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おいでませ魍魎盒飯店

作者:卯堂 成隆
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Prologue 食の荒野に生まれ落ちて
  私は魔界のお弁当屋さん

 刻は太陽が南中に差し掛かるより少し前。
 場所は魔のモノが住まいし絶界"モルクヴェルデン"。
 その悪しき世界に存在する数多の都市国家が一つ"ビェンスノゥ"。
 その街を取り巻く外壁の外には、緑豊かで見晴らしのいい平原が広がっていた。
 そしてその平原の片隅、潅木のまばらに茂る小さな林を貫く街道のほとりに、一軒だけポツンと雑貨屋が建っている。

 店の名前は"アトリエ・ガストロノミー"。

 はじめて見る者全てが、こんな感想を抱くだろう。
 ――街の中どころか村の中ですらないこんな場所で商売が成り立つのだろうか?
 成り立つのだ。
 こんな場所に店をたてようと思うほうがむしろ不思議に思うほどの辺鄙な立地なのだが、この時間帯になるとその雑貨屋はいつも喧騒に包まれる。
 なぜなら……

「キシリアちゃーん! 弁当二つ! いつものヤツね!!」
「はーい、ただいまお持ちしますね!!」
 元気のいい若者の声に応じたのは、これまた年若い少女の声だった。

 その手にくすんだ赤色をした陶器のような材質の箱を二つ手に取ると、キシリアと呼ばれた少女はそれを薄い布製の風呂敷を結んで作った荷物入れに詰めてから、カウンター越しに腕を伸ばして若者にそっと差し出す。
 すると、若者はかわりに少女の差し出した箱と全く同じものを二つカウンターの上に差し出した。
 弁当箱……と呼ぶにはいささか贅沢な代物である。
 表面には複雑な文様が描かれ、その文様を形成する線の一つ一つに繊細で不可思議な力が流れており、誰の目から見てもそれが何らかの魔道具(アーティファクト)であることは疑いようが無かった。

 一般的な魔界の住人がこの光景を見たならば、まず最初に自分の目を擦り、次にその頬をつねることだろう。
 そしてそれが現実であることを受け入れるために、くだらない努力を始めるに違いない。

 ――無理も無い。
 高度な技術の結晶である魔道具(アーティファクト)は、どんなに安くとも金貨で取引される貴重品だ。
 これがどこかのオークション会場ならいざしらず、こんな辺境の野外でホイホイ取引されて良いものではない。

 とはいえ、いささか大げさなつくりではあるが中に入っているのは結局のところ食べ物である。
 そう、ただの弁当なのだ。
 ただ、この魔界においてそれはいろんな意味で異端だった。

 そもそも、この"モルクヴェルデン"と呼ばれる魔界に料理をするという習慣は無い。
 獲物を仕留めたらそのまま貪り食うという、まるで野獣のような食文化しかなかったはずなのだ。
 なにゆえに食文化を持たないかと問われれば、彼等はこう語る。
 ――なぜ、たかが栄養の補充にそこまでこだわらなければならない?
 それが魔界"モルクヴェルデン"のスタンダードなのである。

 故に、人間たちがこの光景を見れば魔族たちとは別の意味で驚きを隠せないだろう。
 "人間のすなる料理といふものを、魔族の我もしてみむとてするなり"……ではないが、人間の文化を嫌う魔界において料理を作るという事は、ありえないレベルの暴挙であった。

 ましてや、ただの料理を通り越してお弁当。
 それは単純に料理を作るという事でなく、持ち運ぶことが前提という高いハードルが存在するのだ。

 いったい、なぜ魔族が料理を?
 そして、なぜ料理屋を飛び越して弁当屋を?

 いくら考えようとも答えは出ない。
 ただ、わかっていることは、この店が7日周期の最初の5日間だけ、午前10時から11時にかけてのみ雑貨屋の一部を使って開店する……おそらく魔界における唯一のお弁当屋という事のみである。

「はい、いつものゴブリン弁当です! 容器の回収にご協力いただけましたので、容器1つあたり10セネカの割引で、120セネカになります!!」
 少女から弁当を受け取ると、若者はウットリとした表情でその箱の中から漏れ出す香りに酔いしれる。

「あぁ……この香り! 悩ましい……そして狂おしい。 それ以上に愛おしい。 もう、これだけで頭がおかしくなりそうだ」
 これが人間の作るものならば死んでも手を出そうと思わないが、同胞の作るものであれば心も動く。
 それ以前に、ここの弁当は人間への敵愾心すらもかすむほどの引力を持っているのだ。
 一口も食べることなく、その匂いだけで狂いそうなほどに。
 お堅い魔界の神官たちや魔宮の姫君たちですら香りにつられ、彼等が下賎と厭うゴブリンたちの人垣の中に踏み込むほどに。
 そして、ひとたびソレを口にしたものは、二度と元の食生活に戻ることは出来なかった。

