おいでませ魍魎盒飯店
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Episode 3 デリバリー始めました
猛火と愚者の殺意ある交接
その"勇者"と言う名の猛威は、紅蓮の光と共にやってきた。
侵入者の姿を探す兵士たちの目に真っ先に入るのは、ひと目で戦士とわかる鎧姿の大柄な男。
「ははははははははは! もろいぞ、妖魔共! それでもお前ら人類の敵か?」
やけに響く低音で高笑いをするその男は、猛り狂う炎を引き連れ、身の丈の半分ほどもある長剣を振り回し、その身より吸血鬼よりも血なまぐさい空気を放ちながら災厄の中心に君臨していた。
短い黒髪に浅黒い肌、十分に整った容貌だが、つりあがった眦といい、つり気味に整えられた太い眉といい、残念なことに丹精というよりも野獣の荒々しさが前面に出てしまっている。
誰もが、これが勇者か!? とまず首をひねり、その荒々しい偉丈夫を別の何かにたとえようとして"鬼"という単語を思い出す。
だが、その身にまとう悪意ある歓喜を見れば、むしろ武闘派の魔王というほうがしっくりとくるだろう。
――事実、彼は勇者などではなかった。
「くたばれ、侵略者!」
男の周囲を覆う炎の壁を強引に突っ切り、槍を構えたゴブリン兵たちが火達磨となりながら男に殺到する。
だが、その必死の特攻も、男にとっては取るに足らないものなのだろう。
つまらなさそうな顔で男は片眉を動かし、シュッと鋭い息を吐きながら剣を一閃。
続いてカラカラと軽い音が地面を叩く。
気が付けば、ゴブリン達の突き出した槍の穂先は草でも刈り取るが如き気軽さで斬り飛ばされており、後には状況を理解できずに硬直したゴブリン達が残されていた。
そして次の瞬間……バサバサと何かが羽ばたく音が、チリチリと焼け付くような熱さと共に近づいてくる。
迫る来るのは無数の"鳥"の群れ――いや、鳥の形をした炎の塊。
カラスほどもある火の鳥の群れが通り過ぎると、そこには沸々と泡立つ消し炭のような何が、趣味の悪いオブジェのようにいつくも煙を吐きながら転がっていた。
ジュウジュウと怖気が走るような音をBGMに、生きたまま血肉が焼けるときの、なんとも呪わしい臭気が風に乗って戦場を満たす。
世界は"死の灰色"と"恐怖の赤"で描かれた油絵のようだった。
もしもこの惨劇に題名をつけるなら、たぶん半数ぐらいの人間は"燔祭"とつけるだろう。
「おい、とっとと回収しろ」
そして男は、当面の敵が全て息絶えたことを確認すると、剣とは逆の手に握った鎖を乱暴に引く。
「あ、あうっ……」
その鎖の先には、こんな戦場には似つかわしくない白髪の少女の首がつながっていた。
年のころは16歳から18歳ぐらいだろうか?
整った顔立ちをしているが、美しいというよりはむしろ愛らしいというべき容貌。
ただし、その表情は凍りつき、まるで能面のように感情が感じられない。
しかし長い銀の睫に包まれている目は、本人の白痴か人形のように薄弱な意志しか持ち合わせて無機質なイメージにも関わらず、まるで燠火のような不気味な光を放って煌々と輝いている……あたかも人々を惑わす"鬼火"のようだ。
そしてその吐息が大気を揺らすたび、真紅の光と炎の鳥が生み出されていた。
魔術でも理力でもない、あえて言うならば何らかの上位存在による"加護"とでも言うべき力。
――そう、彼女こそが先ほどの火の鳥の群れの生みの親。
そして、"勇者"の称号を持つ炎の使い手だった。
まるで寝室から強引に連れ出されたかのような薄絹に身を包み、その首に奴隷のような首輪を巻いたその場違いな姿は、戦場においてこの上も無く異彩を放つ。
だが、彼女には身を守る鎧も、敵を切り裂く刃も必要なかった。
その肌に許可無く触れるものはことごとく灰燼に帰し、その前に立ちふさがるものは火の鳥の洗礼を受けて消し炭になる。
必要なのは、彼女が何をすべきかを導く道標。
……彼女のその首につながれた鎖は"支配の経絡"といい、奴隷の体と能力を自らの手足の延長上として扱うための魔道具だった。
彼女は鎖から流れ込む男の思念に身をゆだね、彼女はただ促されるままに破壊の力を撒き散らす。
だが、それは強制されてのことではない。
