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まぶらほ ~ガスマスクの男~

作者:月下美人
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第三話



 部屋へ案内してくれたのはエーファさんというメガネを掛けた女の子だった。本来ならリーラさんが案内をするはずだったのだが、主の許に居なければならないとのことで、この子が宛がわれた。その際にリーラさんが「くれぐれも失礼のないように」と何度も念押しをしていたのが少しだけ気になるところではあるが。


 伏し目がちな上に小声で「エーファと申します……」と名乗り礼をしたその子の印象は、気弱。玄関でも顔を合わせたが、本当にこの子で大丈夫なのだろうかと首を捻っているところだ。現に今も――、


「へぇ、迫力のある絵だね。これってなんの絵?」


 と聞くと。


「は、はい……っ、……その、どこかの戦争の一場面を描いた絵のようです……。十九世紀辺りの戦争だとか……なんとかの戦いという……」


「……なんで疑問形?」


「す、すみません……あまりこういったことには詳しくないもので……。すみません、すみませんっ」


 必要以上に謝るとエーファさんは早足で先に進んで行った。


 三階に上がった俺は奥の客室へ通された。


「こちらのお部屋をご利用ください。中の掃除は済んでおりますので。後程、夕食をお持ちいたします……」


 終始うつむき加減の彼女に礼を言い、足を踏み入れる。


「あっ、お待ちください。そこには段差がございますのでお気をつけて……きゃあっ」


 横から押し留めようとしたエーファさんが段差に躓いた。転びそうになる身体を下から支える。


「大丈夫?」


「は、はひっ……! だだだ大丈夫です!」


 慌てて離れた彼女は俯き、口を開いた。


「……すみません、式森様の御手を煩わせてしまって。わたし要領が悪くて……」


 ――要領の問題だろうか?


「本当に申し訳ありませんでした。こんなことで式森様の御手を煩わせたと知られたら……どうしよう」


 震える声で後ろ向きな考えに没入する彼女は何度も頭を下げた。


「本当の本当に申し訳ありませんでした。それでは、これで……」


 ペコペコと頭を上下させた彼女は早足で退室する。残された俺はぼんやりと彼女の今後が気になった。


 ――本当に大丈夫だろうか……?


 案内された部屋はとにかく広かった。部屋の中にさらに個室があり、テレビ、キッチン、トイレに風呂と一通りの生活環境が整っている。各個室にはお菓子と飲み物が用意されていた。


 ミネラルウォータを一口飲み、ベッドに腰掛ける。ふかふかでまるで身体が沈んでいくようだ。


 しかし妙な話だと思う。あのご老人は始めから俺という存在を知り、ある程度の情報を集めていたのだろう。そうでなければ、俺が旅に出ることを知るはずがない。なにが目的かは分からないが、なにが起こってもいいように備えだけはしておこう。


 ここのメイドさんたちも一見ただのメイドさんだが、その身のこなしは明らかに訓練した人のそれである。何人かはスカートの下や懐に銃器の類を忍ばせていたから、ここのメイドさん全員がそれらの扱いに長けていると見たほうが良いだろう。


 どこで俺の情報を知り、何を狙って歓迎しているのか、今はまだ分からないが、一筋縄では無いことだけは確かだ。絶対に何か裏があるはず。


 ――場合によっては戦闘になるかもしれないな。


 寝っころがって天井を眺めながらそんなことを考えていた時だった。ノックの音が扉から聞こえた。


「はい」


 扉を開けると目の前には銀髪のメイドさんが。


「失礼します」


 リーラさんは深々と礼をした。


「お食事をお持ちいたしました」


 リーラさんの脇にはナプキンが掛けられたカートがある。その上には銀色のドーム状の蓋――クロッシュが被せられた数々の料理が置かれている。


「すぐにご用意いたしますので、お座りになってお待ちください」


「ん、ありがとう」


「いえ、どうぞお気になさらず」


 ニコッと微笑んだリーラさんがカートを押して入室する。


 椅子に座ると、テーブルの上にクロスが掛けられた。一目で高級だと分かるグラスが置かれる。


「ワインはどうなされますか?」


「ああ、俺飲めないから」


 酒には弱いのである。リーラさんは代わりに葡萄のジュースを注いでくれた。


「こちらが、本日のメニューです」


 ご老人が言っていた通り、夕食は豪勢の一言に尽きた。


「右手前からビシソワーズスープ、小鴨胸肉のロティ、フォアグラのポワレ――」


 高級料理名をズラッと説明するリーラさん。どの料理も鮮やかな盛り付けがされており、まるで三ツ星レストランのそれだ。ソースで『式森様』なんて書かれた料理なんて初めて見たよ。しかも字が綺麗だし。


