剣の丘に花は咲く
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第七章 銀の降臨祭
第三話 銀の降臨祭
前書き
書き終えて思った……色々端折り過ぎたかな?
そう感じたらすみませんm(__)m
第三話 銀の降臨祭……始まります。
空に大輪の花が咲き乱れる。
身体を震わす轟音と共に、色鮮やかな花が咲いては散る。
シティオブサウスゴーダのいる者たちは、市民や軍人例外なく皆夜空を見上げ。この一時の間だけ、星や月がその場を譲る華に魅入られている。
空に花が咲くたびに、一際大きな歓声が聞こえるのは、シティオブサウスゴーダの広場に数多く張られた天幕からだ。天幕の下にいる者たちは、連合軍が宿舎として接収した建物から溢れた軍人や慰問隊の者たちであった。その他にも、この時がチャンスとばかりに、集まってきた商人たちが張った天幕もある。 連日連夜お祭り騒ぎのようなシティオブサウスゴーダであったが。一年の始まりを告げるヤラの月。その第一週の初日の本日は、更に燃え上がるような活気に包まれていた。
ハルケギニア最大のお祭りである、降臨祭が始まったのだ。降臨祭は十日間続くため、この熱気は今日から十日間も続くのだ。
酔いによるトラブルを防ぐため、士官たちは、上層部からシティオブサウスゴーダでの飲食を禁じられていた。そのため、士官たちが唯一飲み食いが出来るのは、トリステインから来た慰問隊が開くお店しかなく。広場に張られたそれぞれのお店は、何処もかしこも満員であった。その中の一つ、『魅惑の妖精』亭の天幕の下では、士郎たちの護衛である第二竜騎士中隊やギーシュが酒を飲んでは騒いでいる。
誰も彼もが笑い、歌い、楽しんでいる中、まるで周囲から隔絶されたかのような静かな一角があった。
三人用の丸いテーブルを囲むのは、三人の少女。
三人は時折手に持ったコップに口をつけては、中に入ったワインを少しずつ飲んでいく。飲む速度は遅いが、量はそれなりに飲んでいるのか、三人とも頬を赤く染め、目はとろんと何処か焦点が合っていない。会話は少なく、時折一言二言誰かが喋り、それにいくつか返しがあると、暫らく沈黙が続く。傍から見れば仲が悪いのかと思うが、そうではないだろう。三人の瞳は酒精で揺らめいでいるが、それでも互いに嫌悪の感情は欠片も見えず、時折思い出したかのように始まる会話も、最後には必ず笑みで終わっていた。
「綺麗ね」
星や月を抑え、大輪の花が空に花開き。ドーンっと、遅れて響く音に身体を震わせながら、ルイズがポツリと呟いた言葉に、同じく空を見上げていた二人が頷く。
「はい」
「そうね」
コップに少しだけ残っていたワインをグイっと一気に飲み干したジェシカは、音を立てコップをテーブルに置くと、騒がしい店内をぐるりと見渡す。
「そろそろ、店の手伝いに戻ろうかしら」
「そうですね。もう少しで交代ですし、お酒も抜かないと」
シエスタがテーブルの真ん中に置いてある水が入った瓶を手に取ると、自分とジェシカのワインが入っていたコップにその水を注ぐ。ちびりちびりとワインを飲んでいた時と違い、一気に水を飲み込むと、再度空になったコップに水を入れる。
「ミス・ヴァリエールはどうしますか?」
「わたし? そうね……何処かに逃げてった使い魔でも探しに行こうかしら?」
「あら、それはいいわね。捕まえたらこっちに連れてきてくれない? 結構多めに人を連れてきたんだけど、そろそろ人手が足りなくなりそうだし」
「手伝わせるつもり?」
「もちろんよ。これから休憩なんか取ってられる暇もなくなりそうだし……それに、責任も取ってもらわないとね」
呆れたようなルイズの言葉に、さも当然だとばかりにジェシカは頷き、含みを持たせた言葉を呟く。
「責任って……そんな……」
ジェシカの言葉の意味を思い、シエスタが酒ではない理由で頬を赤く染める。
「むぅ……じゃあ、わたしの方はどうなるのよ」
同じ理由でルイズも頬を赤く染めながら、むくれた顔をジェシカに向ける。非難がましい視線を向けられたジェシカは、肩を竦めて見せると、忙しく走り回っている給仕の姿を顔で示す。
「そちらの戦争は十日後だけど、こっちの戦争は後十分後なの。ルイズが戦争に行く頃には、流石に身体の調子は戻ってるでしょうけど、こっちはまだまだ本調子じゃないのよ。ねぇシエスタ」
「え? あ、う、うん。確かに……まだちょっとだるいけど……でも、その分色々スッキリして……」
「シ~エ~ス~タ~」
「ッ!? うんうん確かに本調子じゃないですね! ええ! 本当ですとも!」
