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こうもり

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6部分:第一幕その六


第一幕その六

「それでは奥様」
「はい」
「席を外して下さい。そして後はお任せを」
「わかりました。では貴方も」
「私はまだ」
「いいですから。もう貴方はここにおられない方がいいです」
 そうブリントにも述べる。
「わかりましたね」
「わかりたくはないがわかりました」
 変な言葉であった。
「それでは」
「ええ。では」
 こうして奥方もブリントも去り大広間には二人だけとなった。アデーレはもう何時の間にか要領よく部屋から消えてしまっていた。
 博士はまずは部屋を見回した。そして誰もいないのを確かめてから伯爵に言ってきた。
「ではまずはだね」
「どうするんだい?」
「正装したまえ。一緒に出掛けよう」
「正気かね、君は」
 伯爵はその言葉を聞いてまずは彼の正気を疑った。
「そんなことを言って」
「正気でなければこんなことは言わない」
 だが彼は至って平然としていた。見れば目にも狂気の兆候はない。気は確かなようである。
「わかったね」
「すぐにも行かなくちゃならないのだが」
「いいかね、友よ」
 博士はわざと気取った仕草を見せて彼に対して言う。
「明朝からでも今夜と同じではないか」
「まあそれはそうだけれど」
 いぶかりながら友人の話を聞く。だがまだ半信半疑であった。
「では立派に刑期は務められる」
「そうか」
「そうだよ。ではオルロフスキー公爵の屋敷に向かおう」
「あのロシアからの方だね」
「そう、社交界のお歴々にバレーの踊り子達も女優達も大勢やって来る」
「ほう」
 伯爵はそれを聞いて思わず声をあげた。
「それはみらびやかだね」
「そう思うだろう。では」
「うん」
 二人は頷き合った。
「一緒に行こう。楽しい夜に」
「刑期の前に」
「二日酔いは刑務所の中で覚まして」
「そうだな」
「そうするべきだよ」
 二人は明るくなって言い合う。そのやり取りがかなりリズミカルなものとなっていた。
「人生を楽しむのなら陽気な男になり」
 博士が言う。
「目も眩むような正装でポルカの調べを楽しみ」
「その中で女神達と美酒美食を堪能する」
「そう、その中で時を過ごすのだ」
 上手い具合に伯爵を乗せていく。見事な話術であった。
「そうすれば苦痛を忘れられ楽しく刑期を務められる」
「楽しい思い出を胸に」
「そう」
 ここぞとばかりに友人を乗せる。にこりと笑ってみせる。
「では奥方に別れを告げて」
「猫の様に屋敷から忍び出て」
 伯爵は完全に有頂天になっていた。頭の中にはもうパーティーのことしか頭にない。意外と乗りやすい人物であるのがはっきりとわかる。
「彼女が寝ている間に」
「こっそりと猫達の宴を楽しむ」
「そう、そこにいるのは」
「美しい毛並みの猫達だ」
 つまり美女達である。実にわかりやすい。
「それでだね」
「うん」
 伯爵は友人の言葉に頷く。
「宴は仮初めのもの。ならば化けていこう」
「では誰になろうかな」
 だんだん仮面舞踏会めいてきた。これもまた宴らしくていいものだと伯爵はそれにも乗るのであった。
「外国人になればいい。ルナール伯爵でどうかな」
「フランス人かね」
「そう、フランス皇帝の側に仕える貴族だ」
「うん、悪くないね」
 この時のフランスは第二帝政であった。ナポレオン二世が国民の人気を上手い具合に取りながら派手な政治を進めていた。彼によりパリの街は整備され放射状に整った道路も緑も置かれたのである。それまでのパリはセーヌ川には汚物が溢れ街は複雑に入り組んだ実に厄介な迷路であった。もっとも今でもどういうわけか犬の糞はあちこちにある。その前はそれに人糞も溢れていたのであるが。
「牢獄の忌々しい八日間が健康を損ねない為に浩然の気を養おう」
「そうだな。それがいい」
 これは後付の理由であった。だが納得できるものである。後付でも適当な理由があれば人は納得するものであるからだ。そこが実にわかり易い。
「では正装にだね」
「わかった。いやあ、楽しみだ」
「その楽しみこそが人生なのだ」
「そう、人生は楽しむこと」
「わかってくれたな」
「よくね」
「どうしたの?」
 あまりに急に朗らかな声が聞こえてくるので奥方は気になって大広間に戻ってきた。
「気が晴れたにしろ少し」
「ローザ」
 伯爵は奥方の愛称を言ってきた。やはり明るい声であった。
「おかげで元気になったよ」
「はあ」
 少し元気過ぎはしないかと思ったがそれは口には出さなかった。
「それは何よりですけれど。すぐに出掛けられるのですか?」
「うん」
 彼はまた機嫌よく答えてきた。
「それでね」
「ええ」
「着替えをしないとね。正装に」
「えっ!?」 
 そう言われて思わず我が耳を疑った。夫本人にも問う。
「今何と仰いました?」
「だから正装に着替えるんだよ」
 さっきよりもさらに明るいうきうきした声であった。
「わかったね。じゃあ」
 そこまで言うと一旦自分の部屋に戻った。博士が呆然とする奥方に対して言ってきた。彼は彼で何か思わせぶりに笑っていた。
 
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