 ――けれど……。


「いかがなさいましたか?」


「あー、悪いんだけど、さ。そこに居られると食べられないんだけど……」


「ですが式森様の給仕がございます」


「うーん、でもねぇ、そこに居られるとマスクが取れないんだな。その気持ちはありがたいんだけど」


「失礼ですが、マスクを外すことは出来ないのでしょうか?」


 まあ、普通聞いてくるよね。リーラさんの疑問も至極当然だ。


「残念ながらね。人前だと外せないのよ。人がいるところでは一度も外したことがないし」


「そうでしたか……。出過ぎた真似を致しました」


 頭を下げるリーラさん。うぅ、罪悪感が……。心なしか、落ち込んでいるようにも見えなくもないし。


「……はあ、仕方がないな」


 口元にある吸収缶を取り外し、その下の面にある蓋をカパッと開ける。丁度、口元を覆う部分が蝶番状で開閉が可能となった。人がいる場所で飲食を迫られた時はもっぱらこのようにして摂食している。


「いけません。お気遣いは無用です」


 慌てて止めようとするリーラさんに笑って頷く。


「ああ、大丈夫だよ。顔を見られなければいいから、口元だけならギリギリOKかな。マナーには反するけどね」


 取り外した吸収缶をポケットに入れ、傍らに佇むメイドさんを見上げる。


「じゃあ、給仕をお願いしてもいいかな? 生憎こういった料理は食べる機会があまりなくてね」


「――はい、お任せください」


 輝かんばかりの笑顔を見せたリーラさんはその後、完璧な給仕をしてみせた。食べ終わった料理を絶妙なタイミングで片し、待たせることなく次の料理を運ぶ。いたりつくせりとはまさにこのことだな。


「しかし豪勢だねぇ。いいの? こんなの食べちゃって」


「勿論です。これらはすべてお客様のためのものですから」


「そっか。フォアグラなんて初めて食べたよ。この辺でガチョウ飼ってるのかい?」


「いえ。フランス産です。当地で自給できる食材は限られておりますので」


「ああ、そっか。島だもんね。ほとんどは輸入かい?」


「はい。水だけは少量ですが湧いておりますので確保できますが、食料の大半は島の外から購入したものです。これらは空輸されました」


「ふーん、なるほどねぇ」


 恐らく船も出ているだろうから島への輸入手段は船と飛行機。パッと見たところ森が多いから自給できるものといったら果物と水くらいか。家畜を飼っているかは不明だから肉類は保留だな。そうなると、調味料を始めとした食材や武器、弾薬、医療品なんかはすべて輸入となる。


 もし戦闘になったら、まずは――、


「式森様、いかがなさいましたか? お口に合わなかったでしょうか」


「え?」


 気が付けば、考えに没頭していて手が止まっていた。不安そうにリーラさんが訊いてくる。


「ご不満な点を仰って下さい。きつくコックに申しておきます」


「ああ、いや、不満なんてないよ。ちょっと考え事をしていてね」


「そうでしたか。お考えを中断させてしまい申し訳ありません」


「いやいや。食事中に考え事をする俺がいけなかったから、リーラさんが頭を下げる必要なんてないよ」


 苦笑した俺はふとあることに気が付いた。


「そういえば、リーラさんはここにいて大丈夫なの? メイドの中でもかなり上の立場だと思うんだけど、城の主人の許にいたほうがいいんじゃない?」


 見たところメイドさんを統括する立場にあると思うのだけど、そんな人がここにいても大丈夫なのだろうか。


「……確かに私はメイドたちの長を任されております。ですが、今は式森様に仕える身ですので、お気遣いは無用です。それと、リーラと呼び捨てでお呼び下さい。メイドに敬称はいけません」


「そう? ……ん~、ちょっと抵抗があるけど……リーラ、でいい?」


「はい、大変結構です。今後はそのようにお呼び下さい」


「うーん、ちょっと慣れないけど、まあ、頑張ってみるよ。こんな美人さんにお世話してもらえて悪い気はしないしね」


「そんな、美人だなんて……勿体ないお言葉です」


 リーラさんは首から上を朱に染めた。あらら、これは意外だ。


 クールに聞き流すと思っていた俺は思いがけない反応にマスクの下で目を丸くした。心なしか恥ずかしそうに目線を落とすその姿に、胸が高鳴るのを感じた。


 ――よくよく見れば、リーラさんって凄い綺麗なんだよなぁ。ちょっと考えられないくらいに……。俺も仕事で色んな女の人を見てきたけど、ここまでの美女は目にしたことがないな。


