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SAO─戦士達の物語

作者:鳩麦
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GGO編
  百十九話 これからもよろしく

 
前書き
はい!どうもです!

さて、今回はラストへと続くのにちょっとした寄り道です。

では、どうぞ! 

 
「着いたぁ!」
詩乃の住むアパートの前に車を止めた涼人は運転席から飛び出すと同時に走り出す。色のあせた階段を駆け上り、記憶に有る詩乃の部屋へと走ると、インターホンを押した。

「おい!詩乃居るか!」
切羽詰まりながら怒鳴るようにドアの前で怒鳴る。と、中から呆れたような声が響いた。

『ちょ、ちょっと声大きいよりょう兄ちゃん、何焦ってるの?』
「…………はぁ」
その声に、何となく安堵したリョウは大きく息を吐いた。どうやらやはり思い違いだったらしい。

『悪いな、新川疑ったりしてよ……』
内心で知り合いの少年にそんな謝罪をしつつ、涼人は息を整える。と、扉があいた。

「あぁ、いや悪い悪い。急いで来たもんだからよ、ちっとテンションあがったままで大声になっちまった」
後ろ手に頭を掻いたリョウに苦笑すると、不意に詩乃は体を震わせる。

「って、だから寒いんだよね……入って入って」
「おう。おっじゃまー」
部屋の中は流石に暖房が入っていて温かく、先程まで走っていた身体が火照るのを感じて涼人は上着を脱ぐ。と、台所の上にある二つのカップが、彼の眼に入った。

「お、準備良いな……って空かよ」
「りょう兄ちゃんのじゃないって。さっきまで新川君が来ててね。その時出したの」
「へぇ……新川が……ね……」
自分よりも先に彼が来ていたと聞いて、涼人は一瞬反応した物の、既に帰っているとあっては別に何が有る訳でも無い。

「りょう兄ちゃんは?お茶飲む?」
「ん?あぁ。頼む……なぁ詩乃」
「何?」
台所に背を向けるように背の低いテーブルの前に座りながら、涼人は上着を脇に置いて聞いた。

「新川、なんか言ってたりしたか?お前に」
「何か……って?凄かったとか、そう言うのなら言われたけど」
「あぁ、いやそう言うのじゃ無くてな……いや、やっぱ何でもねー。何もないなら良いや」
「そう……?」
若干訪ねるような声でそう返して来た詩乃の言葉を最後に、その会話は終わりだった。
だが……

シャキーン♪

「ん、メールか」
『変な着信音……』
詩乃が後ろでそんな事を思って居るなど露知らず、涼人は携帯を取り出すと着信したメールを呼び出す。

『菊岡からか』
送信者はズバリ、この依頼を涼人に寄越した張本人だった。メールボックスを開くと同時、涼人は目を見開いた。

『は、ぁ……?』
メールの内容はこうだ。

sb:気をつけるんだ
本文:先ずは大会終了をねぎらいたい所だけど、早く本題に移れと言われそうだし、また今度にするよ。

さて取り敢えずなんだが、キリト君の連絡で今其方に警察官が向かわせている。また、彼の話から死銃氏のプレイヤーの本名も分かった。一応連絡しておくよ。

死銃氏の本名は新川昌一。19歳だ。今はまだこれしか分からないから、他の情報はわかり次第追々つたえるよ。それじゃ、後少しだが気を付けてくれ。またね。


『……おいおい……』
一体全体どういう事かと涼人は困惑した。新川昌一。名前はともかく、その名字ははっきりと涼人の記憶に残っている。名前や歳の部分から見て、あの二人が兄弟だと言う線も有るかも知れない。
だとしたらやはり恭二は詩乃を……?いや、それなら何故……

そんな考えを巡らせ、背後への注意が疎かになっていたせいも有るだろう。その声が響くまで、涼人は後ろに彼女が立っている事に気が付かなかった。

「りょう兄ちゃん、それ……」
「……っ、あぁ……」
背後から涼人の携帯端末の画面を見た詩乃の瞳には、明らかな動揺の光が宿っている。彼女は涼人の前に回ると、テーブルにコップを起きながら聞いた。

