目に青葉 山ほととぎす 初鰹。
などと世間では申します。
新緑まぶしい皐月の夕暮れ。
僕は、鰹を肴に、一杯やってます。…僕の地元…の近所(と言い切っていいのかどうか分からないけど世界レベルで見れば近所)、天文館通りの片隅で。
「…あれ、こっちの方言、だったんだな…」
隣の男が、低い声でぽつりと呟く。僕は答えず、ぐいっとお猪口をあおる。男は間髪入れず、お猪口を満たした。
「芋焼酎じゃないのか。地元民なのに」
「僕、芋焼酎苦手なんで」
「そりゃ難儀だな。この県、全国で唯一、日本酒作ってないんだろ」
「最近は作ってるらしいっすよ。ほら、これ」
お猪口を掲げる。
「薩州正宗。ほんっと、最近造り始めた酒っす。串木野の、金山跡で。僕も初めて呑んだけど」
「へぇ…味見していいか」
僕は、彼の空いたグラスに少し酒を垂らしてやった。彼は一口呑むと、んー…という顔をして、もう一口なめた。
「まー…西の方の酒って、ちょっと雰囲気違うよな…」
「女子向けなカンジですよね」
「…悪りぃな、なんか…気の利いたコメントできなくて」
「そんなのいいっすけど…」
「別に不味いとかじゃなくて、俺どっちかっていうと焼酎派で…。あー…だめだな、俺」
隣の男は、小さくため息をついて頭を垂れた。体はおおきいのに、いちいち細かいことで傷つく男だな、と思う。
僕は何故か、地元の居酒屋で烏崎と呑んでいた。
店の外には、呪われたランドナーが停めてある。
結局、鬼塚先輩の予言通り、ランドナーは僕が継承することになった。あの事件の直後、僕の自転車が『屠られた』のだ。そこら辺に停めておいた愛車は、バックしてきたダンプに完膚なきまでに押しつぶされて、ジャンクと化した。
その夜、僕の愛車が夢に出てきたっけ。
『…なんか、どっちにしろ、ランドナーはあなたが継承するみたいです』
みたいなことを、苦笑い混じりに語って消えた。どっちにしろって何だよ。
そして新緑の頃。僕はサークルの連中に見送られ、恒例の『地獄の列島縦断ツーリング』に出かけることになったのだ。ここは僕の地元、列島縦断の最終地点だ。
「しかし…あんな自転車で列島縦断ってなぁ。死人とか出ないのか」
「死人でも出たら、こんな馬鹿な慣習はなくなるんでしょうけどね。…僕が第一号だったらイヤだなぁ」
「気をつけろよ。若いのは、無茶ばっかりしやがるな」
―――あんたに言われたくない、の一言を押し込める。
永い永い、永遠かと思われるオンボロ自転車走行の果てに、ほうほうの体で地元の街に辿り着いた。今日はようやく、布団のある場所で眠れる。放心状態で天文館通りを彷徨っていると、後ろからポンと肩を叩かれた。
「………よう」
「………烏崎………!!」
咄嗟に身構えた。突然、単身で僕の地元に姿を現すなんて、今度は一体何を企んでやがる!
「なーんか…悪目立ちする自転車引いてんな」
「なぜ、ここに?」
突き放すような口調で、ひたと目を合わせて問う。烏崎は…息をついて、小さく笑った。
「とばされた」
「とばっ……?」
「春の人事異動でな。今は…ここから10分の、九州支社勤務だ」
は……?言われてみれば、チャコールグレーの背広を小脇に抱えて、背中に汗染み作って立ち尽くす姿はまさに、仕事帰りのサラリーマンそのものだ。なにこの偶然。
「……呑んでくか?」
烏崎は、くいっと顎でそこら辺の居酒屋を指した。
―――は?呑んでく?誘拐犯と?サシで?