 改めて傍らに立つメイドさんをしげしげと見やり、感嘆の唸を覚えた。


「ごちそうさま。美味しかったよ」


 デザートも含めてすべての料理を平らげた。今まで口にしてきた料理の中でも明らかに最高峰の逸品だったね。いやー、満足満足。


「コックにも伝えます。きっと喜ぶでしょう」


 我がことのように微笑んだリーラさんは失礼しますとの声とともに一礼して退室した。


 食事が終わると途端に手持ちぶさたとなってきた。室内にはラジオもテレビもないため暇を潰せそうなものが何もない。PSPくらい持ってくればよかったかな、と思った時だった。


「うん?」


 ふと屋敷内の空気が乱れるのを感じた。外から聞き覚えのある軽い音が響き、色々な気配が世話しなく動き回っているのが分かる。


 窓から下を眺めると、数人のメイドさんたちが慌てたように屋敷に駆け込み、入れ違いに十人ほどのメイドさんたちが飛び出して行った。その手に銃器を握りしめて。


「……戦闘?」


 外で響いていた軽い音は次第に大きくなり、屋敷の庭からはエンジン音が聞こえてきた。


 ――戦車の駆動音!?


 窓の外が一瞬、パッとライトアップされる。それを見た俺は急いで窓から離れた。身を屈めると同時に重い音を響かせたような爆発音が轟く。


 ガラスがピリピリと震えた。


「これは、HEAT弾か……!」


 身体の芯まで響くようなこの重い発砲音は恐らく形成炸薬弾だ。


 騒音が止み、辺りは静寂に包まれる。窓から見下ろしてもメイドさんを含めて人影は見られなかった。


 コンコンとノックの音が響き、返事をする間もなく扉が開く。


 現れたのは一人のメイドだった。気の抜けたような顔をして何処と無く面倒くさがりのような印象を受ける。


 左腕に『AFRICA』と書かれた腕章を付けていた。


「あー、あんたが式森?」


「そうだけど?」


 ぞんざいな言葉を口にするメイドさんは僕の前に立つとしげしげと全身を眺めた。


「ふーん、あんたが……。ガスマスクなんかつけて、変人か?」


「余計なお世話だよ。それより、なにか用があるんじゃないの?」


「あー、そうそう。うちのご主人様が客人が不安にしているだろうから安心させてこいってよ」


「それって、さっきの騒動のこと? 銃撃の果てには戦車も出動させていたようだけど、どっかと戦ってるの?」


 メイドさんは感心したような顔で口笛を吹いた。


「へぇ、意外と鋭いねあんた。そうそ、戦いも戦い、激戦さ。結構浸透されちゃったけど撃退したから、もう今日は襲ってこないだろ」


「一体どこと戦ってるんだ?」


「それについてはうちのご主人様が説明してくれるよ。あ、タバコ吸っていい?」


 メイドさんは断りもせずに入室すると革張りの椅子に腰掛けポケットからタバコを取り出した。ジッポで火をつけ菓子入れのガラス皿を見つけると菓子を取り出し、ガラス皿に灰を落とした。


 頬杖をついて退屈そうにあくびをしながらタバコを吸うメイドさんに目を丸くする。


「ええっとー、君ってメイドさんだよね? 何やってんの?」


「んあ? あー、悪い悪い。ちょっと休憩させてくれない? 最近仕事が忙しくてさー、炊事洗濯掃除だけならまだしも戦闘訓練が二時間も延びてやんの。何を紺詰めてんのかね。リビア以来だよこんななの」


「リビア?」


「そー。実践に勝る経験はないとか言って私の隊だけ『地雷を撤去しつつ誘拐された高校生を無傷で速やかに救出』とか。深夜に十個の対人地雷を処理してリーラ率いる第二班と戦うとか、これイジメじゃね? って思うような訓練延々とさせられるんだよ。しかも妙に設定が細かすぎるし。ストレスで生理上がったらどうすんだって話だよ。なあ?」


「はあ……」


「なに張り切ってんだか、リーラのやつ。妙に生き生きしてやがる。こっちとらクソ暑いリビアやチュニジアが終わったと思ったらすぐにフィンランドに行かされて、今度は南の島。暑いか寒いかどっちかにしろってんだ」