赤くなった頬を両手で挟み、いやんいやんと身体を振るうシエスタに、ジェシカがジト目で睨み付ける。すると、シエスタは慌ててジェシカたちから顔を背けると、うんうんと力強く頷いてみせた。そんな様子をルイズは、苦笑いしながら見ていたが、天幕に何かが当たる音に気付くと、天幕の隙間から外を覗き込んだ。
「あ……雪だ」
「へえ、どれどれ……あ、ほんとに雪ね……」
「え、本当ですか? あ……凄い……綺麗……」
ルイズがポツリと呟いた言葉に、シエスタとジェシカが同じように天幕の隙間から外を見る。雪が降っていることに気付きだした周りが、雪だ雪だと騒ぎ始めだす。暫らく黙ったまま雪が降っているのを眺めていたシエスタが、誰に言うでもなく口を開く。
「こんなに綺麗なところで、どうして戦争をするんでしょうか」
口にした言葉は小さかったが、未だ騒がしい天幕の下、それは奇妙なほど綺麗にルイズの耳に入り込んだ。ルイズは、コップの中に残っているワインを眺めながら、シエスタの言葉について考え込む。
戦争をする理由……か……。
起きた理由。
起こした理由。
起きてしまった理由……。
理由は色々あるけど……きっとその最大の理由は、姫さまの復讐が理由じゃないかしら……。
もちろん、何時攻め込んでくるか分からない国に対する積極的な防衛や、侵略による得られる利益とか、色々あると思う。でもそれは、姫さまが反対すれば、戦争は起こらなかったとは言わないけど、こんなに簡単に始まらなかったと思う。
きっと姫さまは今、どうすればいいか分からないんだ。
愛する人が殺され、その悲しみを癒す暇もなく、誘拐や、仇の国からの侵略。そして、それに対抗するために、覚悟や気持ちが固まる前での戴冠……。
自分で選んだようでいて、だけど、結局それは、ただ流されただけ。
何の目的も、展望もなく座った玉座の上で、きっと姫さまが今見えているのは、愛する人の仇を討つことだけ……復讐……だけなんだ。
復讐なんて絶対にダメ……そう言えたらよかった。
昔なら……言えたかもしれない……。
だけど、今のわたしには無理。
だって、わたしも、もしシロウが誰かに殺されたなら……この世界全部を敵に回したとしても、絶対に仇を討つから……そう確信してるから……わたしは何も言えない。
でも、だからって何もしなくて言いわけじゃなかった。
声をかけることも支えることもしなかったわたしにも、こんな戦争が起きた理由の一端をになっている。
もう、戦争を止めることは出来ない。
だから、せめて姫さまが復讐を遂げて、我に返った時、自分が起こしてしまった結果に潰れないようにしなくちゃいけない。
でも、何よりも注意しなくちゃならないのはシロウのことだ。
きっとシロウはわたしの何倍も……何十倍もこの戦争が起きたことで自分を責めてる。
例えシロウがこの戦争が起きることを予感していたとしても。ただの使い魔であるシロウは、一国の女王に何かするどころか会うことすら出来なかった筈なのに。それでもシロウは自分を責める。
きっとシロウはわたしと同じことを考えてるんだろうけど……だからこそ怖い。
それは……知っているから……。
エミヤシロウという男のことを……。
涙が出るほど……馬鹿な男のことを……。
自分のことを顧みらない……。
馬鹿な……『正義の味方』のことを……。
「ミス・ヴァリエール?」
「ルイズ?」
「え? な、何?」
突然声を掛けられたルイズは、コップの底に落としていた視線を上げると、こちらを心配そうに見つめてくるシエスタたちの姿があった。シエスタたちは、互いに顔を見合わせたあと、心配気に眉をひそめながらルイズに顔を近づける。
「どうしたんですか? 随分苦しそうな顔をしていましたけど。酔い醒ましに何か持ってきましょうか?」
「いえ、大丈夫よ。ただ少し……肌寒くて……ね……」
心配気に見つめてくるシエスタたちに顔を振ると、ルイズは口の端を曲げるだけの小さな笑みを浮かべた。
「そう? ま、気をつけなさいよ。これから寒くなるんだから、風邪なんか引かないようにね」
ジェシカはルイズに軽く手を振るうと、背中を向けて歩いていく。離れていくジェシカの背中を眺めていたシエスタは軽く頭を下げると、同じように離れようとしたが、足を止め、ルイズに振り返った。
「……ミス・ヴァリエール……これを……」
「? 何これ?」
背を向けたかと思えば、急に振り返り、懐から小さな小瓶を取り出し差し出してきたシエスタに、ルイズは小瓶を受け取りながら首を傾げる。
「……貯めたお金で買った、魔法の『眠り薬』です」
「『眠り薬』? そんなものどうしてあなたが持ってるのよ?」
