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くらいくらい電子の森に・・・(誰も死ななかった編)

作者:たにゃお
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第五章

ご主人様から、おかしな指示を受けている。
私は、ポータルサイトでじっとしている。
探しているのは、シリアルナンバーxxxx-xxxx-xxxx-xxxxのMOGMOG。

私たちは通常、他のMOGMOGに干渉しない。

ウイルスの情報交換が必要なときに、同じサイトで出会った『お友達』と交わりあうくらい。お友達の状態が多少変わっても、詮索はしてはいけない。それが決まり。

だから、今度の指示はちょっと意外で、うれしい。

本当は気になってたんだ、周りのお友達。
もっと仲良くなりたくて、もっとみんなのことを知りたくて、もっと私のこと、ご主人さまのこと、柚木のことを知って欲しくて。

指示とか命令とか、そんなのじゃなくて、みんなで『お話』してみたい。

それで、みんなに自慢するの。私のご主人さまは、優しくて、オムライスが大好きなのよ、って。…… xxxx-xxxx-xxxx-xxxx、来ないな。暇だから、オムライスの3Dでも作っておこうかな。ご主人さま、喜ぶよね。

3Dに使う画像を選定するのに夢中になっていたら、何だか周りに人が少なくなってきた。…どことなく、薄暗い。今はまだ夜の10時。夜明けには遠いと思うけれど…

なんで、こんなに人がいないの……?

答えはすぐに見つかった。
ポータルサイト内のMOGMOGは、『回避行動』を開始していた。

……あれ、私?

私が『仲間はずれ』になっちゃったの?
でも、自分の体からウイルスの気配なんて感じない!
私は、慌てて周囲を見回した。


────────あなたは、逃げないのね





……背後! 『それ』は、私のすぐ後ろに佇んでいた。

この気配……どこかで、間近に感じたことがある……!
慌てて作りかけの3D画像の断片をかき集めて後じさった。…あっ、足がもつれる!動けない!

すっかり逃げ遅れて、間合いに踏み込まれた。『情報共有』の間合い!
顎を上げて、キッと睨んだ。…あまり、好きじゃないけど

─────もう、闘うしかない────!

「読ませないから!」
全身の電子を手のひらに集中させて、小さく祈った。私の前に火の障壁が出来る。炎を透かして見える、『それ』は呟いた。

────────話を、聞いて────────

「あなたの話!?…あなたと話すことなんて、ないですから!」
炎を透かして、改めて『それ』を凝視した。とても異様なフォルム……
宙に、浮いている。
いえ、浮いているだけなら、そんなMOGMOGはたくさんいる。でも、何か違う…
…それに気がついた時、肩がガタガタ震える…怖い、凄く怖い……こんな異常なMOGMOGに、遭ったことがない……

こんなのおかしいよ…なんで?
私たちは、人間が作り出したんでしょう?
なんで……なんで『欠陥品』がいるの!?


……この子、手と、足がない!


引きちぎられたような、惨たらしい四肢の傷から絶え間なく滴る、淀んだ血…
濁りきった瞳と、ボロ布みたいに引きちぎられた、メイド服……
……いやだ……この子、もとは私とおなじ「メイド型」だ……

私と同じメイド型が、手足と服を引きちぎられて、酷い目に遭わされている……!

なんで、こんな酷いことをするの……?
私と同じ型だから、わかる。
この子はただ、一生懸命やってただけなのに


にんげんは、なぜこんなことするの……?


「なんだこれ……人間ダルマか……!!」
上から、ご主人さまの声が降ってきた。……心配して、見に来てくれたんだ!
「ご主人さま!」
「ああ。ごめん、怖い思いしたな。…すごいな、その技」
「そんな…標準装備です。…そ、それより!人間ダルマって何ですか!」
「…一種の都市伝説なんだけど…あっ危ない!ビアンキ!」
はっとして、『それ』に目を戻した。……この子、炎の障壁に、体をもたれさせている!
炎にすり寄せた体半分が、0と1の煙を立ち昇らせる。…怖い…分解されながら、それでも炎の壁にすり寄るのをやめてくれない!
「やめて!体が…体が分解されちゃいます!」

