Sleeping Rage
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act-0“wartime”
「人間は、死ぬことを密かに望んだので戦争をしたのである。
自己保存の要求は極めて深いものかもしれないが、死への欲情はさらに深い。」
―C・ウィルソン
気づいたときには《彼》の両の手は血に染まり、目の前には喉元を裂かれた女性が唇から血をこぼしながら地に伏せていた。ぱっくりと開いた首筋の傷は頸動脈まで達し、女性の手のひらが傷口を押さえるも、彼女の命は瞬く間に傷口から流れ出ていく。深紅の血潮が瞬く間に大地に広がり、頭上を飛び交うジェット戦闘機を背に今まさに息絶えんとする女性を見下ろす《彼》の姿を映し出した。
《彼》は手にしていた三日月の如きナイフを見やると、続いて血に染まるもう一つの手を見やる。爪の隙間に、肌に刻まれた皺に、皮膚の下の骨肉にまで深く染み込んだ鮮血。《彼》はそれを見るやガタガタと肩を振るわせ、手にした三日月を投げ捨てた。それは当てもなく地面に突き刺さり、《彼》は今まさに彼女の命を奪った恐るべき三日月―カランジットナイフを、怯える眼差しで見つめる。―そして、《彼》ははたと気づく。その周囲に転がる《それ》に。
《それ》は人だった。一人だろうか、二人だろうか。片手で数えることも叶わない《それ》は皆、目の前で悶え苦しむ女性のように、喉元をぱっくりと切り裂かれ、噴水のように血潮を吹き出しながらゆっくりと息絶えるのを待つばかりだった。
《彼》は自身が涙を流していることに気づいた。恐怖に失禁すら抑えることもできず、ガタガタと膝を振るわせ、一歩、恐るべき現実から逃避するように後ずさった。刹那、自らの足首に伝わる冷たい感触。《彼》は「ヒッ」と悲鳴を上げ、自らの足首を掴む《それ》に視線を落とした。
《それ》と視線がぶつかった。《それ》は目を見開き、《彼》の耳は、確かにそれを聞き取った。
「お前が殺した」
《彼》の悲鳴はジェット戦闘機の爆音と銃声の中に響き渡った。
《彼》がカランジットナイフを耳に突き立て、自らの顔面を引き裂くまで。
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