「ど、どういう事?死銃の本名が、新川って……」
「んん……俺にも分からん……」
しかし、この時点ではまだ、詩乃の動揺はそれ程大きくは無かったと言えるだろう。
先ほどの恭二は特に何事も無く帰ったのだし、可能性は高くないにせよ、犯罪者の名字が知人と偶々同じであるなどと言うことはあり得る事ではある。

その動揺が一気に膨れ上がったのは、彼女が涼人の前に腰を下ろした……その時だった。
ついさっき、恭二とも、位置は逆ながら同じ様な形で座っていた。間に置かれた二つのケーキと、いつものようにはにかんだように笑う恭二。しかし、一つ記憶に引っかかっている部分がある。

……あの時“恭二の手は何処にあった?”

確か、ジャケットの中に有ったはず。と、其処まで思ってから、詩乃は目の前に座る青年を見直す。涼人は既に上着を脱いで、パーカー姿になっていた。しかし先程まで此処にいた恭二はと言うと、そう言えば帰るときまでジャケットを脱いで居なかったように思う。
来たとき彼はある程度息を切らしていた、それならば身体も多少なりあったまって居たのではあるまいか。ならば普通は無意識の内にジャケットを脱ぐ筈。それをしなかったのはつまり、熱く無かったから?それとも……其処まで考えると同時に、詩乃の中で涼人と和人が組み上げた考えが次々に繋がる。
毒薬、注射器、入手法……病院。

まさか、と思考が組み上がり、もし、もしもそうならば何故、と自問する。
しかしどんなに考えたとしても、何故恭二が其処までの行動に出るのか、詩乃には明確な心辺りが無い。初めに殺されたと言うゼクシードにはともかく、それ以外の人物、増して、自分を殺す理由など彼には……しかし、更に思考の進んだ先に、つい先ほど、帰ると言いだした恭二が立ちあがった際に感じた、言いようの無い不安の渦のような物が頭に浮かんだ。もしかしたら、何処かには有ったのかもしれない。彼の中に、自分の知らない部分が有ったとしたら、それは……

「…………っ」
その先を想像する事に恐怖を感じて、詩乃は一旦頭の中から想像を追いだす。しかし……そんな彼女の中に、別の疑問が浮かぶ。

ならば何故、先程恭二は唯ケーキを届けただけで帰ったのだろう?

「…………」
ふと、先程もらったケーキが入っている筈の冷蔵庫を見た。まさかあの中に毒でも入っているのか……いや、それならばそれを確認した方が正確な筈だ。
ならばやはり自分は銃に撃たれた無かったから対象から外れていた?いや、それならそもそも恭二が大会が終わってからこの部屋にやってきた事に説明が付かない。

『やっぱり、違うんだ。新川君は……そんな事出来る人じゃない』
それはある意味で単なる希望的観測だったが、しかしそれでも、詩乃は恭二を信じたかった。それはある意味では仕方無いとも言える。冷たく、鉄とコンクリートだらけのこの街で、詩乃にとっての恭二は唯一信じられる人間だったのだ。そんな人間が、殺人者である等、増して、自分の命を奪おうとしたなどとは、到底信じたくは無かった。

「なぁ、詩乃」
「え?な、なに?」
「いや、ホントに何も言って無かったか?いや、あんま俺も彼奴を疑いたいとは思わねぇけどよ、現状彼奴かなりグレーなんだよな……」
「うん……」
言われて、追いだした思考の中から再び先程の恭二の発言を再生する。


『やっぱり、凄いや、朝田さん……シノン……』

自分の知る彼に、おかしい所は無かったか。

『じ、じゃあ、適当に……』

『朝田さん、もしかして疲れてる?』

何時もの彼と、違う所が無かったか

『良かったじゃない、朝田さん。それじゃ今度は、別の方法にする事にしたんだ?』

『申し訳ありません……』

そう言えば……

『ごめん』

何故あの時、自分は一瞬……

『“さよなら”、朝田さん』

ドアを閉めるのを、ためらったのだろう?


