失われし記憶、追憶の日々【精霊使いの剣舞編】
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第十五話「午後の紅茶」
前書き
私の小説に妥協はない。
「あーもうっ……もぐもぐ……腹立つわねぇ! ……もぐもぐ……」
「それ、私のジャムパンです」
学院の一角にあるサロン・カフェ。
俺とエスト、クレアの三人は丸テーブルを囲って遅めの昼食を取っていた。テーブルの上のバスケットには香ばしい匂いを漂わせた焼きたてのパンが山盛りになっている。
ジャムパン、クリームパン、チョコパンなど様々なパンたちが乙女の口の中へと消えていく。
やけ食いするように次々とパンを口の中に詰めるクレアに俺は溜息をついた。
「……君も忙しい人だな。怒るか食べるかどちらかにしろ」
「だって! この私が頭下げてまで頼んでるのに、全然言うこときいてくれないんだもん!」
「あれで頼んでいるつもりだったのか……」
腰に手を当てて無駄に胸を張り「私のチームに入りなさい!」と上から目線で告げる。あれは人にものを頼む態度ではないのだが。
「こんなところで、つまずいてる余裕はないのに!」
「……」
クレアが焦燥感を感じている原因は分かっている。二か月後に開催される精霊剣舞祭についてだ。
今回の精霊剣舞祭は三年前の個人戦とは違いチーム戦である。規定人数は五人であり、アレイシア学院から出場できる枠は三チームだけ。それも学内ランキング上位に入っていることが条件付けられている。
クレアのチームは俺を含めて僅か二人。未だ新たなチームメンバーは集まる兆しを見せていなかった。
勧誘をするにもクレアのチームだと知るや否や色よい返事を貰えない。学院での彼女は孤立しているようだった。
――やはり、ネックなのはルビア・エルステインか……。
災禍の精霊姫。四年前、火の精霊王に使える身でありながら彼の王を裏切り、帝国に未曾有の大災害をもたらした張本人。
彼女の妹という立場が、多くの学院生から恐れと蔑みの目で見られる原因となっているのだろう。また、エルステイン家の復興を夢見て行動するクレアの鬼気迫る様子も拍車をかけているのかもしれない。
――しかも学内ランキングはまだまだ下位。先は長いな。
ランキングを伸ばそうにも今朝の公式訓練試合で二、三回勝利しても順位は一つか二つ繰り上がるだけ。学院の割り当てた任務をこなそうにも、そう都合よく舞い込んでこないし条件も悪い。
――まあ、まずはチームメンバーを揃えることが先決だな。ランキング云々はそれからでも遅くはないだろう。
ソーセージパンを味わうように咀嚼していると不意にクレアが顔を上げた。
「ところで、リシャルトの小屋ってあんなのだっけ? なんか中は凄く広いし高級調度品が色々あったんだけど」
「色々と手を加えてな。用意してくれた手前エリスには申し訳ないが、あれは到底人が住める環境ではなかったからな」
「ふーん、確かにあれじゃあね。それにしても、あんたってそんなことも出来たのね。リシャルトって苦手なものってあるの?」
「俺にだって苦手なものの一つや二つあるさ。ただ人より出来るものが多いだけの話だ」
手にしたコーヒーカップに口をつける。一口飲みこみ、思わず手を止めた。
「――? どうしたのですか、リシャルト?」
「なによ苦い顔しちゃって。砂糖でも入れ忘れたの?」
心配そうに顔を覗き込む二人。
「……どうやらそのようだ」
コーヒーミルクを入れ忘れたらしい。顰め面のまま手元にあったミルクを投入してよくかき混ぜる。
幾分かまろやかになったコーヒを再度、口にした。
クレアがにんまりと猫のように目を細めた。
「へーえ、リシャルトってコーヒー飲めないんだ。さっそく苦手なもの見つけたわ」
「そんな、さも鬼の首を取ったように言わんでも……」
「ふふーん、今更取り繕ったって遅いわよ! リシャルトも案外お子様なのね」
「リシャルトはお子様なのですか?」
「ぐっ……そういうことにしておこう」
事実コーヒーは砂糖かミルクを入れないと飲めないからな。しかし、エストに言われると思いのほかダメージが……。
「あら、皆さんお揃いですの?」
不意に聞きなれた気品のある声が鼓膜を叩いた。
振り返ると豪奢なプラチナブロンドをたなびかせたリンスレットが立っていた。
相変わらずの高貴なお嬢様を絵に描いたようなたたずまい。ただそこに立っているだけで絵になるような一種の美がそこにあった。
宝石のようなエメラルドの瞳が興味深そうな色を湛えている。
「……なにしにきたのよ、リンスレット」
クレアの自称ライバル、リンスレット・ローレンフロストは腰に手を当てたまま、優雅に髪を掻き揚げた。
「ただの散歩ですわ。クレアさんはご昼食ですの? パンだけだなんて随分と質素な昼食ですわね」
「喧嘩売ってんの、アンタ?」
ガルルル……と可愛らしい牙を剥くクレア。リンスレットの背後ではいつものように穏やかな笑顔を浮かべたメイドのキャロルがにこやかに口を開いた。
「お嬢様は羨ましいんですよ。皆様の輪に入りたがってるんです」
「ちょっ、キャロル!?」
とんでもないことを笑顔で暴露する専属メイドに慌てふためくお嬢様。その様子がどこか微笑ましく思えるのは俺の精神年齢が三十路近くになってきたからだろうか。