────────おねがい…話を…話を聞いて────────

「ビアンキ、何かやばいんだろう。引き上げるよ」
「…はい!……あ
 ご主人さま、大変です…!」
ビアンキが、震える声で伝えてきた。
「…どうした、ビアンキ!」
「この子、ご主人さまが探していた xxxx-xxxx-xxxx-xxxx です!」
「なに!?」
この、ウイルスにまみれたぼろぼろのMOGMOGが!?… xxxx-xxxx-xxxx-xxxx を探せとは言われていたけれど…。駄目だ、これ以上は独断で進めちゃいけない気がする。僕は携帯を引き寄せ、紺野さんに掛けた。
『――見つかったのか?』
紺野さんは、すぐに応答してくれた。
「あの、見つかったんだけどその…大変なことに!」
『落ち着いて話せ。…どんな状態で見つかった?』
「あぁごめん。その、ウイルス感染がひどい状態なんだ。普通じゃないくらい」
『そうか。…よし、すぐにハルをよこす。俺もそっちに向かう。どこに住んでるんだお前』
「えっ、なんで来るの」
『奴はアクセスポイントをコロコロ変える。だから、場所が特定できたら速攻で追いかけないと間に合わん!』
「追えばいいじゃん。余計な寄り道しないでさ」
『兵隊は多いほうがいいだろうが!いいな、住所メールで送れよ』
「えー!…もう夜中だよ、今からどこに行けって…あっ」
…有無を言わさず電話を切られた。…兵隊。
「…あの男…絶対、ジャイアン属性だ…」
ということは僕はのび太属性か。否定はしないけど…。
「ご、ご主人さま、どうしましょう…」
ビアンキが、弱々しい声で聞いてきた。
…迷っていた。このMOGMOGと接触し続けたら、ビアンキまで汚染されるかもしれない。でもこのまま逃がしてしまっては…。
僕は、半ば諦めをもって受け入れることにした。
「――しかたない。その子をそのままひきつけておいてくれ。すぐにハルが応援に向かう」
「は…はい!」
乗りかかった船だ。こうなったら意地でも、その腎臓病の青年とやらを助け出してやる。紺野さんに住所をメールしてディスプレイに向き直った瞬間、チャイムが鳴った。
「…なんだよ」
馬鹿馬鹿しい。もう着いたってことは、うちの住所も調査済みだったってわけか。すぐに出てやるのもなんか癪なので、ゆっくり起き上がって髪をかるく整え、のんびりとチェーンをはずす。
「――ずいぶん早いなぁー、紺野さん」
迷惑感たっぷりの声でドアを押し開けると、黒い背広の胸元が視界に飛び込んできた。
「…あれ、今日はスーツ…」
次の瞬間、視界をふさがれた。ぞくり、と背中を悪寒が走った。…なんだこの状況!叫び声をあげようとしたら、強引に口をふさがれた。
「…おい、アレ出せ!」
「え…でも…」
男と女が、軽くモメる声が聞こえた。…アレって何だよ!?
「いいから出せ!」
男が僕の頭を脇にかかえこみ、口を押さえていた手を一瞬放した。その隙に叫ぼうと大きく息を吸い込むと、吐き気を催すような薬品臭が口の中を満たし……そのまま………



――目を覚ます。

…なんで僕は寝ているんだ?
慌てて身を起こすと、じゃらりと鎖が滑るような音がした。
「――ご主人さま!!」
ビアンキの泣きそうな声が聞こえた。首を振り向けると、薄暗い部屋の片隅で、僕のノートパソコンだけが光を放っている。
「……ここは?」
「わ、わかんないです……オフラインにされちゃいました……」
ビアンキが、困ったように首を振る。ベッドから降りようとしたら、足首に鈍痛が走った。鉄の枷が、足首にがっちりと嵌っていた。
「…うわ、なんだこれ」
「知らない人たちが…」
「さっきの奴らか。…くそっ」
鉄の鎖をベッドのパイプに叩きつけた。きゃりん、と頼りない音がする。その音に反応するように、部屋の隅で何かがもぞりと起き上がった。
「……誰だ!」
自然と声が険しくなる。
「……君こそ、誰だい」
柔らかい声がした。…男の声というより、少し低めの女の声みたいな。目を凝らしていると、人影が壁に手を這わせ、電気のスイッチを入れた。急に強い光に照らし出され、つい目を閉じる。



