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スペードの女王

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第一幕その五


第一幕その五

「ここで騒いだらもっと大変なことになる。いいな」
「・・・・・・ああ、わかった」
 ゲルマンはまたその言葉に頷いた。
「今は大人しくしろということだね」
「そうだ。いいな」
「ああ」
 二人はまたリーザ達を見た。そこに一人の黒いドレスを着た老婆がやって来た。
 奇麗な白髪を飾っている。年老いているのがわかる皺だらけの顔だがその顔は今でも整っている。皺さえなければとても老婆とは見えないであろう。青い目は湖の様でありそれがとても印象的であった。目そのものは鋭く、切れ長であった。美しいが何処か険のある面持ちであった。そして全体の雰囲気は黒いドレスのせいか近寄り難く、威圧的なものと禍々しいものを含んでいた。まるで魔女の様に。
「御婆様」
 リーザは彼女に顔を向けてにこやかに笑ってきた。
「どうされたのですか?」
「いや、何も」
 だが彼女は辺りに何かを感じているように剣呑な雰囲気で見回していた。
「何だろうね、暗い影が見えるよ」
「暗い影が!?」
「不幸をもたらすようなね。何なのあろう」
「あの老婆は」
 ゲルマンも彼を見て呟いた。
「あの青い目の中に僕を見ているのか?そして何を望むというんだ」
「あの若者は」
 伯爵夫人は物陰にいるゲルマンに気付いた。
「私を見ている?いやリーザを」
「気付いたのか?」
 ゲルマンも伯爵夫人の視線を感じた。
「まさか」
「不吉な目の光。暗い情熱を宿した瞳」
「駄目だ、彼女の青い目に睨まれたら」
 二人はそれぞれ呟く。
「何か恐ろしいことを引き起こす」
「僕を破滅へと誘うような。どうしてなのだ」
「ゲルマン」
 トムスキーがここでまた彼に声をかけてきた。
「何だい?」
「とりあえず彼女のことはわかった」
「ああ」
「まずは挨拶をしよう」
「挨拶だって!?」
「何を驚いているんだ?」
 トムスキーは逆にゲルマンに問うた。
「彼女に近付ける機会じゃないか」
「しかし彼女は」
「いいか、ゲルマン」
 トムスキーはいぶかるゲルマンに対して言った。
「今は彼女と会うのが一番いいんだ」
「婚約者がいてもか」
「そうさ。それにもう君は彼女に婚約者がいても問題じゃないだろう」
 そこまで思い詰めていることを既に読んでいたのだ。
「違うかい?」
「それは・・・・・・」
 その通りである。否定出来なかった。
「・・・・・・その通りさ」
 俯いて答えた。
「僕は彼女を」
「ならいい。じゃあ行こう」
「まずは彼女を知ってからか」
「そうさ、彼女に顔を知ってもらう」
 彼はまた言った。
「まずはそれからだ。いいね」
「わかったよ。じゃあ」
「行こう」
 二人は前に出た。そして心地よく公爵達に挨拶をした。
「やあ公爵」
「おや、君は」
 公爵はトムスキーの顔を知っていた。
「トムスキー君かい?近衛軍の」
「はい、お久し振りです」
「そうだね。何時ぞやの夜会以来か」
「あの時はどうも」
 二人は知り合いであった。もっとも一度会ったという程度であるが。
「暫く会わなかったけれど元気みたいだね」
「ええ、お陰様で」
 トムスキーはにこやかに答えた。
「私も大尉になりました」
「そうか、それは何より」
「それでこちらが」
 ここでゲルマンを紹介してきた。
「私の同僚のゲルマン君です」
「はじめまして」
 ゲルマンはそれを受けて前に出た。それから一礼した。
「ゲルマンと申します」
「はい、こちらこそ」
 公爵は彼に挨拶を返した。
「ゲルマンさんですか」
「ええ、宜しくお願いします」
 二人は握手をしながら挨拶を交あわせた。
「士官の方ですね」
 伯爵夫人は既に彼を見ていた。警戒する目をしながら彼に問うた。
「はい、彼と同じく近衛軍にいます」
「左様ですか」
「それが何か」
「いえ、何も」
 答えはしたがまだ警戒する目をゲルマンに向けたままであった。
「ところで奥様」
 今度はトムスキーが伯爵夫人に声をかけてきた。
「何か」
「今日はどうしてこちらへ」
「孫についてきまして」
「そうだったのですか」
「はい」
 この挨拶自体はつつがないものであった。
 だが。伯爵夫人は相変わらずゲルマンを見ている。ゲルマンの方もそれに気付いていた。
(やっぱり僕を見ている)
 彼は心の中でその視線を感じて呟いた。
(不吉な印象の人だ。その黒いドレスといい)
(不気味な男)
 伯爵夫人の方もそれを感じていた。
(一体何を考えているのか)
(僕の心を読もうというのか)
(一体何をするのか)
(僕を告発するのか。彼女を想っていると。まさか)
「ところで」
 二人にとってはいいことに公爵がここで話を切り出してきた。
「奥様は以前スペードの女王と呼ばれていたそうですね」
「ええ」
 ゲルマンから目を離して答えた。
「もう遠い昔のことですが」
「スペードの女王!?」
 トムスキーがその名を聞いて声をあげる。
「それは一体」
「トランプのカードのあれです」
「ああ、あれですか」
 一旦は公爵の言葉に頷いた。
「それがこの方の渾名となっていたのですよ」
「それは初耳ですね」
 まだ怯えが残っているゲルマンを置いてトムスキーが応対していた。
「どうしてその様な渾名に」
「それは」
「私がお話しましょう」
 伯爵夫人が自ら名乗り出て来た。そして公爵を制した。
「貴女がですか」
「はい、あれはパリでのことでした。私はあの頃ペテルブルグのヴィーナスと呼ばれていました」
「ほう」
 それは凄いことだとトムスキーは声をあげた。やはり当時のロシア人にとってフランスは憧れの国でありパリといえば文化そのものであったのだ。
「私に声をかけてくれる殿方も大勢いらっしゃいました。その中に」
「その中に」
「あのサンジェルマン伯爵もおられたのです」
「あの方がですか」
 トムスキーも彼のことは聞いていた。
「はい」
 サンジェルマン伯爵とは歴史に名高い謎の人物である。錬金術を極めた賢者だとも詐欺師だとも言われている。知らぬことはないとまで言われていた。彼がどれだけ生きているのかは誰も知らない。全てが謎の人物でありこの時代においてもそれは同じであったのだ。
「あの方に教えて頂いたことがありまして」
「それは一体」
「どんなことですか、御婆様」
「あの時私はカードで負けてしまいまして」
「カードにですか」
 カードのことを口にしたのだった。
「それで当時親しかった伯爵に教えて頂いたのです。それも無償で」
「無償で!?」
「あの方はお金も女性も全く興味の無い方でしたので」
「どうやらそうらしいですね」
 トムスキーはその話を聞いて述べた。
「あの方は何でも金を作り出せたとか」
「そうです」
「それは本当なのかい!?」
 ゲルマンはそれを聞いて友に問うた。
 
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