――老いたとは思いたくないものだな。
「まあ、そんなところに立ってないで座ったらどうだ。よかったら食べていきなよ」
「そ、そこまで言うなら仕方ありませんわね」
「お嬢様はリシャルト様の隣が良いとのことですわ」
「キャロル~っ!」
微笑ましい主従だな。顔を赤くしてポカポカとメイドの肩を叩くお嬢様の姿につい顔がほころぶ。
そんな俺の隣では頬を少しだけ膨らませたもう一人のお嬢様がジト目でこちらを睨んでいた。
「――? どうした、そんな顔をして」
「べつに。節操がないわねって思っただけよ。まったく……」
「うん?」
この年頃の女の子の心理は魔術の秘奥書より難しいと思う。
コホンと咳払いして俺の隣に座ったリンスレットが若干目を逸らしたまま話を続けた。
「そ、それで……ランキングの方は順調とのことですが、怪我はないですの?」
「ああ。まあ怪我と言ってもどれも軽いものだし。そもそも俺が未熟なだけの話だからな。心配には及ばないさ」
「そうですか……。それを聞いて安心しましたわ」
ホッと一息つくリンスレット。補足するようにキャロルが茶々を入れ始めた。
「お嬢様はリシャルトさんのことが心配なんですよ。いつも激戦だと聞いていたものですから」
「キャロル! よ、余計なこと言わないでっ」
さらに顔を赤くして俯くリンスレットに温かな気持ちが沸き起こる。
ごく自然と手が伸び、その頭を撫でた。
「そうだったか。それはすまなかった。この通り俺もクレアも問題ない。心配してくれてありがとうな」
「あ、う……」
ボンッと頭から湯気が出るほど顔を真っ赤にするリンスレット。その隣ではなぜかキャロルが顔を輝かせていた。
「あらあらまあまあ!」
「ちょっとリシャルト! アンタなにしてんのよ!」
何故か目を怒らせたクレアが二度目の牙を剥く。
それまで、もぐもぐと一人だけアンパンを食べていたエストが静かな眼差しを向けてきた。
「リンスレットだけずるいです。エストにもなでなでを要求します」
「なんだこのカオスは」
一人俺は頭を抱えた。
† † †
ようやく落ち着きを取り戻し、賑やかなティータイムを楽しんでいた頃。
優雅にティーカップを傾けていたリンスレットが唐突に話を切りだした。
「そういえば、レイブン教室に新しい編入生が来るそうですわね」
「うちの教室に? この前リシャルトが来たばかりなのに?」
「ええ。なんでもさる高貴な身分の令嬢とか。学園長が絡んでいるという話もありますわ」
「学園長が? なにか訳ありなのかしら……。でもこの学園に高貴な身分って言われてもね。そんなのここだと珍しくないわよ? ファーレンガルト家にローレンフロスト家、アダマンロイヤル家やポワード家なんかもあるわね。高貴な身分のバーゲンセールじゃない」
「ちょっと、武門のファーレンガルト家と由緒正しきローレンフロスト家を一緒にしないでくださる? それにアダマンロイヤ家はともかくポワード家は成り上がりですわよ」
「その言葉はいただけないな。成り上がりだろうとそうじゃなかろうと、努力をして勝ち取った地位を貶めるのはどうかと思うぞ?」
ポワードなんて名前は聞き覚えがないが、きっと今の地位に至るまで相当の試練があったのだと思う。その人の家柄の良し悪しはともかくとして、見るべきところはちゃんと見て評価するべきだ。
「……確かにリシャルト様の仰ることはごもっとですわ。あんなことを言った自分が恥ずかしいです……」
やんわり諭すようにそう言うと、分かってくれたのかリンスレットはしょんぼりした。
「わかってくれたならいいんだ。大事なのは素直に認めるべきところを認め正す意思を持つことだ。それが出来るリンスレットは偉いよ」
「リシャルト様……」
「むぅー……!」
目元を朱に染め潤んだ瞳で見上げてくる。反比例して赤髪のお嬢様の期限が悪くなる一方だった。
しかし、あの婆さんが関わってるとなると、どんな娘なのか気になるのもまた事実。なにしろ問題児ばかりで有名なレイブン教室に編入するのだから。
――個性的な娘が来そうな予感がするな……。
「聞いた話ですと、実技の編入試験では〈聖精霊〉を使役したようですわよ」
「ほぅ、聖精霊か」
聖精霊は気位いが高く、人を選ぶため扱いが難しい精霊だ。そのため五大元素精霊の中でも使い手はそんなに多くはない。
清らかな心を持つ姫巫女の中でも取り分け、高潔で澄んだ乙女でないと心を開かないと言われている。
「あ、ちなみにすっごく胸が大きくて綺麗な娘って聞きましたよ」
「なんだその情報は……」
「あらリシャルトさん、興味がおありですか?」
朗らかに微笑むキャロルの言葉に眉をピクッとさせたクレアが冷めた眼差しを向けてくる。
「……ふーん。あ、あんた、そんなに胸が大きい子の情報が知りたいわけ」
心なしか、棘が多いようだ。
「そうなのですかリシャルト?」
――正直な話を言うと、興味が無いと言ったら嘘になるな……俺も男ということだ。
純粋な眼差しで見つめてくる契約精霊の目から逃れるように、ティーカップに口をつけた。
後書き
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