天幕に吊らされた魔法のランプに、手に持った小瓶をかざしながら、ルイズはシエスタに疑問の眼差しを向ける。
「……ミス・ヴァリエールも気付いているんじゃないですか……」
「何が? って言いたいけど……まあ、ね……」
顔を俯かせる二人の脳裏には、同じ一人の男の姿が浮かんでいた。
ルイズがコトリとテーブルの上に小瓶を置くと、顔を上げたシエスタが、魔法のランプに照らされる小瓶を見つめる。
「……シロウさんが無茶をしそうになったら、これを使ってでも止めてください」
「……無駄になったら……いいんだけど……」
湧き上がる嫌な予感を振り払うように口にした言葉に、シエスタは頷かなかった。そして、きっと自分が感じている嫌な予感を、シエスタも感じているからだろう。
雪が積もり始め、白く色付いていく風景を眺めながら、ルイズはテーブルに置いた小瓶を指で弾く。
空に咲く花に照らされ、雪が積もり始めた建物が、銀色に輝いている。
「……銀の降臨祭……か……」
「……何か俺に用か」
「本当によく分かりますね」
シティオブサウスゴーダを一望出来る、一際高い建物の上に立っていた赤い人影が、顔を動かさず口を開くと、大輪の花が咲いては散る夜空の上から声が降ってきた。
士郎の声に応えたジュリオが、竜の背に乗った姿で空から降りてくる。竜から降りたジュリオは、士郎の横に並ぶと、寒そうに身体に両手を回した。
「ううっ寒い……寒くないんですかシロウさん?」
「……寒いのなら降りればいい」
「降りますよ……聞きたいことを聞いたら、ですが」
士郎の横に立つジュリオが顔を上げる。
「あなたは一体何者なんですか?」
「ルイズの使い魔だ」
顔を横にも上にも向けず、士郎はただ眼下に広がる笑い声が響く天幕を見下ろし続ける。
顔も向けてこない士郎に、ジュリオは眉根を寄せるが、結局何も文句は言わなかった。
「ええ、知っています。ですが、ただの使い魔じゃない」
「ただの使い魔じゃなければ、何だと言うんだ」
顔は動かさず、士郎は視線だけを横にいるジュリオに向けた。
「……それが分からないから聞いているんです」
士郎から向けられる視線に、ジュリオは悔しげに口を噛み締める。
「そんなことを言われてもな。まあ、確かに人間の使い魔は珍しいそうだが」
「……ええ、確かに珍しいですね。ですが、ぼくがあなたのことをただの使い魔じゃないと言った理由はそれじゃないんですよ」
「なら何だと言うんだ?」
ジュリオを見つめる視線の中に、一瞬鋭い光が宿る。
そのことに気付いたのか分からないが、ジュリオは士郎の視線に負けないように目に力を込めた。
「……百を超える亜人を斬り殺すような男が、ただの使い魔な筈あるわけないじゃないですか」
「…………」
ジュリオの言葉に、士郎は無言で答える。
何も口を開かない士郎に向ける視線を更に強め、ジュリオは言葉を続けた。
「亜人一体で、手練の戦士五人に匹敵すると言います。つまりあなたは、少なくとも五百人の手練の戦士を倒したということになりますね」
「良く知っているな」
「亜人についてですか? それはですね、ロマリアには研究熱心な神官が色々いまして、その中の一人から聞いたん――」
肩を竦め、得意気に士郎の言葉に答えようとしたジュリオだったが、斬りつけるような鋭い声が、それを遮った。
「違う。俺が言っているのは、俺が亜人を斬ったということだ。あれは、第二竜騎士隊とルイズがやったことになっている……知っているのは、ルイズぐらいだ。お前は俺が亜人を斬ったことを、どうやって知った」
この時初めて士郎の顔が、ジュリオに向けられた。
先程までとは比較にならない、鋭い視線と気迫に圧されるように、一歩後ろに後ずさる。
「それは……」
「俺の方こそ聞きたい……お前は何者だ」
後ずさるジュリオを、追うようなことは士郎はしなかった。ただ、その鷹の様な眼光でジュリオを睨みつけるだけ。何度か口を開こうとしたジュリオだったが、士郎の眼光に抑え込まれるように声は出てこなかった。
「…………」
押し黙るジュリオから顔を逸らした士郎は、身体に触れた冷たい感触に顔を上げた。
「……雪か……道理で冷えると思った」
月光と星光、そして時折咲く火の華に照らされ白銀に輝くそれを見上げながら、士郎は小さく呟いた。
「さながら……銀の降臨祭と言ったところか」
ガリア王国の首都リュティスにある、巨大な宮殿であるヴェルサルテイル。様々な意匠の建物が立ち並ぶそこにある、一際大きな建物であるグラン・トロワと呼ばれる青いその宮殿の奥の部屋が、この国の頂点に立つ男が暮らす場所であった。