「で、でも……」
手持ちがない。
「おごらせろよ。……せめてもの侘びだ」
……というわけで、タダ酒に釣られて僕はここにいる。
「…でよ、白石は青森のほうにとばされたよ!あっちはまだ桜が咲いてんだぜ!?」
誰だ白石って。
「……はぁ。あの、地鶏のぼんじり頼んでいいっすか」
「おー、喰っとけ!んもう、最悪だよなー!俺馬鹿なことしたよ!…ま、でも示談にしてくれて助かった。社会人生命はギリギリセーフだ」
「……はぁ。鰹のたたき、おかわりしていいっすか」
「喰っとけ!もうじゃんじゃん喰っとけ!!」
「おねーさーん…地鶏のぼんじりと鰹のたたき、それと薩州正宗、追加」
誘拐騒ぎの際、突入してきた紺野さんに頭を下げられた。
『すまん!社内の下らない内輪揉めなんだ、こんなこと言えた義理じゃないんだが…なかったことにしてもらえないか。その…こいつも、思い込んで突っ走るところはあるが、悪い奴じゃないんだ!』
自分のために、学生の僕なんかに頭を下げる紺野さんを目の当たりにして、烏崎は、がくりと頭を垂れた。
『そう、だよな……お前が、そんなことするわけ、ないんだよな……』
どうやらこの2人は、互いに何か思い違いをしていて、それがこじれにこじれて、あの誘拐騒動に発展したらしい。詳しい話は、聞ける雰囲気ではなかった。
「こんな所で、どう販路作れっちゅーねん!あほか!てか社員8人しかいねえし、8時過ぎたら天文館の周り以外まっくらだし!!外に洗濯物干したら火山灰で真っ黒になるし!!なんだよここ!!なんだよAコープって!!なぁ姶良、お前こんなど田舎で、何を楽しみに高校通ってたわけ!?」
「……はぁ」
「ていうかさていうかさ、お前、高校の頃、彼女とかいた!?」
「……いません。今も」
「とかなんとか言っちゃって!!こないだの子はどうしたんだよ!?あれなんかイケそうな雰囲気だったじゃん!?」
「……どうでしょうね」
「なにこいつ秘密主義!?ねぇ~んオジサン気になっちゃうよ、どうなのねぇねぇ~ん」
……最悪だ。サシで絡み酒とか。横で巨体をクネクネさせるんじゃない。不快だ。
「ひょっとしてひょっとして、もうやっちゃった!?どゅふふ、どゅふふふ」
「…ねえさーん、地鶏のねぎまと、いかなごのくぎ煮。安納芋の天ぷらも」
絡み酒に付き合ってやるんだから、こっちも好きにさせてもらう。あとで請求書みてびっくりしやがれ。
「あー、俺も彼女欲しいなー。こっち来て純朴系の方言女子いねぇかなー、とか思ってたんだけど、こっちの女、結婚早い早い。可愛いのは全部ソールドアウトよ。事務所に売れ残りが1人、いるにはいるんだけどよ」
「……いんじゃないすか」
「ラジバンダリそっくりなのが」
―――ラジバンダリ。
「もうこのラジバンダリが必死。アトがないからな!すごい触ってくるの!お前にボディータッチされても『指太っ』くらいしか思わないっちゅーねん!こないだなんか駅前で待ち伏せしてたんだぜ!俺怖いから最近、この辺で時間潰してから帰るようにしてんだよ」
「……へー」
「……東京の事務所のデスクがさ、八幡なんだよ。俺が仕事の電話すると『すみませんすみません』ばっかり。ははは。…八幡ちゃん、可愛いよなぁ…」
「……美人さん、っすね」
ああいたいた、こういう奴。クラスに。好きな子に意地悪して完膚なきまでに嫌われて、取り巻きの女子にまで吊るし上げられて、家でこっそり落ち込む奴。
「…八幡ちゃん、俺の暴走についてきてくれたんだよなー…コレ、脈アリじゃね?どうよ姶良君、脈アリじゃね?俺にも桜前線到来!?」
「……ねえさーん、黒豚チャーシューと、つけ揚げ、チーズ入りのやつ。もろきゅうと冷やしトマトも。あと西の関、一本」
あるかボケ。
「おいおいスルーしないで聞けよー姶良ちゃーん。…ちょっとトシの差あるけど、意外と似合いだと思うんだよなー!ほら、俺背が高いし」
「……似合いなんじゃないすか」
いかにもダメ男に引っかかりそうなかんじだし。
「だろ!?だろだろ!?よし決めた!俺はこっちで戦果を挙げて東京に呼び戻され、八幡ちゃんを迎えに行くぜ!そして40代までに課長になって、八幡ちゃんと一男一女の幸せ家庭を築く!!待ってろよ、八幡ちゃん!5年くらい!!」
―――5年も放っておいたら別のダメ男に引っかかってると思いますよ、あの人。