 ため息をつくメイドさん。なんというか、お疲れ様だね……。メイドってこんなにハードだったんだなぁ。


 舐めてたわー、と黄昏れる俺はふとこのメイドさんの名前を知らないことに気が付いた。


「ところで、君なんていうの?」


「あ? ああそうか、まだ名前言ってなかったっけ。あたしはセレンってんだ」


「セレンさんね。で、そのセレンさんはサボってていいの?」


「セレンでいいって。そりゃ駄目だけど、あたしはリーラと違って家事を何時間も出来るように作られちゃいねぇんだわ」


 ひらひらと手を振るセレンさん――セレン。


「でもそれってメイドさんの仕事だよね」


「人によるの。家事が得意な奴がいれば、戦闘が得意なメイドもいる。あたしは前から流しでメイドやっててさ、いろんなところに派遣されんのよ。MMMってのは宿敵が多いからな。その分ドンパチも多くなって、戦闘や訓練に費やす時間も多くなる。ということは家事をやる時間もなくなるってわけ。お分かり?」


「でも、他の人もやってるんだよね?」


「うっ、そりゃそうだけどさぁ……。っていうか、あんたって見た目相応に可愛くない奴だねぇ」


「大きなお世話だ。そもそも、メイドさんって戦闘もやるの?」


 なんか段々メイドさんに対するイメージが崩れてきたんだけど。この人然り、ここのメイドさんたちは戦い慣れしているようだし。


「当然だろ。今時のメイドは掃除洗濯炊事、育児に看護介護、個人戦闘もこなせねぇと一人前とは言えないんだわ。誰でも武器くらいは使えるぜ。ま、あたしは傭兵みたいなもんだから例外だがな」


 な、なんかすごいなメイドさん……。日本では司法書士の国家試験合格率は約三パーセントだって聞いたことがあるけど、メイドさんってそれよりも困難な職種じゃなかろうか?


「特にリーラのようなメイド長になったら将校過程だぜ。あいつはここのメイドのボスだから、主人の身の回りの世話は勿論、金融派生商品の扱いから戦闘機の扱い、はたまたカウンセリングの心得まであるときたもんだ。サイボーグのような女だよ」


 肩を竦めるセレン。


「実際、ここの主人がこの土地を維持出来ているのも、すべてリーラの手腕によるものだ。こことヨーロッパの土地、スイスとオーストリアの銀行にある資産。ベルギーとルクセンブルグにある会社。それらすべてをあいつ一人で管理運営してんだ。しかも財は減るどころか右肩上がり。メイド趣味の親父じゃなくても誰もが一財産投げ打ってでも雇いたい女だね」


「はー……それはまた、すごいね」


 あの歳でそれほどの能力があり功績を残すとは、それでいてあの容姿。天は二物を与えないというけど、リーラに限っては二物どころか三物四物も与えているんじゃなかろうか?


「だがまあ、そんなリーラでも完璧じゃないんだ。思い込みの激しさが玉に傷だな」


「思い込みの激しさ?」


「時々、冷静ではいられなくなる。あいつと森で会ったんだろ?」


「うん。ワルサ―持ってたね」


「ああ、あいつアレしか使わないんだ。で、何で森にいたかというとな、あんたが墜落したと聞いた時、あいつ自分で捜索隊を指揮するって言ったんだ。将校斥候なんて普通は考えられないよ。なんであそこまで熱心に張り切ってるのか不思議だったんだが――」


 火の消えたタバコで俺を指差しニヤリと笑う。


「案外、あんたのことを気に入ってるのかもな」


「ほぇ?」


 その言葉にマスクの中で目を瞬かせる。どういう意味だろう?


 ――カンカンカン。


 扉をノックする音が聞こえてきた。心なしか荒っぽい叩き方だ。


「申し訳ありません。こちらにセレンはおりませんか」


 扉越しにリーラの声が。セレンとは違いすぐに開けたりしない。


「あいあい、いるよー」


 呑気に答えるセレン。扉を開けてあげるとリーラは失礼いたします、と頭を下げて入室した。室内を見渡しセレンに目を向けると僅かに眉を吊り上げる。


「……なにをしている、セレン」


「いやー、なにって……サボり? あははー」


 目を細めて静かな声で問い掛けるリーラに笑って誤魔化すセレン。悪びれるどころか堂々としたその姿にむしろ感心を覚えた。


 セレンの答えにピクッとリーラの目の端が引き攣る。


「厨房に行く日ではなかったか?」


「いやー、あたしみたいなガサツな女が食器洗いとか無理があると思うんだよね。エーファ辺りだと皿を割ってもまだ可愛げがあるけれど、あたしがやっても洒落にならないだけでしょ? だけど仕事しないわけにもいかないから、こうして忙しい振りしてサボってたってわけ」