「……新川君?」
「あん?」
分かった気がした。分かって、しまった気がした。
あの時恭二が何もせずに自分の前を去ったのは……もしかしたら……

「っ!」
「ちょ、お、オイ!!?ゴッ!?」
突然弾かれたように立ち上がって玄関へと走った詩乃は、そのまま一気に扉を押しあけて外に飛び出す。身体を直撃した冷気は容赦なく詩乃の体に吹きつけたが、そんな物はどうでもよかった。左右を見て、即座にアパートの廊下を走りだす。
ちなみにリョウはと言うと……

「ぐぉぉぉ……!いっつ……いっでぇ……!」
慌てて立ち上がった際に机に向こう脛をぶつけて、凄まじく悶絶していた。

────

「…………うん、こんな感じかな」
新川恭二は、つい三時間半程前にも来た公園を、再び訪れていた。
木の下のベンチに座り込んで、携帯に何かを打ち込んでいる。彼以外の誰一人として覗き込む者の居ないそれの内容は、当然誰に分かる訳も無い物なのだが、敢えてそれを彼の視点から見た物として言うならば、それは、遺書だった。

自分が死ぬ理由と、自分の犯した罪。それによって裁きを受けるべきである事。迷惑を掛けた全ての人物たちへの謝罪。そして、自分の死をどうかしばらくは自分の学校を含めたあらゆる人物知られないように、特に、同級生の朝田詩乃にだけは絶対に伝わらないようにしてほしい事等が、其処にはつらつらと書かれていた。

「…………」
まさかこんな物を大嫌いだった親当てに書く事になろうとは、そんな事を思い苦笑して、彼は両親へこれまで育ててくれたことへの恩義も書いておこうかと考える。しかし……それを書くには聊か自分は彼等の汚点になりすぎただろう。そう思い、やめた。

と、ふと顔を上げた恭二の視界に、今はもう少なくなった公共用水道が映る。

『おにーちゃんありがとー!』

「……僕こそ、ありがとう」
つい数時間前、自分に笑顔を向けてくれた、きっと、自分を正気に戻してくれた最初のきっかけとなった少女に礼を言って、恭二は立ち上がる。
元々、歪んだ目的の為にポケットには幾らか金を持って来ていた。これを持って、山梨の山奥辺りまで行けば、大分他人への迷惑は少なく死ねるだろう。

「全く……」
まるで午前中までとは違う事を考えている自分に再び苦笑する。溜息を付いて、彼は再び歩き出した。

そうして公園を出て駅の方へと歩き出した、その時だった。

「新川君っ!」
「っ!?」
聞き慣れた声が、彼の後ろから響く。
一瞬驚きながらも、恭二は少し恐れながら、しかし反射的に振り向く。 其処には予想通りの人物が立っていた。

「朝田さん……」
「はぁ……っ、はぁ……っ」
全力疾走でもしていたかのように、詩乃は息切れを起こしていた。服は薄着で、この寒空ではどう考えても不釣り合い。防寒着を着る時間が無かったとでも言うようだ。
切れ切れの言葉を紡ぎながらも、詩乃は恭二を睨む。

「何……はぁ、してるの……」
「えっと……」
いきなりの事に驚きながらも、咄嗟に口から出任せを作り出す。

「いや、勿論家に帰ろうと思って……」
「なら……新川君の家逆方向でしょう」
ようやく息が整ってきたらしい彼女の鋭い突っ込みに、恭二は慌てたように返す。

「いや……その、その前に、参考書でも買って行こうかなって……」
「駅前の本屋さんも商店街の方も、もうとっくに閉まってるよ」
「ぎ、牛丼でも……」
「駅前の吉田屋ならこの前潰れたわよ」
「…………」
……二の句が告げなくなった。
黙りこくった恭二を追い詰めるように、詩乃は一歩前へ踏み出して再度問う。

「答えて。新川君、何をしてるの?……ううん。何を“しようとしてるの”?」
「っ……」
更に踏み込んでくる詩乃に、恭二は一瞬歯噛みした後……ポケットから取り出した“ソレ”を、詩乃に向けた。