「――ようこそ…ってのは変かな。僕もここが何処なのか、分からないのに」

ゆっくりと目を開ける。視界に飛び込んできたのは、殺風景な打ち放しの壁と、相変わらず不安そうにディスプレイに貼りつくビアンキ。
視線を右に移すと、小柄な男がうずくまっているのが見えた。不自然に土気色をした肌と、腫れぼったい目に、どこか不健康なものを感じる。
「――あんた、誰だ」
男は力なく笑うと、呟くように言った。
「杉野、弦。…もう一週間近く、ここに閉じ込められてる」
「ってことは…あんたが、紺野さんが言ってた、行方不明の腎臓病患者ですか?」
「紺野!?」
杉野氏の腫れぼったい目が、一瞬大きく見開かれた。
「紺野の知り合い?」
「僕は姶良壱樹。紺野さんとは1週間ばかり前に知り合ったばかりです。…だから全然分からないんですけど、これは一体どういう状況ですか?」
「知っている限りのことしか、話せないけど――」
そう前置きして、杉野氏は話し始めた。
公園で散歩中、見知らぬ男に声を掛けられたこと。どうやら、紺野の仕事の関係者らしいこと。…そして、彼らが紺野に敵対する立場で、紺野が自分にくれたMOGMOGの情報を欲しがっているらしいこと。

「――僕は断ったんだ…紺野は友達だから。そしたらあいつら、僕を車の中に引きずり込んでさ…この部屋から、出してもらえないんだ」
そう言って目を伏せた。意外と睫毛が長いな…などと、どうでもいい感想が頭をよぎる。年は多分、僕とそんなに変わらないくらいなんだろう。なのに、なんと言うか…この人は不自然なくらい、世ズレしていない。酒も煙草もやったことなさそうだ。そしてたまに、口調が子供っぽくなる。あまり他人と会話することに慣れていないような…。
「――なに、見てるの?」
「いや…具合、悪そうだなって…」
「うん。…僕、死にかけてるんだ」
力なく微笑んだ。
「…透析、ですよね」
馬鹿なことを言ったかな、と一瞬不安を覚えたが、彼はこっくりと一回頷いて笑った。
「でも死ぬ前に、あいつら以外の人間に逢えて、よかったよ」
「そんな…」
そんな重い話をされても…。この密室に立ち込める重苦しい死の気配に、僕は正直辟易していた。何か、この空気をぱっと明るくチェンジするような、いい会話の切り口はないものか…でもこの人、酒も煙草もやらなそうだし…なんか浮世離れの匂いがするし…
「あの…音楽とか、どういうのが好きなんですか?」
「…ブラームス、好きかな」
「……はぁ……いいっすね……」

――誰だよブラームスって

…いや、何となく聞き覚えがある。多分僕が中学時代に使ってた『音楽』の教科書で落書きまみれになっているおっさんのことだ。
…「落書きし甲斐のある爺ぃですね」くらいしか言うこと思いつかない。他になにか会話の切り口はないかと部屋中をきょろきょろ見回すと、机の上に本が一冊置いてあるのを発見した。

『宮沢賢治――春と修羅――』

――これも、駄目だ…話をふくらませる自信がない……

「…宮沢賢治、好きなのかい?」

――げっ…視線の先を読んで食いついてきたよこの文学青年は!
「いやその…あれですよね!…クラムボンがかぷかぷいったりする…その…」
「…やまなしの、話だよね…教科書、かな」
「えぇ…その…教科書で…ははは…」
「……そうだよね」
「……はぁ」
「……」
「……」

たっ……助けて……紺野さん助けて! 直ちにここに乱入して、女子が聞いたら想像妊娠しそうな猥談を一発かまして僕をここから連れ出して!!

