ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~
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SAO編
one day 生命の碑にて
前書き
書下ろし閑章となります。
以前投稿していたにじファンの感想欄で「ソラの死にヒースクリフさんはなんとも思わないのかな」というコメントがあって、「そういえば書きたかったなー」と当時思っていた(第6章が長すぎたためカットされた)のを思い出して書いてみました。
夕日が、沈んでいく。
赤い世界が徐々にその色を失っていく。
違和感を感じる。
風の音が、やけに聞こえないのか。
それだけじゃない。音、色、気温、匂いにいたるまで、何もかもが希薄に感じる。世界が薄くなる。色褪せる。そんな特殊な、異常な状態が実際に存在することを、俺は身を以て知ることになった。できれば一生知りたくなかった感覚だ。
眼前に聳え立つ、黒き城…黒鉄宮。
光を失った世界。
その世界にふさわしい極彩色の宮殿は、まるで俺の心を映すようだった。
真っ黒に塗りつぶされた心。
消せない空虚。尽きない後悔。
俺はそんな心を抱えたまま、音のない風の中佇んでいた。
―――アインクラッド、第一層。
『生命の碑』の前に。
◆
「奇遇だね、シド君」
ヒースクリフのその声がかかったシドが、ゆっくりとその顔を上げた。その顔に宿る表情は、プレイヤーを超越した権限を有するヒースクリフですらも、見たことのない…如何様にも表現することのできない色が浮かんでいる。
「……ヒースクリフ…」
「直接会うのは、四十七層以来かな?」
応えた声は、その存在の希薄さと同様に、消えそうなほどに細い。『旋風』と謳われ、アインクラッド最速の戦士の一人と呼ぶに相応しい力を誇った青年とは思えないほど弱弱しい声は、彼の心の摩耗具合を如実に感じさせた。
『攻略組』は、常に死と隣り合わせだ。
層が進むにつれて死者の数は減ってきてはいるものの、それは決してゼロにはならない。
無論『攻略組』として彼らも覚悟はしている。
自らがその死に呑まれることを。
あるいは、肩を並べた戦友が斃れることを。
彼とて『攻略組』に近かった存在、その覚悟も例外ではなかったはず。しかし。
(…その覚悟が足りるかどうかは、別の問題か…)
思えばヒースクリフから見て、このシドという男は「『攻略組』の裏方」を自称しながらもその実ともすれば最前線よりも危険が伴うような場所を探索し続けていた。もともと死を恐れない…あるいは死に対する恐怖が鈍いタチだったのか。そして。
(それ故に、「死ぬ覚悟」はあっても「死なれる覚悟」はなかったのか…)
悲しき眼をした青年を、ヒースクリフはまっすぐに見つめる。
瞳の色は、カラーリングにあったかと疑うような深く、冷たい黒が渦巻いている。
「……」
沈黙のまま、シドは目線を逸らした。
ヒースクリフが、小さく…誰にも気づかれないほどに小さく、目を伏せる。
―――強き『プレイヤー』の離脱を予感しながら。
◆
「奇遇だね、シド君」
ヒースクリフは、俺を難なく視認して声をかけてきた。
まだ夕日の沈む前の街中、ほかに人のいない状況既にマスターに達した『隠蔽』スキルを悠々と貫いてくるという驚異的な能力とプレイヤースキルだが、この男…SAO最強と名高い『聖騎士』ならば、それも不可能ではないのだろう。
「直接会うのは、四十七層以来かな?」
相変わらずの真鍮色の瞳が、俺を見つめる。
そこに宿る色は、俺には理解できない。
少なくともそこには、悲しみや絶望があったようには見えない。
憂いこそあれども、それを「仕方ない」と流せる者の目。
理解できない。
いや、「したくない」の間違いか。
目を逸らす。
逸らした視線の先にある、『生命の碑』。
その石面に刻まれた名前が、無感情に俺を見上げる。
「あんたは…」
絞り出すように呟く。
ヒースクリフの態度は、普段の俺だったら気にせず流しただろう。
そんなやつもいるだろう、で済ませたろう。
だが。