「っ……!」
「近寄るな」
静かな声で、新川は言った。

「これは、『無針高圧注射器』って言うんだ。中身は『サクシニルコリン』。これが体内に入ると全身の筋肉が弛緩して、心肺が止まる。僕はさっきまで、朝田さんが出会った“死銃”の片腕として、これで君を殺そうとしてた。今もそれは出来る。もしそれ以上近寄ったら……」
「私にその注射器を刺して殺すって言うつもり……?」
恭二が言い切るよりも前に……詩乃の言葉が、それを遮った。

「……やってみれば良いじゃない」
低い声でそう言いながら、詩乃は恭二に向けて一歩踏み込んだ。同時に、気圧されるように恭二の身体が一歩下がる。彼女の瞳は、真っ直ぐに彼の瞳を射抜いていた。

「手が震えてるよ、新川君」
「っ……」
更に一歩。
恭二が見ると、確かに、注射器を持った彼の手は細かく震えていた。

「例えそれがべレッタだったとしても、そのままじゃ私に当てられるか心配だね……」
「く、来るな……」
一歩。
精一杯の去勢を込めた言葉であった筈なのに、余りにも弱々しく漏れたその言葉に、恭二自身が驚いた。

「来て欲しくないなら……自分で何とかしたら良い……!」
「っ……!お願いだから来ないで……朝田さん……」
更に、一歩。制止するには余りに弱々しい言葉を無視した詩乃は、既に、恭二まで残り5メートルの距離まで近づいていた。

『もう、少しっ……!』
詩乃が内心そう思った、しかし、その時、遂に恭二が恐れていた行動に出た。

「…………」
「っ!だ、駄目っ!止めて新川君!」
注射器を自分の首へとあてがったのだ。其れはまるで拳銃の銃口を、自分の頭に押し付けるかのように。

「……ごめん、朝田さん」
「止めっ……!」
しかし止める間もなく、恭二は注射器の、恐らくは薬品放出用のボタンを押し込む……寸前だった。

「ふざっ……!」
突如、公園の草むらの影から何かが飛び出し。

「……けんな馬鹿やろうがぁ!!」
「ぐっ!?」
新川の手を思い切り殴って、その注射器を叩き落としたのだ。地面に落ちて乾いた音を立てたプラスチック製のそれを、影――涼人は飛び付くように取って、勢いで半コケして地面を滑る。

「いでぇ!また脛っ……!っけどこれで……!」
「あ、ちょっ!」
恭二が止める間もなく……涼人は注射器を公園の周囲を囲む草むらに投げ込んだ。

自殺(バカ)は、出来ねえな!」
「…………」
ニヤリと笑った涼人を唖然とした顔で恭二は見る。そしてそんな彼に隙を与えず……

「新川君」
「え?」
不意に至近で名前を呼ばれて、驚いたように振り向いた新川に……

パァンッ!

と、聞き慣れた銃声ではない。皮膚が皮膚を叩く際に起こる破裂音が寒空の中高らかに響いた。

「…………!」
大きく顔を右に捻った新川は、赤くなり、衝撃でジンジンと痛む頬を抑えながらゆっくりと首を元に戻す。其処に、眼鏡の向こうから自分を睨み付ける少女が立っていた。

「……何してるのよ……」
「…………」
正面から睨みつけてくるその瞳に、恭二は何も返すことも出来ずに、只黙り込む。

「何でそんなものを……自分に向けるのよ……死ぬって、自分で言ったんじゃない……死にたいの……?」
「……そうだよ」
呟くように聞いた詩乃の問いに、新川は漸く肯定を返した。
そしてその言葉に、詩乃は目を見開く。

