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失われし記憶、追憶の日々【精霊使いの剣舞編】

作者:月下美人
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第十一話「堕ちる少女」



 あたしは学院都市の路地を一人で歩いていた。


 鉛の足枷をつけているかの如く、その足取りはひどく重い。


 だけど、行かなければならない。進まなければならない。


 身を呈してこんな馬鹿な主を守ってくれたスカーレットのためにも。誰にも負けない何者にも屈しない、圧倒的な力を――強力な精霊を手に入れなければ。


 悔しかった……。あの魔精霊を前にして何もできず、ただ震えているだけしかできない自分。そればかりか愚かしくも自分の力を過信して、飛び出したばかりにスカーレットを――大切な家族を失った。あたしの傲慢がスカーレットを殺したんだ。子供の頃からずっと一緒にいてくれた、大切な家族を。


 それにあの時、リシャルトが助けてくれなければ、あたしも命を落としていただろう。


 ――力が欲しい、誰にも負けない圧倒的な力が。もう二度と失わないため、もう二度と見失わないため。


 あの謎の精霊使い(フローレン・アズベルト)のように圧倒的な力が――。


「そんなに欲しいのかしら、力を」


「……っ!?」


 ふいに聞こえた声に鋭く振り返った。


 そこには踊り子の衣装を身につけた褐色肌の美女が立っていた。


 肩までかかる蒼髪に深い海を想わせる群青色の瞳。


 大人の女性という言葉が似合う凹凸のある身体にスラッとした脚は蠱惑的で、同性のあたしから見ても見惚れるほどの美しさがあった。


「貴女が望むのなら、私は力をあげましょう」


「あんた誰? なにを言ってるの?」


「私のことはどうでもいいわ。大切なのは貴女が力を望むか否か。力が欲しいのでしょう? すべてを圧倒する力を」


 女はクスクスと笑いながらゆっくりと近づいてきた。


 下がろうとするが足が動かない。まるで金縛りにあったかのように身体の自由が利かなかった。


「大切なモノを失ったのでしょう? 理不尽な暴力に。もう奪われたくないのでしょう? 不条理な運命から」


 不思議と女の言葉が頭にスッと入ってくる。


「ならば願いなさい、欲しなさい、望みなさい。さすれば、すべてを灰塵に還す圧倒的な力を授けましょう」


 それが唯一無二の正しいことなんだと思えた。


「貴女は望みますか? 望むのならこれを受け取りなさい」


 女が差し出した手のひらに、禍々しい黒い靄のようなものが浮かんだ。


「これは……精霊!?」


「そう。あなたの本当の力を引き出してくれるものよ」


「あたしの、本当の力……」


 ――この力があれば、強くなれるのかしら……。


 ――この力があれば、もう失わなくて済むのかしら……。


 ――この力があれば……。


「それがあれば、強くなれるのね……?」


「ええ」


「……わかった。なら――望むわ」


 黒い靄に手を翳すと、すっと手に染み込むかのように靄は消えていった。同時に左手に鋭い痛みが走り、黒く禍々しい精霊刻印が刻まれる。


「狂精霊〈ゲシュペンスト〉――気に入ってもらえたかしら?」


 踊り子が微笑んだ。それは少女のように無邪気で、悪魔のように冷徹な笑みだった。


「そこまでだ」


 どこからともなく、抑揚のない声が降ってくる。その聞き覚えのある声にハッと後ろを振り向いた。


 銀髪の少女を傍らに携えた少年が、静かな眼差しでこちらを見つめていた。





   †                    †                    †





 学院都市はアレイシア学院の敷地内に作られた小規模の町であり、建物のほとんどが石造りで出来ている。エストを横抱きにした俺は建物を高速で飛び移りながら、クレアの気配を辿っていた。


 先程、探索魔術で捜索したところ約二キロ先にクレアの気配を察知した。しかし、その傍には覚えのない気配もあった。氷のように冷たく、闇のように底がない、なんとも嫌な気配だった。


 ――胸騒ぎがするな……。


 無事でいてくれと祈るような気持ちで走ること一分、ようやくクレアの元へ辿りついた。


「――っ、あれは……!」


 クレアの傍らには褐色肌の女が立っており、暗い光を放つ球体を手にしている。まだ距離のあるここからでも、その禍々しい気配を感じられた。


「狂精霊ですね」


 エストがポツリと零す。


「やはりか……」


 狂精霊――憑依型の精霊であり憑依する対象の精霊に狂化属性を強制付与する性質を持つ。格の高い精霊ではないが、憑依された精霊の大半は理性を無くし、破壊の限りを尽くす。それも、自身が消滅するまで。


 見ると女がクレアに狂精霊を勧めているようだった。今のクレアはスカーレットを失ったショックがまだ尾を引いているはず。そんな精神状態で甘い言葉でも貰えば逡巡する間もなく頷いてしまうだろう。


 案の定、力ある曰くつきの精霊を前にして心が揺らいでいるようだった。





 ――そして、ついにクレアが狂精霊を受け入れた。





「あの、馬鹿者が……ッ」


 狂精霊がクレアの手から身体に浸透するかのように憑依していく。


「遅かったか……!」


 あと五秒、あと五秒早く到着していればなんとかなったものの、今まさに狂精霊が完全に憑依したのをこの目で見た、視てしまった。もうこうなってしまっては外部からの干渉で強制的に隔離することは困難だろう。