その男、ガリア王ジョゼフは、ガリア王家の一族特有の青みがかった髪と髭を持つ、人目を引く美貌を持つ者である。今年で四十五になるにも関わらず、その肉体には些かも衰えは見えない。それどころか、高い身長と、若々しい美貌、そして均整の取れた鍛えられた身体は、どう見ても三十程度にしか見えない程だ。
そのジョゼフは今、部屋を占領するかのように設置された。差し渡し十メイルにもなる巨大な箱庭の前で、青みがかった美髯を撫でている。視線は箱庭の中。箱庭の中は、ハルケギニアの地図を模した巨大模型となっていた。
部屋の中には、ジョゼフの他に、身の回りの世話をする小姓の姿以外はない。ほんの少し前には、もう一人女性の姿がそこにはあったが、先程悲鳴を上げながらこの部屋から逃げていったのだ。愛人から向けられた怯えるような視線や悲鳴に、ジョゼフは何の反応も見せなかった。ただ、五月蝿そうに眉根を寄せたのが、反応らしい反応だった。
既に命令は発した。
予想どうりにいけば、あと数日で連合軍とアルビオンの両方を片付けられる。
ならばこの箱庭には、もう用はない筈なのだが、ジョゼフは何故かその場から動かない。
理由は……ある。
「……ガンダールヴ」
トリステインにいる虚無の使い手の使い魔であるガンダールヴ。
自分と同じく、魔法が使えず落ちこぼれと呼ばれていた使い手が、使い魔召喚で呼び出した男。報告では、現れた時既に瀕死の状態であったという。常に赤い甲冑と外套に身をつつみ、剣を持って戦うと……。
分かっていることはそれだけ。
あの男について調べさせたが、欠片も情報は集まらない。
最初は自分の使い魔と同じく、ロバ・アル・カリイエから来たのではと思ったが、シェフィールドにはまるで覚えがないという。ただ、シェフィールドが知らないだけかもしれないが……。
……そうではないと、何故か確信がある。
伝説に唄われるガンダールヴは、千の軍勢を壊滅させたと唄われるが……伝説とは尾ひれが付くものだ。実際どうかは疑わしかったが……。
「……あながち嘘ではなかったのか?」
報告では、幻影と共に現れた赤い騎士が、亜人を倒して回っていたと言っていたが。それが真実ならば、その力はまさに伝説に唄われるものそのものだ。
だが、例えガンダールヴが真実一騎当千だとしても、奴にこの戦争の結果を変えられる筈が、
「……しかし……」
ないはずなのに……何かが引っかかる。
いや……違う……予感がするのだ。
「……貴様は一体……何者なのだ……」
一際強い風が吹き込み、窓の外から大量の白い粒が入り込む。
箱庭の上に落ちたその白い粒が、丸い城壁の都市を模した模型に覆い隠し……白銀に染め上げた。
シティオブサウスゴーダから三十リーグほど離れた雪深い山の中。茂みの奥深くにある。雪が積もり白く染まった岩場の上に、ローブを深く被った人影が一つあった。岩場の隙間からは、こんこんと清水が湧き出している。
岩場の上から、湧水を見下ろしていたシェフィールドは、ポケットから一つの指輪を取り出す。
「アンドバリの指輪……先住魔法の力が凝縮した指輪……」
指輪を雪雲の隙間から除く月明かりに掲げる。
指輪が月光に照らされ、淡く蒼色に煌めく。
「その真の力……」
フードの奥に見える、シェフィールドの額が光りだす。
光っているのは、シェフィールドの額に見える古代のルーン文字。
「……あなたに……止められますか…………」
指輪を握った手を湧き出る泉に向かって突き出す。
手の隙間から、ぽたりぽたりと何かの雫が落ちていく。
岩場の隙間から湧き出る水……シティオブサウスゴーダに流れ込む水源に、指輪の雫が落ちていくのを見つめながら、シェフィールドはポツリと呟いた。
「…………ガンダールヴ」
連日連夜続いたお祭り騒ぎも、遂に最終日を迎えた。
シティオブサウスゴーダの町並みは、降臨祭始めから降り続けた雪により、白く染め上げられている。
一面の白銀の世界。
それが……。
「やめろッ! やめてく――っぎゃぁ」
「何で!? 何でお前が杖を向けるんだっ!? 俺が何か――っごぁ」
血の赤と、踏み潰されることにより、黒く染め上げられていた。
悲鳴と爆発音が響く中、シティオブサウスゴーダに駐屯していた連合軍が、同じ連合軍に武器を向け、槍を突き、剣で斬り、矢を放っている。顔に感情が浮かんでいない連合軍が武器を振るい、対する連合軍は、驚愕の声を、悲鳴を上げるだけで、武器を振るうことも出来ずただ混乱していた。