時折男の顔を見るたびに彼女の顔によぎる悦楽の表情が、彼女がこの戦士に向けるゆがんだ愛情を物語る。
勇者と呼ぶよりは、魔女。 あるいは堕落した御子とでも呼んだほうが、むしろしっくりとくるだろうか。
そして彼女は、戦士の『回収しろ』の言葉の意味を把握すると、手ににもった掌大の黒水晶の球をそっと天にかざした。
「聞け、死せる者よ。 我は汝を呪い、死の神たるタナトスと眠りの神たるヒュプノスの手より汝を切り離し、永久に現世へと留め置く。 我、死せる汝に命ず。 汝、冥府の川を渡ること無かれ。 夜の女王の祝福の下、我の悪意が汝等を捉え、忠実なる僕となさんことを」
か細い、だが確かな力を帯びた声が虚空を揺らす。
「我掲げるは夜の女神ニュクスの掌なり」
すると、周囲を漂っていた不可視の力場……死せるゴブリン兵の魂たちがふらふらと吸い寄せられるかのように黒水晶の中に吸い込まれていった。
勇者や冒険者達は、魔物を倒した後にその亡骸の一部をドロップアイテムと称して持ち去ることで生計を立てているが、この地にて彼等が狩り集める物……それはゴブリン達の魂。
そもそも人界で畜産物を荒らすゴブリンの退治するならともかく、わざわざ魔界に来てまでゴブリンを狩る理由――それは、彼等ゴブリンの魂が、錬金術師や人形使いたちの作るゴーレムを動かす材料になるからだ。
別に人の魂やその他の魔物の魂でも代用がきかないわけではないが、特に精度の高い動きを要求されるオートマタなどの体を流れる情報伝達物質となると、その材料は妖精達の魂の結晶体である"妖魄液"以外の選択はありえない。
特に魔界に住んでいる高位の妖精達の妖魄液は別格で、売りに出せば一般的な店では買取が出来ず、会員制のオークションにかけられて高値で取引される。
さすがに高位妖精達ほどではないが、人間界に住む妖精達と比べると、この魔界に住むゴブリン達のほうがはるかに質が高い。
ただ、一匹のゴブリンの魂から生成できる妖魄液は僅かであり、その回収器である掌サイズの黒水晶を一杯にしようとするなら、それこそ大虐殺というべき大量のゴブリンの死が必要となるのだ。
「さてと、黒水晶のほうは1つ分溜まったか……だが、俺のほうがまだ満足していねぇ」
男は、灰と煤のこびりついた自分の唇を太い舌で舐め取ると、地獄の悪鬼もひるむような笑顔でそう呟いた。
「そうだな、次はお前がいい」
その値踏みする視線は、やがてゴブリンではなく屈強な猪人の前で止まる。
「さぁ、俺の遊びに付き合え! 楽しく殺ろうぜ!!」
まるで子供が遊戯に誘うような気軽さで、男は少女を片手で引きずりながら、自らを満たす強者との戦いに没頭していった。
*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*
「つ、強い……こいつ……バケモノか!」
「なんで片手でここまで動けるんだよ!!」
下っ端のゴブリンやコボルトのみならず、猪人や人狼たちからも絶望に満ちた呟きが漏れる。
少女という足枷と、片手のみでの戦闘というハンデを負っているにも関わらず、一対一である限り男に勝てる魔物は一人たりともいなかった。
その太刀筋は、直線的で無駄が無く、そして速い。
虚実をもたぬ剣であるが、同時に虚実の通用しない洞察力も持ち合わせている。
そして相手がどう動くかを正確に予測し、毒蛇のようにゆっくりと追い詰めてゆくその戦術は、彼の前に立ちふさがる者共に陰険な吸血鬼を思わせるほどだった。
「焦るニャ! 動きを読むにも限度があるはずだニャ! 全員で囲んで一気に切りつけるニャ!」
だが、そこに遠くから誰かの声が響く。
その声に反応し、並み居る兵士たちが一斉に男から距離を取り、人垣の円陣を作った。
「……石叩き共、ヤツを囲んでその槌を振るえ!」
ようやく兵士たちも冷静になったのだろう。
指揮官の声に従い、円陣に加わっていた兵士の中でも鉱夫の姿をしたゴブリンたちが一斉に手にした槌を地面にたたきつける。
その瞬間、大地が揺れた。
石叩き――鉱山に住み、鉱夫達に鉱石のありかや落盤の危険を知らせるという、ゴブリンである。
その理力は大地に干渉し、岩や土を自在に操る力を持つ。
そして彼等の意思は大地から突き上げる無数のとがった岩となって、彼等の敵へとおし寄せた。
――だが、その絶体絶命の場面においても、男の薄笑いは止まらなかった。
