おいでませ魍魎盒飯店
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Episode 4 根菜戦争
嵐の前の静かなる朝食
「いったい何を作ってるニャ?」
「……美味しいもの」
「いや、それは解ってんだけど、なんで機嫌悪くなると料理なんだ?」
「料理してると落ち着くらしいニャ」
「もはや病気以上の何かだな……」
それを人は"性"と呼ぶ。
そして……ボソボソと囁く家の住人を他所に、キシリアは一人厨房に閉じこもっていた。
こと、キシリアという存在は料理を作る生き物である。
機嫌がよければその気分を料理に盛り込み、悲しい時は気分を紛らわせるために、ただ黙々と料理を作る。
そして、怒り狂っている時も自分の気分を落ち着かせるために料理を作るのだ。
「……ったく、誰だよ、余計なことを、あいつらに、教えたのは!」
言葉を区切りながら、キシリアは淡く赤みを帯びた豆を鍋で煮込み、その傍らで刻んだ玉森髭と細切れにしたピーマンを大きな鍋で炒める作業を続けていた。
見慣れない珊瑚のような色の豆の正体は、ユストゥスがお土産に持ってきた赤レンズ豆である。
中近東の料理を作るときに欠かせないこの食材は、当然ながらこの魔界にある物ではなく、キシリアの依頼によりユストゥスとドライアドが自らの理力で新しくこの世界に生み出した穀物だった。
光学機器であるレンズの語源にもなったこの豆は、あえて言うならば小豆に似た風味を持ち、まろやかなコクと優しい味が多くの舌を惹きつけてやまない食材である。
だが、非常に美味で育てやすい反面、生の状態では毒性を持ち、地球でもこの豆の毒で何人も命を落としているほどだ。
ゆえに、色が落ちて黄色くなるまで鍋でコトコトと煮込まなければならない。
「この……馬鹿たれが! 馬鹿たれが! 馬鹿たれがっ!!」
その執拗な悪態とは裏腹に、炒め続けた玉葱はほんのりとキャラメル色に色づき始め、周囲に独特の甘い香りを振りまき始める。
そして、鍋の中身がいい焼き具合になったことを確認すると、そこに 蕃茄のペースト、赤パプリカのペースト、そしてみじん切りのニンニクを混ぜてさらに手際よく火を通した。
香味野菜の奏でる幸せが厨房に満ちて外にまで溢れ広がる。
この段階で周囲はなんとも言えず胃に優しくない空間となっており、物陰からじっと様子を見ていた観客たちも、すでに口からヨダレが溢れている状態だ。
「あー 腹立つ! 絶・対・に! 犯人見つけてとっちめてやるからなっ!!」
怒れるキシリアの手は、そのまま鍋の中身を3つに分け、それぞれ分量の違う塩、胡椒、クミンシードといったスパイス類を奇術のような手捌きでまんべんなく振り入れ、この作業の終盤へとこの料理を誘ってゆく。
あとは挽き割りの小麦を加えて、手早くかき混ぜながら水分を飛ばせば完成だ。
「おい、猫共! 見てないでとっとと皿を出せ! 大皿でいい!! ちがう、その隣の浅いやつだ!」
フライパンの中から目を離さないまま、キシリアは次々と周囲に指示を飛ばす。
「了解ニャ!」
その気になればひとりでいくらでも並行作業を出来るのに、人をわざわざ使うのは、気分が落ち着いて他人を受け入れる余裕が出来始めた証拠だった。
「クリストハルトはパンを切っておけ」
「おぅ」
いつもの調子に戻り始めた事にホッとしながら、カリーナやクリストハルトが厨房に足を踏み入れる。
あとは勝手知りたる我が厨房だ。
クリストハルトはいつもの場所からパンを取り出すと、聖印を切って保存用の呪詛を振り払い、パンきりナイフを取り出して手際よくパンを切り分け始める。
この男、とかく切るだの刻むという作業をさせると手際が良い。
そのうち刺身の作り方を仕込んでやろうとキシリアは密かに画策していた。
「カリーナは飲み物の用意! この間教えた"塩ヨーグルト飲料"を作れ! いいか、青唐辛子は丁寧に細かくすり潰すんだ!」
「……了解」
アイランはトルコの伝統的な飲み物であり、なんとヨーグルトに塩と辛い青唐辛子のペーストを混ぜた代物である。
甘いヨーグルトになれた人には斬新過ぎる味なのだが、不思議と暑い国の食べ物と一緒に食べると抵抗感が無い。
むしろ甘いものが苦手なクリストハルトあたりはかなり好む味だった。
材料は簡単。
ヨーグルトを少しの水で薄め、塩と青唐辛子のペーストを入れて混ぜるだけ。
人によっては好みでレモンを入れたりもするらしい。
「カリーナ、塩が少し多い。 作り直し」
「……ハイ」
シンプルだがそれゆえに誤魔化しが聞かず、カリーナの塩加減の感覚を鍛えてるために、キシリアはよくこの手の課題を出してくる。
「だが、この間よりはいい。 青唐辛子の量にも注意しろ。 あと……これは俺の好みのバランスだからな?」
