苦笑する。思い出していたのは始まりの記憶。人生の転機となった、とある日の記憶。
「この道、でしたかねぇ」
何分昔であるが為、今は居場所が変わっているかもしれない。そうしたら、麾下の術師を総動員して探すしかない。だがこれは個人の問題。組織の長として動けば「あの人」は絶対に雲隠れする。そんな確信があった。だから願う。住処が変わっていないことを。
ひたすら歩く。獣道ですらないような道を。この先に住処があると信じて。昼間から闇に包まれ、方向感覚を失わせる魔の領域を踏破する。
――そして、私の願いは叶えられた。
聞こえてくる川のせせらぎ。走り始めてすぐ、唐突に視界が開く。なだらかな丘陵が現れる。小さな川は澄み渡り。隣には質素な小屋。煙を出している竈と、そこに座っている男。白い外套を羽織り、漆黒の髪を腰まで流している。手には薪を持っており、時折それが無造作に竈へと投げ込まれる。
間違いない、あの人だ。
変わっていない懐かしさと見つけられた安心感で声をかけそうになるもすんでで堪える。代わりに、加速。音を消し気配を絶って瞬動。放つは抜き身での一撃。ただし、全力で。
「――朝食をとろうとしてみれば。一介の陶芸家に切りかかるとはな。なんとまぁ、無粋な輩だ」
声が後方からかけられる。私の全力の一撃を造作もなく回避し、一瞬で私に気づかれずに背後をとる。圧倒的な実力に翳りは全く見られない。やっぱり、この人は出鱈目だ。内心で苦笑する。
「比古清十郎は一介の陶芸家では無いでしょう」
「……かつてのバカ弟子を彷彿とさせるやりとりだ、と思えば。おまえもバカ弟子だったな」
以前、聞いた事がある。この人には昔一人だけ弟子がいたと。彼の事を話すこの人はどこか淋しそうで。だから私は彼のことをあまり尋ねない。
「……多分その兄弟子と同じ目的ですよ」
師匠が同じだから。今の錆び付いた私の腕では白い髪の少年――フェイト――には勝てない。全盛期の力を取り戻す必要がある。それも早急に。手遅れにならないうちに。我々の問題を次の世代に押しつけるわけにはいかないのだ。
「……はぁ。おまえもか」
どこかウンザリした声に、堂々と返答する。
「師匠。不肖の弟子、近衛春詠故あって再び姿を現すこと、お許しください。そしてかつて残した飛天御剣流の奥義の伝授、今こそお願い致します」
………
……
…
――――これは剣神が生まれる前の日の、些細なものがたり。
ページ上へ戻る