こうもり
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1部分:第一幕その一
第一幕その一
第一幕 宴の前に
オーストリア=ハンガリー帝国の時代。ウィーンのあちこちには貴族達の邸宅があった。その中の一つに白い大きい、それでいてみらびやかな一軒の邸宅があった。部屋の中は絹のカーテンと白い大理石の彫刻で飾られ落ち着いていながらも絢爛なものがそこにあった。落ち着きながらもそこに贅をこらしているオーストリア貴族ならではの美があった。
そこの大広間で黄金色の髪を波立たせた端整な顔立ちの男がいた。背は高くまるで中世の騎士のように均整のとれた身体としていて脚も非常に長い。その身体を絹の礼装で包み込んでいた。
「さあ飛び去った私の小鳩よ」
彼はその中で歌っていた。高い声である。
「私の願いを叶えておくれ。もう一度この手に戻ってくるのだ」
何の歌であろうか。どうやらただ小鳩を歌っているのではないことはわかる。
「さあ早くこの手に。私の憧れのロザリンデ」
そこまで歌うと一旦姿を消した。大広間から庭に出たのである。
入れ替わりに長い黄金色の髪に湖の瞳をした落ち着いた雰囲気の美女がやって来た。三十を越えているようだがそれでもその美貌は健在であった。むしろかえって磨かれているような赴きさえある。少なくとも少女の持つ美貌なぞ太刀打ちできるものではなかった。そのスラリとした身体を白いドレスで包み込んでいる。
「あら、これは」
見れば彼女はその手に手紙を持っている。その差出人を見て声をあげた。
「イーダ?誰かしら」
「奥様」
そこにメイドがやって栗色の髪の毛に緑の目の小柄な可愛らしい娘であった。
「どうしたのですか?」
「あら、アデーレ」
彼女はメイドに気付いて顔をそちらに向けた。
「実は手紙が来たのだけれど」
「お手紙ですか」
「そうよ、イーダって人から」
「姉さんからですか」
「あら、貴女のお姉さんだったのね」
奥方はそれを聞いてまずは目をパチクリとさせた。
「はい、バレーの踊り子なんです」
「そうなの。知らなかったわ」
「最初に言いませんでしたっけ」
「いえ」
奥方はその言葉には首を横に振る。
「それ聞いたのはじめてよ」
「そうだったんですか」
「ええ。それでね」
奥方は言う。
「貴女への手紙になるわね」
その手紙を差し出す。アデーレはそれを受け取った。
「どうもです」
「いえ、いいわ。それにしても」
「何でしょうか」
「何かその手紙が気になるのだけれど」
彼女は言う。
「お金のこと?だったら貴女のお給料をあげてあげてもいいけれど」
「いえ、それは別に」
アデーレは笑ってそれに返す。実は奥方はメイドに対してはかなり気前のいい優しい主であった。おっとりとしたところのある国柄がいい具合に反映されていた。
「いいですよ」
「そうなの」
「それにですね」
アデーレは封を切ったその手紙を見ながら述べてきた。
「お金の話じゃないですし」
「そうだったの」
「今夜のことですね。都合よく」
「大晦日のこと?」
「そうです。何でもオルロフスキーさんって人のお家で宴会が行われるそうで」
「ああ、あの方ね」
奥方はそのオルロフスキーという名を聞いて頷いてきた。
「御存知なんですか」
「ロシアの貴族の方よ。かなり有名なのよ」
彼女はアデーレにそう語る。
「公爵家の方でね。お金と暇を持て余していて」
「素晴らしい方ですね」
アデーレはそれを聞いただけで感激を見せてきた。
「お金と暇が一杯あるなんて。何て羨ましい方」
「けれど御本人はそうは考えていらっしゃらないのよ」
そうアデーレに語る。
「とにかく退屈だそうで。困ってらっしゃるわ」
「そうなんですか。何かわかりませんね」
「人それぞれよ。それでね」
奥方はさらにアデーレに言う。
「何て書いてあるの?」
「私をそのパーティーに案内するそうです」
「貴女を」
「はい」
アデーレは答える。
「やっぱりこの服じゃまずいですよね」
メイド服のスカートの端を摘んで言う。当然その格好では宴に行ける筈もなかった。やはり宴ともなれば正装が基本であるからだ。
「ドレスは持っていないの?」
「前は持っていました」
アデーレは答える。
「けれどこの前ワインとケーキで汚れて。今洗っているところです」
「何やってるのよ」
奥方はそれを聞いて口を尖らせてきた。
「折角のドレスにそんなことして。高かったんでしょ?」
「ここのお給料の殆どがそれで消えちゃってます」
アデーレは悲しい顔でそう述べた。
「だから今とても悲しいです」
「そうでしょうね。パーティーにも参加できないし」
「小鳩になって潜り込めればいいのに」
「じゃあ魔女の黒い服がいいの?」
「いえ、私が欲しいのは純白のドレスです」
そう奥方に返す。
「今はないですけれど」
「残念だけれど諦めるしかないわね」
「はい」
泣きそうな声で答える。
「悲しいですけれど」
「そんなに落ち込まないで」
奥方はここで彼女に対して気遣う言葉をかけた。
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