「あんたは…」
俺は、冷静ではなかった。
冷静であってはいけなかった。
それは、俺のために喜び、怒り、泣き、笑った彼女への、ひどい裏切りに思えた。
だから俺は、精一杯に俺らしくないことを為す。
「…ソラに、ずいぶんと入れ込んでいた。…ボス攻略の時や俺のいない時にギルドを訪ねて、熱心にKoBに勧誘してたと聞いてる。…そんなアンタは、ソラの死に、なんとも思わないのか? それもこれまで死んできた連中と同じ、「一人のプレイヤーの死」に過ぎないのか…?」
ヒースクリフの顔は、見えない。
だから、俺の言葉に何を思うのかはわからない。
「……彼女の死は、…そんなに取るに足らないっ、そんなっ」
「彼女は『勇者』の一人だったろう」
ヒースクリフは、唐突に俺の言葉を遮った。
「おそらく彼女はこの先に私の『神聖剣』と同等の『ユニークスキル』すらも獲得して、この世界を結末へと導く戦士の一人だっただろう。だからこそ私は彼女を『攻略組』に…KoBへと勧誘したし、その動向に注意を払ってもいた」
遮ったまま、朗々と歌い上げるように言葉を紡ぐ、『聖騎士』。
視線だけを向けると、ヒースクリフは俺の視線を追うように『生命の碑』を見つめていた。
そこに宿る感情も、やはり俺には読み取れない。
「…だが、それはこのVRMMOであるSAOにおいて、『勇者』は不変のものではない。この世界では生まれた瞬間からの『勇者』はいないし、…『勇者』であれば最後の戦いまで生存が約束されているわけでもない。……であるなら、このような結末も、残念ながら起こりうる事態なのだ」
視線の先は、『生命の碑』を…そこに刻まれたソラの名前を見ているのか。
あるいはそこに、未だ傷のない名を連ねる者を数えているのか。
見た、というよりも長い時間をかけてその碑文を眺めた後、さらに紅い騎士は言う。
「『勇者』がいなくなったとしても、世界が終わることは無い。…攻略は、続く。彼女の死を超えて、我々はこの先のボス戦を戦い抜かなければならないのだ」
そこまで告げて、再び言葉を区切る。
視線は石碑を離れて、空を…はるか情報へと向いていく。
未だ攻略されぬ上層を。
そして最上階、百層を見据えるように。
ああ、この男は。
この、全プレイヤー中最強と謳われる戦士は。
誰が死んでも、この世界が続くと言い切った。
誰を失ったとしても、この攻略をあきらめることはないと断言した。
―――この男は、本当に、本物の『攻略組』だ。
―――俺と違って。
俺は。
「いいや。…終わったよ。世界は」
俺は、そこまで強くなかった。
「…俺はもう、この先なんにもできる気がしねえよ。…もう、俺は終わっちまったよ」
ソラを失って、俺は笑ってしまうくらいに空っぽになってしまった。
あの夏の日以来、俺はギルドホームに帰っていない。いくつものクエストアイテム…それも希少価値的には中層エリアで館でも買えそうな額になるだろうアイテム達が倉庫に眠っていることは分かっていたが、それを取りに戻る気には到底ならなかった。そんなものに何の意味も感じなかったし、むしろそれを…ソラ達との冒険の思い出を彩るそれらを見るのに耐えられる自信がなかった。
レミ、ファーの二人にも、連絡は取っていない。彼女を死なせてしまった俺がどんな顔をして会えばいいのかわからなかったし、皆の表情を見るのが恐かった。罵られるにしても、慰められるにしても、あるいは憐れまれるにしても、それに耐えきれない。
それに。
何をしても、ソラは還ってこない。
「……俺のSAOは、あの日もう終わっちまったんだ…」
あの、二十七層の初めての出会いの日から、俺の世界はソラを中心に回っていた。
その世界が、確かに終わった。
涙も流れないほどに、俺はもう終わってしまっていた。
あとはもう、空虚な世界を漂うだけの残り滓としての日々があるだけ。
そんな俺を見て、ヒースクリフは。
「……定められた『勇者』がいないということは、この世界では逆に言えば望むならば誰もが『勇者』足りえるということだ。皆を率いる『勇者』が斃れたのならば、誰か別の者がその役割を引き継いでいくことになる」