 リーラの振るえが段々と大きくなる。氷を想わせる冷徹な声で問い掛けた。


「……それだけか?」


「まあね」


「よし。なら部屋に戻っていろ」


「あいさー」


 腰を上げようとしたところにリーラのストップがかかる。


「これも持っていけ。式森様はタバコをお吸いにならない」


「あいよ」


 灰皿として使っていたガラスの皿を持って部屋を出ようとする。扉に手を掛けたところで振り向いた。


「ところで、あんたっていつもソレつけてるのか?」


「えっ? ああ……うん、そうだね。家にいる時以外はつけてるかな」


「なんでつけてんの? 顔に火傷があるとか?」


 怪訝な目で――というより、好奇心に満ちた目でマスクを凝視するセレン。リーラも気になるのか止めに入らなかった。


「いや、別に火傷とかはないけど」


「じゃあ切り傷とかか?」


「いや、なんもないよ。ただ人前じゃ外したくないだけさ。俺ってこう見えて極度の人見知りでね。コレが無いと日常生活も儘ならないのよ」


 小学生の頃に一度だけ教室で外したことがあったが、あれは酷かった。眩暈、頭痛、吐き気、過呼吸、胸痛などが一気に襲ってきて僅十秒も経たないうちに意識が消失したからな。起きた時は病院のベッドの上で、しかも二日も経っていたという話だったし。


 リーラは一瞬だけ悲しそうに目を伏せたが、すぐにいつもの冷静な顔に戻った。


「へえ……。ま、ここで少しは改善できればいいな。最低でもここのメイドたちの前では素顔を晒せるくらいにさ」


「そうだね、うん」


 確かにこれから先、生涯に渡ってマスクを被って生活するわけにはいかない。いつかは人見知りを直さなければならないのだし、ここで少しは改善できるように努力しようかな。


「誠に申し訳ありません。すぐに新しいお菓子とお皿をお持ち致します。セレンの不祥事はわたくしの不祥事、いかような罰でも甘んじて受け入れる所存です。これから精一杯尽くさせて頂きますので、何卒お許しください」


 部屋を出て行ったセレンを見届けたリーラは深く頭を下げた。慌てて頭を上げるように促す。


「いや、ちょっと驚いただけで別に気に障ったわけではないから。だから頭を上げなよ」


「いいえ、これも最後まで式森様に仕えなかったわたくしの不徳の致すところ。これからはずっとお傍にいさせて頂きます。夕食後も常に控えていればこのような不祥事を招かなくて済んだものを、申し訳ございません」


「いやいや、だからいいって」


 リーラは意外な熱意でもってズイッと身を寄せてきた。


「これからは何でも仰ってください。式森様に快適に過ごしていただくのが私たちメイドの務め、延いてはわたくしの望みです。全身全霊をかけてどのようなご要望もお応え致しますので」


「いや、あの……ちょっと?」


「ご不満がございましたら遠慮なく仰って下さい。どのようなことでも直ちに改善いたします。式森様のためにわたくしたちはございますので、遠慮は無用です」


「近い近い……」


「昼だけでなく、その……夜、なにかお休みになられないことがございましたら、いつでも――なにをお求めになっても構いません。わたくしたちは――いいえ、わたくしは喜んでお応えいたしますので」


「ちょっとちょっと、話が飛躍しているよ!」


 暴走気味のリーラさん。これがセレンの言っていた思い込みが激しいというやつか?


 ハッと正気に戻ったリーラは顔を赤らめると接近していた顔を元に戻した。上手く動揺を隠せているところは流石というべきか。


「……失礼いたしました。ですが、わたくしたちメイドは式森様に心からお仕えさせて頂きたく思います。このことだけは心に留めて下さい」


「う、うん。わかった」


 ニコッと微笑むリーラ。その優しい眼差しに魅入られる。わずかに動悸が高鳴るのを感じた。


「では、わたくしはこれで失礼いたします。明日は主人から大切なお話がございますので、朝食は必ずお取りになるようお願いします」


「ん、了解」


「それでは、おやすみなさいませ」


 最後に頭を下げたリーラは静かに退室していった。

 
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