アルジェのイタリア女
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第一幕その一
第一幕その一
第一幕 イタリア女登場
「御妃様御妃様」
ここはアルジェの太守ムスタファの宮殿の中の一室。丸い屋根の建物の中の豪奢な部屋の中でアラビア風のみらびやかな服を着た若く品のある女性が周りの者達に声をかけられていた。
見れば侍女や髭のない男達ばかりである。アラビア人もいれば黒人もいる。白人までいる。それがアフリカにあってオスマン=トルコの統治下にあるこの街らしいと言えばこの街らしい。今は十七世紀、オスマン=トルコは爛熟していた。その中でアルジェもまた繁栄を極めていたのである。
それは御妃と呼ばれるこの女性にも見られた。黒い琥珀の目を持ち黒く長い髪は絹の様である。白い顔は艶やかに化粧されそれが高い鼻と低い目、そしてはっきりとした目を際立たせ彼女を絶世の美女としていた。だがその美女が物憂げに沈んでいたのであった。
「そんなに気を落とされずに」
男達が言う。誰も髭のないところを見るとどうやら宦官のようである。
「また旦那様の気紛れですから」
「それももう何度目かしら」
窓を背にしてふう、と溜息をつく。窓からは青い空と宮殿の様々な建物が見える。
「あの人ったら浮気ばかりで。もううんざり」
「まあまあ」
「そんなことは仰らずに」
侍女達も彼女を宥める。だがそれでも気は晴れてはいなかった。
「ねえズルマ」
彼女は侍女の中の一人に声をかけた。
「はい、エルヴィーラ様」
茶色い髪に青い目の若い女がそれに応えた。そして前に進み出た。彼女はエルヴィーラ、すなわちこの貴婦人の最も信頼する侍女なのである。
「あの人のことは知ってるつもりよ」
「はい」
「嫉妬深くて女好きで。男って皆ああなのかしら」
「残念ながらそうでございます」
ズルマの返答は身も蓋もないものであった。
「そして女はそれに耐えるしかありません」
「何て酷いこと」
エルヴィーラはそれを聞いて嘆く顔になった。
「奥さんは四人持ってもよく」
「ええ」
コーランに書いてある通りである。
「離婚すると三回言えばそれで離婚が可能です」
「勝手ね、本当に」
なおその際は一生面倒を見なければならないが何故かズルマはそれを言わなかった。だが意地悪ではないようである。
「世の中は男の為にあるのです」
「ちょっとズルマ」
「そんなこと言ったら」
同僚の侍女達も宦官達も慌てて彼女を止めようとする。しかしズルマは彼女達に対して悪戯っぽくウィンクを返すのであった。
「!?」
「一体!?」
侍女達はそれを見て首を傾げる。だがズルマは私に任せて、といった顔を見せるだけでそれに応えはしなかった。
「まあ御安心下さい」
「安心していいの?」
「左様です。アッラーは御妃様を御護り下さいます」
「だといいけれど」
「何、旦那様の気紛れはいつものこと。それに」
さらに言うと。
「それに?」
「いつも奥様は御妃様だけ。それを覚えておいて下さい」
「よくわからないけれど」
実はエルヴィーラの夫であるムスタファは妻はこのエルヴィーラだけなのである。四人まで持てるしそれだけの余裕もあるというのに。女好きで知られる彼にしては妙なことだとよく言われている。
「宜しいですね」
「え、ええ」
何が何なのかよくわからないままズルマに応えた。
「貴女がそう言うのなら」
「そういうことです。最後は御妃様の幸せになりますから」
「わかったわ、じゃあ」
エルヴィーラはまだ悲しかったが笑顔を作った。
「笑っておくわ」
「はい」
「御妃様」
そこに別の侍女がやって来た。
「何かしら」
「旦那様が来られましたよ」
「えっ、あの人が」
「笑って笑って」
ズルマが耳元にやって来てエルヴィーラに囁く。
「私が側にいますから。御安心を」
「ええ」
何とか気を保って夫を迎える。するとターバンに絹の贅沢な服とマントを羽織った大きな腹の巨大な男がやって来た。威張り腐った顔をしていて口髭は八の字で顎鬚も油で固めている。どうにも尊大そのものの趣きの男であった。後ろに何人もの従者を従えていた。
「ようこそおいで下さいました」
エルヴィーラは彼に対して恭しく一礼した。この大男こそが彼女の夫ムスタファなのである。
「うむ」
ムスタファはまずは尊大に応えた。
「今日は何用で」
「何用かではないわ」
ムスタファはムッとした顔でエルヴィーラに対して言った。
「昨日のことじゃ」
「昨日の?」
「そうじゃ。共に風呂に入ろうとしたのに」
エルヴィーラを見据えて言う。
「そなただけ侍女達と共に入りおって。おかげでわしは一人寂しく風呂に入ったのじゃぞ」
「それは」
「言い訳は聞かぬ」
彼は子供じみた声で言った。
「いつもそうじゃ。御前はわしを避けておる」
「そのようなことは」
「だから言い訳はいいと言っておるじゃろ」
段々感情的になってきていた。
「今度という今度は許せぬ。汝を離婚する」
「えっ」
「汝を離婚する。次で最後じゃぞ」
「旦那様、それは」
「大丈夫ですよ、御妃様」
真っ青になるエルヴィーラにズルマがまた耳元で囁いてきた。
「次は絶対に仰られませんから」
「けれど」
「ふん」
エルヴィーラは心配したがズルマの言葉通りになった。ムスタファは言葉を止めた。
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