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まぶらほ ~ガスマスクの男~

作者:月下美人
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プロローグ



 豪雨ともいうべき雨がしきりに窓を叩く。


 降り注ぐ雨粒が窓を濡らし、先ほどまで燦々と輝いていた太陽の光を遮断していた。そのため室内は薄暗い。


 石造りの室内には家具はあまり見られないが、そのどれもが目を見張るほどの高級家具だ。床にはペルシアの絨毯が敷かれ、天井にはシャンデリアが下がっている。壁には絵画が飾られており、この部屋の主が一角ならぬ人間だと窺えた。


 中央に設えた木製のベッドには一流の職人が彫ったのであろう彫刻が印されている。


 そのベッドの上に、一人の老人が横たわっていた。


 身じろぎもせずに天井をジッと見つめていた彼はおもむろにサイドボードに置かれた呼び鈴を手に取った。


 純銀製の鈴から涼やかな音色が響き渡ると、一人の女性が静かに室内に入ってきた。


 歳は二十代前半だろうか。モデルのように背が高く、銀の髪を後ろで一括りにしている。整った顔立ちと落ち着き払った雰囲気がどことなく雪豹を彷彿させた。紺色を基調とした服の上からでもその豊満な膨らみは、はっきりと分かる。


 一礼した女性は音もなく老人の許に歩み寄った。


「お呼びでしょうか」


 その声には感情らしい感情が込められていなかった。職務をまっとうせんとする人間特有の機械的な声。


 老人は特に気にした様子も見せず、変わらず天井を見つめたまま独り言のように呟く。


「……リーラ、今日は何日だ?」


「十七日でございます」


「そうか……」


 老人はゆっくり息を吐き、目を閉じた。


「いよいよ一月を切った、か……」


「……はい」


 老人の示唆する言葉を女性――リーラは正確に汲み取っていた。押し寄せる感傷を胸の内に留め、老人の次の言葉を待つ。


「……リーラよ、そこの封筒を開けてくれ」


 サイドボードの上に置かれた封筒を開封する。


 中には調査書が入っていた。写真も同封されており、そこには学生服を着た生徒が写っていた。


「――っ! もしや、この方が……?」


 写真に写った生徒を目にした途端に目を見張った。常に冷静沈着な彼女からして、非常に珍しい光景である。


「そうだ、東京支部からの報告でこの者が一番適任なのだ……」


「そうですか、この方が……」


 写真をジッと見つめるリーラの背後で蠢く気配があった。老人の手がベッドの中からするりと抜け、獲物を狙う蛇のように慎重に目標地点へと登っていく。


「この方が私たちの……私の……」


 どこか上の空の様子で呟くリーラ。老人の手は一旦ピタッと止まると、いよいよスカートに包まれた魅惑な尻へと――。


 ガシッ!


 到達しようとしたところで、風のような速さで後ろに回されたリーラの手が老人の手首をがっしり押さえた。


 そのままギリギリと細い指に力を込めていく。


「やっと……やっと、逢える……」


「ま、まあ、その、なんだ。きき気に入ってもらえたようで、何より――イタタタタ! り、リーラ! 少し強くないかね……っ!?」


「なにを仰いますか。女の細腕にそのようなものがあろうはずがありません」


「し、しかしだね! ほ、骨が軋んでいるのだがァ――!」


「気のせいでございましょう。悪い癖をお持ちの方は得てしてそう思い込むのです」


 涼しげに答えるリーラだがその言葉とは裏腹に、握り潰さんと言わんばかりに手に込められる力は増していく。


 老人は自由の四肢をベッドの上でばたつかせた。


「それで、お話を戻しますが、この方は?」


「う、うむ……けっ、継承の義を行うためには……こちらに来てもらわねばならん……っ、東京、支部によると、ちち近々旅に出るようで、こちらに向かうそうだ……っ、きっとお前たちにふさわしくゥゥゥ……」


「そんな、お一人で旅だなんて危険です……!」


 顔色を変えて言い寄るリーラに、脂汗を額に滲ませた老人は宥めようと言葉を続ける。


「だ、大丈夫だ……か、彼は何でも屋を営んでいて、うう裏の世界では、名の知れた人なのだよ……! リ、リーラ! いい加減、離してくれ……!」


 リーラは無表情で手首を軽く捻ってから指の力を抜く。


 ポキッと軽い音とともに、アーッ! っと悲鳴を上げた老人は解放された手首を擦る。


「おー痛たた……リーラも聞いたことがあるだろう? 無慈悲の死神の名を」


「無慈悲の死神……敵対した者は必ず半殺し。狙われたら最期、彼の者に慈悲の心なし……。まさか、この方があの――」


 リーラはもう一度写真に目を向けた。


 そこには男子指定の制服を着た学生が写っている。


 ――何故か、ガスマスクを着けて。


「しかし、なぜガスマスクをつけていらっしゃるのでしょう」


「うむ、それについては現在調査中だ。彼は常日頃からマスクを被っており、その素顔を見たものは誰もいないらしい」


「そうですか……」


 リーラはジッと写真を見つめる。


 鉄の女と呼ばれた彼女の目元は薄らと朱に染まっており、それは誰が見ても思い人を待ち焦がれる乙女のソレだった。


 リーラの反応を目にした老人は満足げに頷き胸中で呟く。


 やはり、リーラたちを託せる者はこの男しかいない、と。

 
 

 
後書き
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