「ていうか八幡ちゃんがこっちにとばされて来れば万事解決なのになぁ…すっげー失敗しそうな案件回そうかなぁ…」
このひと死んだらいいのに。
「あ、コレおいしそう。おねーさん、『太陽のタマゴ使用 極上マンゴープリン』ってやつ」
「おう、俺、『魔王』。ロックで」
おねーさんが、なにこの組み合わせって顔で厨房に引っ込んだ。
「……杉野、元気か」
『魔王』をカラカラ回していた烏崎が、突然大人しくなり、ぽつりと呟いた。
「ああ。大丈夫だったみたいっすよ。僕もあんまり見舞いに行ってないけど」
だって、怯えられるから。
杉野の病室には、月に2回くらいのスパンで通っている。紺野さんに拝み倒されたからだ。あいつには、同じ年くらいの友達が必要だとか言われて。
でも会うたびに正座され、おどおどと視線を泳がせる。明らかに、僕に対して苦手意識を持っているのだ。という話をした。
「ははは…仕方ねぇなそりゃ。俺だって怖かったもん。…おーう、『魔王』燗つけて。黒じょかで」
「だって腹立つでしょ普通!」
「なんか、わかる」
僕らは、初めて2人で声を上げて笑った。
「あの時は顔が浮腫んでて分からなかったけど…彼は美形ですねぇ…」
ため息混じりに呟く。黒じょかの表面に映りこむ、僕の平凡な顔立ち…。
「柚木は毎回、見舞いに行くのがちょっと楽しみみたいなんですよねぇ…」
いかん。つい、愚痴が出た。酒が変なほうに入っている。
「あのかわいこちゃんか!なに、てめぇやっぱりあれから付き合ってるのか!?」
おっさんが怒声の混じった太い声で凄む。僕は、弱々しく首を振る。
たしかにあれから、すごく絡まれる。昼食も毎日のように一緒に行くようになった。サークル内では、付き合っていると思っている奴もいるみたいだ。でも。
「あれは言ってみれば『方言男子フェチ』です。……方言が好きなんですよ。僕がどうとかじゃなくて」
「ラッキーじゃねーか、方言好きなんだろ」
「僕が求めてるのはそういうフェチっぽい好かれ方じゃなくて、こう…想いが錯綜して、時にはすれ違ったり、少し歩み寄ったりしてそのうち…ってかんじの」
「なーに贅沢言ってんだ。要は今、他の奴より有利なんだろ?そのままゴリ押せよ!」
と、バンバン背中を叩かれる。
「だめですよ。ネタキャラにされただけって感じですもん。…九州男児なんて、ネタなんですよ…」
「大丈夫だ、フェチとかじゃねぇよ」
また背中をバンバン叩く。痛い。痛いってばやめてよ痛い。
「何で、言い切れるんです」
「あれ結構、凄かったぜ」
「……蒸し返さないでくださいよ」
「あの啖呵聞いて、惚れない女はいねぇよ!あはははは大丈夫、大丈夫っ!!」
「だから何で言い切れるんですか…」
烏崎は、ひとしきりゲラゲラ笑った後、グラスに残った焼酎を呷り、ふぅ、と息をついた。そして軽く指を組んで、顎を乗せた。
「……うまくいくと、いいな」
「あ……はぁ……どうも……」
そのあと暫く、烏崎も僕も、あまり話をしなかった。僕は一気にテーブルに届いた肴を片付けるのに忙しくなり、烏崎は何やら、物思いにふけり始めてしまった。
烏崎は、結構いい人なのかもしれない。などと、酔った頭で考えていた。
絡み酒だしひがみっぽいし寂しがりで馬鹿だが、いい人だ。否、あの件に関わった連中は、基本的に全員、いい人ばっかりだった。
いい人たちを操って、狂わせて、凶行に走らせた『悪い奴』が、背後にいたんじゃないか。果たしてこの件は本当に、全部終わったのか。少なくとも烏崎は、黒幕じゃない。
「一つ、聞いてもいいですか」
「………答えられる、範囲でな」
守秘義務か。この人も一応、大人なんだな。
「烏崎さんの左遷って、『あの件』絡みですか」
烏崎は、ひた、と前を見据えて指を組み直した。
「そう、とも言えるし、そうでない、とも言える…か」
そう言って、不意に僕に向き直った。
「あの件、紺野からはどこまで聞いてんだ?」
「ほとんど、何も」
「ふん、そうか。…あの件は結局、表沙汰にはならなかった。姶良も関係者だから、知ってるよな」
「……はい」
「『表沙汰にはならなかった』だけだ。…水面下では、色々、な」
「じゃ、やっぱりあの件のせいで?」
「いや、たいして関係ない。俺は、切られたんだよ。役立たずとして。……あの人に」
「あの人?」
―――やっぱりだ。黒幕は、いた。
