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ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~

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ALO編
  episode1 灰色で楽しい日常

 ヴヴヴヴ、ヴヴヴヴ、ヴヴヴヴ。

 三連の短いヴァイブレーションに現実に呼び戻されて、俺はゆっくりと目を覚ました。もともと眠りの浅いタチの俺はこれでも十分に覚醒できるし、そもそも今現在は学校にも仕事にもいく必要が無いため、正直朝起きる必要があるかどうかすら疑わしい。そう言えば、同じように朝に起きられなければ別にそれでよかったあの世界では、目覚ましを使うこと自体が稀だったな。

 時刻は、五時二十五分。
 キリの悪いこと極まりないこの時間には、理由があるが、まあ、それはあとでいいだろう。

 「ふあ……」

 古風に畳に直接敷かれた布団からむくりと起き上り、一度大きく欠伸。
 ついで両手を上にして伸びをしておく。

 それに合わせて、体中の関節がいい音を立てて起動するのを感じる。
 これが俺の一日の始まりの合図だ。

 (夢じゃ、ねえんだよな……)

 体が、実感を持つ。
 そのことに……そんな当たり前のことに感じる、違和感。

 何度目覚めても、この現実の違和感は消えない。

 「ふわ……さっみ……」

 季節は既に冬の真只中、十二月の半ばだ。あのデスゲーム、「ソードアート・オンライン」の世界から離れて、実に一カ月が経過したことになる。あの世界でなにが起こったのか。そして今俺はいったいなぜここにいるのか。そもそも、俺は本当に生きているのか。そんな訳のわからない混乱は、未だ俺の中で消えはしない。親も、総務省のお役人もそんなことを教えてはくれないのだから。

 そんな状況のせいか、ふと目が覚めたら、あの住み慣れた『冒険合奏団』のギルドホームにいるのではないか、と思ってしまうことすらあるあたり、「重症だなあ」と自分でも思う。

 (まあ、総務省のお役人連中の気持ちも、分からんじゃあないが、な……)

 もしここが元の世界、「現実世界」だとして、SAO内で何が起こったのかの情報は、出来る限り一部の人間に対してで留めておきたかろう。あんな誰が誰を殺したのかも分からんような中だ、下手に解明したらパンドラの箱を開けることになる。だから俺が「いったい何が起きたのか」と聞いても、「もう大丈夫」「解放されたのだ」「安心してくれ」としか聞かされなかったのだろう。

 ちなみに一番傑作だったのは、「ここは現実世界なのか」と真顔で尋ねた時か。当初の気が動転していた(どうやらSAOが終わった際にはそのアナウンスがゲーム内であったらしいのだが、その時気絶していた俺はそれを聞いてはいない)俺にしては切実な疑問だったのだが、周囲からすれば単なるキチガイか、或いはショックでおかしくなった人にしか見えなかったろう。もうちょっとでアタマの方の病院に連れて行かれるところだった。あぶねえあぶねえ。

 「うしっ、と…」

 まあ、何はともあれ。

 今、俺はこうして母親の実家に邪魔している。母さんも一旦仕事を休み、静養(というか、俺を養っていくために相当の無茶と心労を抱えていたのが今回の件でとうとう限界に達したのだろう)しているというわけだ。

 箪笥から、きちんと折り畳まれた服を取り出して手早く着替え、上からウインドブレーカーを羽織る。外はまだ暗いし、相当に寒い。それでなくてもまだ免疫系は弱っているだろうし、体は気遣うに越したことは無い。センスの良い障子張りの襖をあけ、鴬張りの廊下をそっと歩いていく。

 ここにきた最初の頃はその古来より伝わる伝統的防犯機構に屈していたが、既にここで暮らしはじめて一週間だ。どこを歩くのが一番音がしないか、既に完全に頭の中でルートは出来上がっている。「むこう」でいうところの『罠』を避けて進むのは、俺の十八番だ。

 「んじゃ、今日も行きますか」

 こっそりと、歩き出し、外へと向かう。
 その瞬間、一瞬動きが止まって、……苦笑してしまった。

 『隠蔽』、『忍び足』のスキルを発動しようとしてしまったのだ。

 (……まったく、この癖は、しばらく抜けそうにないな)

 今は亡きあの世界へ少しだけ思いを馳せて、俺は冬の街へと駆けて行った。


 ◆


 さて、ゲームが終わってから精神的には生きているか死んでいるかも分からない状態の俺だったが、だからといって普段の生活を営まなくていいというわけではない。幸いなことに俺は精神的には異常者であたろうが日常生活を送れるほどには正気を保っていたので、早々に病院を出られた……というか、さっさと追い出された。まあ俺としても退屈な病院暮らしなんて早くオサラバするに越したことはないので異論はないのだが。

 そしてもう一つ、こっちは残念なことに、か。
 俺は日常生活を営むにあたって、そうそうシリアスでい続けられる性格では無かった。

 (ま、そうでもなきゃこんなお屋敷から抜け出そうとは思わんよな……)

 最近身に着けたピッキング(『鍵開け』スキルでは無い)で古い裏口の鍵を開けて、周囲の安全を確認する。時間はまだ五時三十五分だ。予想より幾分か速いが、まあ朝の散歩、そして家の堅苦しい朝食の時間が六時半というのを考えれば丁度いいか。

 そう、脱走だ。
 こんなご立派な家は、正直性に合わない。

 ゆっくりと抜けだし、俺は軽いジョギング程度の速度で走り出した。





 あの世界を通じて、俺の心は若干どっかがイカレてしまったらしい。分かりやすく言えば、ブレーキが壊れてしまった、という感じか。まあそのおかげ様で俺は普通の人間であればまず不可能な速さでリハビリを終わらせ、こうして軽い運動まで出来るくらいに回復しているのだから(まあこの異常な復帰の速さは、俺の精神的問題の他にも一つ要因があるのだが)、別に文句はないのだが。

 しかし俺は問題なくても、医者にとっては問題らしい。

 医者が言うにはそれは、「痛みをリアルに感じ取れていない」というものなのだそうだ。確かに神経は痛みを脳へと伝達しているし、脳もそれを痛みとして受容しているはずなのに、それが本人の意識上に登っていないのだ…などという話を、ドーパミンだのノルアドレナリンだのの難しい専門用語で説明されたものの、はっきりいってよく分からんかった。結構やばいらしく、この状態だと怪我の発見が遅れたりといった問題が起こったりしてよくないんだとかなんとか。

 まあ俺としては、それでさっさとリハビリが終わるならそれで十分だった。

 結果。俺は医者からは痛みを伴う様なことを厳格に禁止(ちなみにできれば運動も控えてほしいと言われていた)されたもののそんなものを守るはずも無く、こうして朝毎に屋敷を脱走しては、バカな遊びに興じているのだった。

 
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