「リシャルト、狂精霊は――」


「ああ、知っている……識っているとも。なにせ、遭遇したことがあるからな……」


 今では苦い思い出だ。この世界で訪れた最初の転機。再び『最強』を目指した切っ掛けでもある記憶。


 小さな女の子が蹲って泣いている姿が脳裏に浮かび、首を振って頭から追いやる。


 今はそんなことを考えている場合ではない。クレアをどうにかしなければ……。


 わざと足音を立てて近づき、クレアの気を引く。


 俺の姿を認めた彼女はバツの悪そうな顔を見せた。


「リシャルト……」


「探したぞ、クレア」


 クレアの眼前まで歩み寄った俺はなるべく優しい声音を意識しながら言葉を続けた。


「リンスレットもエリスも心配している。さあ、帰ろう」


 そう言って手を差し伸べるが、クレアは俯いて微動だにしなかった。


 どうしたものかと思考を巡らせていると、今まで涼しげな笑みを浮かべ傍観していた褐色肌の女が前に出た。


「貴方がリシャルト・ファルファーね」


 ジロッと視線だけを向けてその女を見やる。妖艶な薄い笑みを浮かべた女は妙にしなを作りながらこちらに近づいてきた。


「……そういうあんたは?」


「そうね、スラーヴァとでも名乗りましょうか。ただのしがない踊り子よ」


「しがない踊り子ね……。その割には随分と物騒なモノをクレアに渡したようだが?」


「それはこの子が望んだことだわ。私はほんの少し後押ししただけに過ぎないもの」


 変わらない微笑みを浮かべる女――スラーヴァの姿に俺は目を細めた。


「御託はいい。単刀直入に聞く。貴様、何者だ」


「あら、そんな怖い顔してたら女の子にモテないわよ。しがない踊り子だもの、そんなに殺気を向けられたら怖くて泣いちゃうわ」


 そう口にはするものの、スラーヴァは全く応えた様子もなく、しれっと受けながしている。


 その様子に俺はさらに目を細めた。


「ほう……では、そのしがない踊り子が何が目的でクレアに近づいた?」


「私はただ『声』を聞いただけ。渇望の声をね」


「……まあいい。貴様をグレイワースの婆さんの下に連れていく。下手な抵抗はするなよ?」


「こんなか弱い乙女を無理矢理襲うだなんて野蛮ね。がっつく男の子は嫌われるわよ?」


「なら、優しく連行(リード)してやろう」


 間合いを詰めようと爪先に重心を移動させる。刹那、


「遠慮しておくわ。それにそろそろ――」


 笑みを深めた女の背後から、ヌッと影が現れた。


「――お暇の時間だもの」


 暗い光を灯した目を持つその影は女の身長を優に越す。山のように逆U字型の形をしたソレは口と思われる部位を開くと、女を飲み込んだ。


「また逢いましょう、お二人さん」


 影の口の中へ消えていく女を追うように駆け出した俺は拳を振るう。が、一足早く影はその口を閉ざし、拳は虚しく影を貫いただけだった。


 ソレはもう用はないとばかりに地面へと消えていく。残されたのは俺とエスト、変わらず俯いて黙したままのクレアだけとなった。


「ちっ、逃がしたか……」


 婆さんに報告する内容が増えたな。


 ガリガリと乱雑に頭をかき、大きく息をついた。


「はぁ……。ほら、帰るぞクレア」


「――ねえ、リシャルト」


 俯いたままポツリと言葉を溢す。顔は前髪で隠れており、声には抑揚がなく、色も感情も籠っていなかった。


 いつもなら、怒りや喜びといった何かしらの感情が見え隠れしているのに。


「アタシね、強くなんないといけないのよ……。強くなって姉様に会うの……」


 でも、と続けるクレアはその顔を上げた。


「スカーレットがいないの……どこにも、いないの」


 その瞳はどこか虚ろで、俺を見据えているはずなのにどこか遠くを見ている気がした。


「――そうだ、スカーレットはアタシが殺したんだった……。でもね、でもね! 新しい力を手に入れたの……!」


 既に兆候が見え始めている。狂気が精霊から契約者へ伝播し出しているのだ。


 普段のクレアなら絶対にしない狂気の笑みを浮かべる。新しい玩具を手にした子供のように無邪気に。


「ほら、見てよリシャルト! これがあたしの新しい精霊なの!」


「――っ、こんな場所で顕現するつもりか!?」


 まずい、ここは学院から離れた場所にある。付近には民家がある上に一般人もいる。そんな場所で精霊を――それも狂気に侵された精霊を顕現したら、周りの被害は尋常ではない。


 まずは場所をかえなければ。


「次元の壁を超え、彼方へ通じる道を開かん――〈次元跳躍〉」


 圧縮呪文を唱え、俺とクレア、エストの三人を元素精霊界へと跳ばした。座標を設定している暇がなかったため、この間の決闘の場である〈門〉の前にした。咄嗟に設定した場所がここなのは、ここ最近で最も印象のある元素精霊界だからだ。


 急に場所が換わったにも関わらず、クレアは嬉々とした表情で哂う。


「見せて上げるわ、これが――あたしの力よ!」


 クレアの翳された手から放たれたのは黒い炎。そして、燃え盛る炎の中から現れたのは――一匹の黒い魔獣だった。

 
 

 
後書き
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