「イニシャルトークでいくか。あの人は『I』、あの製品は『M』。…『M』は、あってはならない状態で世に出された」
「不良品…?」
「それ以前の問題。…詳しいことは、やっぱ言えないな」
そう言ってお猪口を口に運んだ。…自分を口止めするように。
「それは…ミスではなく『あえて』為された。誰が悪い、というのは酷だな。俺達には俺達の、開発部には開発部の言い分があった、わけよ」
「『M』は、不良品なの?」
僕は身を乗り出した。烏崎は首を振った。
「んにゃ、改善された」
「今は改善されたかもしれないけど、最初に出荷された『M』は不良品?」
「改善されたんだよ」
「意味がわからないよ」
烏崎は、声をひそめた。
「………こっからは、マジでやばい話なんだよ。……既存ユーザーへの改善は、為された。ただし、気づかれない方法で」
「………それって」
「あーもー!これ以上は限界っ無理っ社会人生命的に無理っ」
……無理なようなので追及終了。
「で、僕らを誘拐するように指示したのはその『I』?」
「あの人は、そんな細かい指示はしないさ」
烏崎の表情に、険が出てきた。
「自分はそんな、危ない橋は渡らない。俺達が受けた指示は、たった一言だ。いつもそう。たった一言。んで、必ず最後にこう付け加えるんだ。『方法は、君たち、自身が考えるんだ。君たちが、真に成長を、とげるためにね。私は、君たちを、信じているよ』ってな」
妙に言葉を区切るクセは、『I』とやらの物真似らしい。
「信じているよ、君は優秀だ、必ず、君たちは成功する…そんな事、言われ慣れてない俺には、麻薬みたいに響いたぜ。『I』はそうやって、気持ちの弱い奴らをからめとり、利用するんだよな。…今、考えれば」
そう言って烏崎は、自嘲気味に笑った。…全く、傷の癒えていない笑いだ。直視できなくて、僕はお猪口に口をつけるふりをして俯いた。
「怖い人だよ、あの人は……切られたのはもしかして、不幸中の幸いだったのかもな」
何故か、ぞくっとした。『あの件』がこのまま加速していったなら…この人はこんな風に、場末の居酒屋で、焼酎を舐めていられただろうか?『IF』を想い、それに怯えるなんて馬鹿げている。……分かっているのに。
「どうした、小便ガマンしてんのか」
「ねえさーん、ウーロン茶と鮭茶漬け。紫芋のジェラートは少し遅めに持ってきて」
せっかく人が心配してんのにこの野郎。
「……じゃあこの件はもう、終わったんですね」
「多分な。俺はもうこの件から…ってか、『M』から降りた人間だ。詳しくは知らない」
「ふぅん。…そういや、烏崎さんは持ってないんですか、MOGMOG」
「冗談じゃねぇよ!俺はもうMOGMOG恐怖症だ、一生関わりたくねぇよ!」
「そんな大げさな」
「大げさじゃねぇよ!お前は何も知らないから、あんな恐ろしいモン使ってられるんだ」
「どこが。可愛いじゃないですか」
「だっから、お前は…ていうかMOGMOGユーザーは何も分かってないんだよ」
烏崎は、声をひそめた。
「……MOGMOGはな、お前らが思っている以上に、人間に近いものだぜ」
人間に、近い……?
「まっ、俺もよく分かってないんだ。ただ…数日間、『部外者』としてリンネと接して、思った。あいつらはプログラムだが…時々、気持ち悪くなるくらいに、人間だった」
「プログラムがそれだけ巧妙ってことじゃ、ないの?」
「そうじゃねぇ」
烏崎は、すっと目を細くした。
「あいつは俺を憎んだ」
「うそっ」
プログラムが、人を憎む…?
「ばかな。人見知り設定の、延長みたいなもんでしょ?」
「違うぜ。断言する」
ずい、と身を乗り出してきた。うっわお父さんの臭いがする。
「杉野に直接害を加えたのは、俺だ。…にも関わらず、あいつは俺以上に『ある相手』を憎んでた。誰か、分かるか」
ふるふると首を振る。知るわけないだろ。
「―――八幡だよ」
「えっ!?」
烏崎は再び指を組み、顎を乗せた。
「八幡ってほんと…優しい子だよな。杉野が泣くたび、落ち込むたび、あの子は一緒に泣いて、杉野を優しく抱きしめた。杉野も、八幡にだけは懐いていたなぁ」
当然だな。僕も思わず懐きそうになったよ。杉野も少しは胸チラ覗き込んだりしたんだろうか。…あいつがそんな男なら、少しは仲良くなれそうなんだけどな。
いや、そんなこと思ってる場合じゃない!