何の前触れもなく始まった『反乱』は、対応に窮する兵たちを尻目に、連合軍の最高指揮官であるド・ポワチエを楽々と殺害する。反乱を鎮めようにも、つい先日まで笑い合っていた友軍に攻撃を加えることは出来ずにいた。その結果、連合軍は『反乱軍』から逃げることしか出来ない。死亡したド・ポワチエ将軍の代わりに最高指揮官についたウィンプヘンは、何とかこの『反乱軍』を沈めようとしたが、偵察に出ていた竜騎士が報告した情報によって、それを諦めることになる。竜騎士が持ち帰った情報とは、ロンディウムのアルビオン軍が動き出したこと。これにより、連合軍の混乱は頂点に達し、用意に限界を超えた。
結果、ウィンプヘンが決断したのは、
「……シティオブサウスゴーダは放棄する……ここはもう駄目だ、ロサイスまで退却するぞ」
全軍の退却だった。
『反乱軍』とアルビオン軍に追われ、敗走する連合軍は、ロサイスへと続く街道を疲れきった顔で歩いていく。不安を紛らわせるように、敗走する連合軍の兵士は、様々な憶測を口にしながら歩いている。早く安全な場所へ、生き残りたいと急く兵士たちだが、その歩みは遅い。
街道の上を、長く細く伸びる連合軍の中に、ルイズと士郎の姿があった。
士郎は、隣りを歩くルイズに気遣わしげな目を向けると、懐から紙袋を取り出す。
「ルイズ食べるか?」
「え?」
ルイズは足を止めず、士郎に顔を向ける。
士郎は紙袋の中から取り出した丸い飴玉を、ポカンと口を開けているルイズの口の中に放り込む。
「んむっ? あ、甘い……」
「朝から何も食べていないだろ。甘いものは心を落ち着かせるからな」
「シロウ……ありがと」
口をもごもごとしながら、こくんと頷いたルイズにふっと笑みを向けた士郎は後ろを振り向く。そこには、スカロンやジェシカ等、『魅惑の妖精』亭の女の子たちの姿があった。皆、疲れた顔をしている。
「スカロン店長」
士郎はスカロンの名を呼び、手に持った飴入りの紙袋を投げる。スカロンは飛んできた紙袋を受け取ると、戸惑いの顔を向けてくる。
「俺特製の飴だ。味も栄養も保証する。皆に配ってくれ」
「……ありがとね」
スカロンが何時もと違う弱々しい笑みを向けると、士郎から渡された雨を、店の女の子たちに配っていく。女の子たちも朝から何も食べていないのか、渡された飴をすぐに食べ始めた。口の中で飴を転がし、顔に浮かぶ辛そうな表情を、ほんの少し綻ばせるのを見た士郎も、同じように顔を綻ばせる。
士郎が『反乱』に気づいたのは、連合軍の中で一番早かった。士郎はシティオブサウスゴーダにいる間は、ほんの僅かな仮眠以外の時間を、街を一望出来る場所で警戒を行っていたのだ。そのため、不審な動きをする兵士の姿に一早く気付くことが出来たのだった。宿屋を爆破しようとする者たちを、何組か止めることは出来たが、士郎一人で全てを止めることなど出来るはずはなく。退却命令が出てからは、ルイズを伴って慰問隊の元に駆けつけ、何が起こっているか分からず混乱する皆を連れ逃げ出した。
ルイズが隣で、コロコロと飴玉を口の中で転がす音を聞きながら、士郎は『反乱軍』を止めた時のことを思い出す。
まるで魂が抜かれたかのような呆けた顔で動く『反乱軍』を一目見て、士郎は彼らが正気ではないことがわかった。
魔法か何かで操られている可能性が高いが、確証はない。
試すような時間がなかったため、自分の持つ手札でこれを解決出来るかどうかも分からない。
様々な考えが頭に浮かぶが、一番頭を占めるのはこれからのこと。迫るアルビオン軍と反乱軍を合わせ七万の敵から、どう逃げるのかということだ。
撤退には、ロサイスの軍港から船に乗り込まなければならない。だが、軍港は桟橋がすくない。離反者が出たとは言え、連合軍は三~四万はいる。その全てが搭乗するには、それなりの時間が掛かるだろう。それまで、アルビオン軍がロサイスにたどり着くか……。
もし、それが無理なのだとしたら、誰かが時間稼ぎをしなければならない。
しかし、時間稼ぎをするにしても、連合軍の兵士は、逃げ足を早くするため、重装備の尽くを捨ててしまっており、戦力にならない。空からの砲撃も、散開しながら迫るアルビオン軍を止めるには役不足だろう。
……なら、方法は一つしかない。
士郎は自分の隣りを歩く、飴の甘みで幸せそうに顔を綻ばせるルイズを見ていた顔を、横にずらす士郎。視線の先は、自身の左手の甲。そこに刻まれる契約の印。
「……やるか」
「……見え見えなのよ」
士郎が視線を外し、決意を込めた顔で頷くのを見て、ルイズは誰に言うでもなく小さく呟くと、服の上から自分の薄い胸を叩く、そこには、硬く丸い容器がある。それは、最初の降臨祭と共に、シエスタから渡された魔法の薬が入った瓶。
「……やっぱり……使うしかないかな……」
服の上からギュッとそれを握り締めると、ルイズは士郎と同じく決意を秘めた目で小さく頷いたのだった。