「ふん……無粋だな。 ついでに、策が甘すぎる。 この低脳共が! 俺がその戦術を予想していなかったとでも思ったか?」
そしてその言葉と共に、男は少女の鎖をグイと引き寄せた。
「カリンカ……カリンカマリーナ! このボンクラ共をお前の炎で焼き尽くしてやれ!!」
おそらく本名は"紅果の君"というのであろう。
その愛称形である"カリンカ"、さらに自らの恋人への呼び方である"愛しの赤い果実"と呼ばれたその少女は、男の呼びかけに大きく息を吸うと、紅蓮の光と共に一気にソレを吐き出した。
「いかん、下がれ!!」
その様子を見ていたボイツェフ中隊長が遠くから警告するが、間に合わない。
吐き出されたのは、真紅に輝く無数の鳥の羽。
その羽吹雪の一つ一つがひときわ大きく輝くや否や、黄昏よりも深い赤の光と共に、大爆発を引き起こした。
「ぐぎゃあぁぁぁぁぁ!!」
「腕が! 俺の腕がぁぁぁぁぁぁっ!!」
石叩きたちの作り出した瓦礫の槍を残らず弾き飛ばすほどの、指向性の爆発。
砕けた岩と共に吹き寄せる魔術の炎が一瞬にして周囲の人垣に襲い掛かり、兵士の顔や手足に火傷などという生易しいものではなく、ほぼ消失といってよいほどの深い傷を与える。
「さて、続きを楽しもうか? ……言っておくが、がっついて今みたいなことしやがったら、お前ら一気に灰に変えるぞ。 俺は上り詰めるまでに時間がかかる方なんでな。 勝手にお前らでフィーバーされると物足なさを感じちまうんだよ」
そう、最初から勇者の力を全開にしたならば、この砦ごと灰に変えることが出来たのだ。
なぜそれをしなかったといえば、単にこの男が遊びたかっただけという忌まわしい事実を、この場にいる全員が否応無く思い知らされる。
戦士の物騒な笑みに晒され、魔物たちは焼け野原の暑さにもかかわらず全員が震え上がっていた。
だが、そのとんでもない脅し文句に周囲が沈黙する中、どこからともなくいきなり能天気な嘲りが響く。
「やれやれ、品の無い脅し文句、10点中2点をつけるニャ。 しかも借り物の力でずいぶんと大きな口を叩くなんて、恥ずかしいヤツだニャ」
「誰だ!」
苛立たしげに誰何する男。
だが、その声のした方向を見て、男の目がまん丸に見開かれた。
その目に映るのは、砦の屋上から押し寄せる無数のシャボン玉。
――思わず誰もが戦いを忘れ、目を擦ったり頬を抓ったりするような、なんともファンシーな光景である。
「ニャハハハハ! 問われれば答えんことも無いニャ! 人間ちんまい耳をかっぽじって拝聴するがいい。 我こそは、栄えある猫妖精の中でも特に誉れ高き、リージェン三兄弟の長兄マル! お前の借り物の力に対抗するならば、こちらも借り物の力で十分だニャ」
そう高らかに宣言するマルが手には、胴体が巨大な蟹の鋏で出来た奇妙な弦楽器が握られていた。
「ニャフフフフ……これぞ我がマスターであるキシリアが廃材のリサイクルと魔道具作成の練習を兼ねて作り出した魔楽器"蟹琵琶"。 失敗作置き場からこっそりパチってきたこの魔道具の音色にもだえるがいいニャ!」
そう告げるなり、マルはそのおかしな形をした琵琶の弦を適当に指で爪弾く。
「うげぇ……なんて……ひどい」
その場にいた妖精達から嫌悪にも似た呻きが漏れる。
吐き出されたのは、『こいつは楽器など触ったことも無いド素人だ』と誰もが理解するほどのひどい音色。
ついでに琵琶の元々の音色も調律が狂いまくりで最悪――形だけを真似て素人が適当に作ったことが丸わかりである。
だが、この琵琶の本領はその音色ではなかった。
素人の奏でるテルミンのように不気味な音色に反応し、虚空から次々に水の詰まった大量のシャボン玉が生まれ、風にのって戦士と勇者に押し寄せる。
だからなんだといいたいような光景だが、その場にいた幾人はその意味を悟り、その瞬間にサーっ血の気の引く音を感じつつ頭を抱えた。
「全員伏せろ! 爆発するぞ!!」
その警告に、敵である戦士の男も即座に行動を開始した。
「くっ、カリーナ! とっとと迎撃しろ!!」
少女に攻撃の命令を出し、さらに万が一に備えて勇者である少女をその腕の中に抱きとめる。
「……うん」
再び吐き出される真紅の羽吹雪。
そして泡と羽、その二つが触れるや否や、
ドオォォォォォォォォン!!