 そんな被害者の一人がここにも一人。
 いや、その背後にさらに何百人も。

 カラーンカラカラカラ……
 あまりにも陶酔しすぎたためか、弁当の匂いを堪能していた若者の手からショートスピアが滑り落ち、周囲に甲高い音を響かせる。

「……あ」
 だが、彼を笑うものは一人もいない。
 むしろ嫉妬にも似た強烈な眼差しを注ぐのみである。

「じゃ、じゃあ、これでよろしく!」
 あわてて槍を拾い上げると、若者は真っ赤な顔をしたまま恥ずかしさを隠すかのように元気な声でそう告げ、懐からコインを取り出した。
「まいどありがとうございます!」
 続いて銀色に輝く100セネカ銀貨を若者から二枚受け取ると、少女は一回り小さな10セネカ銀貨を8枚返す。
 物価の基準がまったく違うためあまり当てにはならないが、1セネカは日本人の感覚で10円より少し大きい程度になるだろうか?
 弁当二つでおよそ1500円程度。
 かなり良心的な値段といえるだろう。

「ごめんなさい。 50セネカコインが切れてまして……」
「あぁ、気にしない。 キシリアちゃんのところの弁当を買えるだけでもラッキーなんだし」

 申し訳なさそうに頭を下げるキシリアにむかって笑いながら小銭を受け取ると、若者は満面の笑みを浮かべたまま、手にした弁当を文字通り抱え込んで帰ってゆく。
 ……さもないと、弁当を買えそうもない連中に横から掻っ攫われかねないのだ。
 その競争率たるや、学食のヤキソバパンですら凌駕しかねない勢いである。
 実際、この弁当が発売された直後はそんなトラブルが頻発していた。

 なので、キシリアはこの弁当のファンに街の警備員が多数含まれていたことから一計を案じ、優先的に弁当を販売する代わりに、この昼前の時間帯だけそんな不埒な真似をする輩が出ないか見張りをたててもらうことにしたのである。
 そして先ほどの若者は、今日の弁当争奪戦を監視する街の衛兵の一人だった。

 ただ……もし、この弁当を人間が食べたなら、一口で目を剥いて吐き出すかもしれない。
 なぜならこのゴブリン弁当、人間が食べるとかなり乳臭い上に胸焼けがするほど脂っこい味に仕上がっているという、完全な失敗作だからだ。

 ちなみにこの弁当の中身はカニクリームコロッケ、エビクリームコロッケ、コーンクリームコロッケが各2つずつ。
 さらにホウレン草とベーコンの炒め物にプロセスチーズの粉末をかけたもの。
 タマネギとハムのチーズフォンデュ風マリネ、生クリームと胡桃入り卵焼き、マヨネーズのかわりにヨーグルトを入れたアッサリ味のポテトサラダ。
 ご飯モノも入っているが、キノコのミルクリゾットにチーズ入りケチャップライス、そしてバターの風味がたっぷり効いたバジル入りガーリックライスという濃厚なテイストの三色旗(トリコロール)である。
 たぶん聞いているだけで胃もたれのする人もかなりいるだろう。

 濃い。
 濃すぎる。
 なぜにそこまで乳製品を入れたがるのか?

 理由は明白……妖精の味覚は人間と異なっているのだ。
 彼等にとっての濃厚な乳製品の味や香りが、日本人にとっての米にあたると思って欲しい。
 そしてこの弁当が人間にとっては忌むべき味覚であったとしても、妖精にとっては天にも登るような美味なのだ。

 それぞれのメニューのバラ売りもしているのだが、選ぶ手間を掛けたがらない妖精達は、特に客の大多数を占めるゴブリンたちはこのセット販売を非常に好む。
 そのため、いつの間にかついた名称が"ゴブリンセット"。
 それがいつのまにか"ゴブリン弁当"と呼ばれるようになったのは、おそらくキシリアが無意識に口にしたものを誰かが聞きつけたからだろう。