「……ごめんね、僕、こういうの苦手で……」
「こういうの…」
「知らない人と二人きりで、訳もわからず監禁されるの…とか」
「そんなん、僕だって苦手ですよ……」
「あの…ご主人さま」
なんかお互いあきらめモードになってきたあたりで、ビアンキが割り込んできた。ちょっと救われたような気分でディスプレイに向き直る。
「そ、そうだビアンキ!そういえばさっきのMOGMOGはどうなった!?」
「あの子は…さっき急にオフラインになっちゃいました…あの、ご主人さま」
「うん」
「心細い…です…。もう少し、そばに来てくれますか?」
不安そうな顔で甘えてくるビアンキが可愛くて思わずニヤけかけた。でも、杉野氏の表情がふいに曇るのを視界の端にとらえてしまい、ぐっと口元をひきしめる。
「姶良君…オフラインになったMOGMOGって」
「…紺野さんに調査を頼まれていたんです。ひょっとして、杉野さんの…ですか」
「多分ね…」
そう言って、ぎりっと歯をくいしばった。
「あいつら…また性懲りもなく、リンネに…」
「リンネって名前なんだ」
「うん。…リンネは今、拷問に遭ってるんだ。沢山のウイルスに侵食されて…あんなに苦しんで…僕が…紺野を裏切れないから」
本当に悔しそうに、歯噛みしたまま俯いた。
「ごめんね、リンネ…」
――純粋な人なんだ、と思った。純粋だから、いいかんじの所で現実と折り合いをつけられない。それでこんな、のっぴきならない場所に辿り着いてしまう。拉致された経緯は聞いたけど、僕だったら喜んで話に乗る振りをして油断させて逃げただろう。…嗚咽を漏らし始めた杉野氏の背を撫でてやるのが、僕に出来る精一杯だった。
「…ビアンキっていうんだ、君の子。可愛いね」
少し落ち着きを取り戻した杉野氏が、まだ腫れている目を上げた。可愛い、というキーワードに反応して、ビアンキが少しもじもじし始める。
「うん…好きな自転車からとった」
「自転車かぁ…もう10年くらい乗ってないな」
杉野氏は憧れを湛えた視線を僕に向けてきた。そんな目を男から向けられるのは初めてなので(まぁ…女の子からもないわけだけど)どうしていいか分からずもじもじしていると、彼は急に真面目な顔でビアンキに向き直った。
「リンネは、奴らから妙な命令を受けていた」
「妙な、命令?」
「自分と同じMOGMOGを探せって。…意味が分からない。同じMOGMOGってどういう意味なんだろう。ビアンキちゃんが、リンネと同じMOGMOGってこと?」
そうか…杉野氏は知らないんだ。自分が持っているMOGMOGが、特殊なMOGMOGだってことを。言うべきなのかどうか、迷うところだ。
「リンネは頑張ったんだ。…僕の自由と引き換えに」
自由と引き換えに、か。
ようやく、僕が拉致られた理由が見えてきた。
杉野氏を拉致した彼らにしてみれば、ひどい拒否反応を起こされて拉致せざるを得なくなったのは、事故みたいなものだったんだろう。しかも相手は、透析なしには明日の命も知れない病人。長期間監禁を続けるのは、どう考えてもまずい。だから、他のMOGMOGマスター…この場合は僕…を探し出し、人質にして口封じをした上で杉野氏を解放、そして僕からMOGMOGの情報を引き出す、という方法を思いついたのだろう。
ということは、杉野氏を解放した後にでも、何か利益をちらつかせながら交渉を持ちかけてくるはずだ。喜んで乗る振りをして、隙を見つけて逃げ出せばいい……
「――でも安心して。僕は君を一人置いて逃げたりしない!」
「……え」
「僕にはよく分かるんだ。一人は辛いものね」
「…いやその」
「一緒に、いてあげるよ」
「…えぇ~…」
「どのみち、僕の命は残り少ない。…君のために使っても、構わない」

…いいから帰ってくれカンパネルラ!あんたが帰らないと話が進まないんだよ!