その場に立っていることすら難しいほどの振動と、鎧を着込んだ猪人ですら宙に投げ出されるほどの爆発が周囲を襲った。
「ぐはっ……痛ってぇ……な……なんて攻撃しやがるっ!! おい、カリーナ、怪我なんざしてねぇだろうな!?」
「……うん。 大丈夫。 それより、早く薬飲んだほうがいいよ」
地面に転がった戦士の男は、自らの腕の中の勇者に怪我がない事に安堵すると、顔を顰めつつ起き上がった。
さすがに本人は無傷ではないのであろう。
呼吸で鎧が微かに上下するたび、痛みを堪えるような呻き声が漏れる。
「お、俺に命令するな!」
男は、懐から瓢箪のような形をした木製の容器を取り出すと、その中身を一気に煽った。
冒険者なら誰でも常備している即効性の治癒薬である。
味はひどいが、効果は抜群だ。
傷を完全に癒すまでは出来ないものの、砕けた肋骨を瞬時に修復し、動き回るのに支障が無い程度までは回復できる。
「クソっ、あの変な楽器はヤベェなぁ……さっさとぶっ壊さねぇと」
「そうだね。 あの攻撃、私の力とは相性が悪い。 撃ち合いになったら負けるよ?」
マルの放った攻撃は、見た目は愛らしくて幻想的だが、その正体は内側が極端に頑丈であるにもかかわらず外の刺激に対しては異様に脆いという奇妙な性質の結界であり、中には超圧縮された攻撃性の水の元素が詰まっている。
つまり、何かに触れた途端に水が一瞬で水蒸気に変わって大爆発。
その本質が熱の塊に過ぎない火の鳥の羽では爆風に逆らって飛ぶことは出来ず、弾き飛ばされてあっさり無効化されてしまう。
「ニャハハハハ! 見たか、無差別破壊にしか使用できないこの魔楽器のろくでもない威力!! 何でキシリアがこれを失敗作と言ったのかサッパリだニャア!」
「調子に乗るな、このクソ猫がぁっ!」
マルの身勝手な勝利宣言に、戦士の目に殺意の光が揺らめく。
同時に、戦士は隣で呆然としていた勇者を軽々と小脇に抱え、マルの占拠している砦の屋上目指して一気に駆け出した。
「馬鹿か、テメェは! その物騒な力は近距離じゃ使えねーし、敵味方の入り乱れた条件で使ったら自分の陣営に被害が出るだろ! しかも、その物騒な泡は自分からある程度の距離でしか生み出すことが出来ない、理論のみで作り上げた試作品だ! マジで失敗作じゃねぇか!!」
そして走りながら、戦士は小馬鹿にしたような笑みを浮かべてマルの弱点を突きつける。
それはまさにこの魔楽器の製作者がキシリア欠陥品と判断し、この楽器を廃棄した時の台詞だった。
「ニャ!? なぜ、この魔楽器の致命的な欠陥を!? き、貴様……実は頭いいニャ!?」
「「アホか!!」」
マルの間抜けな台詞に、周囲の兵士が一斉にツッコミを入れた。
全てマルの口からこぼれた情報を基にした対策である。
有体に言えば、『無差別破壊にしか使えない』=『細かい制御が出来ない大雑把な攻撃』という簡単に公式が成立するという事である。
しかもシャボン玉の発生場所を任意に選択できるのならば、わざわざシャボン玉を生み出してから移動させるという余分な手間は必要ない。
つまり、この魔道具は、自分の至近距離に不安定な爆弾を無数に生み出すという恐ろしい代物なのだ。
はっきり言えば、浮遊機雷を作り出すための魔道具であり、作った爆弾に隠蔽能力が無いがために逃走時に撒き散らすぐらいしか使い道のない道具である。
それでもたった一度の攻撃でここまで魔楽器の性能を見切るのはたいした推理力というべきだろう。
だが、少なくとも剣と魔法の世界に生きる戦闘職ならば、敵に魔術師がいる場合やファンタジー特有の大量破壊兵器への傾向と対応はしっかり頭に入っていて当たり前。
理解できないやつは、さっさと淘汰されて生き残れない、とても厳しい世界なのである。
故に、その戦闘のスペシャリストを前にした先ほどのマルの台詞は、まさに致命的なポカと言っていいだろう。