「僕は……死ななきゃいけない」
「ッ……」
はっきりと口に出されたその言葉に、詩乃は息をのんだ。それに気付いて居るのか居ないのかは分からないが、

「僕は今まで、自分にとって都合の悪い物を何もかも他人の所為にしてきたんだ。学校に通えなくなったのはクラスメイトの所為。受験や模試で上手く行かないのは父さんや母さんの所為、そうやって自分の所為じゃないって子供みたいに駄々こね続けて、GGOに逃げた。現実なんてどうでも良いって思ってた。GGOで最強になれさえすればって……でも……」
恭二は頭を垂れながら、強く拳を握り締める。それはまるで、何かを悔やんでいるようにも見えた。

「でも、GGOでもやっぱり、僕は僕だった……他人の言うことをよく考えようともしないで鵜呑みにして、失敗して、それもやっぱり他人の所為だ……挙げ句の果てに、それを恨んで人殺しの計画まで立てて。笑っちゃうよね……逆恨みも良いところだ……!」
彼の自らへの嫌悪を表すかのように言葉尻は語気の強い物だった。明らかに自分を嫌っている事を伺わせるその言葉に戸惑いながらも、しかし詩乃は何とか恭二を説得しようと試みる。

「でも、でも新川君、それに自分で気づけたんでしょう?なら……きっとやり直せる。まだ引き返せるよ……高認受けて……お医者様になって、お父さんの病院を……」
其処まで言って、詩乃は自分が言葉の選択を間違った事を悟る。新川が、その言葉を聞くと同時に、強く唇を噛んだのだ。
と同時に、新川が懐から一枚の用紙を取り出す。少し折りたたまれたそれを、新川は俯いて詩乃に差し出す。

「新川君……」
「これ、見る?」
その紙を、詩乃は手に取り、開く。それは彼女にとっても見慣れた、模試の結果を表したもの。しかし其処に表記された数字達は、どれもこれもがいっそ清々しいほどに燦々たる結果を表していた。

「これ……」
「言った通りだよ。僕は、模試でも受験でも上手く行って無い。それに、親にも嘘ばっかり言って有るんだ。コピー用紙で嘘の模試の結果を作って見せて、アミュスフィアでは遠隔指導受けてるって言って有るんだ……これを見たらきっと、父さんも母さんも、僕を見捨てるよ。ショウイチ兄さんにしたのと同じようにね……」
「そんな、そんな事……!」
無い。と言おうとして、詩乃は気が付く。残念ながら自分は、親に期待されると言う感覚も、親に見捨てられると言う感覚も知らない。彼を説得しようと口から手拍子で言葉を紡いでも、きっとそれらを知らない自分の言葉には彼を変えられるだけの重さは宿らない。口に出すならば、自分自身の言葉で無ければならないだろう。

「私は、でも……私は、新川君に死んでほしくなんか無い……!たとえ君が私に何をしようとしてたんだとしても、君が気付けたなら、まだ私は、君を信じていられる。君だって、きっと今からだって変われるよ!それに…………さっき、言ったじゃない、これからもよろしくって……言ったばっかりなのに……!」
そんな詩乃の言葉に新川は少しだけ嬉しそうに微笑んだ顔をした。

「ありがとう……でも、でもね、朝田さん、僕には、朝田さんからそんな言葉、かけてもらえる資格なんて無いんだよ……」
「え……?」
言葉の意味を、少しだけ遅れて脳が理解する。その間に、新川は慈しむような、あるいは何処憐れむような、そしてたとえこもっていたのがその何れであったとしても、深く深く悲しんでいるだろう瞳で、詩乃を見据えていた。

「朝田さん、僕と朝田さんが初めて会った時、覚えてる?」
「う、うん……図書館で、私が……」
詩乃と恭二が初めて出会ったのは、六月、近所の区立図書館での事だった。トラウマを克服する為の自分なりの努力のつもりで、写真程度ならばある程度は耐えられるようになっていた事を理由に、“世界の銃器”と言うタイトルの本を見ていたのだが、それでも流石に黒星のページは、十秒程見た時点で耐えられなくなり慌てて本を閉じた時、後ろから恭二が話しかけて来たのだ。