シティオブサウスゴーダから誰よりも早く逃げ出した連合軍の首脳陣は、やはり誰よりも早く港であるロサイスに到着した。ウィンプフェンを始めとする連合軍首脳陣は、ロサイス到着するやいなや、本国に退却の打診を行ったが。王政府からの返答は『否』であった。
それも仕方がないことであろう。つい先日まで、連戦連勝、完全勝利まであと少し。それが連合軍の半数が裏切った? 最高指揮官であるド・ポワチエが戦死した? そんな報告がそう簡単に信じられる理由がない。偽報と疑われるの仕方ないだろう。だがしかし、敗軍である連合軍は続々とロサイスに集結し、アルビオン軍は迫ってきている。ウィンプヘンには、悠長に本国政府を説得している暇などなかった。
『今すぐ退却しなければ全滅する』、『我が軍には、敵に対抗する術がない』等、ウィンプヘンは半ば本国を脅迫でもするかのように退却要請を繰り返す。ウィンプヘンのその奮闘が実ったのは、退却要請を始めてから半日後だった。しかし、それは成功とは言えない。その半日の時間が、連合軍の命運を決定したからだ。
……時間切れという結果に。
退却の許可を得た後、連合軍は早速退却のための乗船を開始した。しかし、ウィンプヘンたち首脳陣の顔に安堵の表情は浮かんではいなかった。未だアルビオンから脱出出来ないため……ではなく。退却開始と共に、偵察から戻った竜騎士からもたらされた情報が原因であった。持たらされた情報は、ロンディウムから迫るアルビオン軍の進行速度が、予想より早いというもの。このままでは、明日の昼にアルビオン軍がロサイスに到着してしまう。
生き残った首脳陣による退却作戦が行われたが、迫る時間にただ焦りが募るだけで有用な意見は出なかった。許可が出る前に、撤退準備をしていれば、ギリギリ間に合ったかもしれなかったが、抗命罪を恐れるウィンプヘンには無理な話であった。
ウィンプヘンの保身のつけが、最悪な結果として現れる。
このままでは退却が間に合わず、最悪全滅があるかもしれない。
それを防ぐには、敵軍の足を一日止める必要がある。
しかし、そんな方法などなかった。
空からの砲撃は、散開して進軍するアルビオン軍には効果が薄く。何より肝心の戦列艦隊も撤退に投入されている。
ならば歩兵はと考えるが、装備を捨て逃げ出した兵など投入しても時間稼ぎにもならない。
どれだけ考えても有効な手段が浮かばない。
顔を赤く染め上げ、唸り声を上げ……考えに考えた結果……。
「……ああ、『あれ』があったな……」
何処かスッキリした顔でウィンプヘンは呟くと、歪んだ笑みを浮かべ。
「切り札を使おう……っ! 我が軍は切り札を持って時間を稼ぐッ!! 伝令ッ!」
伝令がルイズを呼びに来た時、士郎たちは撤退のための乗船を天幕の中で待っていた。
日と夜の狭間。
誰彼時に現れた。妙に焦った様子を見せる伝令の姿に、言い様のない悪寒を感じた士郎は、心配のしすぎだと笑うルイズの後をついて司令部に向かった。
気にしすぎだと笑っていたが、総司令官のド・ポワチエや公爵等、首脳陣の多くが戦死していることをその時初めて知ったルイズの笑顔は、やはり何処かぎこちない。
士郎はルイズと共に司令部に入ろうとしたが、それは見張りの兵士のよって遮られ。結局、司令部にはルイズしか入れなかった。十分も経たないうちに司令部から出て来たルイズの顔は、入っていく時と明らかに違っていた。
強張っていたが、士郎に心配をかけないように笑みを浮かべていた顔は、蒼白の上に、唇を噛み締めた悲痛な顔に変化していた。
どんな人間であっても、只事ではないことは分かる。
「待てルイズ」
士郎は黙って脇を通り抜けようとするルイズの手を掴む。
「……離して」
「何を言われた」
「…………」
士郎の問いに、ルイズは俯いたまま何も答えない。
時間が経つにつれ、士郎の中で湧き上がる嫌な予感は、加速度的に大きくなる。
ルイズの肩を掴み、強引に自分の方に向けさせると、膝を曲げ視線を合わせた。しかし、ルイズは士郎と視線を合わせない。
「……時間稼ぎか」
「ッ!?」
士郎が口にした言葉に、ルイズは勢い良く顔を上げる。
そこで初めてルイズは士郎と視線を合わせた。
ルイズの瞳は、恐怖と不安……そしてある種の決意が浮かんでいた。
士郎はそれに見覚えがあった。
「……」
死の覚悟を固めた者の顔。
ギリッと、士郎は歯を噛み締める。
顔には何の表情も浮かんでいない。
しかし、ルイズには分かる。
「……一人で、か」
士郎は、今まで見たことがないほどに怒っている……と。
何に怒っているのだろう?