「でも!…紺野さんが心配してるから。誰かを悲しませるのは悪いことだよ。僕一人なら死ぬわけじゃないし、何とかなるから帰って欲しい。紺野さんのために」
腹芸が通じる相手とは思えないので、正論で説得してみる。
「姶良君…」
今度は涙で瞳をうるませて僕を見つめる。…よし、もう一押し。そう思った刹那、背後でかちりと音がした。びくっと首をすくめる。
「あ…起きたんですね…」
振り向いた先には、黒いスーツの若い女がいた。眼鏡のせいで地味な印象だけど、その奥の目は、切れ長なのにどこか柔らかくて綺麗だ。…月夜の湖面みたいな人だな、と思った。つまり、ちょっと見惚れた。
「ごめんなさい。…びっくりしてる、わよね」
小さくてかすれ気味だけど、細く澄んだ声をしている。都会の雑踏では掻き消えてしまいそうな、儚げな…。
「あの、ここは何処なんですか?僕は一体…」
わざと弱々しい声を作って上目遣いに見つめる。こういう場合は、後々油断を引き出すために、ちょろい印象を持たれておくに限る。
「えと…あの…」
「ぼ、僕…殺されちゃうんですか…?」
語尾を震わせて、泣きそうな表情を作る。涙目になれれば完璧なんだけど、劇団員じゃないのでそこまでは無理だ。
「どうしたんだい、姶良君!さっきまであんなに余裕なかんじだったのに!」
「………!」

こっ…この馬鹿っ!どこまで腹芸が通用しないんだ!!

「…無理、してたのよね。男の子同士だから、弱音が吐けなかったのよ…」
彼女は瞳をうるませて、手を握り合わせて僕に近づいてきた。そしてそっと手をとり、胸元に引き寄せた。
「ごめんね、許してね…帰してあげてって頼んでるけど、みんな聞いてくれないの…」
「そうだったんだね…そんなに怖かったのに、僕には帰れなんて…」
挙句、杉野氏まで瞳をうるませて僕の肩を抱えはじめる始末。
…よ、よし、こいつら2人とも救いようのない天然だ。普通ならだいぶ勘弁してほしい状況だけど、今回はひとまず助かった。間違いなく、この部屋の中で一番悪い奴はこの僕だ!!

――なんか涙が出てきた。

「…なんでこんなことをしてるんですか?そういう人には見えないのに…」
丁寧に背を撫でてくれる彼女の肩にもたれ、表情を隠しながら呟く。…他人事だからどうでもいいけど、見知らぬ男にこれだけ密着されて、普通ならセクハラを疑う場面だろう。大丈夫かこの人は。
「…最初は、会社のなかの小さな諍いだったはずなの。でも…。どうしてこんなことになっちゃったのか、もう分からないわ」
白い頬を、涙が伝った。…この人はきっと、社内の面倒な争いに、逃げ遅れて巻き込まれたんだ。
高校の部活動なんかでも、こんな事はよくあった。どうでもいいような意見の食い違いがもとで、元々相性が悪かった奴らが派閥を作って大きな諍いを始める。…で、周りの『どっちでもない』人間を諍いに巻き込んで、少しでも派閥を大きくしようとするんだ。
僕みたいな日和見タイプは、くわばらくわばらと口の中で唱えながら目立たないポジションに引っ込んで、嵐が過ぎ去るのを待つ。でも人がよくて要領が悪い奴に限って、真剣に話を聞いてしまったりして、どっぷりと諍いに巻き込まれ…下手をすれば仲直りの暁には悪者にされていたりするんだ。
……要は、この2人はよく似ている。なんだか、胸が締めつけられる思いだ。
「なんか、寒いな。…ここは、北のほう?」
「そう?一応都内だけど八王子が近いから、ちょっと底冷えするかも…あ、ごめんなさい、気がつかなくて。暖房つけるね」
そう言って、机に置かれたリモコンに手を伸ばした。今どき学生もしてないような淡い桜色のマニキュアが、白い指先を染めていた。…僕はこのくらいのほうが好みだな、などと勝手な感想が去来する。
良心が痛むけれど、こっちは下手すれば命がかかっているんだ。彼女の人のよさを利用して、情報を最大限に引き出させてもらう。
「八王子かぁ…甲州街道、近いのかな。車の音がする」
「そうね、すぐそこ」
「甲州街道沿いって、おいしいラーメン屋さん多いよね」
「そうね。この辺にも一軒あるわ」
「へー、僕食べ歩きが趣味なんだ。なんて店?」
「えっと…『かずき家』とか…」
「ふーん、醤油系?」
「ううん、家系…かな」