「……わかりました」
つまり、肉体労働の多いクリストハルトは塩分を多く体が求めるため、このままの塩加減でも問題が無い。
逆にケットシー達には塩を控えめにし、刺激物である青唐辛子も量を控える必要がある……
全てを口にしないあたりが実にキシリアらしい教育方針だ。
そしてその教えを受けるカリーナもまた、その意図を的確に読み取っている。
この二人、存外に相性が良いのだ。
そんな事をしている間に、キシリアの料理のほうも最終段階に突入していた。
すっかり水気の少なくなったペーストを理力で一瞬にして冷却し、刻んだ森髭を加えてコロッケ程度の大きさに手早く纏め上げる。
そしてそれを薄切りにしたレモンの間に挟みこむようにして皿に盛り付け、上からパセリを散らして飾り上げた。
「それ……どこの国のなんて料理? 初めて見る」
「あぁ、これか」
興味を引かれたカリーナがそんな疑問を口にすると、キシリアは今更のように料理の名前を告げていないことに気が付いた。
「俺の故郷にあるトルコと言う国の料理で、"赤レンズ豆の団子"という料理だ」
そう告げながら、キシリアはこの豆団子をまいて食べるためのレタスを別の皿に盛り付ける。
「本当はメインで食べるものじゃなくて"前菜"として出すものなんだが、まぁ、朝だしこれぐらいで調子度いいだろ。 ちなみにカリーナはそこの中辛のヤツな」
「むぅ……お子様扱いは失礼だと思う」
「じゃあ、俺とクリストハルト用の激辛のやつを一緒に食べるか?」
「……やだ」
むくれながらキシリアの傍を離れるカリーナを見て、キシリアは一緒に住む家族がいた事に心から感謝していた。
まさに彼等は、このささくれ立った心を癒す特効薬だ。
*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*
「……で? 何をそんなに苛立っていたんだ?」
食事が終盤に差し掛かった頃、いつものように向こう見ずなクリストハルトがそう話を切り出した。
その瞬間、キシリアの顔が目に見えて曇り始める。
「まぁ、なんというかな。 端的に言うと……」
――戦争が起きる。
あまり大きくも無い声で、キシリアはボソリとそう呟いた。
「えらく物騒な話だな、おい」
「……ハルト、顔が笑っている」
思わず身を乗り出したクリストハルトを、カリーナが肘でつついて牽制するが、根っからの戦闘狂はそう簡単に収まりが付かない。
「で、原因は何だニャ? キシリアが巻き込まれるなら、ニャーたちも無関係と言うのは難しいニャ。 自分らが巻き込まれる可能性があるなら、その理由とかは聞いておきたいニャ」
「もっともな意見だな」
渋い顔をするマルに、キシリアはゆっくりと頷く。
彼等ケットシーは、個人の喧嘩は頻繁に行うものの、戦争などと言う文化とは基本的に相容れない存在だ。
なんでも、戦争の醜さは彼等の美的感覚にあわないらしい。
そしてキシリアは、しばらく無言で言葉を選ぶと、唐突にこう切り出した。
「なぁ、焼畑農業ってしってるか?」
それは最初から知らないことを前提とした問いかけだった。
さすがに人であるカリーナとクリストハルトは聞いたことがあったらしい。
もっとも、戦闘ばかりに明け暮れていた彼等に農業についての詳しい知識などあるはずもなく、あぁ、そんなものもあったなと言わんばかりの表情でキシリアの言葉に耳を傾けている。
「知らないニャ。 つーか、土弄りに興味ないニャ」
案の定、マルは興味をそがれたような声で小さく欠伸を返してきた。
「まぁ、お前らには縁が無い話だよな」
予想通りの反応に、キシリアはそっとため息をつくと、カリーナの作ったアイランをゆっくりと飲み干す。
そしてカリーナの目を見て小さく頷くと、次の台詞を紡ぎだした。
「早い話が、森を焼いて畑を作る方法だ。 まぁ、本来はもっと南の国に多いラトソルなんていう酸性の赤土に適した農業なんだがな」
「……なんでそんなアホな事するニャ? わざわざそんな事をして樹麗人達に喧嘩を売る理由がわからんニャ」
キシリアの言葉に一番反応したのは、意外にもマルだった。
まぁ、魔界の住人であることを考えれば、人間である二人よりこの愚かさを理解できたという事だろう。
樹麗人たちを敵に回すという事は、彼女たちの管理する森の住人……虎人や人獅子を敵に回すという事に他ならない。
さらには、森の主である"榛の魔王"や森と月の女神にして森の生き物の守護者であるアルテミスやディアーナの怒りを買うことにもなる。
ケットシーであるマルの視点で考えるなら、まさに百害あって一理も無い愚挙だ。
「まぁ、愚かしい行為であることはおいといて、まずは聞け」
さもくだらないことを話すぞといわんばかりの表情でテーブルに肘をつくと、キシリアは侮蔑に満ちた笑みを唇に刻む。