「あれ、さ。朝田さんは、偶然だと思ってるよね?」
「ど、どう言う意味……?」
質問の意味が分からず、聞き返した詩乃に、恭二は苦笑するようにして答えた。

「あの時はね、僕、初めから朝田さんに話しかけるつもりであの図書館に居たんだよ。朝田さんに、興味が有ったから」
「興味って……」
既に先程までの悲しむような表情を無くした新川は、ただ淡々と詩乃に向かって語る。

「僕が朝田さんに話しかけたのはね……あの事件の話を聞いたからなんだよ」
「……えっ?」
「言ったよね。僕、ずっと最強になりたかった。あの時には、もうそう思うようになってたんだよ。GGOを始めた時から、そう思ってたしね……五月の終わりに、遠藤達があの話を全校に言いふらした時、僕もその事件の話聞いてた。僕が朝田さんにあの時話しかけた本当の理由はね……?」

──朝田さんが、銃で人を殺した事が有るって聞いたからなんだよ──

「…………ぇ」
口から洩れた掠れた声が自分の物であると気が付くまでに、少し時間がかかった。と言うよりも、自分自身がその理解を拒んだのだ。
掠れた声のまま、自分でも殆ど意識しないままに詩乃は言葉を紡ぐ。

「それって……」
「“凄い、本物のハンドガンで、本物の悪者を殺した事のある日本中何処を探したって朝田さんしかいない。だから朝田さんには本物の力が有る”」
「っ……」
恭二の言葉は、まるで彼では無い別の人物が発しているかのように、しかし間違いなく彼自身の物として彼の口から発された。

「きっと僕は、今日朝田さんを襲う事をやめなかったら、平気でこういう事を口にしてたと思うよ」
「…………」
茫然とする詩乃に、恭二は表情の消えた顔のままで口から言葉を発し続ける。

「昨日、遠藤達が来た時、近くに居たのも偶然じゃない。ずっと付けてたんだ。登校の時も、下校の時も、朝田さんの事、毎日、毎日ね……死銃の武器に五十四式を選んだのも、その為だよ。朝田さんに、憧れてたからね……」
最後の言葉は自らを馬鹿にするような笑みを含んだものだった。

「……そんなの、って……」
「分かったでしょ?朝田さん。僕は、君が一番嫌うような事を、ずっとし続けて来たんだ。朝田さんと接してきた今までの僕は……全部、嘘なんだよ。だから、もう、僕に関わらない方が良いよ。大丈夫、すぐ、居なくなるからさ。後は、忘れてくれれば良い」
そうして、恭二は今度こそ完全に黙り込んだ。最後だけははっきりとは言及しなかったものの、明らかに自らの死を表す言葉を最後にして、だ。

「…………」
その終わりに二の句が継げなくなると同時に、詩乃は“駄目だ”と理解した。
自分の事は、まだ良い。確かに、此処までの話の中で最もショックの大きい内容では有ったが、それでもそれを正面から詩乃に話したと言う事は、恐らくは恭二はもうそのつもりは無いのだろう。少なくとも、詩乃自身はそう思いた方。

寧ろ問題なのは、説得云々以前に、罪の意識に押しつぶされそうになっている恭二自身から、生きる意志その物が完全に欠乏してしまっている事だ。これでは仮に彼をこのまま出頭させたとしても、必ずまた自殺を計るだろう。
今の彼は、まるで見えない何かが彼を誘おうとしているかのように、死への一本道を突き進もうとしている。

「……っ」
と、不意に、詩乃の頭の中に一つのイメージが浮かんだ。
恭二の後ろに、黒い人型の影のような物が見える。それはその漆黒に包まれた姿の奥から覗く、骸骨の顔とその奥の爛々と輝く赤い瞳で此方を見据え、骸骨はうっすらと笑っているようにも見えた。

――死銃――

反射的に、詩乃はその名を思い出す。同時に理解した。
今彼を殺そうとしているのは、コイツだ。この本物の死銃が撃ち出した目には見えない幻影の弾丸が、恭二の心を打ち抜き、死へと追いやろうとしている。
それは、彼を虐めた同級生達の悪罵や嫌がらせ。受験の重圧や、彼に対する親の期待と、其れに対して答えられない己への劣等感。あらゆる物事に関して立ちはだかる、残酷な壁。