――なんかもう、顎が抜けるほどちょろいひとだ。

僕がもし悪者なら、この人とだけは絶対に組まない。この人を巻き込んだ時点で、主犯も相当間抜けなんだろう。

――こんなひとたちに捕まる僕って……

「ねー、スマホ持ってる?食べログの口コミ情報、見たいなー」
少し甘えるような声を出して、上目遣いで見上げる。
「結構、評価高めですよ。…ほらほら」
彼女は嬉しそうにブラウザを立ち上げる。折角なので僕は、また体を寄せてスマホを覗き込む。なるほど、★3.7。なかなかのスコアだ。そしてお姉さんはいい匂いだ♪それにさりげなく視線を下の方にずらすと、白のブラウスから胸の谷間がちらっと見える。大きくはないけど形は僕好み。それに清楚な白いレースのブラジャーが、ぐっとくる。くっくっく……なーんて隙だらけのお姉さんなんだ♪もう既にガン見と言っても差し支えないくらい見てるけど、全然気がつくそぶりすら見せない。

――いかん、あまりの天国状態に、本来の目的を忘れるところだった。

へぇー、とか言いながら、さりげなく彼女の手からスマホを受け取り、
「……ねぇ、なんか焦げ臭くない?」
ふと気がついた風を装って、僕は頭を上げた。
「そう、かしら?」
「うん、少し。気のせいかもしれないけど、何かあったら僕たち逃げられないし」
そう言って、鎖をじゃらりと持ち上げる。
「ちょっとだけ、確認してきてくれない?」
「そ、そうね。ちょっと見てくるね」
彼女がスマホを置いて部屋を出た瞬間、急いでメールを立ち上げた。その様子を終始、斜め前あたりでドン引き気味に眺めていた杉野氏が、ぽつりと呟いた。
「姶良君……きみ、意外と気持ち悪い男だなぁ」

――ぶっ殺すぞてめぇ。

誰のせいで僕がこんな目に遭っていると思っているんだお前は。むらっと怒りがこみあげたけど、このクソ忙しい時に馬鹿の相手をしていられない。
「ビアンキ!紺野さんのアドレス表示して」
「は、はい!」
僕は手早くアドレスを打ち込むと、窓を細く開けて、外の風景を写メした。案の定、外は真っ暗だけど、幸いライトアップされている看板がいくつか点在している。本文に『甲州街道 ラーメン〔かずき家〕近く』と打ち込み、メールを送信した。
「………よし!」
『送信完了』の表示を確認して、スマホを置く。表示を『食べログ』に切り替えておくことも忘れない。
「な…なにをしたんだい?」
杉野が、むかつく程のキョトン顔で聞いてきた。
「……紺野さんに、現在地を送信した」
あとは待つだけだ。僕はベッドにごろりと横になって、杉野に背を向けた。悪い奴ではないことは分かるけど、とにかく僕はこいつが苦手だ。もう係わり合いたくない。
「そうか、君はこの場所から逃げるために、わざと気持ち悪い男の振りを!そ、それなのに僕は君に気持ち悪い、なんて……ごめんね、姶良くん。気持ち悪いは訂正するよ!」
「きもいきもい言わないでくれ腹立つから」
つい口調に苛立ちがにじんだ。ごめん、と小さな呟きと共に、杉野が凹む気配がずっしりと背中にのしかかる。…ああもう、鬱陶しい。
「キッチンは大丈夫でしたよー。…外だったのかしら」
彼女が戻ってきた。僕に騙されたことを知ったとき、彼女はどんな顔をするのだろう。ちくりと胸が痛んだ。だからこそ、彼女とも係わり合いになりたくない。僕は布団を肩まで上げた。
「……具合悪いの?」
「うん、ごめん。少し放っておいて」
本当に胃が痛くなってきた。ごめんなさいお姉さん。あなたとはもっと別の出会い方をしたかったです。せめてもの罪滅ぼしに、裁判ではあなただけは徹底的に擁護しますから。と、心の中で必死に手を合わせながら、ぎゅっと目を閉じてうずくまった瞬間、部屋の外から乱暴に戸を開ける音がした。
「おう、例のガキは起きたか!!」
「ひっ、奴らが来た!」
杉野が怯えたような声を出す。僕も思わず身を起こして、足音の方を見た。程なく、乱暴にドアノブを回し、乱暴に扉を開けて男たちが入ってきた。杉野が、怯えと憎しみを込めて叫んだ。
「出たな、馬と大仏!!」
「………は?」
入ってきたのは2人。長身の男は、よくパーティーグッズの店で売っている馬の被り物をすっぽりと被っている。後ろからちょこちょこついて来た小さめの男は、大仏の被り物だ。




