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椿姫

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第二幕その三


第二幕その三

「アルフレードの為にも」
「彼の為にもですか」
「そう。本当に愚かな男でして。自分の財産をその怪しげな女に貢ごうとしていると聞いては。放ってはおけません」
「あの方からはそのようなものを受け取ってはおりません」
「一切ですか」
「一切です」
 毅然としてそう返す。
「そうですか」
 彼は一端目を閉じた。そしてまた開いてこう言った。
「果たしてその御言葉が信じられるでしょうか」
「私が信用できないと」
「あえて言わせて頂きましょう」
 彼は臆するところがなかった。
「貴女の様な立場の方を信用するというのは。無理があるのではないでしょうか」
「失礼な」
「失礼かどうかという問題ではありません」
 ジェルモンはなおも言った。
「それが貴女達の仕事なのですから。違いますか」
「確かに私の前の仕事はそうでした」
 顔を俯け苦しそうにそう言った。
「ですが今の私は。あの仕事は止めました」
「では何故」
 彼は尚も問うた。
「これだけの立派な邸宅が」
 後ろにある邸宅を見ながらそう言う。確かに小さいながらも綺麗にまとまった邸宅であった。
「信用なされないのですね」
「それは無理というものです」
「わかりました」
 彼女は覚悟を決めた。そしてジェルモンを見据えてこう言った。そして家の玄関の前の鈴を鳴らした。すぐにあの召使がやって来た。
「何か」
「あれを持って来てくれるかしら」
 彼女に顔を向けてこう言った。
「あれを」
「すぐにね」
「わかりました」
 彼女は一旦姿を消した。そして暫くして何かの封筒を持って戻って来た。
「どうぞ」
「有り難う」
 彼女を下がらせた。そしてあらためてジェルモンと向かい合った。
「これを」
 そう言ってその封筒をジェルモンに差し出す。
「これは」
「そこに私の誠意があります」
 彼女はそう言った。
「私の誠意が」
「誠意ですか」
 言葉には含ませなかったもののそこには何処かシニカルな色合いがあった。
「そのようなものが」
「御覧になって下さい」
 ヴィオレッタは多くは言わなかった。そう述べただけであった。
「是非共」
「わかりました」
 この時までジェルモンは彼女を全く信用してはいなかった。これは彼が特に偏見を持った人物だからなのではない。あくまで世間の常識というものに沿った考えで述べているだけであったのだ。
 封筒を開けた。そしてその中にあるものに目を通す。それを見るうちに彼の顔がそれまでの落ち着いた、だが冷たいものから驚愕のそれに一変していった。
「これは一体・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「貴女はまさか」
 ヴィオレッタは答えようとはしない。それが何よりの答えであった。
「何故そこまでして」
「愛故です」
 彼女は沈痛な顔でそう言った。
「私の過去のことも確かにあります」
「・・・・・・・・・」
「ですが今は。彼の為に全てを捧げたいのです」
「しかしそれでは」
「構いません」
 目を閉じ首を横に振った。
「過去の愛を知らず、束の間の宴にのみ生きていた私に愛を教えてくれた方なのですから。何を迷うことがありましょう」
「そうなのですか」
「おわかりになって頂けたでしょうか」
「充分です」
 封筒の中に書類を入れた。そしてテーブルの上にそれを置いてからまた言った。
「ですが私はそれでも」
「わかっております」 
 その目に全てを悟った諦めの色が浮かんだ。
「それも私には感じられていました」
「そうだったのですか」
「私の様な者には。愛という幸福は」
「そのうえでお話したいのです」
 ジェルモンもまた沈痛な顔になっていた。言いたくはなかったがどうしても言わずにはいられなかったのだ。
「アルフレードのことと」
「はい」
「その妹のことで」
「妹、彼に」
「神は私に二人の子供を与えて下さいました。一人はアルフレード、そしてもう一人は」
「娘さんですね」
「そうです。私にとってはかえがえのない存在です」
 彼は静かに言葉を選びながらそう言った。
「もうすぐ他の者の妻となります。ですがその時に」
「アルフレードのことが噂になれば」
「おわかりでしょう。ですから」
「わかりました」
 ヴィオレッタは静かに頷いた。
「それでは暫くの間」
 彼女は苦渋の決断を下した。
「アルフレードから」
「いえ」
 だがジェルモンはまだ言った。
「私がお願いしているのはそんなことではありません」
「まさか」
 それを聞いたヴィオレッタの顔色が一変した。
「貴方はまさかそれを私に」
「はい」
 ジェルモンは頷いた。
「お願いできますか」
「何と恐ろしいことを」
 彼女はそう言ってそれを拒絶しようとした。
「私が彼をどれだけ思っているのか。御存知になられた筈です」
「それでもです」
 彼は言った。
「私にはあの人だけしかいないのです」
 彼女は必死にそれを拒もうとする。
「あの人が私にとってはもう全てだというのに」
「それでもです」
 ジェルモンも引き下がることはなかった。
「私はもう長くはないのです」
「それもわかります」
 ジェルモンは答えた。
「そのお顔を見れば」
「やはり」
「胸を患っていられますね」
「はい」
 ヴィオレッタはそれを認めた。
「もう長い間。立つのも辛い程に」
「やはり」
「血こそ吐きはしませんが。次第に命の灯が弱くなっていくのがわかります」
 結核であった。この時代は死の病であった。ヴィオレッタの胸の病はこれだったのである。だからこそ彼女はアルフレードに全てを捧げようとしていたのだ。
 
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