 そして優先購入件を持つ衛兵がいなくなると、今度は一般客が津波のように押し寄せる。
 人間社会と違って他人に譲るルールもなければその必要も無い魔族の社会では、文字通り前の者を押しつぶしながら押し寄せるのだ。
「キシリアちゃん、ゴブリン弁当5つよろしく!!」
「はぁぃ!!」
「こっちは弁当12個!」
「テメェ、買占めする気か!!」
「すいません、お弁当は一人5つまででお願いします!」
「そんなあぁぁぁぁっ!! 12個買って帰らないとウチのお局さんたちに殺されるぅぅっ!?」
「知るか! そんなモン!!」
 魔王の城下町の一角で始まった弁当争奪戦は、11時の鐘が鳴り響く少し前……キシリアの営業する店の弁当が全て売切れるまで続いた。

「すいませーん。 お弁当売り切れました! まことに申し訳ありませんが、またのお越しをお待ちしております!!」
 弁当を買いそびれた客に向かって申し訳なさそうにそう告げると、いつものことではあるが怒りの声がそこかしこから響き渡る。
 だが、弁当が買えなかったために、怒鳴り、泣き叫び、暴動を起こしそうなほど興奮した魔族たちは、キシリアに買収された警備兵の手によって街の外壁の向こうに手際よく押しやられていった。
 ほぼ毎日のことなのだが、この空気だけはいつまでたっても慣れそうにない。
 暴動や殺し合いなど日常茶飯事である魔族社会の空気が、キシリアはどうにも苦手で仕方が無かった。
 それゆえに、わざわざ警備兵を雇って客を捌いているのだが、こんな手間をかけるのは魔界広しといえどもキシリアの店だけだろう。
 大概は客が商品を巡って殺し合いを始めても、店の中が壊れない限りはそのままだ。




 ――閉店時間のゴタゴタが始まってからおよそ1時間後。
 荒れ狂った客たちがいなくなると、キシリアはようやく一息ついて椅子に座り込んだ。
 このあとこの店は雑貨屋だけになるので、ここから先の時間は彼女にとってほぼ休憩時間だ。
 ちなみに雑貨屋の店番もキシリア一人でやっているのだが、こちらのほうはあまり儲かっていない。

 そんなキシリアが椅子の上で足を組みなおすと、その長いスカートの間から犬のような尻尾がチラリとはみ出す。
 同時にその頭にかぶったヘッドドレスの下から大きな犬の耳がヒョッコリと顔を覗かせた。
 彼女はそのまま、頭にかぶったヘッドドレスをむしりとって近くのテーブルの上に放り投げる。

「はー 疲れた。 毎回これじゃ身がもたねぇわ」
 さらにその口からは、まるで少年のようなぶっきらぼうな台詞が飛びだした。
 もしも魔界の淑女である彼女の同族たちがみたならば、思わず扇で顔を隠して眉間に皺を寄せてしまうほどの無作法である。

 すでにお分かりだと思うが、この少女は人間ではない。

 "絹纏う者"シルキー。
 魔界のメイドにして、女性のみで構成される妖精の一族である。
 本来は古い屋敷に宿り夜中のうちに様々な家事をこなす上級の家霊であるが、非常に気位が高く、家主が城の主にあるまじき愚行を行えば容赦なく追い出すこともあるという、おっかない女妖精たちだ。

 そんな彼女たちの特徴は、動くとシャラシャラと絹のような衣擦れの音がすることと、まるで制服のような裾の長いクラッシックなメイド服に、犬の耳と犬の尻尾。
 ただしいつものは人とかわらぬ姿をとっており、この犬の尻尾を人前に晒すのは彼女たちにとって胸を丸出しにするのと同じぐらい恥ずかしい行為である。
 この価値観は、同じく尻尾を持つ妖精であるコボルトやブラウニーでも同じであり、そのため彼女たちは尻尾を隠す長いスカートを愛用せざるを得ないのだ。

 ちなみに余談だが、尻尾がスカートから覗いているときは「お嬢さん。 ガーターベルトが外れていますよ」と話しかけて教えてあげるのが、紳士たる魔界の男たちの作法である。
 さもないと、恥をかかされた彼女たちからどんな報復があるか知れたものではないのだ。

「さぁてと。 とりあえず自分のメシ作ったら、明日の仕込みもやんなきゃな。 そろそろ他の種族向けのレシピも開発したいし。 あー、なんでこんなことになったんだろ」
 繰り返すが、キシリアの所属するシルキー族は、魔界の淑女である。
 こんな男臭い台詞なんぞ口にするぐらいなら、自分の胸を護身用のナイフで突いて自害するほど誇り高い生き物だ。
 それがなぜこんな口調なのかと言うと……じつは彼女、少し前まで男だったからなのである。
 しかも、この世界ではなく、異世界に住む二十歳過ぎた洋食屋の料理人。
 かつての名前を、"桐生(きりゅう) 慎吾(しんご)"と言った。
 
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