直ぐにはわからなかったが、その理由に気付くと、ルイズの顔に浮かんでいた悲痛な表情が、一瞬だけ柔らいだ。
本当に馬鹿な人。
何でそこまで怒るのだろう?
馬鹿で……愚かで……そして……本当に優しい人。
人のために、そんなに怒るなんて……。
一瞬だけ浮かべた優しい顔を、直ぐに顔を元の決意を含んだ悲痛な顔に戻すと、士郎に掴まれた手を外した。
「もうっ、何で分かるかな……そうよ、正解……大当たり」
士郎から逃げるように一歩、二歩と離れたルイズは、立ち止まるとポツリと呟く。
「死守命令よ……結構細かく指示されたわね」
士郎を背中に、ルイズは肩を竦めてみせる。
「ここから五十リーグ離れた丘の上まで、敵に見つからないよう陸路で向かい。敵が現れたら魔法が尽きるまで虚無を打ち続けろ……ま、一言で言えば、死ぬまで敵を足止めしろってとこかしら」
ハハッと空々しく笑ったルイズは、そこで後ろに立つ士郎に振り返る。
「……付いて来ないでって言っても……聞かないわよね」
「当たり前だ」
悲しげな笑みを浮かべるルイズに、士郎は小さく、しかし重い声で答える。
士郎のそんな様子に目を細めると、ルイズは再度背中を向け、三歩四歩と足を動かす。
「ねぇ士郎。お願いがあるんだけど……いいかな?」
「何だ」
士郎に背中を向けたまま、ルイズは後ろで手を組んだまま身体をもじもじと揺らすと、頬を赤く染める。
「結婚式……しよ?」
「は?」
予想外のルイズの言葉に、ルイズに無茶な命令を下した首脳陣に対する怒りのあまり、無表情になっていた士郎の顔が、ポカンと口を開いた間の抜けた顔になる。
「『結婚式ゴッコ』でいいから……お願い……」
顔だけ士郎に向けたルイズは、顔を真っ赤に染めながら、縋るような眼差しを向けていた。
ルイズが士郎を連れて辿りついた場所は、人気がない小さな寺院だった。
中には誰も居なかったが、綺麗に掃除されている。
黄昏から夜となる最後の一時。か細い夕日の光が、ステンドグラスを透り抜け、寺院に設置された祭壇を荘厳に照らし出す。
祭壇に二つの影が落ちる。
小さな影と大きな影。
ルイズと士郎の姿が、そこにはあった。
士郎とルイズは向かい合っている。
ルイズは後ろに手を組み、顔を俯かせ。
士郎はぽりぽりと頬を掻きながら、落ち着かないようにキョロキョロと寺院の中を見渡している。
暫らく続いていた沈黙を最初に破ったのは、顔を俯かせていたルイズだった。
「……シロウはこの世界の結婚式の仕方は知らないよね」
「あ、ああ」
ぎこちなく頷く士郎の様子に、ふっと、ルイズの頬が綻ばせると、祭壇の上に置いていたグラスにワインを注ぎはじめる。その際、ルイズは士郎に背を向け、ワイングラスを士郎から見えないようにしていた。
「まずはね……はい」
「これは?」
ワインを注ぎ終えたルイズは、シエスタから渡された魔法の『眠り薬』入りのワインを士郎に手渡す。
士郎はワインを受け取ると、不思議そうな顔でルイズとワイングラスを交互に見比べる。
「まずはこれを飲むの」
「ワインをか?」
「そうよ」
首を傾げる士郎に、ルイズはコクンと頷いてみせる。
頷くルイズに、士郎は首を傾げながら、ワインに顔を近づけ。
「……ん? ぁぁ………そう……か……」
ピタリと身体を止めた。
ルイズは士郎の様子に気付かず、ワイングラスを向けてくる。
「それじゃあ……乾杯」
「……乾杯」
ルイズは士郎が持つワイングラスに自分のワイングラスをカツンとぶつけると、グイっと一気にそれを飲み干した。
頬を淡く桃色に染めたルイズは、空になったワイングラスを両手でギュッと握ると、顔を上げ、士郎を見つめながら誓いを告げる。
「……新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女。ルイズ・フランソワーズ・ル・ド・ラ・ヴァリエールは、始祖ブリミルの名において、エミヤシロウを敬い、愛し、そして夫とすることを誓います」