そう。
言わばこの死銃は、恭二を、詩乃を苦しめ続けた、この社会……現実と言う名の、世界その物だ。

それを理解した時、その余りにも巨大な影に、今度は詩乃の心が軋み、悲鳴を上げる。

詩乃から父親を奪い、母の心を奪い、更なる悪意を持って、異常な物を見るような興味と、大人たちの嫌悪の視線。そして同年代の子供達の悪罵を差し向けたこの世界。
他者よりも弱く、脆かった新川の心を、あらゆる重圧と自己嫌悪で、徹底的に破壊しようとする、この《現実》と名付けられた、余りにも冷酷な世界。

それが真の“死銃”だと言うのなら、そんな物に、一体どうやって対抗しろと言うのか。 そう感じた瞬間、遂に詩乃は、耐えきれず視線を俯かせ……そうして、真剣な視線で自分を見る涼人と、目が合った。

頭の奥深い所に、声が、響く。

『もし苦しかったら、いくらでも支えになってやる。俺も美幸も、全力でお前を助けてやる。だから……』

「……っ!」
そうだ。
学んだのだ。自分は今日、間違いなく、それを理解した。

確かに、この世界は一人で生きて行くには余りにも辛く、苦しく、そして冷たい。
しかし、それでも……

『こんな事……私は……!』
それでも、この世界のどこかには……救いがあるのだと。


「……君の言いたい事は、分かったよ」
「…………」
「でも、やっぱり私は君が死のうとしてるのを黙って見てるなんて出来ない」
「朝田さん……」
「私の事は、とりあえず今は良いの。だから、聞いて」
困ったように、再び悲しげな顔をして、再び何事か(恐らくは否定的な言葉を)を口に出そうとした恭二の言葉を、詩乃は遮る。

「私、言ったよね。今日、大会に出て良かった、これからは、違うやり方で、頑張ってみるって」
「うん……」
「昨日までずっと、私自分がそんなに簡単に変われるなんて思って無かった。これから先も、たとえ長い時間がかかったとしても、自分一人で昔のことと戦っていくんだって、そう思ってたの」
「…………」
詩乃の言葉を、何と無く恭二は察したらしかった。少しだけ俯く恭二に、詩乃は少し語気を強めて続ける。

「私、今日思ったの……人間はきっと、きっかけと思いきりさえあれば、自分が思ってるよりずっと簡単に変われる物なんだって……私も、変われたんだ。だから、新川君だってきっと……」
言いながら、新川を正面から見つめる。しかし返すように見返してきた新川の瞳には、やはり消えない悲しさと、諦めたような表情が浮かんでいた。

「……僕は、朝田さんやリョウさんみたいには、なれないよ」
「……どう言う事?」
眉をひそめた詩乃に、新川は再び自嘲気味に笑って言った。

「僕は、朝田さんやリョウさんみたいに、強く無いんだ。情けなくて、自分の駄目な所と向き合うのを怖がってるばっかりな、弱虫なんだよ。変わることも、変わってから、今までしてきたことと向き合う事も、僕は……」
「なら……」
正直に言えば……その答えは、予測していた。
彼の自分への自身の無さは、最早此処までの話で明らかだったからだ。しかしだからと言って、そうそう容易く自分が恭二の考えを変えられるとも思えなかった。

「新川君は強くならなくても良い」
「え?」
「その代わりに……私が君を支えるから」
「…………へっ?」
詩乃の言葉を、恭二は反射的には理解できなかったらしかった。茫然、と言うよりもゲーム内でフリーズしたように固まる恭二に、詩乃は、繰り返す。

「聞こえなかった?私が君の事、支えてあげるから生きてって言ったの」
「な、何言って……」
「言葉通りの意味で言ってるの」
動揺する恭二に詩乃は更にたたみかけるように続ける。

「一人で立てないなら、別の人が支えてあげればいい。そうすれば、弱く立って頑張れる。私も……そうだからさ」
「そんな……そんなのは駄目だよ!」
「どうして?私が自分でそうしたいからそうするの、何かいけない?」
当たり前の事を訪ねるように、そう迫った詩乃に、流石の恭二も動揺した。