――何やってんだお前ら。学生コンパのウケ狙い組か。

杉野は僕を庇うように前に出ると、低い声で言った。
「姶良君、気をつけて。こいつらは……」
こいつらは。
「怒鳴るから、とっても怖いんだ!!」
小学生か!!
「おぉ~、そうだ。俺達は怖いぜ~。怒鳴られるのが厭なら、言うことを聞くんだな~」
小学生をカツアゲする中学生か!!!
「えっと…なんですか、その…マスクは」
被り物とかいうと気分を害して怒鳴り始めそうなので、言葉を選んで聞いてみる。
「ふっふっふ…俺達の正体を知られるわけにはいかないからな!知ったらお前、ただで帰すわけにはいかなくなるぜ!!」
俺って知能犯とでも言わんばかりに胸をそらす。その傍らで素顔丸出しのお姉さん。ねえ、馬のお兄さん。隣のお姉さん、素顔丸出しですが。
「いやっ!!もう止めてください烏崎さんっ!!もう…だれも傷つけないで、烏崎さんっ!!」
お姉さんが、吼えた……本名を……。
「ばっ……八幡てめえ!!」
僕は怯えて何も聞いてない振りをして、布団を頭から被った。僕、聞いてません。何も聞いてないからもう止めてください。お互い、本名叫び合うの止めてください。残ってるのは後ろでまごまごしてる大仏くんだけじゃないですか……。
もう心底げんなりだ。布団の中でため息をついた。あー、もう。早く来てくれ、紺野さん。

「ははは、そこまでだ!馬と大仏!!」

今度は杉野が吼えた。これ以上事態をややこしいことにする前に布団に引っ張り込もうとした僕の手を掴み、何故か謎のウインクを返す。何だ、今度は何を思いついた?
「君たちの名は覚えたぞ、烏崎と、八幡さん!!」
「っち、聞かれたか!!」
聞くわい。
「ふっ、でもそんなことはどうでもいいんだ。ここにいる姶良くんが、たった今!!紺野さんにここの居場所を送信したのさ!八幡さんのスマホからね!!」
ばっ……杉野てめぇ!!
「てめ、八幡!お前なに人質にスマホ貸してんだよ!!」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!!」
「君たちの万策は尽きた。さあ、今までのことを反省し、大人しく僕らを解放するんだ!!」
そう言って、もう吐きそうになって布団に包まっている僕から、布団をやさしくひっぺがして、微笑んだ。
「もう、大丈夫だよ。僕だって、やるときはやるんだ」
ほんと、やるなあ。いらんことばっかり。
馬が、ゆっくりと首を振った。
「……しゃあねぇ」
「……はあ、面倒っすね」
大仏が、そっと紐とアイマスクを取り出す。
「なっ…何をする気だ!!」
杉野があとじさる。…分からないのか、馬鹿か。
「アジト替えるか。紺野に見つかる前に」

……そうなりますよね――――!!
僕のファインプレー、全部無駄ですよね――――!!