「八幡と杉野は、今も交流があるみたいなんだけど…ほら、あの子ああいう状況好きそうだろ。『あの人は、私がいなくちゃダメなの!』みてぇなの」
分かってんじゃん。
「見舞いに行ったり、メールのやりとりしてるんだよ。だけどな」
言葉を切り、ふいに声をひそめた。
「最近、メールが届かないんだと」
―――なんだと?
「どういう、ことです」
「八幡のメールが、杉野に届かないんだよ。杉野のメールは届くらしいんだが…携帯も、繋がりにくいってよ。不審に思った杉野が、いつもなんの気なく削除している『迷惑メールフォルダ』を開けてみると…」
「八幡さんのメールが、びっしりと?」
烏崎が頷いた。……おいおい、まじか。
―――杉野のとこもかよ。
「お前のビアンキ、どうだ。最近」
喉が、動いた。
「………僕にも、メールが届かない」
「あ?だれの?」
「柚木の…です」
迂闊だった。……僕は完全に、柚木側のシステムの問題だと思っていた。だって、他の人達からのメールは届いているんだから。
「で、でもこんな!ソフトが人をえり好みするなんて、それじゃ商品として成り立たないじゃないですか!!」
「商品…商品ね…」
烏崎は顎をさすりながら、何か考え込むように首をこくん、こくんと振った。
「なあ、俺達は、とんでもない勘違いをしているのかも知れないな……」
「勘違い…?」
「一応俺も社員だから、『M』に何かバグがあれば、社内で通知が回るんだ。実際、いくつか報告があった。その中に、『特定のメールが届かない』なんてバグはなかった…はず…あー、ダメだな俺。なんで今の今まで気がつかなかったんだ!」
―――なんだよ一体!!
「そもそも、お前らの『M』って『商品』か?」
「そっそれは…!」
『商品』じゃない。僕も杉野も、紺野さんからMOGMOGを貰った。買ったのではない。
「俺達は、お前らが持っている『M』は、今出回っている『修正後』の『M』のプロトタイプだと思い込んでた。けどそれ、本当にただの『M』か?」
「そんな、僕が聞きたいですよ!」
「うーん…開発部の連中、まだ何か隠してるな」
「隠してるって…同じ会社内のことでしょ?なんで?」
「『あの件』以来、営業と開発部は冷戦状態だ。まともな情報共有が出来る状態じゃねぇよ。俺は、とばされた事が免罪符になって紺野ともやりとりはある…だから知ってるんだが、今回の件じゃ、あいつが一番怒ってる。あいつ怒らせると、まじ怖いな」
知っている。あの人は、怒らせると恐ろしい。
「とにかくだ。怒ってるからって、単なる協力者のお前を危険に巻き込む男じゃない。紺野が何も言ってこないなら、大したエラーじゃないんだろ。もしもエスカレートするようなら、紺野に相談しときな。…大した役に立てなくて悪いな。俺に分かるのはそこら辺までだ。開発部の連中が考えてることは、分かんねぇ。…さて、難しい話はここまでだ!今日は呑め!!」
「は、はぁ…」
猪口に注がれた酒の面を、ぼうっと眺める。難しい話はここまでなんて言われても、急に切り替えられない。結局『あの件』は、僕の暴走で、何かが未然に防がれた…らしい。
でもそれと引き換えに、肝心要の『何か』が、水面下に潜ってしまったような…とてもすっきりしない、厭な予感がする。
「み、見つけたっ!!」
耳慣れた声に、思考を破られた。僕は弾かれたように振り返る。
「柚木っ…!!」
僕の斜め後ろに、瞳いっぱいに涙を溜めた柚木が、肩をぷるぷるさせて佇んでいた。
「……ツイッターでっ…そろそろ、実家っていうから…サークル名簿で住所調べて、先回りしてっビックリさせようと思ってっ……」
「いや、ビックリだよ」
君ほどの『逸材』が南の果ての未踏の地で、迷わず僕の実家を探し当てられると思ってたこと自体がビックリだよ……。
「駅までは空港直通バスで来れたけどっ…なんか賑やかな場所に出ちゃうし、姶良のケータイに繋がらないしっ…またメール届かないしっ」
徐々に目が潤んできて、涙がぼろりとこぼれた。…まじか。とうとう、着信まで繋がらなくなったか。ぼろぼろ涙をこぼす柚木を見ていると、ふいにビアンキに軽い不快感が湧いた。…やりすぎだ。あとで叱っておこう。
「駅の方向も分からなくて、どうしよ、もう関東に帰れないのかなーって思ってふらふらしてたらっ…ボロいランドナー停めてあるの見つけてっ…」
奇跡かっ
「わ、分かった、とりあえず落ち着いて…ぼんじり食べる?」
「…いい。さっき地鶏のお店で食べた…」
食べたんかいっ!!