俺とは見ている世界が違うと感じさせる真鍮色の眼で、俺の何も映さない瞳を見て。
「……だが、その『勇者』は、君ではなかったようだな」
そう言った。
石碑の向こうに見える夕日は、もうすでにその大半を海へと沈めている。
辛うじて残った最後の一筋の光は、まるで何かを訴えるかのようにいつまでも俺を照らし続けた。
◆
ヒースクリフが去って、どれくらいの時間が経ったか。
最後の光が名残惜しげに消えて、空飛ぶ鋼鉄の城は夜の闇に包まれていく。それにつれて、俺の身を隠す『隠蔽』のスキルはその練度を高め、半端な『索敵』では到底姿をみることが敵わないレベルへと体を暗闇に溶け込ませていく。
『生命の碑』は、無人ではない。
黒鉄宮を拠点とする『軍』のメンバーがちらほらと見られる。
質素な装備をした…おそらく始まりの町から出ていないプレイヤーが、そそくさと駆けていく。
…そして、数人のパーティーが、花を石碑に備えていく。
あるものは唇を噛み締め、あるものは涙ながらに他の者に持たれ、あるものは己の成長を述べ。
彼らが去ったあと、俺は石碑の前に立った。
伸ばした手で、そっとその表面に触れる。なめらかな手触りに、刻まれた名前。
プレイヤー名、「Sora」。
それをかき消すように刻まれる、横一本の線。非情で残酷な印。
それを、そっとなぞる。
本来は横一本、何の歪みも毛羽立ちもない線で消されるはずのその名は、まるで何かに激しく抵抗するようにささくれ立っていたように感じた。まるでそれは、彼女の死がこの石碑に刻まれる名の中で特殊な存在であるかのように。
いや、それは単なる俺の妄想に過ぎないだろう。きっと俺の中で、彼女の死をほかの名も知らぬプレイヤーの死と同等にしたくないという、醜い感情が渦巻いているのだ。
刻まれる線を、何度もなぞる。
何度も、何度も。
どれくらいの間そうしていたか。
俺は何も告げることなく、身を翻す。
あるいは、ソラに何も告げることができないままに逃げ出す。
空っぽの俺は、そうしてどこへ行くでもなく転移門へと歩き出す。
いつの間にか暗雲が立ち込めていた空から、一滴の雨が落ちる。
それはすぐさま本降りの雨となり、街を、世界を、俺を容赦なく濡らしていった。
後書き
この話を投稿している現在、累計PVが(およそ)6万、ユニークアクセスが(こっちもおよそ)1万に達しました。また、ポイントのほうも千ポイントを超える高い評価をいただいており、とてもうれしく思っています。現在は話別評価では意外と第4章が人気ですね。…やっぱりギャグは正義ですね。
今回は、暁投稿オリジナル話となります。既読の皆様にも楽しめるように、こういった閑話をいくつか挟めるといいですね。感想欄での配慮、ありがとうございます。転載という関係上ネタバレ的に難しい点もあり、皆様にご迷惑をおかけしていますがこれからもご理解とご協力をいただければ幸いです。ネタバレ有の感想は活動報告にいつでもお書きください。お待ちしています。
初見の皆様、物語は楽しめていらっしゃるでしょうか? 今回は前書きやあとがきは基本的に書くことなく投稿をしていますが、何かご意見やご要望などありましたらいつでもお書きください。作品をよりよいものにしていきたいとはいつも思っているので、お気軽に感想など書いていただければ幸いです。
次回より、SAO編第7章、SAO編の最終章となります。それに先んじて、お詫びを一つ。
この「無刀の冒険者」は原作の展開、設定に矛盾なく、「舞台裏的な物語」を目指して書いておりますが、今回の第7章の戦闘の一つは原作(アニメ版のほうになります)とおそらく多くの矛盾点を生じていると思います。なんとか直せないかと頑張りましたが、やはりできない部分が多かったです。違和感を感じられたら申し訳ありません。
SAO編あと少しとなりますが、お付き合いいただければ幸いです。
ご意見、ご感想、ご評価、ご指摘など、いつでもお待ちしています。
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