「な、なんてことだ……!!」
杉野が膝から崩れ落ちる。
「なんて、非人間的な奴らなんだ!僕は、心から戦慄する…」


―――ぷち、と、僕の中で何かがはじけた。


「―――わい、馬鹿なん…?」
「……え」
「さっきから、何なん?僕がなんとか脱出しようと頑張ってるのを、片っ端から台無しにして、心から戦慄…?」
「いや、その…あれ?」
「心から戦慄したいのは、おいの方だがね!!わいの察しのわるかごと、ひったまがるわ!!こん、いらんこつしぃが!!」
「ひっ…ご、ごめんなさいごめんなさい!」
「お、おいおいちょっと、あの…か、可哀想だろ、そんなに責めちゃ」
「うぜらしかっ!!ぐらしか、ち云うなら、ないしてこげん、つがんねことするが!!だいたいなんね、こん…げんなか被りモンはぁ!!」
馬が割り込んで来たので、被り物を引っ掴んでひっぺがしてやった。眼光ばかり鋭く草臥れたおっさんが、鳩が豆鉄砲食らったような顔で僕を見ていた。
「なっ…何?何語?」
「んだもしたん…オッサンじゃなかね!!よかおんじょが、雁首そろえて、なんっちな!!まっこて…ずっさらしか変装ばい!!」
ついでに後ろの大仏もひっぺがす。僕とさして変わらないくらいの小さな青年が、おずおずと頭を下げた。なに、今更頭下げとるんじゃ、ぼけが。
「わいら……正座、じゃ」
「……え」
「正座じゃあ!!へっちせんか!!こん、がんたれどもが!!」
馬と大仏、二枚重ねて烏崎をひっぱたく。
「ぐっふぉっ」
思わぬ力が出た。烏崎の巨体が横に吹っ飛ぶ。
「烏崎さん!?」
大仏の中身が駆け寄る。
「へっちせい、言うたが…?」
「…へ、へい」
奴は、おずおずと居住まいを正した。それに倣うように、大仏の中身の奴も正座する。
「杉野…わいも、じゃ」
「ひっ…こわい、こわいよ…」
「なんね!こん、やっせんぼが!!へっち、きんきんせんね!!」
「ひぃっ!……ヤッセンボて、キンキンて何!?」
「カンパネルラに聞いたらよかばい!!」
床に被り物を叩きつける。杉野はぷるぷる震えながら、烏崎に倣って正座した。あー…

なんか、すかっとする。

「…で、これ、なんね」
床でへにゃへにゃになっている馬と大仏の被り物を蹴る。
「なに…って」
「答えんね!!」
更に強く蹴ると、烏崎が体育会系の条件反射で答える。
「馬と!大仏です!!」
「ないして、馬と大仏か」
「や、その…」
「こげん、あんべの悪か男ば監禁して、わいらは馬と大仏かぶっとか!!あ!?なんなんさぁが、馬ん乗ってひと足早めのお迎いかっ!?」
「や、こ、これは意味があったとかじゃなく、適当に選んできたというか…」
「てげてげ、ち……わっちぇか、にょんじゃのう、わいら!!」
「…にょん…」
「すんもはん、は?」
「……すん……?」
「どっなこっして、すんもはん、ち言わんか!!!」
今日一番の怒声と共に、ゴムの被り物をダン、と踏みつけると、奴らは背筋を伸ばして叫ぶように繰り返した。
「す、すんもはん!どっなこっして、すんもはん!!」
「ふん。てんがらもんじゃのう」
一息ついて、ふと、人の気配を感じて振り向くと

紺野さんと、柚木がぽかんと口を開けて、僕を見ていた……

「あっで…、い、いつからこけんおいやるね…いや、居たのですか!?」
「……よう、姶良…さん?」
……敬語だ!
「は、早かった…ですね、ひった…いや、びっくりしましたよ」
そろそろと、自分を『標準語モード』に引き戻す。いやいや、ひったまがったばい。
「写メを頼りに探す予定が…なんか不思議な言語による怒声が聞こえてきて…な?」
顔がかぁっと上気する。…バレた、田舎者なのがバレた!よりによって柚木にまで聞かれた!!僕のキレッキレ方言全開バージョンを!!
「………九州、男児」
呆然としていた柚木の顔に、赤みがさす。そして突如、目をキラッキラさせて、叫んだ。
「九州男児ね!?」
「………は?」


―――僕は、途方に暮れるしかなかった。
(作者注:方言部分を凄むかんじで叫んでみましょう。すかっとします)
 
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