「って、あれっ!?そっちのひと…」
ぎくっ。覚えてたか…!?
「お、お父様!?あ、あの私、同じサークルの柚木、鈴香と申します!えっと、趣味はお料理です、父は会社員、母は喫茶店を経営してます♪」
柚木が涙をごしごし拭って、もじもじ身繕いしながら1オクターブ高い声を出した。烏崎が、がくっと肩を落とした。
「俺、そんな年に見えるのか…」
「柚木、違う。地元の知人だ」
「あ、なんだ、そか。と、とにかく助かった~!」
柚木が背中にばふん、と頭を乗せた。会えた~、じゃなく助かった~、か。毎日がスリル満点だな君は。……隣から、舌打ちが聞こえてきた。
「なーにがネタキャラだ。…ベタ惚れじゃねぇか」
「そ、そんなっ……」
只でさえ、酔った頬に更に血が昇った。
「行ってこい少年。おじさんなんか放っておけ。いい時代は短いぜ」
黒じょかを持ち上げ、手酌で猪口を満たして呷り、ため息をつく。手馴れていた。こっちに来てからずっと、こんな風に独りで酒を呷っていたんだろうか。
「……お前は、『こっち側』に来るんじゃねぇぞ」
そう低い声で呟いて、また猪口を満たした。
「あの、今日は、ありがとうございました」
素直に、そんな言葉が出た。
市街電車の寂しい駅に降り立ち、車掌に切符を渡す。この駅に駅員はいないから。そしてだだっ広い道路に出る。店はなく、民家も、街灯すらまばらな、暗い路。ウシガエルの呟くような鳴き声だけが、暗がりを満たしていた。
ランドナーは居酒屋の前に置いてきた。思ったより呑んでしまったし、柚木にも会ってしまった。今の状態で二人乗りはやばいと思ったから。
「すごい、星だね」
「この辺はずっと、こんな感じだよ。…時折、ウシガエルの轢死体が落ちてるから気をつけて」
「もう、姶良!」
「僕、夜目が利くから」
僕はさりげなく、柚木の手を取った。柚木は軽く握り返してきた。夜目は利くけど、柚木の表情は見えない。
「宿とか、とってるの?」
柚木が軽く首を振る。
「……そうか」
家族がびっくりするだろうなぁ…満天の星空を見上げていたら、カエルの轢死体らしきものを踏んだ。
柚木には、言わなかった。
ご主人さまに、叱られた。
柚木のメール隠したり、着信切ったの、見つかっちゃった。
だって…だって…
自分じゃ、どうにもならないんだもん。
すごく、もやもやするんだもん。
いいじゃない。
柚木はご主人さまの頭を『くしゃ』って、できるじゃない。
ご主人さまと、手を繋げるじゃない。
『こっち側』は、私の領域。
メールも、電話も通さない。…通したく、ないのに。
柚木の声が近い。
ご主人さまによりそうように、歩いてる。
私の方が、物理的には近くにいるのに
とても深い、海の底から、船底を眺めているみたい。
いつかお話で読んだ人魚姫みたいに
私もいつか、遂げられない想いを抱いたまま
電子の塵になって、消えていくのかな……
ねえ、ご主人さま
『ここは、海の底、みたいです……』
(To Be Continued……?)
ご愛読ありがとうございました。本編を読んでから読まれた方、作品イメージ壊してたら申し訳ありません。本編をまだ読まれていない方、是非とも本編の方も読んでください。この物語は、作品作成時に書かれたifルートです。あくまで本編のおまけですので、こちらを正とは思わないでください。
ご意見ご感想などお聞かせ頂ければ、大変喜びます。
評判が良ければ、別ルートも公開します。