「だ、だって、僕は……僕は朝田さんを殺そうとしたんだ!ずっと嘘を付き続けて来たんだ!朝田さんが気付いて無いだけで、僕は朝田さんの事を、傷つけ続けて来たんだよ!?そんな、そんな人間と関わったら駄目だ!僕のことなんて、忘れた方が幸せになれるのに……!」
立て続けに自分を罵り続ける恭二の言葉を、詩乃は黙って聞いて居た。しかし……最後の一言で、少しだけ何かが切れた。

「勝手に……決めないでよ!!!」
「ッ……!?」
「なによそれ!?新川君が死んで、君の事忘れてその先ずっと生きてくのが、私にとって幸せ?なんでそんな事が言えるの?そんなわけ無いでしょう!!?」
「ぇ……」
凄まじい気迫と共に吐き出された言葉に、恭二は目に見えてたじろぐ。睨みつけるような鋭い眼差しを恭二に向けたまま、詩乃は怒鳴った。

「何度も言わせないでよ……私は、新川君に死んで欲しくなんか無い。もう、無くなったり、壊れたりなんて沢山なの……!」
「でも……僕は、でも……」
攻め立てるような詩乃の言葉の嵐に、恭二は俯き、しかし言い返す事も出来ずに黙り込む。それを見て、流石に少し圧を掛け過ぎた事を察したのか、詩乃の次の言葉は直前と比べると大分柔らかな物だった。

「それに……新川君は、ちゃんと自分の間違いに気が付けたじゃない。もう君は、変わる為の入口には立ってるんだよ。後は、一歩踏み出すだけで良い」
「…………」
黙り込んだ新川に、詩乃は諭すように、柔らかい言葉で続けた。

「踏み出すのが難しいなら、背中を押してあげるから。私達の友達って関係が、今までが全部嘘だったなら……今から、また始めれば良いだけでしょう?だから……」
「…………」
そうして、詩乃は最後の言葉を紡いだ。

「もう一回、初めから……友達になろう?」
「…………」
俯いたまま、恭二は数秒間、黙り込んでいた。
しかし、やがてその顔を上げて、まっすぐに詩乃を見ると……先程までとは全く違う顔つきで、柔らかく微笑んだ。



「……やっぱり、朝田さんは凄いや……」
「そう?」
首をかしげて微笑んだ詩乃に、恭二ははにかむように笑う。何時もの、けれど過去に見たどの笑顔より優しく、明るい、彼の笑顔だった。

「……僕でも、まだ頑張れるかもって、気付かせてくれたもの……こんな、僕でも……」
「……うん。私も……あ、そうだ」
「?」
思いついたように空を見た詩乃に、恭二は首をかしげる。

「改めて、これからもよろしく、新川君」
そう言って詩乃が差し出した右手を見て、恭二は少しだけ硬直すると

「……うぁ……う……!」
「ち、ちょっと、なんで泣くのよ」
突然涙を流して俯きだし、詩乃は戸惑ったように問う。
その声に、泣きながら笑った恭二は、ブンブンと首を横に振る。

「な、何でも無いよ……こちらこそ、よろしく。朝田さん」
相変わらず泣いたままそう言って、恭二はゆっくりと目の前の手を、自分の手で握った。



「これにて、一件落着。だな」
彼等の後ろで、ニヤリと笑った青年が、冬空の下で、都心の光に負けず、うっすらと光る星空を眺めていた。

 
 

 
後書き
はい!いかがだったでしょうか!?

というわけで新川君編、完、結!!!

あぁ、しんどかった……説得や説教のシーンはやっぱり苦手だ……ちゃんと順序立てて語らせられているか、激しく不安なのですが、あえて考えない事にします。

同時に詩乃と新川君のキャラがどうかなーと思うのですが、一応最大限彼らっぽく描いたつもりです……頭の中では、新川君役の花江さんと、詩乃役の沢城さんの声で再生する感じで。

ではっ! 
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