「食料となる植物を自分たちで植えて、その管理下で育成・収穫することを農業って言うんだが、その一番原始的で効率の良い方法の一つが焼畑農業でな」
そこでアイランで喉を潤そうとするが、あいにくと彼女のカップはすでに空だった。
すかさずカリーナがアイランの入ったミルクピッチャーを手に取る。
「農業をするには、農作物となる植物に栄養を与え続けなければならない」
カリーナからアイランの入ったカップを受け取ると、キシリアはすかさず喉を潤した。
そして、なれない人間がアイランを単品で飲むにはちょっといただけない事を知る。
「で、森を焼いた灰ってのは、その栄養として非常に優れている……まぁ、同じ植物の体から出来ているしな」
植物を焼いた灰というものは、古くから人類になじみの深い肥料の一つである。
そして焼畑農業とは、酸性に偏った土地を中和し、地中の窒素化合物を有用に変化させ、雑草、害虫、病原体の防除まで同時に行うことが出来るという非常に合理的な方法なのだ。
だが、そこには非常に大きな問題が存在していた。
「解せんな。 お前がドライアド達と仲がよいことは知っているが、怒りの質が違うように思えてならん。 何がそこまで軽蔑する理由になるんだ?」
クリストハルトが自分の椅子に座りなおしてその眉間に皺を寄せる。
確かに自分の友人が被害を被ればいい気分はしないだろう。
だが、それにしては何かキシリアの様子が変なのだ。
いつもの様に沸々とした怒りではなく、何か深い嘆きと憤りを帯びたような……
「あぁ……実は焼畑農業ってのは、持続性が無いんだよ」
「持続性?」
首をかしげるクリストハルトに、キシリアは言葉が足りない事を感じて静かに補足を口にした。
「そうだ。 なぁ、森を焼いた後に作物を作って、そのあとその地面に蓄えられた栄養はどうなると思う?」
「……あ」
そう、供給のない資源はいつか枯れてしまうのだ。
そして、それは砂漠化へとつながる破滅の一歩。
「自然の摂理が枯れ果てた大地を森に戻すのは、少なくとも十年、いや植生の種類しだいではヘタをすると百年近い時間が必要になるだろう」
そもそも、焼畑農業は植物の成長のサイクルが激しい熱帯や亜熱帯地方に適した農法である。
どちらかといえば土壌豊かで冷涼なビェンスノウ近辺にはむいていない方法なのだ。
「で、土地が痩せて作物が育たなくなったら、農作物を作っていた奴らは何をすると思う?」
キシリアの問いかけに、その場の全員が薄ら寒いものを感じて黙り込んだ。
答えは簡単。
"彼等には、新しく焼き払う森が必要になる"という事だ。
「それは……戦争になるな。 納得した」
クリストハルトが全員の意見を代返するように、口を歪めて結論を吐き捨てた。
なるほど、これはキシリアが荒れるわけだ。
「だが、これはそもそもおかしな話なんだ。 本来この世界には農作物や畜産物を育てるという文化がほとんど無い。 例外は医熊人達の薬草園や、蜂人のコロニー、あとは牛魔族のハーレムぐらいのものだろう」
そこでキシリアは問いかける。
――なのに、なぜここにきていきなり農業を始めた?
そう、彼等が勝手に焼き畑農業を開発したと考えるのは、あまりにも不自然な話だった。
しかも、教えたのは余計な火種しか生まない、不適切な方法だ。
「つまり……誰かが農業を教えたってこと?」
「正解だ、カリーナ」
この異変の背後には、何らかの作為的なものがある。
むしろある程度の知識があれば、そう考えざるを得ないぐらいあからさまな行為だった。
「んで、農業を教えたやつはわからんとして、農業を始めたのはどこのどいつだニャ?」
「……それがな、猪人らしい」
キシリアのその台詞は、さらなる驚愕をもって迎えられた。
「んな、馬鹿な。 あいつらがそんな文化的なことをするなんて、天地がさかさまになってもありえんぞ」
「だからこそおかしい……そういうことだニャ?」
猪人という生き物は、よく言えば豪放磊落。
悪く言えば考え無しで猪突猛進。
根っからの戦士であり、農業なんて言葉とは欠片も結びつかない……いや、魔物きっての食欲を誇る彼等のことだ。
美味しい食べ物が手に入ると教えられたなら、嬉々として似合わない農業に勤しむことだろう。
だが、それはしてはいけない事なのだ。
「……荒れるね」
カリーナの声がボソリとこぼれる。
「荒れるな」
キシリアもまた、同じぐらい暗い声で答えを返した。
静かな食卓に、外から小鳥のさえずりが響き渡る。
なんと平穏な朝の光景。
だが、誰しもが、この平穏が嵐の前の静けさであることを疑っていなかった。
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