「ヤツを砦の中にいれるな! 距離をとって弓で足止めしろ!! 怪盗殿、ヤツをその楽器の力を全力でやつに向けて放ってくれ!!」
「こ、心得たニャ!!」
状況の好転を図るボイツェフ中隊長の必死の叫びに反応し、マルがその手にある魔楽器を狂ったように掻き鳴らす。
「総員、弓を構え…… 撃て!!」
そして、ゆがんで狂った"猫ふんじゃった"のメロディーを背景にして、戦士と勇者から距離をとった妖精達が一斉にその弓弦を弾いた。
ザァッ……と無数の矢が風を切る音が空に響く。
「はん、その攻撃はすでに見切ってるんだよ!!」
だが戦士は、押し寄せる脅威を前にしても嘲るような笑みを変えることなく、まず勇者の炎で足止め要員として石叩きたちが即興で作った土人形と飛んできた弓矢の雨を焼き尽くし、つづいてその足元に落ちていた石を無駄の無い動きで拾い上げると、弓矢の後方から押し寄せてきたシャボン玉めがけて素早く投げつけた。
「し、しまっ……」
ボイツェフ中隊長がその意図を悟って声を上げるが、その台詞が全て終わらないうちに最初のシャボン玉が小石とぶつかって破裂した。
そして魔界の玄関を守る砦に、この日最大の激震が響き渡る。
*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*
「そ、そんニャ馬鹿ニャ……」
屋上から砦を見下ろすマルの目に映るのは、倒れて動けなくなった兵士たちの姿。
激しい爆発の痕は地面を大きく抉り取られ、砦を守る門は跡形も無く消し飛んでいる。
残念なことに、視界の中で動いている味方は一人もいなかった……
いったい何が起きたのか?
――簡単に言えば連鎖爆発である。
最初に弾けたシャボン玉の爆破の余波で、周囲にあったシャボン玉が次々に破裂。
あとは言うまでも無いだろう。
ほとんど自爆に近いようなやられ方だ。
これでは散っていった兵士たちも浮かばれないに違いない。
「さぁ、覚悟はいいか馬鹿猫! この戦士クリストハルト様が、テメェのそっ首叩き斬ってやる!!」
自らをクリストハルトと名乗った戦士の男は、全滅した砦の兵士の体を踏みこえてマルのいる砦内部へと足を速めた。
まだ砦の中にも兵士は残っているだろうが、狭い通路になれば大人数の利点を活かしきるのは難しくなる。
個人の戦力に大きく差がある現状、ここからの巻き返しは非常に難しい。
相手の体力の問題に関しては、戦士の男が大量に保持しているであろうスタミナポーション――ファンタジー特有の理不尽なポーション類があっけなく覆してくれるだろう。
この砦をあずかるボイツェフ中隊長も、すでにこの砦を放棄して本国方面に撤収する命令を部下に出していた。
――絶体絶命。
誰もがこの砦の陥落を確信していたその時。
不意に空を大きな影が過ぎり、砦全体を揺らすほどの振動と共に、一人の女妖精が配下の猫妖精2匹を連れて、砦の屋上に降り立った。
「お疲れさん。 これ、報酬の特製馬肉ベーコン3食分ね、 帰りもよろしく」
「キアァァァァァァ♪」
差し出された燻製肉の塊を嬉しそうに受け取ったのは、鷲と獅子を掛け合わせたような、全長10mを超える巨大な翼ある生き物――グリフィン。
そしてグリフィンの背から砦の屋上に降り立ったのは、遥かビェンスノゥの街の郊外にいるはずのキシリアだった。
蟹クリームコロッケに関しては余分に下ごしらえの作りおきをして保存の呪いをかけておいて今日中に戻ればいいし、たとえ馬の脚なら二日はかかる距離であっても、グリフィンの翼で最短距離を突き進むなら1時間程度しかかからない。
だが、そんな労力を支払ってまで、なぜ彼女はこんな場所までやってきたのか?
キシリアは、眼下の惨状を見下ろすと、さもつまらなさそうに呟いた。
「……困るんだよ。 まだ支払いが終わってないのにクライアントに倒産されるのは」
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