真剣な、直向きな視線を向けていたルイズだったが、士郎が未だに手に持ったワインを飲むことなくじっと見つめてくることに、戸惑い始めた。
「? ……シロウ?」
士郎の言葉を待っていたルイズだが、ついに痺れを切らし口を開いてしまう。
少しも逸らさずじっと見つめてくるルイズに、士郎は優しく笑いかけると、手に持ったワインを口にし、
「え? あ……んぅ……んぐ……ん、んむ」
ルイズに口付けた。
突然のキスに驚いたルイズだったが、抵抗することなくそれを受け止める。
士郎とルイズの口が合わさり。士郎の口からルイズの口へ何かが送られる。ルイズは反射的に送られるものを何時も通り受け止めしまい、ごくりとそれを飲み込む。
「っ……ん…………すまない……ルイズ」
ルイズが喉を鳴らし、送ったものを飲み込むのを確認した士郎はゆっくりと口を離す。
「え? あっ……まさ……か……し、シロ……ウ……」
唐突に襲いかかってきた眠気に、自身の唇を抑えながら士郎を見上げるルイズ。急速に全身を侵食する睡魔を必死に堪えながら、ルイズは済まなそうに目を伏せる士郎を縋るような視線で見上げる。
「……だ……め……」
睡魔に対抗しようと、ルイズは唇を強く噛み締めたが、一筋の血を唇から流すだけで、睡魔から逃れることは出来なかった。ルイズは悲鳴のような、懇願するような声を上げると、目を閉じ士郎に向かって倒れ込む。
士郎は倒れかかってきたルイズの身体を優しく受け止めると、
「……俺も……愛してるよ」
その耳元に小さく囁いた。
夕日のか細い明かりが差し込む寺院の中。眠り込んでしまったルイズを抱きとめた格好のまま、士郎は背後にある寺院の扉に向け声をかけた。
「出てこいジュリオ」
「……何ですかシロウさん」
士郎の声に応えたのは、美貌の竜騎士であるジュリオであった。寺院の扉の陰から出て来たジュリオは、沈みかけの日の光を背に、ゆっくりと闇に沈み始めた寺院の中に歩いてくる。
「何時もながら覗き見が好きだな」
「何時も何時もバレてしまいますがね」
士郎の言葉に肩を竦め、ジュリオは苦笑を浮かべる。
「ルイズを頼む」
「任せてください。怪我一つなく送り届けますよ」
「……すまない」
ルイズの身体をジュリオに手渡すと、士郎は寺院の扉に向かって歩き始めた。
「何処に行くんですか?」
「ちょっとそこまでな」
「そちらには、アルビオン軍しかいませんよ」
呼び止めるジュリオの声に足を止めることなく、士郎は淡々と答える。
「……いくらあなたでも確実に死にますよ」
特に声高に叫んだ訳ではない。
「死にに行くつもりですか?」
しかし、静まりかえった寺院の中、ジュリオの声は殊更大きく響き渡った。
「死にに行く……か」
寺院と外の境界線。
昼と夜の境界線。
生と死の境界線。
その境界線上で立ち止まった士郎は、
「……そう思うのは仕方ないが……」
闇に沈み始めた大地の上で、
「それは違う」
満天の星空が広がり始める空の下、
「……救いに行くのさ」
誓うように言葉を紡いだ。
「救いに行く……ですか」
最後の日の欠片に向かって歩き始めた士郎の背中を見つめながら、ジュリオはポツリと呟く。
士郎の背中が、沈みかけの夕日と共に姿が見えなくなる。
「……きっと、あなたみたいな人を……」
赤い夕日が沈み。
夜の闇が世界に満ちる。
だが、ジュリオは何か眩しいものを見るかのように、目を細めると、溜め息混じりの声を漏らす。
「…………英雄と呼ぶのですね」
後書き
感想ご指摘お待ちしております。
……やばい……第七章……短くね?
というわけで、次話は幕間にしようかと……題名は……
傷跡 弐
……期待せずお待ちくださいませ。
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